風国 消え去ったマントと一枚の写真
北風と太陽。
かつての地球で良く知られていた寓話だ。
旅人のマントを脱がせようとする北風と太陽の勝負。
北風は強い風でマントを取ろうとするけれど、旅人は余計にマントを押さえてしまい、脱がせることができなかった。
でも、太陽が暖かく照らすと、暑さから自分でマントを脱いだ、というもの。
色々な意味合いに取れるけれど、厳しい手段や力技以外の方法が効果的な事もある、と私は解釈している。
そして、相手の状況をよく見て、どうしたら変われるのかを考えて、適切な手段を取ることが大事だと。
相手がマントを脱ぎたくない、と思っている可能性も高い。
分厚いマントは、雨風や雪から。
厳しい環境から自分を守ってくれていただろうから。
けれど、季節が変わって春になっても分厚いマントで自分を覆ったままでは、暖かい春の日差しも、心地よい風も届かない。
春が来たことを伝え、マントを脱いでもいい、という気持ちを促すのが大事だ。
「王太后様が、アマリィヤ様やフェイのお母様を愛しておられたことは解っています。
もし、兄王子様が亡くなった時、それを伝えていたら、アマリィヤ様はきっと厳しい立場に置かれていたでしょうから」
聖なる乙女として一応大事にされたかもしれないけど、兄も姉もたくさんいたというから、世継ぎの王子が死んだのに、何故お前が、と冷たくあしらわれていた可能性の方が高い。
王位継承権第一位の男児を失った王妃が、後宮での立場を失うのを恐れたというのも大きいと解ってはいるけれど、それは今は言わない。
「フェイのお母様。ファイルーズ様にも幸せな結婚を望んでおられたと同時に、女性としての幸せも願っておられましたよね?
フェイのお父さん、腹心の乳兄弟を側から離さなかったことも、もしかしたら二人の関係を解っていて、結婚までの間、一緒にいさせてあげようと思っていたりなさいませんでしたか?」
「え?」
私の言葉に目を見開いたのは、アマリィヤ様だ。
今のは完全に私の当てずっぽうだけれど、後宮みたいなところで仕事をする男性は、間違いが起きないように処理されたりすることが歴史上多かった。
なのに男性の乳兄弟が側にいる状況って、けっこう不思議だったんだよね。
王太后様は否定も肯定もしない。
顔を悔しげに背け、俯くだけだ。
「外見以外に証明するものは何もないのに、認知して、彼を守る為にアマリィヤ様共々手を尽くして下さった事も良く知っています。
フェイもとても感謝していましたし、伯母上とお祖母様を家族として大事には思っているのです」
「なら! 何故戻って来てくれないのですか! 私は! シュトルムスルフトは! あの子を本当に! 心の底から必要としているのに!!」
様々な下心はあるにしても、王太后様がフェイを愛していることは疑ってはいない。
ただ……。
「フェイには、フェイの人生があるからです」
「あの子の……人生?」
「はい。フェイはシュトルムスルフトも大事に思っています。でも、本人も前に、しかも繰り返し言ったと思いますが、彼が自分で見出し、選んだ人生。その中で大事なモノ。大切なモノの多くが、アルケディウスと大神殿にあるのです。
フェイがシュトルムスルフトから離れざるを得なかった十数年の間に積み重ねてきたもの。主君、友、故郷、環境、それから勿論家族も。一つ一つがフェイという人間を作り上げてきたのです。
無理に引きはがすことは、今までの人生を否定すること。
だから、フェイはシュトルムスルフトに来ることはできないのです」
「あの子の……幸福や光り輝く未来は、シュトルムスルフト。私達の側には無い、と?」
「はい」
厳しい様だけれど、そこはきっぱりハッキリ。
「さっきのリオンの言葉ではありませんが、在ると思えばフェイは自分でシュトルムスルフトでの生活を選ぶでしょう。それだけの力も頭も財力もあります」
「私達が、側にいてあげられなかった十五年の時は……あの子に故郷よりも血の繋がりよりも大事なモノを作ってしまったのですね」
「そうですね。もし、フェイがシュトルムスルフトに生まれ、皆様の元、憂うることの無い環境で育っていたら、この地を故郷と、皆様を家族と思っていたかもしれませんが……」
(シュトルムスルフトにとっては)残念ながら、そうはならなかった。
フェイはリオンに保護され、魔王城で育ち、風の王の魔術師となった。
そこにシュトルムスルフトが関わる余地はなく、フェイにとっては大事ではあっても、優先度の低い位置づけにしか今も、そしてこれからもならないのだ。
このままでは。
「だから、これから関係を作り直していかれてはどうでしょう?」
「え? これから、でございますか?」
目を見開く王太后様に、私は小さく頷いた。
「もう一度、最初から関係を作り直しましょう。
何度も言っていますが、フェイは決してお二方も、シュトルムスルフトも嫌ってはいないのです。
今のままでは関係性は0。家族としてやり直そうと言われても無理な話です。
でも、適度な距離感を持って親戚関係を築き直し、ゆっくりと仲良くなっていけば。
0が1になり、2、3と積み重なっていけば。
もしかしたら。
いつかレオン君や、その弟妹がシュトルムスルフトを好きになるかもしれませんし、フェイも戻って来ようという気になるかもしれません」
「本当に、そんなことが?」
「でも、焦って捕らえ、無理やりに大切なモノから引き離そうとすれば、逆に遠ざかっていくでしょう。フェイもその家族も、風の精霊神様の祝福を受けた自由で健やかな鳥。
籠の中に閉じ込めれば、弱っていくだけです。
まあ、フェイなら自分の力で籠を粉砕するでしょうし、外から助けようとする者もいっぱいいます。私達大聖都も含めて。
関係修復は完全不可能になりますね。絶対」
うん。
強引な手段は止めておいた方がいい。
フェイだけでなく、大聖都やアルケディウス、下手したら精霊神様も王の杖も敵に回すと、しっかり釘を刺しておこう。
「どうなさいますか? どうしてもフェイと家族のシュトルムスルフト帰還以外は意味がない、というのなら、私がお助けできる域にはありません。決めるのはフェイですから。
でも、少しずつでもいい。
関係を深め直したいというのであれば、お手伝いすることはできます。
手紙や意図を仲介したり、伝言を伝えたり、ですけれど」
今現在、フェイとシュトルムスルフトの関係は殆どなし。0に近い。
1でも、2でも。
少しでもあった方がいいと思うか。
それとも10以外はいらないと拒絶するか。
国政や貴族関係、後宮でのやりとりを経験してきた方なら、どっちがいいか解る筈だ。
「では……どうしたらいいと、皇女はお考えですか?」
「節度を持って、遠くにいる家族として、普通の手紙から始めてはどうでしょうか?
お元気ですか? 幸せですか? って。贈り物も普通の、相手が困らない範囲内で。
そうすれば、フェイも奥様も、ちゃんと応えてくれます」
「贈り物は、多すぎると相手が困るのですか?
多ければ多い程、相手も喜ぶのでは?」
涙目だった王太后様は、少し前向きに顔を上げ、首を傾げた。
なんだかんだ言って、シュトルムスルフトの後宮しか知らない方だ。
側室達を蹴落としたり、貴族と色々やり合うことには長けていても、基本的な所が解っていない。
そこからかあ、とちょっと思うけれど、顔に出さず、はい、と頷いて見せた。
「王太后様だって、高価でも趣味に合わないものを山のように贈られたら困りませんか?
フェイと奥様も自分のセンスや好みがあるでしょうし……贈り物には意図や狙いも込められていますよね。他国の王族ですし、返礼やその他にも気を使います」
「それは……確かに」
そうして私は、普通の嫁姑関係とか、息子家族との付き合い方とかをお話する。
ある意味、純粋培養のお姫様。
嫁姑関係も知らずに育ってきた後宮の最高位は、普通の家族関係というものを全く知らなかった。
でも、知ろうという気持ちはあり、このままではいけないという思いもある。
大丈夫。
きっと変わることができるだろう。
それに……。
「王太后様は、後宮やシュトルムスルフトを出てみよう、なんてお考えになったことは無いですか?」
「え? 後宮を?」
「はい。現在エルトゥリア、元魔王城と呼ばれていた島では『神の子ども達』。
『神の国』から『神』がお連れになった子ども達の教育の為に、各国の王位を引退なさった方達が指揮して新しい街を作っています。
全面的に人手不足なので、王太后様にもいらして頂くっていうのもアリかと」
「私が、シュトルムスルフトを、出る?」
「はい。男尊女卑の風習も無くなりましたし、各国の行き来も盛んになってきました。
失礼ながら前国王様が退かれた今、王太后様も自由に生きられていいんじゃないかと思います」
ひ孫もいるくらいの御年齢ではあるけれど、不老不死時代が長かったから、そんなにお年を召してはいない。
外見五十前後。
美魔女で通る。
「考えてもみませんでしたわ。私に、後宮以外で生きることができるのでしょうか?」
「フェイの所に吶喊されるのは困りますけれど、シュトルムスルフトを陰から支えてきた王太后様のお知恵をお貸し頂けたらありがたいな、と思いました。
まあ、これは今は提案だけ。正式に受けて頂けるなら、新年の国王会議で提案して、エルトゥリアを預かる皆様にも話を通しますので」
あ、考え込んでる。
考え込んでる。
我が子、子孫に執着するのは、ぶっちゃけ退屈だからだ。
家族以外に情熱を傾けられるものが無いから、それに執着する。
仕事でも、趣味でも情熱の行き場を見つけて、そっちに向けられれば、子離れもしやすいんじゃないかと思うんだよね。
あと、背後に口うるさい王太后様がいない方が、女王様もやりやすいんじゃないかな、とも思うし。
「フェイとの関わり方に節度を持って、束縛しないとお約束頂けるなら、いいものを差し上げます」
「いいもの、ですか?」
「はい。こちらを……」
カマラに目配せして持ってきて貰った包みを、私は王太后様に差し出した。
王太后様の執着を煽る可能性もあるけれど、今ならきっといける。
「こ、これは……」
「母上、一体、何が……!」
躊躇いがちに受け取って布を開いた王太后様は、硬直したように動きを止める。
何事かと近寄ってきた女王陛下も、騎士達も息を呑み込んだ。
「フェイの家族写真です。アルケディウスの新技術。
国から出すのは初めてですよ」
まだカラー写真はできないけれど、三人で撮った家族の肖像。
ソレルティア様の腕で目を閉じるレオン君が、本当に可愛らしい。
二人を見守るように寄り添うフェイもいい味を出している。
アルの渾身の一枚だ。
「この幸せを壊さないで、見守って頂けますか?
そうすれば、いつか固い写真ではない彼らと、笑顔で笑い合える日が来ますから」
写真に見入る彼らの返答は、まだ返らない。
けれど、私は確信していた。
固い慣習と妄執というマントを脱ぎ捨てた旅人は、とても晴れやかで、幸せそうな顔をしていたのだから。




