空国 三人称 人の友、精霊の友 前編
夏の大祭はいつにない盛り上がりを見せているという。
喜ばしい事だ、と彼は思っていた。
それ以上の感慨はないけれど。
コスモプランダーの討伐という大陸始まって以来の危機を乗り越え、新たな産業に湧く我がヒンメルヴェルエクトは、今年、公子妃と聖なる乙女の競演ともいえる美しい舞台で幕を開けた。
精霊神の祝福であるという光の木の発芽という奇跡も目の当たりにして、ヒンメルヴェルエクトの民は今頃、輝かしい夏の始まりを謳歌していることだろう。
執務室の中で、会議と議会の準備に勤しまなければならない自分には関係ない事であると、彼は。
ヒンメルヴェルエクト公子アリアンは思っていた。
事実、アリアンは生まれてこの方一度たりとも、五百余年の時があっても自国の祭りを見たことが無かったのだから。
祭りは単に社交シーズンの開始と終わりを告げるもの。
徴税と議会の時期。
それだけの意味しかない。
「オルクス。マリカ皇女はもうお帰りになられたのか?」
議会に提出する書類作成の手を止めると、アリアンは側近である魔術師に問う。
応じるのは涼やかな少年の声。
はい、と頷きが返った。
「明後日からはフリュッスカイトでのお仕事がお有りとのことなので、儀式と精霊様への挨拶が済んで間もなく、その足で帰国されたようです。
転移陣は便利なものですね。
マルガレーテ様がお見送りに行かれました。大公閣下と公子によろしくとのことです」
「そうか、そうだったな」
身重の身でありながら、各国の為に祝福の舞を贈ってくれた聖女。
本来なら父大公か、自分が見送りに行くのが筋であるが、どうしても足が進まなかったのだ。
彼女のエスコートの為に訪れ、当たり前のように傍らに立つ『魔王』。
その迫力に気圧されたこともあるが……。
「お前は、どう思っているのだ? オルクス?」
「何を、でございますか?」
「杖の返却話だ。お前の杖の話だぞ?」
大衆の前で、万が一にもこの話を蒸し返されたくなかったからだと解っている。
故にアリアンは捲し立てた。
自分の内にある罪悪感を正当化させるかのように。
「火国に返却せよという話が出ているが、私は正直返したくない。
返さなくてもいいだろう?
我が国の方が絶対に有効に使える」
「公子……議会や大貴族達にもそう説明するおつもりですか?」
「ようやく、ヒンメルヴェルエクトに王の杖が戻ってきたのだ。
火と光、両方の王の杖があれば、今までとは比較にならないくらい工業、鉱業は発展し、その技術力で他の国を凌駕することができる」
「プラーミァを敵に回すことになりますよ」
「七国間の戦争は禁止されている。間にシュトルムスフトもある。
今まで無かったものを奪還するのに、そこまでの無謀は犯すまい」
けれど、話題を振られた火の王の杖の所有者オルクスは、少し困ったような笑みを浮かべながら首を横に振っていた。
「フォルトシュトラムは、私の杖、ではありません。
借りているだけ。面倒を見て貰っているだけです。
最近は
『気を入れて学べ! 私がいなくなっても術が使えるくらいにはなって貰うぞ!』
とスパルタ……厳しくなりました。彼は、帰りたいのだと思います」
「あの杖には道具の分際で意思があるのだったな? 帰りたいなど思うくらいには」
「そのようです。
故郷であるプラーミァのことなどを最近、よく話してくれて」
「ふん! ヒトではないくせに望郷などと生意気な……」
「アリアン公子……」
明らかに不満げに毒を吐き出す公子に、魔術師オルクスは唇をきゅっと噛みしめ、向き合った。
「そのような言い方はお止め下さい。彼はモノや道具ではなく、人のパートナー。友なのです」
同意してくれるかと思った友人に思わぬ形で反発され、公子は目を剥くように魔術師に食ってかかる。
「なんだ? その友を、長年共に在った子を我が儘勝手に見捨てようとしているのだぞ」
「繰り返しますが、彼は私の親でも主でもありません。
むしろ無理やりに近い形で括りつけられていた。恨まれても、怒られても仕方ない所を、ずっと助け、面倒を見てくれていた。
恩を感じ、親しみを持ち。
感謝こそあれ、僕は恨む気持ちはないのです!」
「拾い上げたのなら、最後まで責任を持つべきだろう! 半端に手を貸すくらいなら最初からない方がいい!」
「そうであったら、僕はきっと今頃、ここに生きてはいませんでした。孤児院で浮かび上がる事も出来ず、今も沈んでいたことでしょう!」
「だったら、なおのこと。奴を説得しろ! 国に帰らず、自分の側にいてくれと!」
「できません! これ以上彼に迷惑はかけられない!」
「何故だ! 奴が去ったらお前は魔術師としての力を失うのだぞ! 精霊に働きかけ、自由に動かすあの力を!」
信じられないというように、アリアンは友とも呼んでいた魔術師を見やる。
彼の執務机の上には、横たえられた光の王の杖がある。
一度紛失したこれが再び精霊神より授けられて後、公子は改めて魔術が使えるようになった。
子どもの頃から魔術師としての適性を持ち、いつかは王族魔術師になれるかもしれないと言われていたアリアン。
だが今までは彼の力と杖の相性が悪いのか、普通の魔術師の杖では思うように力を発揮できなかったのだ。
僅かながらに使えたのはオルクスの火の王の杖のみ。
故に今までは各国の後継者達、水の国のソレイルや夜の国のヴェートリッヒ。風の国出身のフェイ神官長が自由に精霊の力を行使して術を使うのを、指をくわえて見ているしかなかった。
でも、この杖では何の気負いも遠慮も無く、彼は自由に光の術を使う事が出来る。
自分の意思に、願いに、杖は応えてくれる。
もう、片時も手放すことができなくなっていた。
光を自在に操り、電気と呼ばれる力を生み出すのがヒンメルヴェルエクトに代々伝わる王族の魔術。
夜を暖かい灯で照らし、闇を裂く稲妻を放ち。
人の目には見えない精霊に介入し、動かす快感の虜に、今の彼はなっていた。
それが火の王の杖を返したくない、と強く執着する理由の一つになっている。
「私には、解るのだ。この杖があれば我々はさらなる高みに登れる。
人の努力の数百年を縮める『精霊の恵み』。
今はまだ『神』に守られ、やっとの思いで登った宙にもいつか届くかもしれない」
「でも、その為に他の国をないがしろにするのは違うんじゃないでしょうか?」
「別にないがしろにするわけではない。有効に活用し、その恩恵はしっかりと配分する。
元より鉱山資源や工業、鉱業の技術を持たぬプラーミァには、火の王の杖は宝の持ち腐れだろう?」
「だからって……」
「お前こそ! 何故、この力を手放そうとする? お前から魔術を取ったら一体何が残るというのだ!」
「それは……」
オルクスが微かに言い淀んだ、正にその時。
人払いされ、閉鎖された空間につむじ風が奔る。
「え?」
「なんだ? 子犬?」
彼らの足元を子犬が駆け抜けたのだ。
何故、ここに子犬が?
王宮の奥深く、許可を得ない人間はおろか、羽虫一匹さえも入ることはできない筈なのに。
と、首を捻った二人であったが、アリアンはすぐに思い出す。
彼は公子だ。
直接見る機会は少なくとも『精霊獣』――聖なる乙女が神々の名のもとに生み出した、小さな代理権者の存在をちゃんと覚えている。
「まさか……精霊神……さま?」
呆然とする二人は、瞬間、眩い輝きに包まれた。
正しく太陽が降りてきたような光の爆発に、目の芯が焼かれる。
無意識に目を閉じ、再び目を見開いた時。
彼らは見て、気付くことになる。
二人しかいなかった筈の執務室に、二人のヒトが立っていることに。




