皇国 新しい『保育士』 前編
「マリカ様。その節はありがとうございました。
おかげでトムも孤児院で楽しくやっています」
「元気にしていましたか? ルシア。勉強の方は進んでいますか?」
「はい。これでいい、という終わりが無いのが辛い所ですが、学べば学ぶほどに『ああ、こうだったのか』と気付き、役立つことが多いです」
アルケディウスの保育士ルシアは、専門的な保育理論を学ぶ、アースガイア二人目の『保育士』だ。
私の手書きの教科書と、魔王城で私が直接、向こうでの保育を教えた最初の『保育士』ティーナから指導を受け、それをさらに一般の職員に伝える役目を担って貰っている。
あ、決して孤児院や保育園に勤める職員が保育士ではないと言っているのではなくて。
仕事の為に専門的に学んでいる人、という意味で。
リタさんやカリテさんも子どもの気持ちをよく汲んでくれて、私の頼んだ『人の気持ちに寄り添う保育』をしてくれてはいる。
でも、それは母親の延長。
保育というよりは、子育てや託児に近い。
さらに一段進めて、子どもの発達や心身の成長に合わせて指導や『保育』をする為の教育を受けている人間は、多分、まだ彼女だけだと思う。
「ティーナ先生の、いいえ。マリカ様の言う『保育』の考え方は面白いです。
子どもは大人と、頭の作りも何もかも違うと考えると、腑に落ちることが多いんですよ」
アースガイアにも、長く『子どもの人権』は存在しなかった。
精霊神様達が見張っていた時代はまだマシだったけれど、不老不死時代になってからは特に。
まあ、地球でさえ、子どもの人権が世界で本格的に認められるようになったのは戦後になってから。
中世には、一般市民の子どもの半数近くが成人まで生き残れなかった、という話もあるくらいだから。
今までは、子ども達を救い出すのが優先だった。
全力で頑張って、他の国にも理解して貰えて。
なんとか必要とする子ども達の衣食住を整え、安心して過ごせる場を作ることができるようになった。
そう思えるようになったのは、つい最近だ。
そして私は現状をさらに一歩進めて、この世界に、しっかりとした専門知識を持って子どもを守り、伸ばし、育てることができる人材。
『保育士』を作りたかったのだ。
「特に心理学が勉強になります。
子どもは小さな大人。役に立たない弱い存在、ではなく、まったく違う考え方を持っている。
そう解って、それに相応しい言葉かけや対処をすると、驚く程すんなりと動いてくれるんですよね」
「大泣きしていた子も、ルシアが話しかけると泣き止むのが早くって」
「ティーナ先生程、子どもの気持ちを理解することはまだできませんけれど、少しずつ解ってきた気がします。
それに心理学は、大人にも十分応用できますし」
「ティーナは、色々と特別ですから。
ルシアはルシアなりのやり方で、やっていくといいと思いますよ」
「はい。ここでは、やればやっただけ成果がちゃんと手元に残ります。
誰にも後ろ指をさされることなく、胸を張れる成果が。
昔よりもずっと楽しいですし、やりがいがありますよ」
さらりと掻き上げる髪を飾るのは、細い蒼いリボン。
シュライフェ商会に頼み、作って貰ったリボンは、他の所では手に入りにくい深みのある空色をしている。
私が保育士システムを考えた時に用意した、最低限ではあるけれど、保育士として必要な知識を修め、指導する立場にあることの証。
カレドナイトの屑粉を使って染めたものだ。
ルシアは先日、一次試験に合格したとティーナが教えてくれたっけ。
今はまだ、ルシアしか持っていない。
認められたことで、自信がついたのだろうか。
スリをして、ここに連れてこられた時に比べると、表情も晴れやかだ。
「貴女には期待しています。
ぜひ、子ども達と、何より自分の為にも、しっかり知識と力をつけて下さい。
それがきっと、将来の力になりますから」
「ええ。光の下で生きる機会を頂いた御恩は、成果で必ずお返しします。
トムや子ども達も見てますからね。
親として、女として、胸を張れるように」
ルシアはそう言って、仕事に戻っていった。
颯爽としたルシアを見送った私に、カリテさんが、見えなくなった彼女の背を追うように微笑む。
「あの子は、マリカ様が見込んだだけあって、いい子ですね。
路地から拾い上げられて、良かったと思いますよ」
「私にスリの罪を被せようとしたくらいですから、頭もいいですし。
保育士にはあれくらいの気概と頭の回転がないと。
ボーっとしていると、子ども達を守れませんからね」
「そうですね。ただ、若い娘が自分の上に立つことを、一部の女達は面白く思っていないみたいで。
あの子は言いませんでしたが、嫌がらせっぽいものもあるんですよ」
「ああ、そういうのが出て来始めましたか」
「私やリタさんが気付けば、止めてあげられるんですけどね」
アルケディウスの孤児院は、職員数がかなり多い。
これは、私や孤児院、特に保育士の仕事を、職員の自己犠牲に支えられるものにはしたくなかったからだ。
だから、全力で人件費を取り、豊富なマンパワーを確保している。
約半数がゲシュマック商会からの出向。
残る半数は、孤児院で出産し雇われた母親達で、母子共に孤児院の職員宿舎に住んでいる女性と、夫の元から通っている人がさらに半々。
女性の仕事が少ない中世の下町で、
「子どもがいても働ける仕事」
「給料が良い」
「仕事も楽な部類だ」
と評判で、その為に子どもを作って来たんじゃないかと思われる女もいる、と以前リタさんはちょっと愚痴っていた。
「私は、勉強したい人を止めませんよ。
やる気があるのなら、勉強する時間を取ることも許されている筈ですし、その為の人員もちゃんと用意している筈です」
「誰もが向上心を持っている訳では無いんですよ。
楽な仕事で、それなりに楽しく生きられればいい、っていう者も少なくないですから。
あの子は元いた所に戻りたくない気持ちもあって、頑張ってますけど」
「別に、そういう人はそれでいいんです。
でも、頑張る人の足を引っ張るのは許しません」
不思議なもので、人間っていうのはカツカツの生活をしている時には、生きるのが精一杯で、他者の悪口を言う余裕さえ少ない。
少し余裕が出て来て、周りを見回せるようになって初めて、周囲との比較や文句が出てくるのだと思う。
子どもじゃないのだ。
自分は頑張りたくない。
でも、頑張っている人が認められるのは悔しい。
なんて、通らないし、通さない。
「母親としての経験や知識と、保育士としてのそれは別物ですから。
文句が言いたかったら、自分も学んで知識を身に着け、資格を取って下さいと言って下さい。
そしたら給料も上がります、って言っておいて下さい」
「解りました。そう言って注意しておきます」
微苦笑としか言いようのない顔つきのカリテさん。
解るよ。
保育士の仕事は技術職と違って、目に見えて結果が出るものではないから、専門職ってなかなか理解してもらいにくいの。
女性同士、人間同士の場だし、やっかみや不平不満は、どんなにいい環境でも出て来るものだ。
こればっかりは、どうしようもない。
ちょっとした愚痴が零れるのも仕方ない。
心の中に統制はかけられないし、かけたくもない。
でも、こういうのは最初が肝心だからね。
イジメの芽は、きっちり摘む。
その後、細かい相談を色々と受けてから、私はカマラに声を掛けられる。
「マリカ様。そろそろ……」
「うわっ、もうこんな時間? 長々ごめんなさい」
気が付けば、もう火の刻近く。
もうすぐ夕飯だ。
失礼しないと。
「レオ君に会っていきたいので、後でもう一度、建物内を見回らせて貰っていいですか?
少しは牽制になるでしょうし」
「ありがとうございます。精霊女神に睨まれたら、少しは女達や子ども達も大人しくなりますかね?」
「脅しをかけて言うことを聞かせるのは悪手ですけれど、そうも言っていられない時は、遠慮なく名前を使っていいですよ」
「カリテ先生! 大変です!」
私の要望に応えてカリテさんが腰を浮かせようとした、正にその時だ。
女の子。
まだ十歳くらいの子が、駆け込んできたのは。
「どうしたんです? そんなに慌てて。
来客中ですよ。皇女も驚いていらっしゃるじゃありませんか?」
「あ、すみません。ですが、申し訳ありません。
ケンカというか、レオがジャムールに掴まって、殴られる寸前で……」
「すぐ行きます! 場所は?」
「案内します!」
立ち上がったカリテさんが、早足で少女の後を追っていく。
私もその後に続いた。
護衛のカマラも付いてきてくれる。
「ジャムール、というのはさっきの話に出ていた子ですか?」
「そうです。注意して見ているんですけどね」
説明する間も惜しいというように、一直線に進んでいくカリテさんは――
廊下の向こう。
当の二人を目の端に捕らえた、その瞬間。
怒りを孕んだソプラノが響き渡る。
「止めなさい! ジャムール!」
ルシアの声だ。
「うるせえ! 黙れ! ババア!」
「文句を言う前にレオを離しなさい! 相手はまだ三歳児ですよ!」
子どもの行動を一方的に止めて、怒鳴りつけるのは良くないけれど。
この場合は仕方ない。
緊急事態だ。
ジャムールと呼ばれた青年は、情け容赦なく、子どもを――レオを足蹴にしていたのだから。




