火国 プラーミァケース検討会 中編
三歳の子どもの背中につけられた、鞭打ちの跡。
朝、箱の中でうつぶせに寝ていたのが少し気になっていたのだ。
血がにじむ程のものは少ないが、明らかに蚯蚓腫れになっているものもあり、見ているだけで痛々しい。
けれど。
王族の皆様の表情には、あまり驚愕の色は浮かばなかった。
フィリアトゥリス様、グランダルフィ王太子。
ご両親は哀しげに目を伏せておられたけれど、王太后様は無表情。
王妃様も少し眉をひそめた程度。
「これは、体罰ですよ。王族の、しかも子どもにこんなことをしていいんですか?」
「王族、貴族の教師は、その家に長年仕えてきた信頼できる者が選ばれている。
そして教育の場においてのみだが、教えを受ける者が悪しき行いをした時、それを諫め、知らせる為に鞭打つことが許されているのだ。
子どもは口で言っても聞かぬからな。
手か背中に、その程度のものであるのなら、教育の範疇であると考える」
兄王様は真顔でそう言い放つ。
「ガルディは集中力がなく、授業中でも直ぐに意識が散ってしまうという。
鞭打った時には、教師は私に理由と回数を報告する義務もある。
むやみに傷をつけている訳ではない」
「当たり前です。
相手はまだ、たった三年しか生きていない子どもですよ?
大人と同じ基準で我慢や集中ができると思う方が間違っています」
頭痛い。
幼児教育の概念が行き届いていないアースガイアなら仕方ないのかもしれないけれど、流石にこれは時代錯誤も甚だしいよ。
王宮というブラックボックスの中で、他の子ども達の姿や保育、教育の方法を知らないというのも、多分原因の一つだ。
「子どもであっても、一人の人間であり、一つの人格を持っています。
鞭打ちのような形で身体に覚えさせる教育は、一時的に見れば効果的かもしれません。
でも、それは子どもの人格を否定することにも繋がるのではないでしょうか?」
「我々もそのようにして教育されてきたのだ。王族に失敗は許されぬ。
王家の威信を守る為にも、厳しく躾けねばならん」
「王族の責任の重さについては理解します。
ですが、何度も言いますけれど、相手はまだ三歳です。
自我だって固まっていないのに、やりすぎです!
それに、王族としてのお披露目だってかなり先の話でしょう?
私は八歳まで奴隷もどきで、十歳まで礼儀作法も知らない商人でしたが、こうしてなんとかやれていますし」
「お前の場合は、周囲が守っていたからだ。
最初の頃の礼儀作法は確かに酷かった。
ティラトリーツェやライオットの目がもう少し緩んでいたら、無礼を理由に無理やり奪い取っていたかもしれんぞ」
ぎろりと、兄王様の目が獲物を狙う狼のような光を宿す。
確かに前々から言われていたけど。
そんなこと。
「女ならともかく、後継者は一切の隙を見せる訳にはいかんのだ。
民と国の命運がかかっているのだからな」
「じゃあ、お伺いしますけれど。
兄王様は子どもの頃、そんな教育を受けるのは嫌じゃなかったんですか?
グランダルフィ様も、厳しい教育から逃げ出したいと思ったことは無いんですか?」
「「!!」」
二人共、唇を噛みしめて押し黙った。
「兄王様。
子どもの頃、王太子教育が嫌で逃げ出して怒られたり、ストレス解消で剣術の授業に没頭なさったりしていたでしょう?」
「! 何故、それを! ティラトリーツェか!!」
「さあ?」
しらばっくれたけれど、これはハッタリ。
お母様からは、そんな話は聞いていない。
でも、兄王様なら絶対にそうしていただろうと思った。
「その時、助けてほしいと思ったり、苦しかったりしませんでしたか?
逃げ出したいと思ったことは?
親に助けを求めたりは?」
「…………」
「自分がやられて嫌だった負の遺産を、子どもや孫に継承させるのは止めましょうよ」
「……大人になれば、学んだことが重要だったとは解るのだ。
早いうちから身に付けさせておくのは、ガルディヤーンの為だ」
「王族に学習が必要な事は十分に解っていますし、しっかりと教育されるのは、王族だからと甘やかされて育つよりも正しい事だと思います。
でも、年齢と成長に合った教育があると思うのです。
三歳のガルディ君に、大人と同じか、それ以上の勉強を強いるのはどうかと思います」
「だから、それを我々はやってきたのだ。
王族としては当然のことだろう?」
心は動いていても、王として簡単に、今まで自分が行い、子にも強いてきたことが間違いだった、と認められないのは解る。
私はテーブルの上に、静かに一枚の紙を差し出した。
「なんだ? これは?」
「ガルディ君の一日の勉強スケジュールです。
これを見て、何か思う所はありませんか?」
「変わった形の図だな。円を細かく割ってある?」
「円グラフ、と言います。
赤く色を塗ってあるところが、ガルディ君の勉強時間。
これで、ガルディ君の一日の時間がどれほど勉強に費やされているか、解って頂けるでしょうか?」
これはガルディ君に聞いたスケジュールを、フィリアトゥリス様にも確認したものだ。
間違ってはいないと思う。
円グラフという概念は中世異世界にはあまりなく、視覚的に情報を伝えられるので、異世界転生者の小説なんかでもよく使われていた。
それで見ると、ガルディ君の一日のうち、目覚めている時間の約七割が勉強に当てられていた。
就寝時間よりも長いくらい。
向こうの世界の受験期の中高生と同じか、それ以上と考えると、絶対におかしい。
朝、地の刻に目覚めて、身支度をして一人で食事。
一の刻は、火の刻から夜の刻まで、多少の休憩は挟むものの、みっちりと勉強。
二の刻になってからも武術訓練などで、地の刻まで拘束される。
午睡の時間も無い。
その後、就寝の風の刻までは多少の自由時間があるようだけれど、外にも出られないし、遊べる玩具も限られている。
遊び相手もカーンさんの息子君だけ。
三歳の子どもだよ?
そんなに長く一つの事に集中できないし、頭にだって入らない。
我慢できなくなって訴えかければ体罰を受けるとなれば、それは苦しいし、逃げ出したくもなる筈だ。
「これと同じスケジュールをこなしてきた兄王様やグランダルフィ王子を、私は心から尊敬します。
将来、子に苦労をさせない為にも今、という気持ちも解ります。
でも、どんなに完璧な知識を身に着けたって、文句を言う人はいるんです。
不老不死となって五百年、人々を想った治世を続けてきたのに、ずっと若造扱いされてきた兄王様のように」
王族だから、と甘やかさず、しっかりとした教育を子に修めさせようとする姿勢は素晴らしいと思う。
アルケディウスなんか、子どもを大貴族家の者だからと言って甘やかして育て、読み書きもおぼつかない大人にしてしまった者もたくさんいる。
「マリカ……」
「個人的には、国王が万能である必要はないと思うし、知らないことがあっても調べたり、部下に聞いたりして助けて貰ってもいいと思います。
これから『神の国』の知識が伝わり、今までの常識とは違う技術や考え方も出てくると思います。
子どもの教育も含めて、知識はアップデート、上位変換していくべきではありませんか?
何より、子どもは親の所有物ではありません。
独立した一人の人間。一つの人格です」
だからこそ、年齢に合った適切な学習を。
私はそう思う。
保育士だからね。
そこは絶対に引かない。
「覚えなければならないことを、ただ詰め込むのではなく、何故それを覚えなければならないかを知らせ、自然に身に付けられるようにする。
幼児教育では、それがとても大事なんです。
ガルディ君ならできますから、もう少しやり方を考えて頂くことはできませんか?」
「お義父様。私からも、どうかお願いします」
「フィリアトゥリス」
私の話の区切りを待っていたように、フィリアトゥリス様が立ち上がった。
兄王様に向ける視線は涙に潤み、両手は祈るように胸元で組まれている。
「本来なら、王子が生まれてからの養育は乳母と教育係に任せるのが慣習。
でも、三歳までは私の手元で育てて良い、と言って頂けたこと、とても嬉しかったのです。
我が子の成長を、自分の側で見守ることができる歓びは、何にも代えがたいものでございました」
フィリアトゥリス様からは幾度か子育ての相談を受けて、私もおもちゃをプレゼントしたり、遊びのアドバイスをしたりしてきた。
その結果が夏の、自由奔放で明るい笑顔を見せる、スーパーボールのように元気なガルディ君だった筈だ。
両親に見守られた幸せな環境から一気に引き離されて始まった王族教育は、ガルディヤーン君もそうだけれど、フィリアトゥリス様も混乱し、悩んだという。
「私も教育に関しては、知識が足りない所もございます。
今までのようにずっと、我が手で、とは申しません。
ただ、マリカ様のおっしゃるとおり、ガルディが逃げ出したい程に悩み、苦しんでいるのなら、側で支え、助けたいと思うのです。
どうか、マリカ様のご提案を御一考いただけませんか?」
「父上……」
グランダルフィ王子も立ち上がり、妻に寄り添うように並ぶ。
世継ぎの王子として、同じ教育に耐えてきた。
だから、その意味も成果も、苦しさも解っているのだろう。
そんな息子夫婦の眼差しと願いに、兄王様は大きく吐息をつき、頭を搔きむしった。
私達の言っていることは、解らないでもない。
でも、私の意見を認める事は、王族が今まで行ってきた教育を否定する事にもなる。
国の長として、簡単には許容できないのだろう。
これは、奥の手にしたかったけれど。
仕方ない。
「……では、私、アルケディウス皇女マリカは、プラーミァに誓約の実施を要求します」
私は顔を上げて宣言した。
プラーミァ王家の方達も、私のお付きも、皆が私を見ている。
でも、揺るがない。
揺るがせない。
お腹と背中に、ぐっと気合を入れる。
ここは今後の子ども達の為にも譲れない、絶対の正念場だから。




