魔王城 母親の心境
私達が帰ってきた二の風の刻というのは地球の感覚的に言うなら、大体夜の八時くらいの印象だろうか?
もう外は真っ暗。
食事も入浴も終えて昔だったら、子どもは寝る時間と、目安にしていたくらい。
それから帰って来て色々話をして。今は二の空の刻。
体感九時から九時半。子どもが起きている時間ではあまりない。
まして一人暮らしの男性の所に女の子がいていい時間でも……。
「エリセ?」
『え? マリカ姉? 良かった。目が覚めたってはタートザッヘ様が教えてくれてたけど、元気になったの?』
まったく悪びれた様子もなく、にこやかで軽やかな声が返ってくる。
ラールさんの通信鏡と私の鏡は現在、試作中の特別製。今までの糸なし糸電話。
一対一対応から、複数の鏡からの発信を一つの鏡で受信し、複数の鏡に連絡する携帯電話の奔りだ。今までの鏡を大幅にアップデートしなくてはならないので、加工賃が高いし、従来品の改良工程には数か月単位で時間がかかる。通信鏡に番号を振り直すからだ。今、通信鏡自体はアーヴェントルクでも製作、販売が始まったけれど、それは糸なし糸電話タイプ。アルケディウス以外では改良できないのも玉に瑕だ。
でも、一度直してしまえば大幅にコストと手間が削減されるのでこれから徐々にこのタイプに変わっていくだろうという話になって……ではなく。
「エリセ? どうしてそこに? 私、ラールさんに話があって、連絡したんだけれど」
『ラールさんは、今、お手洗い。すぐに戻ってくると思うよ』
「そうじゃなくって、なんでエリセが国会図書館に?」
『私、ラールさんのお手伝いをしたいから、戦争が終わった後からゲシュマック商会にお休みを貰って、こっちに来てるの。
コッカイトショカンのショクインシュクシャ? カミンキュウケイスペース?
ってところにお部屋を貰って住み込んでる』
住み込み?
(多分)ラールさん一人暮らしの所に、女の子が?
「知らない。聞いて無いよ!」
『だって、マリカ姉。ずっと寝てたじゃない? リオン兄とフェイ兄にも言ってあるし、アル兄も知ってるし、ガルフ、じゃなかった旦那様からも許可貰ってるもん!』
「そういう話じゃなくってね……」
ちょっと拗ねたような口調のエリセの背後で扉が開け閉めされる音が聞こえ、明らかに動揺したような声が爆ぜる。
『! エリセちゃん。誰と電話してんの!』
『でんわ? 話しているのはマリカ姉。マリカ姉。起きたんだって。
んで、ラールさんにご用事があるからってかけてきたみたい』
『貸して!』
『はい』
おそらく、なんの抵抗も反抗も無く、鏡は渡され、ラールさんの手に。
『マリカちゃん! じゃなかった。マリカ皇女。
目が覚めてよかった。で、ね。その。今のは……』
どことなく必死さが漂うラールさんの言葉を遮って、私は自分の要件を告げた。
「ラールさん。ご心配おかけしてすみません。目覚めて暫くは動けなかったんですけど、今はなんとか復調しました。それで、今後の事とか色々と相談したいことがあるので、明日、早めの時間に城に来て頂くことはできますか?
……エリセと一緒に」
『は、はい。勿論。一の風の刻でいいですか?』
「午後からはまた大神殿で仕事があるので助かります。では、お待ちしていますね」
そして一方的に通話を切る。
我ながら大人げないとは思うんだけれど。
ちょっと冷静に考える時間が必要だ。私にも。
「どうしたのです? 何があったのですか?」
「お母様」
「妹分がどうやらラールさんの所に押しかけて、同棲していたようで」
「まあ!」
話の状況が良く掴めず、首を傾げるお母様に、説明する。
私の一番の妹分である魔王城の女の子。ゲシュマック商会の魔術師エリセのこと。
彼女が隻腕になったラールさんを手助けする為に、ゲシュマック商会を休職して国会図書館に住み込んだらしいこと。などなど。
エリセがラールさんに思いを寄せていることも伝える。
その上で。
「たぶん、ラールさんはエリセに触れたりしていないと思います。エリセもラールさんに肉欲的なものを望んで一緒に住み込んでいるわけではないということも、解っています。
でも、なんだか、もやっ、とクるんですよ。
面白くないというか、腹が立つ、っていうか……」
自分の気持ちを正直に伝えた。
ラールさんは、この上なく信用できる腹心で、替えの効かない重要な役割を背負っているアルケディウスのみならずアースガイアに大事な人物だ。
料理上手だし、身の回りの事はなんでもできるとはいえ、事故で隻腕になった男性が一人暮らしをするのには不便が多いだろうことも理解しているし、それをエリセが助けたいと、純粋な思いで押しかけたであろうことも頭では解っている。
ただ、頭と感情は別で。
なんだか、こう。モヤモヤというか、ムカムカというか。
何だろう。この胸の中に広がる、なんとも表現しがたい不快感は。
私がこう、つわりとは違う軽い嘔吐感のような。胸やけのような感覚を表現できず持て余していると、くすっと、零れるようなお母様の笑顔が私に向けて落ちる。
「マリカ。どうやら貴女も少し、母親らしくなってきたようね」
「母親? これ、母親の感情ですか?」
「そうよ。我が子を想う気持ち。私も、以前、貴女に告げた時に感じたわ。
覚えていて? 皇女になって最初の大祭の時」
「あ、はい……」
皇女になって最初の大祭と言えば、私とリオンが精霊神様達に大人にして貰ってこっそり館を抜け出して、遊びに行った時だ。
あの時は、誰にも正体を告げていなかったのに、お父様に見破られて。
お母様にはこっぴどく叱られた。転移術を使えるリオンを、私が皇女の部屋に入れたから。
「母親という存在はね。子どもの事がいくつになっても心配なの。
特に男女の関係が関わる時の女の子は特にね。
私もあの人との婚約が調うまでは、身を慎むように家族に。特に兄と母に厳しく言われたわ。解るでしょう?」
「はい……」
お母様に言われて、冷静に考えれば理解できる。
このモヤモヤはきっと微妙な嫉妬だ。
大切な娘とほぼ等しい妹が知らない場所に行ってしまうような。誰かに盗られてしまうような。
そんな感じ。
不幸にしたくない。泣かせたくない。幸せになって欲しい。
だから。
自分の手の届く範囲から離れて行こうとする妹に、それを促す男に嫉妬を感じてしまうのだろうと思う。
「まずは、情報を集め、状況を把握し、本人達に聞いて、今後どうするかを決めさせなさい。
頭ごなしに叱って引き離すことは避ける事。
貴女ならいうまでもなく理解している事でしょうが」
「いえ、ありがとうございます。ちょっと、頭に血が上ってたかもしれないです」
お母様のアドバイスはアドバイスはスーッと、っと、清水のように私の頭の熱を冷やしてくれる。
「本人の気持ちは決まっているのでしょう?」
「はい。おそらく」
エリセは間違いなく、ラールさんの事を慕っている。
私も反対するつもりは、ない。
「明日、ちゃんと二人の気持ちを確かめて、それから冷静に対応します」
お母様のアドバイスを聞きながら大きく深呼吸。
気持ちを落ち着かせたおかげで、少しモヤモヤは収まってきた。
それでもチリリと燻るものはあるのだけれど。
これが、本当に母親の心理。というものなのだろうか。
とにかくは明日、話を聞いてから。
時間がかかりそうなら、午後の大神殿の仕事は調整して貰ってもいいだろう。
私はエリセの一番の味方で理解者でありたい。
だから、怒らない、怒らない。
私は、気が付けばずっと握りしめたままの通信鏡に映る自分を見つめ、そう言い聞かせた。




