宇宙 星の保育士
呆然と膝を付く私の前で、ふわりと両手を背中で組んだまま、くるりと回った女性は、すっと腰を落として私と視線を合わせ、柔らかな微笑みを向ける。
『どうしたの? 何がそんなに悲しいの?』
その言葉にレルギディオス様が、ハッと顔を上げたのが解った。
遠い、遠い昔。真理香先生が最初に『死んだ』時。
ナノマシンウイルスと合一し、バイオコンピューターになった頃の記憶の中で、悲しみに暮れた教え子、神矢君にかけた言葉と同じだった。
柔らかい呼びかけは、多分保育士としての基本であり本能に近いものだったのだろう。
『私の為に、泣いてくれるのなら涙を拭いて。
その優しさに、ありがとう。
でも私は今、人生の最後にして、一番自由で。そして、幸せなのです』
子どもが泣く理由、落ち込む思いは人それぞれ。
それを理解し、寄り添う事こそが保育士の基本、だから。
「真理香先生……ううん。おかあ……さん?」
『あら、嬉しい。本当にボーナスステージね。
私とシュリアさんの愛の結晶が、こんなに可愛く育って、私を助けてくれたなんて。
そしてお母さん、って呼んで貰えるなんて』
『真理香。それがお前の素か? 随分と猫を被っていたのだな』
空中で軽くステップを踏んで、踊るように微笑む真理香先生を他の精霊神様達はちょっと驚くように。そしてどこか眩しいモノを見るように見つめている。
『それは、まあそれ、ということで。許して下さいな。
あんな状況下で生き残って、弱音なんか吐けなかったから、頑張ったんですよ。あれでも』
照れたように、くすぐったいような笑みを浮かべる真理香先生。
実際、彼女はコスモプランダー襲撃までは、ごく普通の、どこにでもいる保育士だった。それがいきなり能力者達を支え、地球防衛の要となるバイオコンピューターなんて、相当に無理していたことは解る。
だから、コスモプランダーが滅んだ今、その重責から解放されて、彼女は本当の意味で自分を取り戻したのかもしれない。
『ああ、解っている。君が本当に頑張っていた、ということは。
私にくらい弱音を零しても良かったのに、という男の見栄だ。これは』
『ありがとうございます。シュリアさん。
みんなも。本当に大切に、子ども達を導いてくれたのですね』
微笑み、きゅっ、と祈るように目を閉じる真理香先生。
『ここからでも解ります。温かく、強い、人々の生きようとする意志。運命に抗い、戦おうとする思い。
自分の事だけではなく、周囲を思いやる心。
伝わってきますから。
子ども達が、幸せに生きられる世界を作って、守ってくれたんですね。
本当に嬉しい。私の期待以上だったわ。流石私の信頼する仲間達』
その伏せられた双眸は、視力ではない何かで多分、私達の星。アースガイアを見つめている。
『ありがとう。この光景を見られただけでも私は生きてきた甲斐がありました。 私の力で滅ぼされた星の人たちには本当に申し訳ないのだけれど』
精霊神様達や、ステラ様、レルギディオス様。
私達人間が、皆で作ってきた新しい故郷を、眩しげに、そして幸せそうな笑顔で見つめている。
『先生……俺は……!』
もしかしたら、自分がかつてこの星に呪いをかけたことを。
人々の歩みを留め、子ども達に苦難を齎したことを。
神矢君は、先生に懺悔しようとしたのかもしれない。
けれども、左右から彼の手を掴んだ二人が、それを止めた。
大きい手と、小さい手。
アーレリオス様とラス様が。余計な事を言って、心配かけるなと言わんばかりに。
『私は、先に逝きます。
でも、みんなはもう少し、頑張ってマリカや子ども達を助けてあげて下さいな』
『ズルいよ。真理香。一人でまた一人で先に行っちゃうなんて。
僕達、君との約束を守る為に、凄く頑張ったのに』
『ごめんね。ミハエル君』
どこか、拗ねたように頬を膨らませるラス様に、少し困ったような笑顔で、でも真理香先生はきっぱりと首を横に振る。
『私も、皆が作って守ってくれた新しい星をじっくり見ていきたいけれど、これは本当にボーナスステージ。本当はあり得ない、夢の続きなんです。
ああ、本当に嬉しかった。
コスモプランダーの終わりと、皆との再会。
なんて素敵なお土産話。海斗先生も、きっと喜んでくれますね』
「おかあさん!」
『私は行かないと。
もう、ここにいてはいけない。早くおいで、と呼んでいるあの方の元に』
そうしているうちにも砕け散った砂山は氷が解けるように空中に溶けていき、どんどんお母さんの姿も薄くなっていく。
『あれは、最初にして最後の地。
全ての生き物が目指し、最後に到達する彼方。
大いなる意志が待つ場所。
コスモプランダーと繋がり、色々知り過ぎた私がここに残り、貴方達を導くのは、どうやらカンニングが過ぎるみたいなの。自分の意思と力でたどり着かないと、いけないって。
保育士として、保護者のオーダーには従わないといけませんからね』
くすっと、小さく笑った真理香先生は、私の前に膝を折り、目を合わせる。
『そこは、全ての生命の到達地点。
でも貴女の子ども達はいつか辿り着くでしょう。
私達のようにショートカットではなく、自分の意思と、知恵と力で。
マリカやリオン。
大事な子ども達が、それを証明してくれたように。
だからこれからも信じて、見守り、導いてあげて。
星の最初にして最後の保育士』
「お母さん……」
心臓が、弾けるような大きな音を立てた。
今のお母さんの言葉は、私に告げたのだろうか?
身体が不思議な熱を帯びている。
『ああ……ごめんなさい。もう本当に時間切れみたい。
一人一人に、お礼と言葉を残す時間もないことを許して』
『いいえ。先生。こうしてもう一度会えただけでも、嬉しかったです』
『……ありがとう。星子ちゃん。
貴女は本当に頑張ってくれたわ。どうか、無理はしないで。
母親が健やかでいないと、子どもも健康には育たないのだから。
そして……』
目に見えて薄くなっていく真理香先生の意思。
彼女が最後に言葉をかける相手として選んだのは――
『エルフィリーネ』
「はい。真理香様」
『貴女とも、もう一度会えて嬉しかったわ。
私との約束を守ってくれて、ありがとう』
「私も、です。その笑顔を見られただけでも、永らえた甲斐がありました」
他の誰でもなく、エルフィリーネだった。
『これからは、マリカをお願い。
この子達の旅の終わりまで、どうか、寄り添い助けてあげて。
貴女がきっと、一番の適任だと思うの』
「必ずや。ですから、真理香様。どうか心安らかに……」
深くカーテシー。涙を堪える様な美しいお辞儀で見送るエルフィリーネの眼差しの先で、彼女は私達を見やり、最期の輝きを笑みに乗せて魅せる。
『マリカ。
私を親に選んでくれてありがとう。生まれて来てくれてありがとう。
お母さんと呼んで貰っても、母親らしいことは、何もできなかったけれど。
それでも、貴女達の存在を導けたのは、私の誇りです』
「お母さん……」
『貴女達の行く末には、これからも苦難が待ち受ける事でしょう。
でも、いつも一人ではない事を忘れないで。無理をしてはダメよ』
ふわりと抱き締める腕には実体はない。
でも、消えていこうとするラヴェンダーの瞳は確かに私達を水面のように映して揺れていた。
目からいくつも雫が零れる。
それは、私のものなのだろうか。それとも彼女のものなのだろうか?
『私達の魂を引き継ぐ星。アースガイアと子ども達の未来に祝福を。
どうか、貴女達の行く先に、いつも、輝く光がありますように』
『真理香!』『先生!!』
『シュリアさん。ミハエル君、ティムール君、ホセ君。
ハオラン君、ルドウィック君、セルジュ君。
そして神矢君、星子ちゃん。
あと少し、子ども達をお願い。
彼らが、自分の足で、宙に羽ばたけるようになるまで、見守り、助けてあげて』
『真理香!』
『私は、先に彼方で待っています。貴女達がたどり着く時をいつまでも』
「お母さん!」
風が吹いた。
閉じられた宇宙船の中を吹き抜けるように爽やかな風が。大いなる意志が彼女を迎えに来たと何故か感じた。
「待って!」
最後の一握り。
真理香先生だった紫水晶の粒子が躍るように風に舞って、私達の上に降り注ぎ、溶けていく。
と、同時。彼女の幻は宵闇を駆け抜ける光となって。
逆流星のように、迎えの風と共に宙へ昇り、消え失せた。
ノアの外壁も、星の海も抜けて、彼方へと。
『ありがとう。みんな、大好きよ』
水晶よりも、星よりも輝く笑顔と思いを残して。
「お母さん!」
手を伸ばす。届かないと解っていても。
もっと時間が欲しかった。
色々な事を話したかった。
声をかけたかった。たくさん、褒めて、苦労をねぎらいたかった。
自分達の事も伝えたかった。
褒めて欲しかった。
笑い合い、共に生き。
今まで、苦労してきた分幸せになって欲しかった。
気が付けばもう、今は一粒の砂さえも残っていない。
身体は空に溶け、魂は彼方に向かって飛んで行ってしまった。
間に合わなかった、助けられなかった。
そんな悔いはきっと消し去ることができない。
私も、精霊神様達も。
でも、
『まったく。本当に最後の最後まで。
我々よりも自分よりも、子らの心配か?
死んでも変わらぬな。アレの本質は』
最後まで夫だけに特別な別れの言葉を残すことなく、消えて行った妻を、どこかやるせない眼差しで。でも愛おしげに語る父を見て思う。
彼女は最期の最後の時間を使って、私達を案じてくれた。
お母さんというより、最後まで眩しく、強い、日輪のような保育士だった。
真理香先生の輝きは、きっと一生胸に残り続けるだろう。
私達にとって、間違いなく夜闇を照らす灯。
導きの光になる。
『……本当に、骨の髄まで保育士だったなあ。あの人』
『うん。せっかく会えたんだから僕らのこと、もっと褒めて欲しかったのに』
『同感だけど、子どもじゃねえんだから切り替えようぜ。
俺達にそんなにかける言葉が無かった、ってのは認めてくれて、信じてくれてた、ってことだと想おう。
間違っていたのならはっきり、あの人はそう言ってくれるからな』
『間違ってはいないけれど。
確かに。考えるまでもなく僕達はあの人ほど、全てを使い切ってやり終えてはいないね。きっと』
『本当の意味で、自分の使命を、やるべきことをやり終えるまで、私達はあの人と同じ処にはたどり着けないんだろうな』
『それを確認できただけでも、会えて良かったよ。コスモプランダーに少しだけ、感謝、するべきか?』
『感謝なんかするもんか! とっとと忘れて、追い抜いてやる』
騒がしい弟達の言葉を耳にしながら、お父さんは一人、天を仰ぐ。
真理香先生の軌跡を追うように。
そこにあるのはもう、鋼色のノアの天井だけで、彼女の残滓はどこにも見えないけれど。
『……ああ、待っているがいい。真理香。
少し長くかかって、退屈させるかもしれんが、その分、たどり着いたら土産話を山と抱えて聞かせてやろう』
心には、確かに残っているから。
会えて良かった。
嘘偽りなく、そう、思う。
そうして、地球最後の保育士は彼方へと旅立っていった。
私達に、最後のヒントと導きを残して。




