魔王城 リオン視点 決戦前夜
今も、夢に見る。
最初に感じたのは絶望だった。
どんな苦痛にも耐えられると思っていたのに、そんな余裕は一瞬で吹き飛ばされた。
自分自身が指先から摺り潰されていくような苦痛。
身体の中に混ぜられた毒が、体内を作り替えていく恐怖。
何よりも、生まれ持った身体が別のモノに変えられていく感覚は、幾度となく繰り返した煉獄で精神と魂を焼かれるよりも、圧倒的で……。
アレを「痛苦」と一口に括ってしまうのは容易い。
けれど、そんなものでは表現しきれない。正しく容赦のない絶望だった。
自分自身の中に今も眠る転生前のオリジナル。マリク。
彼はたった一人でアレに耐えきったのだとしたら、我がことながら尊敬しかない。
俺にはきっと耐えられなかった。
「リオン!」
自分を呼んでくれるあの声が、あの光が無かったら。
きっと……。
「! 眠ってしまっていたのか?」
昏い一室で、俺は目を覚ました。
天井は見慣れた白いリノリウム。自分に割り当てられた検査、調整用の寝室だと解る。
腕に微かな心地よい重みがある。暖かい体温と、静かな寝息。
この身の視界は、もう灯火の有無には左右されない。
自分の肩と腕を枕にし、すやすや眠るのは妻マリカであるとすぐ気づく。
「ああ……そうか……」
それでも。自分達は移民船の奥の一室で、旅立ち前、最後の一夜を過ごしているのだと思い当たるまで少しの時間を要したけれど。
『明日はいよいよ出立だ。外には出ず、心身共に万全の状態になるように整えておけ』
父にそう命じられ、この部屋で身体を休めていたのだが、状況が一変したのはついさっきのことだ。
『リオン。フェイの子が生まれようとしているのだけれど『精霊』と人の子は難産になるの。マリカを差し向けたから貴方も行って、助けてやって』
母の願いと、勿論、フェイの子の危機を放っておけず王宮に転移した。
辿り着いてみれば、不老不死世が終わって初めての『精霊の出産』は最悪に近い様相を示していた。今まで魔術師である強い母の胎内で溢れる『精霊の力』に揺蕩っていた『精霊』は、出産を機に身体を作り替えられ、人になる。その為に大量の気力と『精霊の力』を必要とするのだという。
自分が身体を作り替えられた時とは異なりながらも、似通ったプロセスは当然、母子に尋常ならざる負担を強いる。それを救う為にマリカは、己が力の全てを注ぎ込まんばかりの勢いで力を使っていた。
でも、まだ足りないのは明らかだったので、その場にいた父親をはじめとする協力者達マリカに送った。自分の力も足して。
最後には精霊神達も助けてくれたので、子は無事に生まれた。
新しい命の誕生に心癒され良い気分で戻ってきたのはいいが、万全以上を求められる出発前に自分達が負った消耗は、予想以上だったようで、帰還直後、俺達はこの部屋に閉じ込められた。
睡眠以外の事はするな。とにかく回復に専念しろ。
と父は言ったが、マリカは今も消耗しきって、目も開けられない様子だ。
自分も思った以上の負担だったようで、今の今まで意識が飛んでいた。
今が何刻かは解らない。
戻ってきた風の刻からそう経ってはいないだろう。休んだおかげで少し体力も気力も回復した感覚はあるが、まだ万全には程遠い。
安心しきった寝顔で、俺の腕の中で安らぐマリカ。
服の襟元だけ片手で緩めて、軽く髪を手で梳き、飽くことなく見つめる。
出発前の最後の夜をこうして、静かに過ごすのも悪くはない。
そのまま目を閉じようとした瞬間、
『抱かないのですか?』
「!」
俺は思わず身を震わせた。
『最後の夜なのです。抱いてしまえばいいのに。
それをマリカも望んでいるでしょうし……』
「あ、貴女は……」
腕枕から身を起こし、番であるはずの女こちらを見つめている。
深い新緑の瞳に、魅了されてしまったように俺の身体は動かない。動かせない。
『確かに、心身は疲れ切っていますが、貴方がマリカを抱いて力を注げば、失われた気力や『精霊の力』は補充されるでしょう。相乗効果で貴方自身も回復する筈。
一石二鳥というものですよ』
「俺は、もう……」
『別に機能が失われているわけではないと『神』も言っていたでしょう。
現に、貴方のここは、ほら、反応している』
彼女の白い手がそっと、トラウザーズの前を緩め、俺の局部に触れる。
まるでカーテンが開いたように守られていた腰のプロテクトが消えて、欲望が露わになった。
肌と同じように高密度強化されているが、熱もも、硬さも前と変わらない。苦しい程に。
「止めて下さい。マリカの姿と手で、俺に触れるのは……」
「私も、いいえ。私こそがマリカなのよ」
「そうかも、しれません。けれど、俺は……」
俺の胸に身を寄せる肩は白く、細く、柔らかく。なまめかしい肌は、容易に俺の身体と心に火をつける。かぶりつき、欲望のままに彼女を貪りたい思いを、必死で抑える。
「大した自制心ね」
彼女は、くす、と俺を笑った。そして、顔を俺の胸元に埋める。
俺は、ハッとした。
心臓の奥に触れた思い。ひとひらの涙。
それが、あまりにも熱かったから。
「リオン、頼みがあります」
「頼み?」
顔を胸に伏せたまま『彼女』が俺にしか聞こえない、蚊の鳴くような声で発したそれは、それは頼みであり、同時に『命令』でもあった。
「明日の、コスモプランダー殲滅。
一切の躊躇なく、全ての艦を切り捨てなさい」
「艦? やはり、空に在るのはコスモプランダーの移民船である、と?」
俺の問いに顔を上げた時『彼女』の瞳にはもう惑いなく、揺るぎなく、明らかな上位者として、俺の上に君臨していた。
「貴方が、それを知る必要はありません。全ての責任は私が負います」
『彼女』は静かに微笑む。明らかな自嘲の笑みは何を哂っているのか?
「ただ、あえて言うのなら先に、攻撃してきたのは『彼』の方です。
互いに不可侵を守るという暗黙の定めを破り、私の――いいえ、おそらく私だけではない、幾多の領域を犯してきた彼らには、報いが与えられるべきなのです。彼の子らに罪は無くても。いえ、自らの手に寄る発展を捨て去り、他の星を食い物にしている時点で彼らも既に同罪なのですから」
「それは……」
『彼女』の命令が示すものを、本当の意味で俺は理解していない。
けれど、もし。
コスモプランダーも命を持つ種族であると、マリカがそれを知れば、気付けば。
種族殲滅を憂い、決断の手を緩める可能性がある。
それが理解できるからこそ、俺は『彼女』の前に膝をついた。
胸に手を当て誓う。騎士のごとく。
「御意。必ずやお言葉に従いましょう」
「リオン」
「コスモプランダーの殲滅。それこそが、俺の使命。
為すべき事。そして生まれた理由、ですから」
「頼みます。『星の獣』に原初の祝福を」
首に手を伸ばした『彼女』が俺に与えた『祝福』。
それは濃厚な口づけだった。
舌を絡め合い、互いの体液と思いを混ぜ合わせ飲み込む行為は甘く、身体に染み込むようで。彼女の言う通り、体力回復、能力増加の力があるようだ。
全身が歓喜に震え細胞の一つ一つに力が漲るのは、きっと愛する妻からのキスだから、ではない何かがあるのだろう。
このまま肌を重ね合わせることができたなら――そんな欲望と必死に戦っている間に、
気付けば『彼女』は消えていた。
腕の中で、コテンと無防備に身を委ねるのは『彼女』ではなく、マリカだ。
それくらいは見分けがつく。
「あれえ? リオン? どうしたの?」
俺を見るマリカはまだ、どこか寝ぼけ眼。
状況が理解できていないようだ。
「何でもない。まだ夜の刻だ。明日は早い。
もう少し眠っているといい」
「ありがとー。そうする」
相当眠かったとみえ、マリカはそのまま、また俺の腕に頭を落とし寝てしまった。
くう、すう、と軽やかな寝息を立てるマリカの絹糸のような髪に触れながら、守りたい幸せを噛みしめる。
最終決戦前夜にしては締まらないが、まあ、これはこれでいいだろう。
きっと、悪夢はもう見ない。
俺は、マリカの身体を抱きしめ、目を閉じた。
襲ってくる睡魔に身を任せ、そのまま意識を手放す。
身を寄せ合って小鳥のように。
決戦前夜、人と、神、と精霊が過ごす一夜。
恋人達の内緒話。




