皇国 父と母と娘と、夫の決意
どこへ逃げようと意識していた訳ではない。
ただ、子どもを守る。
それだけ考えて、助けてくれる人を求めて跳んだなら。
ここに来るのは必然だろうと思ってもいた。
「誰です!」
余人の決して入れない貴族の館の最深部。
女主人の寝室に人の気配がすれば、誰何の声が上がるのは必然だ。
「……おかあさま……」
「! マリカ? どうしてこんな所に」
ほんの数刻前。
魔王城で別れたばかりのお母様は、突然部屋の物陰から現れた私の姿を見つけるとと即座に駆け寄り、抱きしめて下さった。
「顔色が酷いわ。真っ青。あれから何があったというのですか?」
お父様は魔王城で泊まり込み。お母様は日中、私の手伝いに来て下さっているけれど双子ちゃんが心配だからと夜はアルケディウスの第三皇子家に戻っている。
私は、その寝室に飛び込んでしまったのだ。
不法侵入。
まあ、一応ここは私の実家なので不法って程ではないかもしれないけれど。
「お母様……。私、一体どうしたら……」
「待ちなさい。落ち着いて、ここに座って。それからゆっくりと、順を追って説明して頂戴」
部屋の時計を見ればもう日が変わった翌日の木の刻だ。草木も眠る丑三つ時。
既に寝台に入っていたお母様は初春の肌寒い中、私の為にカーディガンめいた上着を着せかけて下さる。
ご自分もガウンを羽織って、それから寝台に腰を掛けると横をととん、と優しく叩く。
私は黙ってお母様の横に座るとこてんと、首をお母様の肩に寄せた。
手は気が付けば無意識にお腹の上。
「私のお腹の中に、赤ちゃん。いるみたいなんです。
まだ命として成立する以前なんですけれど」
「まあ! 本当に?」
「普通ならこんなに早くは解らないですけれど、能力者だからか存在が確認できるって」
「それは、とてもとても素晴らしい事ね」
「はい。でも……戦場には連れて行けないから、お腹の中から取り出して、『星』が預かるっておっしゃられて……」
改造手術をリオンがもう受けたことや、次が私だという状況で妊娠が知れたこと。
ステラ様に、子どもを盗られる、と思って逃げ出してきてしまったことを、ゆっくりとお母様に説明する。人に説明する、ということは自分の中で整理するということでもある。
頭に血が上り、色々とテンパっていた私は、少し自分の状況を客観的に見られるようになってきたと思う。
「実際、ステラ様のおっしゃることも解るんです。命を賭けた戦い。リオンは覚悟を示して自分の役割に殉じている。
私もそうしなくちゃいけない。
解っているけど、この子を、精霊の使命に巻き込みたくないんです!」
「それは、母として当然の在り方。『星』であろうと『神』であろうと、我が子を守ろうとする母の思いを無碍にすることなど許されることではありません」
「この子を戦場に連れて行けない。それも解っています。
でも、ステラ様に預けた後、私達のように『星の精霊』としての使命に縛られ、人としての幸せを掴めなくなるのも嫌なんです!」
頭に血が上っているのは解る。
理性はステラ様に子どもを預けるのが一番だと言っている。
でも……
「せっかく、私の所に来てくれたリオンと、私の大切な子。
守る為にはどうしたら、どうしたらいいんでしょう……」
「……マリカ。少し待っていなさい」
「え?」
いきなり立ち上がったお母様は、パタパタと夜着を脱ぎ捨てるとタンスの中から騎士の装束を取り出して身に纏い始める。
貴婦人のドレスのように難しかったり、一人で着れないなんてことはないのでものの数分で身支度完了。瞬く間に私の前には、凛々しい騎士貴族、ティラ様が現れた。
そして、無表情で私の前に立ち、くいっと首を動かす。
「立ちなさい。行きますよ」
「えっと、あの? 行くってどこへ?」
「魔王城の島です。ステラ様にお話したいことがあります」
「話したい事? ですか?」
呆然とする私の前で、お母様は貴婦人の猫を脱ぎ捨てた。
いつもは優しい水水晶の瞳に、明らかな怒りを燃え上がらせている。
「ええ。
私は、今までずっと、本当に、心の底から腹に据えかねていたのです。もういい加減、我慢の限界です。
大母神のなさること。『神』の御判断に人ごときが口を挟んでよいことではないと、押し殺していましたが、もうダメ!
これを機に、一度はっきりとお話させて頂かなくては」
これは……もしかして、私の為に怒って下さっているのだろうか……。
「話をするって、何を……」
「それは向こうで、ステラ様と会った時に。
マリカ。私を連れて転移できますか?」
「あ、できません。私、自分が転移するのもどうやってるのか、よく解ってなくって……」
「そう。じゃあ、貴女は一人でゲシュマック商会の転移陣に行きなさい。
私はこっそり抜け出して行くから」
「抜け出すって、真夜中ですよ! だったら、私が大神殿に戻って、フェイを……。あ、ダメだ。今フェイは魔王城に……」
黙っていたら本当に一人で窓から外に出て行きそうなお母様を私は必死で止める。
どうしたらいいのだろうと、おろおろしていたその時。
「誰です!」
お母様が剣を引き抜き身構えた。私には解らないけれど、誰かいるの??
「俺がお連れします。ティラトリーツェ様、いえ、義母上」
バルコニーから声がして影が動いた。
私を守るように身構えるお母様の前に、スッと現れた存在が膝を折る。
「リオン?」
現れたのはリオンだった。
勿論、改造手術を終えた魔王体のまま。
でも、服を身に纏っているせいかさっきの、手術を終えたばかりの素の姿とは全然違って見えた。
一つ一つの装束は、飾りのついていないシンプルなものだけれど、黒で統一されているので
『漆黒を纏いし、闇の魔王』
そんな言葉がぴったりくる。
黒いタートルネックインナーとシャツ。トラウザース。長いマントと手袋で首元や手指の変化を隠している。
顔の刺青や、角、耳元は隠すことができないけれど、普段着であることが逆に精悍な魔王を演出しているようだ。加えて、さっきは感じる余裕もなかったけれど、全身からは強大な力が溢れている。
これってもしかして『神』や『星』より強いんじゃないかって思う。
その魔王が膝をつき、お母様に首を垂れた。
「マリカを託された舌の根も乾かぬうちに、ご心配をおかけして申し訳ありません。
義母上が、『星』への面会をお望みなら、俺がお連れし仲介いたします」
「……そう。ではお願いするわ。リオン」
「はい。お任せ下さい」
一瞬、お母様が息を呑み込んだのが解った。改造を受けたリオンの魔王体。
その変わりように驚いたのだろう。でも、驚愕や動揺を押し殺し、いつもと変わらない態度で向かい合う。
凄いな。お母様。
「マリカ」
「!」
立ち上がり、私に向かって歩を進めるリオン。
一瞬、身体が強張った。リオンは多分『神』や『星』の命を受けて私を迎えに来たのだろう。お腹の子についてどう思っているのか。
リオンの気持ちを確認する前に飛び出してきてしまったから、不安でいっぱいになる。
だから
「迎えに来た。安心してくれ。俺はお前の味方だ」
その一言と、差し出された手に安堵した。
柔らかい微笑みにも。
「本当……に?」
「ああ。腹の子を。俺達の子を精霊の宿命に巻き込みたくないのは俺も同じだ。
必ず。父上や母上が相手だろうと守るから。
はっきりと告げに行こう」
「うん……」
私はお腹に手を当てたまま、リオンの胸に身をもたれさせた。
肩に手が回る。触れた手は冷たいけれど、その温もりは暖かい。
リオンが味方ならなんとかなる。怒りと恐怖と、緊張に強張っていた身体に炎が灯ったようだ。
『私も連れていけ』
「アーレリオス様!」
ベランダからぴょこん、と白い獣が飛び込んできて私の肩に乗る。
プラーミァの精霊獣ピュール。『精霊神』アーレリオス様の端末だ。
つまり、アーレリオス様も事情を見てたってこと?
『話は聞いていた。リオンの処置については回線がオープンになっていたからな』
ってことは他の精霊神様達も状況は御存じってことだ。
『向こうの事情も思いも解らんでもないから黙っていたが、やはり私とて、娘も孫もできるなら不幸にはしたくない。
援護射撃に徹するから、連れていけ』
「解りました。ありがとうございます」
『リオン。娘を頼むぞ。しっかりと守ってやってくれ』
「はい。必ず」
「リオン。城に戻ったらあの人と合流したいのだけれど……大丈夫?」
「……お気遣い、感謝いたします。いつかは見せなければならないことです。
覚悟はできています」
「ありがとう。多分、寝てはいないと思いますから、部屋に転移していいわ。
私が許可します」
お母様にお父様、お父さん。それにリオン。
なんだか大騒動になってしまったけれど、援軍としてはこれ以上の心強さは無い。
『神』も『星』も。
お二人とも、私達の事を心配して下さっているのは解る。
しっかりと本音で話し合おう。それが親子の相互理解の第一歩だ。
「行くぞ」
そうして、私達は戻ってきた。
魔王城に。これからと向き合う為に。




