魔王城の島 アースガイアの朝と、第三の『マリカ』
リオン視点 初夜の後の悪夢
長い夜の終わり、黎明の朝。
リオンは不可思議な気配に、目を覚ます。
何かを感じた気がしたのだが、気のせいだろうか?
周囲を見回し、気のせいだと結論づける。
木の上の小さな小部屋。
窓から覗くのは好奇心旺盛な小鳥達だけ。
ここには自分達の他に誰もいない。
周囲、半径2kmには人間も、目立つ力を持つ精霊も存在しないことを確認している。
二人きりだ。
傍らにはまだ、夢に揺蕩うマリカがいる。
その頬にそっと手を触れた。
健やかな呼吸と、体温にホッとする。
目覚める様子はないが、頬も身体も健康的な薄紅色。
窓から指す暁の光が、部屋とマリカの裸体を黄金に染め、眩しさと愛らしさに目を細めずにはいられない。
六年前、泥沼のような厩から救い出され、自分が名付けた少女がまさか自分と同じ精霊で。
共に生き、恋をして、将来の妻になるとはあの頃の自分に時を戻して告げたとしても多分信じはしないだろう。
花びらの褥に包まれ眠る、妻となった女に見惚れるように彼は横顔を見つめ続けた。
ずっと隣にいた。彼女を守って生きてきた。
自分の信念を胸に抱き、信じるままに突き進む少女は危なっかしくて目が離せなかった。
大人で思慮深い、母親代わりだった大切な人。
『精霊の貴人』マリカ。
自分で名前を与えておいて、彼女とは大違いだと思うことも、実はあった。
でも、気が付けば惹かれていった。
今は、もうマリカの名を呼ばれても目の前の少女しか思い浮かばないくらいに彼女に、彼女がする全てに、魅了された。
そしてーーいつしか、愛していた。
長い試練や、慟哭、葛藤を乗り越え、昨夜、ようやく結ばれた。
何一つ隠すものも飾るものもない自分自身を、彼女は受け止めてくれた。
愛し続けた乙女の中に分け入り、自分を刻み込む。
身体の隅から隅まで味わい、また、自分もまた喰らわれて。
幾度となく彼女のナカに欲を吐き出し、隅から隅まで肉体を染め上げだ。
男の身体を持って生まれ、これ以上の冥利はきっと他にはない。
やっと親友達の言葉を理解した思いだった。
甘く、蕩けるような肉体に酔い、その身体に溺れ、心に救われて。
生まれて、というより、成立してから数百年。
初めて体験する忘れえぬ一夜を過ごした。
最初は冷静に自分を諭し、フォローしてくれていたマリカも、回を重ねるごとに余裕が無くなっていったようだ。
快楽に溺れ、思考を蕩かし。
最後には自分の腕の中で、意識を落としてしまった。
自分も初めての行為に必死で、相手を気遣う事もできぬまま、己の獣が欲するままに彼女を抱きつぶした自覚がある。
禁欲というものは、長ければ長い程、解き放たれた時に反動が強いモノなのだろうか?
自分には性欲は無い。
男にも女にも欲情することは無く、ただ精霊としての役割を果たす道具だと、そう思い込んでいた自分を、彼女は解き放ってくれた。
彼女のナカに在る時、生まれて初めて、自分もまたこの星で命の理に属する生物であると実感した。雌を求めるただ一体の雄になって彼女を貪り尽くしたのだ。
最高の夜だった。
強がっても、取り繕って見せても、終始自分は弱気で、マリカという存在にひたすら溺れ貪る獣だった。
マリカを悦ばせ、自分のものにできたと思えたのは、最後の最後。
彼女と対面で抱きあい、共に高みに上り詰め、彼女が腕の中で果てた時だ。
自分に縋りついたまま意識を失ったマリカを腕の中で抱きしめた時、自分は本当に彼女の男になれたのだと実感した。
この夜の思い出があれば、例え星の海で孤独に果てようとも後悔はないと、そう思える。
マリカは、終わりではない、と言ったけれど。
リオンはこれが最初で最後のまぐわいだと理解していた。
父である『神』、母である『星』が許してくれた、ただ一度の機会。
二度とは無い祝福の時。
今日、会議が終わればどんな結果に成ろうともその後すぐ『神』の元に向かい改造処置を受けることになっている。
細かい調整と準備を行い出発は最短で三日、長く見積もっても一週間。
食料や長期生命維持の為の準備はいらない。
衛星軌道上にいるコスモプランダーの元に向かい、敵を殲滅する。
宇宙という未知の空間で、生まれ変わった身体を操作し、奴らを倒せれば自分達の勝ち。
負ければアースガイアの人間ごと星は終わる。
星の全ての命運が自分にかかっていると思うと恐ろしくもあり、不安に押しつぶされそうにもなったが、今は驚く程に身体も心も晴れやかだ。
マリカが、共に同行してくれるというだけでも心強かったが、こうして身体を交わし本当の意味での夫婦になった今。リオンは自分の変化をはっきりと感じていた。
目に映る全てが輝いている。
全身に、細胞の一つ一つまでに力が漲り、肉体の全てが成熟したと実感する。
遠い昔、初めてマリカの手で変生を受け大人になった時と同じ。
いや、それ以上の充実感だ。
全ての封印が解け、大人になるというのはこういうことなのだろうか?
今ならば、本当に星の海に飛び立ち、どんな強敵にも勝利できそうな気がする。
横に眠る、強く、優しい、愛してやまぬ妻と、その平穏を守る為ならば。
まだ目を覚ます様子の無いマリカの寝顔を見ているうち、リオンに少し、悪戯心が芽生える。
もう一度。
もう一度だけ。彼女のナカに入りたい。
あの震える内側に包まれたい。最高の存在に仕上がった、自分の全てを注ぎ込みたい。
寝込みを襲うなんて怒るだろうか。目覚めてしまうかもしれない。
時間が無いと怒られるのは間違いない。
でも、そうしたら謝ればいい事だ。
マリカはきっと許してくれる。
都合よく笑んで、リオンはマリカの腰をそっと引いた。
身体の下の純白のネグリジェは汗と、二人で零した欲でドロドロになっている。
自分はともかくとして、このままではマリカは城に戻れまい。
後で着替えを持ってこなくては、とどうでもいいことを想いながら、リオンが彼女の蜜口に己を当てがおうとした瞬間。
「!」
リオンはとっさに腰を引いた。
逃げるように。
はっきりとした違和感を感じる。
さっきまでのマリカとは違う。
『解ったのですか? 流石ですね?』
どこからか『音』が聞こえる。
蠱惑的で、甘やかで、包み込むような不可思議な『音』が。
はっきりとした意思と言葉が紡がれているのに彼がそれを『音』と断じるのは声帯を持って紡がれてはいないからだ。
ゆっくりと身をもたげ、気だるげに瞳を開き、自分を見つめる少女。
愛する女。かけがえのない妻 マリカ。
目の前の人物は確かにその容をしているのに、今、何故か身震いが止まらない。
睦み合い、誰よりも近い所で触れ合ったからこそ解る。
今、彼女の中にいて、自分を見つめる新緑の瞳の持ち主は、別人だ、と。
「あ、貴女は……誰だ?」
喉を鳴らし、必死で問いかける。
でも、彼女は応えない。
ただ、自分を甘やかな眼差しで見つめているのみ。
「リオン」
「!」
今度ははっきりと、マリカの声帯で声が紡がれた。
嬌声の上げ過ぎで少しかすれた。でも、聞き間違いようのない、リオンにとって極上の声だ。
「貴方は『私』を守ってくれますか?」
「え?」
「その命を賭けて、永劫の時を。
空のその先。星の彼方まで、共に歩んでくれますか?
私の獣?」
背筋に寒気が奔った。
潤み、柔らかく緩む瞳。
柔らかい声もマリカの身体を使っているのに別人だ。
そう感じた。
この体内にもう一人の人格を宿し、奴に身体と存在を奪われかけたものであるからこそ解る。
目の前の『彼女』はマリカではない。
別のダレカだ。
「お、俺は……」
お前は誰だ!
と本当は今すぐに誰何して、マリカの存在を取り戻したい衝動と、相反する彼女に膝を付き仕えたい思いと。リオンは必死に戦っていた。
彼女の身体を支配する別人の精神。
こういう存在の扱いの難しさを誰よりもよく知っている。
力関係や状況にもよるが相手が強く、下手に不機嫌にさせてしまった場合、マリカの人格は人質にされる。最悪の場合封じられ、二度と外に出てこれない可能性もある。
自分もそうだった。こうして取り戻せたのは奇跡のような出来事とマリカ達の努力。そして相手の慈悲のおかげである。
そして何より。解る。解ってしまう。
目の前の存在は自分達より格上の存在だ。『精霊神』よりも『神』よりも。
下手したら『星』よりも。
彼女には逆らえない。自分の中の『精霊』がはっきりとそう告げている。
そんな存在が、一体どうしてマリカに降りているのだろうか?
解らない。
解らないけれど、彼が紡げる答えは一つだけだった。
「俺は、マリカを守ります。
この身命の全てをかけて。
空の先。星の海の彼方であろうとも。
……マリカが望み願うなら永劫の時であろうと共に……」
自分が愛し、従い、守るのは貴女ではなくマリカだと。
マリカにだったら、己の全てを捧げる。
自分に寄り添うと彼女が誓ってくれたように。
含めた思いは伝わっただろうか?
必死に告げたリオンの解答に満足したのか、していないのか?
「まあ、今はまだそれでいいでしょう。
今は……。
この子にはやって貰わなければならないこともあるから」
張り詰めた空気と緊張感が弛緩した。
慈愛に満ちた優しい微笑がリオンに向けられる。
心臓が、ドキリと奇妙な音を立てた。
「マリカに伝えなさい。
貴女に覚悟があるのなら、望みは叶うでしょう。
損なわれたものは戻らないけれど、変えられた容なら戻せる筈」
「待って、下さい……それは、どういう意味で……」
「貴方も自分という存在にもっと、自信を持ちなさい。貴方は『私達』が見込んだただ一人の同胞。
かけがえのない伴侶なのですよ」
精霊女神。
そんな言葉がリオンの脳を過った。
彼女の笑みに心臓が高い音を立てて鳴る。
「戦いが、終わったら。
借りを返し、子ども達を守り終わったら。
また、会いましょう」
マリカの身体を借りた女神は、ふわり、輝く微笑と神託を残しその気配を消す。
崩れるように力を失ったマリカの身体に必死に手を伸ばし、支えた。
身体から抜け出て、どこかに行ったのではない。
彼女はマリカの中に『戻った』のだ。
間違いなく。
「あれ……リオン?」
「マリカ!」
微かな身震いと共に、マリカが意識を覚醒させた。
状況を解っているのかいないのか……。
「おはよ~。あれ? どうしてリオンがいっしょ……あっ!」
ぼんやりと重たげな瞼を開けると紫水晶の瞳が、眩しい陽光が目を弾いたようだ。
微かな呻きと共に、目を擦りそれから状況を理解したのか、頬を赤らめる。
身を隠すものも何もない、二人だけの褥。
「おはよう。マリカ」
「ねえ……リオン。昨日の、私は……どうだった?」
「え?」
「なんだか、リオンに抱かれている間のこと。
頭がぼやけてあんまりよく覚えてないの。
リオンの腕の中で夢を見たみたいに……」
「そう、なのか?」
「うん。
ただ、幸せだったことだけは、覚えている。
リオンに抱いてもらって凄く嬉しくて、満たされて。
気持ち良かったことは、忘れてないよ」
昨夜の会話。
さっきの存在の気配。マリカはどこまで覚えているのだろうか?
気にはなったが、今は口にするのは止めにする。下手に突けば藪から蛇が出そうだ。
「俺にとっても、昨日は幸せな夜だった……。
マリカの身体も、思いも最高で。
幸福と……悦びしかなかった」
万感の思いでそう告げ、柔らかい髪の毛を撫でつける。
昨日の興奮が蘇ったのだろうか?
照れたように薔薇色に頬を染め、こつんと胸にマリカは額を付けた。
「よかった……。ありがとう。
リオンが抱いてくれて、お嫁さんになれて、本当によかった」
疲れているだろうに精一杯、抱き着くように背に手を回す妻の重み、ぬくもりが暖かく愛おしい。
いつも通りのマリカだ。
それだけに、さっきの変化が胸の中に暗雲となって広がっていく。
何だったんだ? あれは、と。思わずにはいられない。
今はマリカを不安にするものを、ことを。
おくびにも表に出すつもりはないけれど。
「今日は、いよいよだね。
皆は、どうするつもりかな」
「まあ、どんな結果であろうと同じ。俺達は星を守って戦うだけだ」
腕の中で自分を見上げるマリカの顎を上げ、口づける。
今は軽く、触れるだけに留めるけれど。
「俺はお前がいてくれるのなら、何も怖くはない。
どんな相手とも戦い、生きて戻って見せる」
「うん。私もリオンを守るから! 一人でも絶対にリオンを助けて、一緒に帰れるようにしてみせる!」
やがて、ハッと気づいたように身を起こし周囲を伺うマリカ。
「あ、もう、朝だよね。今、何刻かな?
早く帰って、着替えないと、会議に間に合わないんじゃ……」
初夜の朝寝だというのにムードも何もない。
マリカにとってはきっと真実、自分を慰める為の方便ではなく。
昨夜の事も、特別で、大事な事であっても、最後などではない。
これからも続く夫婦の歴史の一つなのだと、そうするのだと信じているのだろう。
でも、これこそマリカだと嬉しくもなる。
涙が出る程に。
「うっわ。ネグリジェドロドロ。これじゃ着れないよ。
どうしよう……って、え? リオン?」
気が付けば、リオンはマリカを背後から、腕の中に抱きしめていた。
腕の中に捕らえるように。
「マリカ」
「どうしたの? リオン。もうすぐ時間で……」
「頼む。もう一度だけ……お前を確かめさせてくれ」
「え? きゃあ……!」
「お前に……触れたい」
戻ってきた『妻』を逃がすまいと強く固く、抱きしめたリオンは曙光の煌めきの中。
背に、首に頬に吸い付き、マリカの全身に、印をつけ。
また、その身の内側に入りこみ、自分を深く刻み込んだ。
「リ、リオン? ……あっ……あああっ!」
「愛している。俺のマリカ」
愛しているのはお前だと、マリカだけだと。
見えない誰か、もう一人のマリカに見せつけるように。
彼女が別れ際見せた微笑に感じた思いを打ち消すように。




