魔王城 アースガイアの一番長い夜 16 夜の始まり
長い、口づけを交わし合った後、私とリオンは密着していた身体を少しだけ離した。
いよいよ、かな? と身体が緊張に強張る。
勿論、もう逃げるつもりはないのだけれど。
でも、そんな私を見て、周囲を見て。
なんだか、ひどく楽し気な笑みを浮かべたリオンはすっくと立ち上がる。
「きゃっ!」
勿論、私を抱きかかえたままで。所謂、お姫様だっこ?
安定感があって、怖いとは感じないけれど、急に高さが上がったので、ちょっとビックリ。そして
「跳ぶぞ。マリカ!」
「えっ? わっ、きゃああっ!」
周囲の空間がぶわり、と歪んでリオンが飛翔したのが解るまで、少しかかった。
必死でリオンの首根っこに手を回すと、瞬きの間。
私は、魔王城のバルコニーから、森の中に移動していた。
「すまない。マリカ。でも……その、城でお前を抱きたくはなかったんだ」
「どうして……って、あ! エルフィリーネ!」
どこか、照れた顔で私に謝罪するリオンの意図が、私にも解った。
魔王城には城の守護精霊がいる。
城の中にいる、ということは彼女の前にいるのと同じこと。
建物内全部に監視カメラがついているようなものだと私は理解している。
今のプロポーズも当然見られていたことだろう。
それくらいはまあいいけれど。
城の中で私とリオンが身体を交わすということは、エルフィリーネの前で……その、やるのと同じことなわけだ。
気を利かせて見ないでくれる、ということに、多分、今回は期待できない。
私達の事を、良くも悪くも大好きなエルフィリーネだ。きっと、嬉々として見てる。
下手したら録画とかもするかもしれない。
『星』様も一緒に。流石に『神』までは見てないと思うけれど。
「『精霊神』も『目』を向けてた。
今は付いて来てないから見て欲しくないって意思は察してくれてると思う」
「解った。でも、どこに行くの?」
大神殿には戻れない。
この島全体には『星』の守護がかかっているから戻る為には城の転移陣を使わないといけないし、大神殿の自室で、なんて言ったら皆にバレバレだ。
同じ理由でアルケディウスも却下。第三皇子家はもっと恥ずかしい。
リオン達の貴族街の家は大神殿に移動して手放しているし、宿でというのも怖い。
城下町の宿泊用の部屋は少しは整っているだろうか?
でも、魔王城に来客も入れるようになってからは殆ど使ってないし、冬が過ぎたばっかりで多分荒れているし。
「そこまで、考えてなかった。
ただ、こっちに来い、って呼ばれたような気がして……!」
「リオン! あれ!?」
多分、私とリオンが同時に気付いた。
森の木の上。子ども達が作った秘密のおうち。
冬の間、使っていなかったはずのコンテナハウスに、なぜか灯りがともっている。
子ども達の消し忘れ、はない。
会議の為に今は、みんなアルケディウスに移動しているもの。
「行ってみて!」
「ああ!」
ふっ、とまた空気が歪んだ。微かな酩酊感と共に跳んだ先で――。
「うわあっ! なにこれ?」
思わず、目をまん丸にしてしまった。
だって、そこは拙いコンテナハウスだったはずなのに、まるでファンタジーというか、童話の世界から切り取ったような美しい空間が広がっていたからだ。
室内は薄明るく、暖か。
カンテラのようなシックで優美なケースが真っ白な壁にいくつも吊るされ、炎の精霊石が光と熱を放っているのが解る。
部屋の中はずっと締め切られていた筈なのに、埃も汚れ一つなく清潔で、しかも床全体に絨毯より分厚く、薄桃色の花びらが敷き詰められている。
「リオン、降ろして」
「ああ……」
私より、なんだかビックリしているリオンに頼んで、私は床に足を付け、室内を見て回る。
余計な家具は何もない。ここも、冬になる前に家具とかを城に持って帰って封鎖した筈だから、まあ、当然。
でも締め切っていたことによる匂いや汚れは欠片も無くて、むしろ淡くて優しい花の香りが鼻腔を心地よく擽ってくれる。
「……? 花びらに見えて、そうじゃないのかな?」
足で踏みしめた時に解ったけれど、敷き詰められた花弁は本物ではないみたいだ。
一枚拾い上げ、手に取ってみる。
潰れることも、汁が滲み出ることもない。掌で触れてみる。
柔らかく、いい香りの綿か鳥の羽のような感じ。
あ、そうか……これって、多分。
「精霊神達、まだ見てるのか……?」
「多分、見てないよ。私達を心配して。そして祝福と準備、してくれただけだと思う」
「そう、かもな」
リオンも多分、気付いたっぽい。
緑の瞳で周囲を警戒している。
これ……精霊神様達からの贈り物だ。
ラス様と、アーレリオス様かな?
私達の為に場所を整えてくれたのだ。
「色々とテンパっていたとは言え、花嫁の新床も整えられないなんて、俺は情けないな」
警戒を解いたリオンはどこか、悔し気に頭をかく。
そんな彼の肩に私は自分の頭をこつん、と甘えるように当てた。
改めて思うけど、リオンと私、随分と身長差が開いた
子どもの頃、初めて会った時にはそんなに感じなかったのに。
「ううん。いいの。
リオンが、その気持ちになって、私を抱いてくれれば、私はどこでだって幸せな花嫁でいられるから」
本当に、場所なんてどうでもいい。
どんな場所でだって、リオンとの初めての夜はきっと思い出深いものになる。
でも、お父さんやラス様達の祝福に包まれて、リオンと結ばれるのならそれはきっと、最高に幸せな『結婚』だろう。
「……じゃあ、ここでいいか?」
「うん。お願い。リオン」
目を閉じた私をリオンはそっと抱き上げ、部屋の中央に向かい、そっと降ろした。
ホントにふかふか。
羽毛ベッドの上にいるみたいだ。
その上に、大きな身体が覆いかぶさり、私に口づけてくる。
リオンの思いが熱い。まだ触れているだけなのに、火傷しそうなくらいだ。
くすっ。
リオンが小さく笑んだ音が聞こえた。
「どうしたの? リオン」
「花の中に埋もれる白いドレスのマリカは……その、どんな花より綺麗だと……思ってな。まさしく……花嫁、だ」
「……今頃?」
空振りかと思っていた。
今まで、ずっと、一言も褒めてくれなかったから、お母様と一緒に気合を入れた夜化粧。
でも、夜目にも赤いリオンの頬は嘘をついていないと解るから。
この夜。この時、私を綺麗だと思ってくれたのが嬉しくて。
私は彼に手を伸ばす。
全てを捧げ、彼の全てを受け取る為に。
「リオン」「マリカ」
リオンがパチンと指を弾くと微かな灯りをともしていた火の精霊達も、静かに光を落とす。
お互いを照らすのは微かな星明りだけ。
「……あっ」
リオンの細く、固い指先が私の胸元。ネグリジェのリボンを外し、胸元をくつろげた。
生まれて初めて素肌に男の手が触れる感覚に、身体が驚きながらも歓喜に震えているのが解る。
「……緊張しなくていい。まだ、夜は始まったばかりだ」
リオンも緊張しているだろうに精一杯に取り繕い、私を気遣ってくれている。
だから、彼を見つめながら、私は身体の力を抜く。
夜は本当に、まだ。
始まったばかりだから。
二人が去った後。魔王城のバルコニー。
「……行って、しまわれましたね」
忘れ去られたチェルケスカのコートを拾い上げるエルフィリーネ。
そう一人で呟く姿は、どこか寂し気で残念そうに見える。
「水臭いというか、寂しいというか……。マリカ様の部屋も、アルフィリーガの部屋も準備万端で整えておりましたのに……。ええ、そういうところだと、言われるのは解っております。ステラ様」
やっぱり見ていたのだと、しかも見る気満々だったのだと二人が知れば、顔を赤らめて怒りそうだけれどエルフィリーネは悪びれる様子をまるで見せない。
「でも、どこであろうと構いませんわ。
マリカ様とアルフィリーガが愛によって結ばれる。
今日、この時を私はずっと、待ちわびていたのですから」
そう、ずっと願い続けていたのだ。大切な主の娘。
同じ魂を持つ者。
彼女が真に愛する者と結ばれるその時を。
その生誕からずっと見守っていたマリカ。
同じように苦しみ、もがきながらも成長し、『人』と『精霊』の可能性を見せてくれたリオン。
二人の婚姻はエルフィリーネにとって、格別の思いがあり、感慨深いものであった。
アーレリオス。
シュリアが悪い相手だったとは言わない。
主を愛し、孤独から救ってくれたかけがえのない存在だったと解っている。
けれど。
それでも。皮肉な運命に選ばれ、その身と心を弄ばれ、犠牲となった北村真理香。
千年の年月が経とうとも、忘れえぬ。
どこにでもいた当たり前の。
でも比類なき強さをもった保育士に、エルフィリーネは本当に、心から幸せになって欲しかったのだ。
自分に、心など無いと解っているけれど。
今は、その忘れ形見であるマリカの幸せを、それだけを強く願っている。
ある意味、星を守る事よりも。
「今夜が、決戦です。しっかりお願いしますよ。アルフィリーガ」
彼女の眼差しと心は、星ではなく、遠い二人の小鳥の初夜に、思いを馳せていた。




