皇国 アースガイアの一番長い夜 10 残される少年
選ばれた者達がそれぞれに、決意と旅立ちへの思いを新たにしていた頃。
アルケディウス皇立孤児院にて
「やはり、僕は連れて行っては頂けないのですか? 父上」
深夜。誰も使っていない一室で、懇願する様に誰かに呼びかける声がした。
見回りを行う院長、リタが微かな物音に耳と足を止めた。
敵意、悪意は感じられない。
そもそもこの孤児院は大神官の力によって、他の重要施設にさえないような守護結界が施されている。先の災害の時も、隕石が一つ落下、施設直撃の恐れもあったが守護結界によって弾かれ粉々になった。
その後下町の行き場のない親子などを一時的に避難民として受け入れているが、少なくとも不審者が入りこんでいるようなことは無い筈だ。
護衛士を呼びに行こうかとも考えたが、微かな逡巡の後、その考えを手放して、リタは足音と呼吸音を鎮める。声は子どものモノ。事を荒立てるのは良くないだろう。
『ああ。お前は残れ。フェデリクス』
ピクリ、と背筋に緊張が走る。
今度聞こえてきたのは成人男性と思しき声。この孤児院では今はあり得ない音だ。
「イヤです! 僕も連れて行って下さい! 父上!」
さっきよりもはっきりと聞こえた声に居場所を探り当てたリタは半開きのドアからそっと中を窺う。夜目に輝く黄金の髪の子どもがぺたり、と床に座り込み、小さな板に話しかけている。微かな光を放つ板から返る声は子どもの必死の懇願に、応えようとはしない。
『無理だと何度も言っているだろう?
それに……お前には……!』
「誰だ!」
プツッと何かを断ち切るような音がして、会話は途切れる。
そして響く誰何の声。
三歳の子どもとは思えない強さを宿した声に、リタは大きく息を吐きだし応え、呼びかける。
「あたしだよ。レオ」
「リタ……先生」
さっと後ろ手に隠された小さな板。
困惑の表情で口ごもる子ども。
悪戯を見つけられ、ばつの悪そうにする子どもの相手なら、これでもリタは幾度も経験している。
膝を折り、手を貸して立たせ、視線を合わせ、呼びかけた。
「ここはちょっと寒い。話を聞くにも不向きだから場所を変えないかい? レオ」
三歳の子どもに向ける言葉としては少し硬めではあるが、一人の人間として子どもを認めるのならきっとこれが正解。
「……うん」
差し出した掌に触れる柔らかくて暖かい、もみじのような手。
赤ん坊の頃から見守ってきたこの掌を大きくなったと見るか、まだすっぽりと包めるくらい小さいと見るか。
とにかく、リタは皇女から託されたこの子どもの手を強く握りしめた。
守る様に。どこにも行かないように。
廊下を歩くリタは少し不安になる。
部屋に待たせた子どもは逃げだしてはいないだろうか?
別に拘束したわけでもないし。
鍵をかけもしないで台所に行った時点で逃げられても仕方なくはあるのだけれど。
不安に駆られながらも片手に持った盆を落とさないように注意してリタは院長室の扉を開けると、そこには部屋を出た時のまま、神妙な様子で応接間の椅子に座るレオがいた。
「待たせたね。レオ」
ホッと胸を撫でおろし、部屋に入って扉を閉めるとリタは彼の前のテーブルに盆を置く。
温めた山羊乳の優しい香りが二人の間の張り詰めた空気を暖める。
「ほら、物置は寒かっただろう? 暖かいものを飲んで身体を暖めるといい」
「ありがとう……ございます」
戸惑いの様子を浮かべながらもカップを受け取り、ふうふうとミルクを冷ます姿は年相応の子どもに見える。
けれど、大人びた感謝の言葉や仕草には、年齢以上の落ち着きが感じられて。
母親との面会のあと、確かに急成長したとは思っていたけれど。
じっと、観察するリタの眼差しに気付いたのだろう。
「リタ先生は、マリカ……皇女から、僕のことを、どこまで聞いているんですか?」
ミルクを一口喉に通したレオはリタの様子を窺うように問いかける。
滑らかな発音、流暢な敬語。
その問いかけそのものが、自分が普通の子どもではないと自白しているようなものだけれど
「いや、全然」
リタは正直に何も隠すことなくそう答える。
実際、何も聞いていないからそう答えるしかないし。
「?」
「本当だって。あんたがよその国の貴族の子であるということ。
訳アリで捨てられたけど、親と再会が叶って近いうちに国に戻るかもしれないって、ことだけ。
普通ではない事情があるんだろうなあ、くらいには思ってたけど他の事は何も聞いて無いよ」
自分の失敗に気付いたレオの顔が困惑に歪む。
彼の表情と心理を読み取るなら。
『しまった』『余計な事を言った』『どうしよう。なんて言ってごまかそう』
になるのだろうか?
「まあ、何か事情がありそうだっていうのは前から感じていたけど、皇女が言わないってことはあたしらが知らなくてもいいってことだ。
あんたが、何処の誰であろうと守るべき孤児院の子どもであることは変わりないからね。
言いたくないっていうなら追及するつもりはないから、安心おし。
聞いて欲しいって言うのなら聞くけどね」
一応、そんな風に笑いかけてみたがレオの表情は緩まない。
むしろ何かを決意するかのように、固く閉ざした唇を引き結んだ。
これは、聞き出すのは無理かな、と。リタが諦めかけたその時。
「……家族が……」
「え?」
レオは俯いたまま、風に舞う粉雪のように静かな声で呟いた。
「家族?」
「父と兄が、今回の、災害の解決の為に、危険な地に赴くのだ、とさっき連絡してきました」
「危険な地? 魔性でも出る所にでも行くのかね?」
「僕は連れて行けない。アルケディウスに残って待てって……」
リタの疑問には応えないまま、レオは話し続ける。
完全に正しいという自信はないが、おそらくレオの家族は騎士階級か何かで、災害対策の為に危険な任務に就くのだろうとリタは思う。子どもを連れていける場ではないということも察せられた。
「僕は……父が、大切で……兄のことも、きらいじゃなくって……。
二人だけを、危険な地に行かせるのは辛くって……」
「それで自分も連れていけ、って言ったのかい?」
さっきの通信でのレオの言葉を思い出す。
こくりと、首を縦に動かす三歳児に、リタは大きく息を吐きだすと諭すように告げた。
「でも、それは無理な話だと思うよ。命の危険がある場所に子どもを連れて行くってのは……」
「僕は……見かけは、子どもでも普通とは違うんです。
大人にも多分、負けないくらいの知識と『能力』を持っています。
転生と言えば解って貰えますか?」
「ああ、それはまあ。なんとなく、かもしれないけど」
レオという子は、最初から普通の子どもとは違う、とリタは感じていた。リタ自身も数名の子を育てた経験があるし、何より同じ時期、同じ年頃の赤子デイジーが孤児院に来たこともあって、二人の差ははっきりと見える形で表れていた。
誰にでも懐き、人見知りをしないデイジーと、限られた人間しか受け入れず、いつも不可解な行動をするレオ。
ある時からレオは調子を崩したのか、何か他の理由があったのか、まったく動けなくなりデイジーが世話を焼いていたが、親の所に行ってからは完全に治り、今では子どもらしく活発に動き回るようになっている。
子どもらしく、と言っても目的をもって体力づくりに勤しんでいる様子や、暇さえあれば子ども部屋の本を読み漁る姿は、普通のそれとはだいぶ違っている。
それらも、この子には特別な背景と理由があると思えば腑に落ちた。
「僕は、普通の子どもじゃなく、特別な役割を果たすために生まれたんです。
そのための力も確かに有る。父を助け、星を、デイジーや孤児院を、皆を守る事ができる力があるのに!
父も兄も。お前はいいって。子どもだから役目は果たせない。
アルケディウスに残れって……!
だったら、なんで知らせて来たのか? せめて母の元に行って、手伝うことくらい許してくれてもいいのに!」
「レオ……」
「好きで……好きで子どもでいる訳じゃないのに。
どうして、この一番大事なところで、僕は子どもなんだろう……」
自分の無力さを、悔しさと共に噛みしめる子ども。
思慮と精神に似合わぬ小さな身体を震わせ、俯く男の子を、じっと見つめていた孤児院長は
――保育士は。
「!」
「……あんたはえらいね。いい子だ。レオ」
ぎゅっと抱きしめた。
その小さな身体には収まりきらないほど、大きな思いごと。
保育士として。




