魔王城 アースガイアの一番長い夜 1 母と娘の会話
議場となった大広間を私達は後にする。
一応、大神官である私が、今回の魔王城での会議では招待主となっているから退場は一番最後だ。
私とリオンは帰る必要もないし。
殆どの人が退場したのを見計らって、大きく深呼吸した。
私の後ろに立つリオンに声をかける。
「ねえ、リオン……」
「どうした? マリカ?」
その名を呼び、話しかけた、まさにその時。
「マリカ。少し良いかしら?」
お母様にそう声をかけられた。
「はい。なんでしょうか? お母様」
「少し、話をしたいの。貴女の部屋に入れてくれるかしら」
「それは構いませんが、双子ちゃんはいいんですか?」
「ちゃんと話をしてきてあります。今夜はマリカの所に行ってくる。遅くなるかもしれないけれど待っていて。と。
二人とも、わかった。マリカ姉様を助けてあげて、と言ってくれたわ」
「心配かけちゃっているんですね。二人にも」
そう言われれば、私に断る理由はない。
いや、実はちょっとあるんだけれど。
「どうかしたか? マリカ」
「あ、うん。夜に、少し話をしたいから時間を貰える?」
「解った。俺もライオに呼ばれている。後で。いつもの所でいいか?」
「うん。ありがとう」
リオンは軽く手を振り、先に行ってくれた。
でも、お父様の呼び出しかあ。なんだろ。
と、いけないいけない。
「カマラ。護衛は今日はもういいから休んで」
「よろしいのですか?」
「襲撃からずっと、カマラも休みなしだったでしょ?
明日の昼の会議再開までゆっくりして。クラージュさんと落ち合ってもいいし」
「お心遣い感謝いたします」
「できればちょっと大神殿に顔を出して、向こうで待っているセリーナ達に、「今日は魔王城に泊まる。気にしないでゆっくりして」って伝えてくれると嬉しいけど。
通信鏡でもいいよ」
「かしこまりました。どうか、マリカ様もお身体と心を休めて下さいませ」
会議中もずっと側にいてくれたカマラを帰し、私はお母様を二階へ、そして三階へと促した。
まだ夕食の時間には少し早い火の刻。でも、窓の外はもう淡い宵闇色に染まっている。
「お母様は、こっちの部屋、入るの初めてではないですよね」
「ええ。一度だけ。星の夢の時に入れて頂いたわ」
「どうぞ。かつての精霊国女王『精霊の貴人』の部屋だそうです」
薄暗かった部屋は私達が足を踏み入れると同時、パッと灯りが灯り、豪奢な作りを照らし出す。城の守護精霊の仕業だろう。
「精緻で優美な家具が揃っていますね。丁寧で手の込んだ作りではあるけれど、華美ではないのが素敵だわ」
「はい。まあ、私の感覚だと豪華すぎて落ち着かなくはあるんですけれど」
「貴女は皇女なのですよ。本当に、そういうところが……」
「根が庶民ですし、この貧乏性は親譲りでもあってちょっと治らないでしょうね」
「私の所に最初から来てくれていたら、もっとお姫様らしく育ててあげられたのに」
最初から、の意味がお母様の娘として生まれていたら、なのか。
それとも『星の精霊』の托卵先としてという意味なのかは解らない。
ただ、どちらにしても答えようのないことなので、薄く笑ってごまかす私にお母様は、微笑むと
「マリカ、こちらにいらっしゃい」
私を応接間のテーブルに手招きした。
「何ですか? これ?」
「城の守護精霊にお願いして持ち込ませてもらったの。
ちゃんと『星』の許可も得ているわ」
招かれるままに近寄っていけば、テーブルの上に見知らぬ荷物が置かれているのが解る。
一応、私の部屋なのにこんなの置いてあるなんて気が付かなかった。
いつの間に。
布で小さくまとめられた荷物をお母様が慣れた手つきで解くと中に入っていたのはドレス(?)だった。(?)なのは、いつもお母様が用意して下さっている上質の外出用のドレスとは素材や作りがまるで違うから。
柔らかくて、ふんわりとした純白の上布。フリルやレースもいっぱいついているけれど、どこか頼りなげで貴族の女性の、特にアルケディウスのドレスの固さとか凛々しさがない。
前開き。リボンで胸元を止めるのも珍しい。
これは、どっちかというとネグリジェとか下着とかそういう感じの……!
そこまで自分で考えて、ハッとした。
「お母様、これって……まさか!」
「そう。初夜の服。たった一人の人の為の。もう一つの花嫁衣裳よ」
もう一つの花嫁衣裳、とお母様がおっしゃった通り。一片の染みも曇りもない淡雪のような白。
私が着ているドレスが漆黒だからか、本当に目に染みるようだ。
大事な人との初めての夜のためのドレス。そんなものがあるなんて。
そして、お母様が用意して下さっていたなんて。
「結婚式の為に用意しておいたの。
もう少し近くなったら、他にも色々と教えるつもりだったのですけれどね」
「教えるって……何をです?」
「夫婦というものについて。
皇子に男女の交わりってどんなものか、と聞いたのですって?」
「え? えええっ!」
どこか揶揄うようなお母様の言葉に、ほっぺが急に熱を持った。熱い。
焼けてしまいそうなほどに。
「お父様、そんな事、お母様に話したのですか?」
「ええ。貴女とリオンを二人きりにした夜、私もあの子が貴女を抱くのではないかと思っていたので、このドレスも無駄になるかしらと思ったのだけれど。
皇子は「何もなかった。思ったよりも貴女達は重症だ」と頭を抱えていらしたわ」
「お父様、サイテー。いや、私も口留めとかはしませんでしたけれど」
まさかこっそり話した父と娘の秘密の会話をお母様に話していたなんて。
私はお父様のデリカシーの無さに一瞬頭を抱えたのだけれど。
「皇子は本当に、貴方達の事を心配していたのよ。
無事に結婚式が行われて、貴女達が結ばれて。
それが笑い話となることを願っていたのだけれど、まさかこんなことになるなんて。
……どうやらあの方の危機感知と未来予測の力は私達の想像を遥かに超えているようね」
「あ……」
そっか。デリカシーが無いのはむしろ私の方だ。
お父様は、そしてお母様も。
私とリオン。その関係の変化を心配して下さっていたのだ。
今、この時も……きっと。
「結婚式のドレスは、貴女が意識を失っている間に納品されて、館にあります。
でも、式は延期という事になってしまったから。
それよりも先にこちらの方が、今の貴女には必要ではないかと思ったの」
「お母様」
お母様が言いたいことは解る。
「マリカ。成人式はできなかったけれど、貴女はもう大人です。
迷わずにやりたいと思う事、やるべきだと思う事をしなさいな」
「ですが……私は……。リオンも……」
私達はもうすぐ本当の意味で人間でなくなる。
精霊だからではなく、この身体が改造されて人の理から外れるのだ。
そんな私達が、身体を結んでいいものだろうか?
「私は勿論、貴女達を犠牲にして、星を守ろうという『神々』の提案は嫌よ。
絶対に。
貴方達だけに『星』を守る重責を負わせ、重荷を背負わせるなんて間違っている。
止められるものなら、止めたいと心から願っているわ」
「お母様……」
「でも……」
水水晶のようなお母様の瞳から、同じ色の雫が滲んでいる。
「私も王族です。国民と家族を天秤にかけなければならない時が来たら、必ず国民を選ぶべきと、深く心に深く、いえ、魂に刻まれています」
「はい……」
「不老不死の時とは違い、今度はその選択が真実、国と『星』の命運を左右する。
国民のこと、王家のこと、大陸のこと。
何より双子達の事を思うと、止めなさい、とも言えないの。
逃げていい、と貴女に言ってあげることもできない。
ごめんなさい。私は酷い母親だわ」
「いいえ。いいえ」
唇を噛みしめ、強く自嘲するお母様を前に私は首を横に振る。
当然のことだ。人としても、王族としても、親としても。
私自身、止めろ、逃げていいと言われてもきっと困っていた。
できないと、逆に首を横に振るしかなくなっていただろう。
お母様の気持ちが、言葉が逆に私の救いになる。
私達の行動が星を救う。
私は、リオンを一人にしない為に同行を決意したけれど。
選択は間違っていないのだと、必要とされているのだと解ったから。
「でも……いいえ、だからこそ、私は貴女達の親を貫くと決めたの。
貴女達がたとえ、どんな選択をしようとも、それを受け入れ親として背中を押すと。
約束したものね。結婚しても貴女達の親であることは変わらないと」
「はい」
「結婚しても甘えていいですか?」という私の問いに、お母様は「当たり前です」と応じて下さった。
と応じて下さった。
それはきっと、私達の姿が人間でなくなっても、と置き換えてもきっと変わることは無いのだろう。
そう信じられる。
だから、それでいい。
どんな姿になっても変わらずに受け入れてくれる人が一人でもいるのなら。
「それでね。マリカ」
お母様は滲む目元を指で拭って、微笑むとドレスを指し示した。
「母親として、貴女に女の嗜みをしっかり教え導いてやれと、皇子はおっしゃったの。
未知の恐怖に怯えて、再び逃げ、後悔しないように。と。
これは、その為に用意したものだけれど、私の助言は必要かしら」
「お母様、気付いておられたんですか?」
私が、これからどうするつもりだったかをまるで読んでいたかのように用意された贈り物。かけられた言葉。
私は心に決めたことがある。
最初の時と事情が変わってしまったから、もしかしたら、彼は受け入れてくれないかもしれないと思っていた。
私のようにきっと迷っている。
「ええ。なんとなく。
私にも似た経験がありますから」
お母様は当たり前の事のように静かに頷いた。
「遠い昔。一人取り残され自暴自棄に陥っていた従兄を少しでも励ましたいと。
不老不死を得ず、死ぬつもりだというのなら、その人の存在をこの身体に刻み、子を残すのだと、
アルケディウスに押しかけ嫁いだことが、貴女達を見ていると、昨日の事のように思い出せます」
「お母様……」
「皇子はね、最初、私をきっぱり拒絶して、むしろ避けていたの」
「そうなんですか?」
「ええ、必ず私より先に死ぬ自分が、私に消えない傷を残すべきではない。と。
傷では無くて、絆だと。先に消えるつもりなら、むしろそれを私に残せ、と説得するのに三十年かかったわ」
お母様の言葉に、心臓が不思議なリズムを刻む。
何かが理解できたような感覚。
そうか……そうすれば……。
私の変化に気付くことなくお母様は少し、遠い眼でここにはいない誰かを見つめる。
「皇子は……いつも私達とは違うモノを見ておられます。
今も、何か考えていることがあるようね」
「え? 考えている事?」
「ええ。コスモプランダーとの戦いについて。
お前にはこれから苦労をかける、許してくれ。とおっしゃっていたから」
「お父様が?」
私は会議中のお父様の様子を思い出す。
感情を一切排した表情の下で、何を考えておられたのだろうか?
お父様に呼び出されたと言っていたから、多分、今の私のように何かをリオンと話し合っているのかもしれない。
「私は、あの人の考えの全てを理解できてはいません。
でもあの人の全てを信じ、ついていくと決めているから、迷いは無いのよ」
依存ではなく、頼るのでもなく。
一人の男を、信じ、愛し、それを支え助ける事を選んだ『夫婦』
私とリオンとは違う形だけれど、とても美しく思えた。
「私はあの人の妻となったことを後悔したことはありません。一度たりとも。
だからね。マリカ」
お母様は、私の頬に触れ、視線を合わせる。
強く、優しい母として、女の先達として。
「貴女も後悔しないように生きなさい。
今日と同じ明日が、またやってくるとは限らないから。
一日一日を大切に。身に染みたでしょう?」
私はお母様の手に、そっと顔を摺り寄せた。
親に甘える子猫のように。
「はい。ありがとうございます。お母様」
「じゃあ、色々と教えてあげるわ。
まずは、夜化粧。それから女の作法について……」
お母様は、やっぱり、全てお見通しだった……。
私の決意も、これからしようとしていることも、ちゃんとご存じで。
前に進む為の勇気を、届けて下さったのだ。
そして、その日の深夜。
私は一人、部屋を出る。
予定より、少し遅くなったけれど、約束の場所に彼はいた。
星明かりに照らされたバルコニー。
「……リオン」
「マリカ」
宙を見上げて佇む、星の獣。
リオン・アルフィリーガが。




