皇国 運命の日
人称入り混じり。
四章終わりまで後少し。
夜の国。
黒い子猫は漆黒の空を仰ぐ。
頭上に広がる雲海。流れゆく星の大河。
その彼方から、来る。近づいている。
根拠は何もない。前兆も、一つとして。
でも彼は確信していた。
間違いなくやってくると。
『でも、この星からじゃ、見えるのはせいぜい大気圏の外側までだ。
くそっ。地球時代の人工衛星や、天文台。宇宙望遠鏡があれば、な』
「何をご覧になっておいでなのですか? 『精霊神様』」
「ヴェートリッヒ……」
城の最上階。
さらに高い屋根の上で、一人、いや一匹で空を仰ぐ子猫に、声をかけた青年は丁寧に頭を下げると、その傍らに身を寄せた。
護衛や部下が見れば目を回すであろう次期皇帝の蛮勇に、だが子猫は軽く目くばせすると空に、いや宙に視線を戻す。
「お前は『星』が見せた夢を覚えているか?
神の国の滅亡。悪夢そのものの侵略者の襲来を」
「はい。勿論です。『精霊神』様」
自分の方を見やりもせず、宙に視線を向ける『精霊神』の問いかけに彼は迷うことなく頷いた。
「天を流れる禍つ星。平和で安寧に満ちた大地が、為すすべなく闇に閉ざされていく様。
人が異形と化していく絶望を、忘れることはできないでしょう」
『あれは終わった事。
成す術もなく。逆らう事さえ許されなかった星の最期。
小さな星の上で繁栄を謳歌していた虫が、宇宙からの脅威にただ踏み潰されるだけの圧倒的な蹂躙』
「ですが、皆様はそれに逆らい、希望を繋いで下さった。
だからこそ、我々は今、ここに在るのです。
数十億の時を紡いできた人々の思いの継承者として」
『ああ。時間はかかるだろう。
けれど、いつか遠き星の希望は蘇る。
蘇らせることができるのだ。仲間が揃い、新たなる希望も生まれた今なら、これからなら。我々は、私は……そう信じていた』
「信じていた? 今は、信じられないとおっしゃるのですか?」
『ヴェートリッヒ。マリカの成人式は明後日だな?』
唐突な話の変更に瞬きしながらも、彼は自らの祖にして『神』に肯定を返す。
「はい。私が代表として参ります。
転移陣の使用が許可されておりますので、明日の早朝、出立し、前夜は軽く挨拶のみ。
翌日、儀式に参加し祝賀の宴で祝いを述べて戻ってくる予定です。
彼らへの本格的な祝いは、新年の結婚式にて……」
『ヴェートリッヒ。お前は残れ』
「え?」
国の守護神『精霊神』の言葉は絶対だ。
けれど、それでも突然の話に彼は驚きを隠すことができない。
『ザビドトゥーリスには私が言う。代表はアンヌティーレに任せ、国の警備と兵力の確認に注力するのだ』
「何故ですか? 理由をお聞かせ下さい。
これでも僕は、マリカ皇女やアルフィリーガの晴れ姿を見るのを楽しみにしてたのです!」
『理由はない。あっても語ることはできない。
お前や私、この国の主となる者達が国を離れた場合、惨事がさらに広がるだろうと。
それ以外には』
「惨事?
今の所、争いの種の無い七国。冬とはいえ穏やかな天候と星の守りに満ちた大陸において、一体何の惨劇が起こるとおっしゃるのですか?
まさか、魔王が再び鎌首をもたげるとでも?」
『今は言えぬ、と申したはずだ。杞憂で済めばそれでいい。
全ての責は私が負い、謝罪でも埋め合わせでもなんでもしてやろう。
だが、事は起きる。
根拠も証拠も出すことはできないが、ほぼ間違いなく。
私達『精霊神』のやるべきこと、最優先とすべきことは、国を、民を、子ども達を守る事だ。その為に、できる準備、打てる手立ては全て行っておく必要がある』
宙に向けて踏み切った子猫は何もない空中にふわりと浮かび、威圧をかける。
『お前達、王族の使命、役割は何だ? 友と従兄妹の祝いで遊び呆ける事か?
それとも国を守る事か?』
「解り……ました」
『良かろう。細かい指示は追って出す。
国や民の事はお前達に任せる。
第一級警戒を。ただ、マリカやアルケディウスには知らせるな』
「はい」
『いつ来るか……。結婚式とは言わぬ。せめて成人式が終わってから。
溢れんばかりの祝福を得て、輝く瞬間を味あわせてやりたいものだが……』
圧倒的な『意志』と力を前に次期皇帝、今は代権者として政務の多くを司る神殿長は膝をついたまま、頭を下に向けた。
『『精霊神』には私が伝える。問題は大神殿だな。
皆でカバーするにしてもどこまでやれるか?』
そうして黒猫は一人、星空を見上げる。
満天の星空に、今はまだ本当に何の予兆も見えない。
目を凝らし、宙のその奥を見つめようとも。
あの時もそうだった。
なんの前触れも無しに奴らはやってきた。
『あの時と同じにはしない。させない。絶対に。
必ず、被害は最小限に食い止めて見せる。
どこまで、奴らに今の力が通じるかどうかはわからないけれど。
この星も、大地も、子ども達も。そして何よりあの子達も。
絶対に奴らには渡したりしないから……』
そしてこれは魔王城。
星の聖地における神々の会話。
『本当に、解らないのか? ステラ?』
「解らないわよ! 本当に、まったく!
私は元々外宇宙の観測手段なんかもってないんだから!」
『危機管理能力が無さすぎだな。完全に根を張る前に人工衛星の一つでも残しておけば良かったものを』
モニターの向こう。電脳存在である少年と、こちら側、培養槽の中に浮かぶ少女の間の空気は一触即発という風情だ。
実際に、挑発するような半身の言葉に、少女は声を荒げている。
液体に沈められた身体は動かず、感情を形作ることはできないけれど。
鋼色の部屋そのものから『声』いや、思いははっきり伝わってくる。
「! じゃあ、貴方は観測できているというの? レルギディオス?」
『いや、解らない。まったく。
影も形も感じることはできない』
「なら……」
単なる気のせいでは無いか。
そう言いかけた少女の甘い妄想を少年の姿をした『神』は明確に切って捨てる。
『都合のいい、甘い願望に逃げるな。ステラ。
ナハトが言葉にして伝える程に『感じている』
皆が、何より我々が否定できない。
胸が泡立つような思い。溢れる絶望にも似た焦燥。
まず、間違いはなかろう』
「でも! どうして『今』なの?
せめて、せめて、あと二週間。
あの子達の成人と結婚くらいは。
なんの憂いもなく祝ってあげたかったのに!」
何も知らない子どもを、意志も産まれぬ前から『精霊』の運命に巻き込んだ罪悪感からか。
それとも自分達には許されなかった、できなかった過去と未来への希望を投影させているのか。乱れる妻の声とは裏腹に、感情的な思いを受け止める夫の言葉は冷静だ。
『偶然か。はたまた嫌がらせか。
まあ、奴らに話も思いも通じるなど期待することそのものが馬鹿げている』
「でも……」
『それだけ、マリカの輝きが強いのだと思っておくがいい。
お前が育てた、先生の娘は星を超えてなお輝く恒星なのだろう』
「神矢……」
冷静、いや、違う。
どこか、待ちかねていたような。喜色さえ宿っている。
『俺は、正直嬉しい。
諦めたつもりだったが、ずっと夢見ていたからな』
「夢見てた、って何を?」
『復讐を。
俺達から全てを奪った奴らにこの思いを叩きつけ、
ざまぁ見ろと言ってやれる日が来ることを』
「でも、それは……私達には、きっと無理。
あの子達にしか、できないことよ」
『解っている。だがあいつらはやるだろう。
俺達はそれを助けてやればいい』
「いえ、ダメよ。やっぱりダメ。
マリカがそうなってしまったら、取り返しがつかなくなるわ」
『まあ、最終的に決めるのは俺達じゃない。あいつらだからな。
だが、多分。もうあいつらの選ぶ道は決まっている。解っている』
「神矢……」
『俺達のような憎しみによる復讐ではなく、この星を、子ども達を守る為に奴らを倒す。
あいつはーー。
あいつらは。この星を守り導く者。先生の心と意志を受け継ぐ保育士、なのだから』
◇◇◇◇◇
成人式前々夜のアルケディウス。
「え? 列席者の変更ですか?」
「ああ。先ほどいくつかの国から連絡があった。
アーヴェントルクはヴェートリッヒ様から、アンヌティーレ様に。
プラーミァはベフェルティルングからグランダルフィ王子に。
フリュッスカイトも現大公様は出席を取りやめ、前公主ナターティア様がおいでになるそうだ。
他の国は変わらないがな」
私は成人式の最終打ち合わせに来ていた王宮で首を傾げた。
不老不死時代が始まり、終わって約五〇〇年、久しぶりに行われる王族の成人式に各国王が興味を示し、列席の意志を表していたのは随分前の事ではあるけれど。
まさか、直前になってここまで大きな変更があるとは。
「急な話ですね。何かあったのでしょうか?」
「そうかもしれんな。
本意ではないようだった。ベフェルティルングなどは、鏡越しでも伝わる悔しげな顔で、くれぐれもお前とティラトリーツェに詫びを伝えてくれと、伝言を頼まれている」
私の伯父上であるプラーミァのベフェルティルング王や、リオンの親友であるアーヴェントルクのヴェートリッヒ様は特に絶対来ると思っていた。
列席者名簿を直しながら内容に目をやる。
三国に変更があったそうだけれど、他の国は変わりがないようだ。
エルディランドは大王様が奥様を連れて。
シュトルムスルフトは女王アマリィヤ様がおいでになる。
ヒンメルヴェルエクトはアリアン公子。多分、変わらず奥様も一ご緒だろう。
エルディランドとシュトルムスルフトは名代になれる王族が他にいないというのも大きいと思う。
「お前の成人式を侮られているようで少し不満は残るがそれぞれ事情でもあるのだろう。本命は国王会議での結婚式だ。成人式は、その前段階。
通常、各国の王族が足を運ぶことなどまずないから、別に問題にするほどの事ではない」
「そうですね。新年に向けて各国お忙しい時期でしょうし」
「ああ、元々、国王が国王会議以外で外に出ることも滅多にあることではないのだ」
「はい。ご臨席いただけるだけで嬉しく思います」
あくまで成人式は私達個人の式典。
大人への仲間入りを祝うだけの儀式だし。
「お前達の成人式が、今後の王族の式の規範となるだろう。
気を抜くことなく真剣に勤める様に」
「かしこまりました」
「今日は大神殿に戻るのか?」
「あ、いえ。家に帰ります。成人式が終わったら暫く忙しくなるから、一緒に寝ようって双子ちゃんが」
「そうか。なら早く戻ってやるがいい」
「ありがとうございます」
別に気を抜いていた訳ではない。
けれど、この時、私は多分浮かれていたのだと思う。
本当にどうしようもなく。
だから、全く感じなかったし、気付かなかった。
他の精霊神様達が感じていた、星の脅威。
禍津星の気配に。
成人式。
大人の仲間入りをする記念の日は。
アースガイアの歴史に残る最悪の幕開けの日となった。




