皇国 神の子ども ラールの夢 後編
暫くの間、静寂が場を支配した。
ラールさんからの退職要望。それを受け取った雇い主。ガルフと番頭は特に目で会話することも無く。微かに思案にふけるように目を閉じると
「マリカ様」
「は、はい。何でしょう?」
「この、ラールが訳した料理本のレシピ。権利上はどうなるのでしょうか?」
「へ? 権利?」
「はい。マリカ様が今まで、記録して運用してきたレシピはマリカ様がゲシュマック商会に委託したものとして、各国や大貴族に売却したり、研修生が学ぶ度に少額銀貨1枚をマリカ様の財産としてきましたが」
「ああ、そう……ですね」
私に話題を振ってきた。
今更だけれど、この世界にはまだ銀行システムが無いので、基本的に商取引はいつもニコニコ現金払い。貴族などが店に品物を発注する場合は掛け払いや信用取引もあるけれど。
ただ、特殊な宝箱や金庫のようなものはあって、それで財産は管理する。
精霊神様が民に与えたアイテムの一つ。指紋認証のように入り口に掌を当てて認証させ、その人物と、その人物が登録、許可した人間以外には使えない代物。
一度壊れたら普通の人には修復できないけれど、それなりに数があるので、商人だったら複数持っているのが当たり前なのだそうだ。
ゲシュマック商会にもいくつかあって、そのうち一つは私のレシピやその他の売却益をガルフに預けてある。最初の頃は砂糖を買ったり、孤児院を立てたりするのに使ったけれど今は、殆ど使っていない。ガルフにはゲシュマック商会の財産として運用していいと言ってあるけれど、ゲシュマック商会も順調な商売をしているので、多分使ってはいないだろう。
今後『地球移民』を含む子ども達のあれこれで纏まったお金が必要になった時に、使ってもらう事にしている。
でも、私が記憶していた料理レシピと違ってこのレシピは『神』が開示した地球の国会図書館の資料をラールさんが翻訳したものだ。
私がお金を貰う筋合いはない。元々、記憶していた料理レシピも本当は私のモノってわけでもないしね。
各国の共有財産とすべきか、でも翻訳したラールさんの手間もあるし……。
「新レシピは、今まで通りゲシュマック商会に委託し、料理技術をある程度修めた希望者のみに提示する、という形になるでしょうか?
基本的に自分の欲しいレシピを自分で写す。ただ、翻訳者であるラールさんと、管理を委託するゲシュマック商会の手数料&紙とインク。印刷代として高額銅貨一枚を支払う。って感じで」
まだ、これらの本を無制限に刷って売り出せるほど社会は成熟していない。ここ五年で識字率もかなり上がっていると自負しているけれど、まだ一般人が気軽に本を買って楽しめる世界まではもうちょっとかかる。
その為に、興味のある人が借りに来る図書館形式が相応しいだろう。
「翻訳者であるラールさんには、本一冊を訳し終えるごとに高額金貨一枚と考えています。
ラールさんにしかできないことですから、無茶な給料設定では無いでしょう。
料理レシピと実践的な科学技術以外は図書館。
これから比較的出入り自由になる魔王城の島に閲覧所を作って、そこで学びたい人が学べるようにしていこうかと。魔王城の島に大神殿を移すとか、高度な学術、研究施設を作るとかって意見もありますし」
当面はレシピや、様々な実践技術優先。
でも日本好き、アニメ、マンガ好きのラールさんが本当に復活させたいのは日本のマンガ、小説の類だろう。日本の書籍出版数。特にマンガの発行部数は世界一だった。種類も他国の比較にならない。
これから復活させる『神の子ども』や興味を持ってそちらの道に進むアースガイア人の手を借りたとしても。
数千万冊の地球文化を人力で復活させるのは一生の仕事になる。
だから、覚悟の意味も持って仕事を辞める、と言ったのだろうけれど
「であるのなら、ラールの行動はこれからもゲシュマック商会の為になる。
無理に籍を抜く必要は無いかと存じます」
「え? いいんですか?」
「そうですね。ゲシュマック商会本店からの出向という形で魔王城の大図書館に勤務。
新技術の捜索、翻訳に従事し、特に実用度の高い技術や、有用なレシピなどが発見された時にはマリカ様の許可を受けた上で、ゲシュマック商会に回して貰えれば、十分に幹部としての仕事を果たしていると言えるのではないでしょうか?」
「リードさん」
「お二人がそれでいいとおっしゃるのなら、私も問題ないと思います」
にっこりと。
私はガルフ達が出した結論を受け入れる。
安堵の気持ちは一応、笑顔の内に隠して。
「元々、今後も様々な新技術開発においてゲシュマック商会の力は借りたいと思っていました。人脈の広さや技術力、人材の面からもゲシュマック商会は大陸一の信頼度を誇りますからね」
「過分なお褒めの言葉、感謝いたします。
であるなら、なおの事。ゲシュマック商会は情報、流通の最先端にいなくてはなりません。未知の、有効な知識があると解っている宝の蔵で捜索を行う者との縁は切るどころか、逆に深め、助けていくべきでしょう」
「旦那様」
ガルフを呼ぶラールさんの声が震えている。
勿論、彼は彼なりの思いと覚悟を持ってあの結論を出したのだろう。
ラールさんが今後挑む道は先の見えない永遠の探索。
人生の全てを賭けても、終わらないことが解ってる孤独な道だ。
でも、一人にはしない、とガルフは言った。
「お前は、生まれこそ『神の国』かもしれんが、もう我々のかけがえのない仲間であり、友だ。
ゲシュマック商会に籍を残したからと言って何が出来るわけでもないし、何か目立った助けになってやれるわけではないが、無理に孤独になろうとする必要は無い」
「面白い情報が手に入ったら、マリカ様の次で構いませんので知らせて下さい。
広く伝えた方がいい事象については出版も考えますから」
「大掛かりな宴席などの時には助っ人に呼び出すかもしれん。その時は頼むぞ。
お前はゲシュマック商会に必要な人間だ。
今までも、これからも」
「ありがとう……ございます」
異世界生まれであろうと無かろうと、友情や信頼は育める。
ラールさんやガルフ達はそれを証明してくれた。
これからの『地球移民』復活の大きくて価値のある前例になってくれるだろう。
最終的にラールさんはゲシュマック商会に籍を残したまま図書館司書というか管理人をお願いすることになった。名目上は出向扱いだ。
国会図書館のバックヤードには休憩スペースなどもあるので当面そこに住めるし、今後増えるであろう司書の為に寮を作ってもいい。当面は一人だけれど、まだ眠っている『地球移民』の中には日本人も多く含まれているので、協力者は今後増えるだろうし、少しずつ増員もしてあまり長く彼一人に負担をかけることはしないつもりだ。
どの本を翻訳するかは一応、オーダーは出すけれど、基本はラールさんにお任せする。
仕事になったから、趣味の本ばかり優先はしないだろうし、そうでなくても。
マンガや小説だって、人の心を元気づけてくれる。という意味では復活して貰っても何の問題もない、むしろ大歓迎だからね。
「良かったですね。ラールさん」
「ありがとう。マリカちゃん。
悶々と悩んでたのが馬鹿みたいだ」
ホッと胸をなでおろしたかのようにラールさんは微笑む。
私も心配だったから、我が事のように嬉しかった。
「これからもお願いします。でも、あまり無理はしないで下さいね」
「解ってる。生涯をかけたライフワークにするよ。
やっと、俺にも地球の為にできることが見つかったんだから」
哀し気な微笑に胸が詰まる。
地球滅亡時、十五歳。
コスモプランダーを憎み、恨んでも能力者達のように戦う事もできず、父母を残して冷凍睡眠を余儀なくされた『救われた子ども達』。
希望を託されたと解っていても、生き残った彼らの魂に刻まれた傷と後悔は思うよりも深く、大きいのかもしれない。だからこそ
「失われたと思っていた、憧れの日本。地球の文化の最後の形見。
俺が取り戻して見せるから」
彼は、いや彼らは輝く。輝いていくだろう。
新たなるチャンスを与えられたことで、地球とは違う舞台での、違う物語の主人公として。
後に。
本当に今の時代が歴史として、語られるようになった後の世での話だけれど。
ラールさんは『鉄腕のラール』という二つ名を持つ地球文化復興の立役者の一人として名を残す。
生涯に翻訳した地球の本の数は万を超え、合間に後進の育成にも積極的に取り組んだ。特にアースガイア人と地球移民の文化を繋ぐ架け橋となった功績は大きい。
彼の翻訳した地球の書籍や文化から、新しい作品を生み出す才能も生まれたという。
図書館に籠って精力的に仕事に取り組むラールさんを助ける為に、エリセが通うようになり関係を深めるのはその前。
でもまだもう少し先の話だ。




