皇国 未来の保育士 後編
私には、ずっと前からやりたかったことがある。
それは仕事として。専門知識を持つ職業『保育士』の確立だ。
子どもがいると保護者、特に母親が働けないから『子守』の需要はあった。
それはずっと、多分、太古の時代から。
でも、大抵は兄弟姉妹など子どもの仕事で、中世などでも小さい子が大きい子の面倒を見る、のが当然。良くて一部屋に集めて一人の人間が放置しておく。
くらいだったことだろう。
一人の子どもに、一人の教育係を付けられるような余裕があるのは貴族や上流階級くらい。大抵は母親も働かないと食べていけないから働くのだから。
そんな歴史が長いせいで『保育士』は長く誰にでもできる仕事、として蔑まれる、まではいかなくても低く見られてきた。その根底は現代でも変わらず改善は幾度となく叫ばれてきても到達していなかった。
実際は保育をメインにしながらも、会計、文書作成、人物対応、裁縫、髪結い、ダンス、歌唱力、楽器演奏、人物プロデュース、カウンセリングという複合技術を必要とする専門職だと私は思っている。
だから、少なくともこの世界では『保育士』と呼ばれる人を低く見られる環境を作りたくはなかった。
そして、いつか。
向こうの世界に匹敵する専門的な『保育士』という存在を確立させて、それを広めていきたかったのだ。
「ホイクシって……、私をこの孤児院で正式に雇ってくれるってことですか?」
「端的に言えばその通りですが、私が貴女に望み、依頼していることはちょっと違います。
リタさんや、カリテさんは子どもの対応、保育に優れた保育士です。でも、まったくの素人から始めて、実践で学んできた人です。
貴女には、子どもをより良く育てる。ということを方法論から学んで子育ての専門家としての『保育士』になって欲しいんです」
「子育ての、専門家?」
「ええ。長い不老不死の時代が終わり、今後子どもの数が増えてきます。
と同時に子どもを適切に、育て、守る『保育士』の需要は絶対に高まってきますから」
子どもに人権が無く、打ち捨てられていたこの世界で私が目覚めた時。
まずは、もうとにかく、子どもを助けるのが優先だった。
孤児院を作り、安心して生きられる場を作って、次に母親の出産や子育てを助けられるようにして、それも軌道に乗ってきて。
次に目指すべきはやはり、子どもを専門的に、より良く育てることができる人材、教師、保育士の育成だと思う。
「子育て、と違って『保育』は専門知識を必要とする技能職です。
私は貴女にそれを覚えて、実践して貰い、最終的には次世代に伝える存在になって欲しいと思います」
私の代わりに。
そう思う本音は呑み込む。
本当は私がやりたい。子ども達が育つ姿をこの目で見て、悩みを共有して、どうしたら楽しい日々を毎日過ごせるか試行錯誤しながら一緒に成長していきたい。
多分、それは私の中の記憶、お母さんである真理香先生の願いなのだろうけれど。同時に私、この世界に生まれた皇女、そしてこの星に生まれた精霊マリカの願いでもある。
ただ、私にはもう現場に立つことは許されない。
『解って』しまうのだ。
既に私が守るべき、育てるべき相手は目の前の子どもから、世界全体へと変わってきているって。
だからせめて希望を託す存在を残していきたい。
「本気で言ってるんですか?
私は、元スリの囚人ですよ? それに教育を与えて、子育てを任せると?」
目を瞬かせるルシアに私は頷く。
やっぱり理解力あるな。頭の回転も早そうでいい。
前に、やっぱり敵対関係からスカウトしたノアールを思い出す。
「大事なのは適性です。女性の中にはどうしても子どもが苦手、って人もいます。
保育士にとって大事なのは『子どもを、他人を大切に思えるか』っていうこと。
……リタさんから、話を聞かせて貰いました」
私はルシアの前に、リタさんが見せてくれた報告書を差し出す。
彼女の顔がサッと青ざめる。
「貴女は、我が子を愛して産もうとした。
けれど育てきれずに失ってしまったんですよね。
その後、まったく血縁関係のないお子さん、トム君を拾って育てたと。
……大変、でしたね」
「大変、でしたね? 随分と、簡単に言ってくれるじゃない!」
やっぱり、トラウマ。地雷だったか。
でも、今のはワザと踏んだ。
彼女の反応を引き出す為に。彼女の思いの深さを知る為に。
「子どもを、産んだ事の無い皇女に……私の気持ちなんて、解る筈ない!
自分の腕の中で、目を開けることも無く死んでいった子どもの軽さとか、屋根の下で寝る事さえできず橋の下で震えた記憶とか! アンタには解らないでしょう!」
「ええ。解りません。でも、貴女の優しさは解ります」
「え?」
「子どもを産み捨てたり、流したりが当たり前だった不老不死時代。
命がけで子どもを産み、死んだ我が子の為に涙し、他の、見知らぬ子どもに愛を注げる。
それはとても、稀有で貴重な才能だと私は思います」
項垂れ、震えるルシアの手を私はそっと握りしめた。
彼女の手は傷だらけで、不揃いだ。
もしかしたら、スリが見つかって指を折られたりしたことがあるのかもしれない。
そうでなくても下町での生活で酷使した手は皹などで荒れている。
でも、これは我が子をこの手で養い育てて来た、働き者の手だ。間違いなく。
「私は、この星に生きる子ども達がみんな、笑顔で笑っていられる世界を取り戻したいと思っています。
その為に何年も準備してきました。少しずつ動き出して変わろうとしています。
でも、私の手だけでは足りないんです。零れる人、救えない人が多すぎる。
貴方達のように。
だから、助けて貰えませんか? 少しでも多くの子どもを救えるように。
次に、どこかに生まれて来る貴女の子どもが、今度こそ幸せに生きられるように」
「私の、子どもが、どこかに?」
「ええ。この世界では死んだ人間の魂は夜の精霊神様の元、星の懐に還り、記憶や悲しみを洗い流してまたこの世界に戻ってくるのだそうです」
「本当に? 戻ってくるの?」
「はい。ここだけの話ですが、精霊神様ご本人に聞いたから間違いありません。また、ルシアさんの子どもに生まれて来るかどうかはわかりませんが」
この世界の生命誕生、輪廻転生の理論は私自身、詳しくは知らない。
ただ、魂と呼ばれるものは存在して、死んだ後、疑似クラウドのような世界に集まり、そこでの休息の後、またこの世に生まれ変わってくる。というのは確かなようだ。
お父様とお母様の間に生まれた娘の魂が、私の中に入っているとステラ様は言っていたし。
だからこれは決して嘘じゃない。
今、どこかに生まれている赤ちゃんが、ルシアさんの赤ちゃんの生まれ変わりって可能性も0じゃないのだから。
「……私の子どもに、生まれ変わらなくていいわ。こんなスリの子どもじゃ幸せになれないし」
「そう思うのなら、胸を張って誇れる自分を今度こそ目指して下さい。
そして、世界に生まれる誰が赤ちゃんの生まれ変わりでも大丈夫なように、幸せになれる様に一緒に環境を作っていきましょう」
ルシアさんの顔が迷いを浮かべ始めた。
やりたい、って思ってくれているのは間違いない。
でも、今までやってきたことの罪悪感とか、蟠りとかが邪魔して、素直にやります! と言えない感じ。よーし、もう一声。
「あ、あと、引き受けてくれたら囚人扱いを解除して、皇立孤児院正職員見習いとして雇います。初任給は週に少額銀貨二枚、食費、生活費抜き!」
「二? 元犯罪者に本気?」
「孤児院の保育士の正職員の給料と同じですよ。今まではリタさんに預かって貰ってましたけどルシアさんのお給料も少額銀貨一枚、入っている筈です」
「嘘!」
「で、『保育士』の為の研修を受けて、技術と知識を身に付けたら主任であるカリテさんと同クラスで少額銀貨三枚にします。これは資格、技術手当ってことで。
確か、字が読めるし、計算もできるんですよね?」
「そりゃあ、数が数えられなきゃスリなんてやってられないし」
「加えて頭の良さと、度胸も買ってます。
とっさに私に財布を押し付けて、罪を被せようなんて機転は普通の人間にはなかなかできませんからね」
「そ、それは……」
「一応、褒めてるんですよ。子どもっていうのは本当に行動の先が読めないし、臨機応変に刻一刻と変わる事態に対応していく応用力が必要ですから」
この世界の物価を簡単に向こうと換算できないけど、アルケディウスにおける一般的な荷運び人足の一日分の給料は大体高額銅貨二枚くらい。
草刈りなどの単純作業で高額銅貨一枚前後。女性の職場としてはかなりいいシュライフェ商会でも普通のお針子さんの日給は高額銅貨一枚~二枚だと聞いた。ゲシュマック商会は羽振りがいいし、私も援助していたから高額銅貨二~三枚。週給 少額銀貨二枚。努力次第で昇給アリ。
農作業は重労働だし優遇する様にしているから高額銅貨二枚が最低賃金と決めている。
但し、これは上澄みで。各家に雇われている召使などの給料は雇い主の人間性に準拠する。中額銅貨一~二枚。酷い所になると生活費と相殺、ほぼタダ働き、なんて所もあるらしい。
職人は見習い時代はほぼタダ働き。一人前になって定期的に仕事をこなして、なんとか日給高額銅貨二枚くらいだ。
その中で保育士の給料は日給換算でいうと一日高額銅貨四枚くらいだから、かなりの高給だと自負している。孤児院で働きたくて子どもを作ろうとする、なんて話も意外にマジなのかも。
「それに孤児院にいれば、トム君にもしっかりとした教育を与えられますし、少なくともスリの片棒など担がせずにすみます」
「トムに、教育を?」
「はい。本人が望めば職人、戦士、商人。どんな道にも進めますよ。
身元保証人には私がなりますし、お母様にお願いすることもできます。
グローブ一座で俳優をしている子もいますし」
「…………」
「貴女に『保育士』の知識を教える講師は元貴族の奴隷でしたけれど、ゲシュマック商会の商会長と結婚して近々王宮の子ども達の教育係として城に上がります。私の随員の一人は元娼婦でしたが騎士貴族と結婚して貴族になることになっています。
昔とは違う、今は女性でも、子どもでもやろうという意志があれば上に上がる機会が与えられています。そして貴方の前には機会があります。
どうしますか?」
こうして、本格的なスカウトをかけるのは二度目だな、と思う。
プラーミァのノアール。
彼女もまた奴隷から機会を経て、上に上がった。
最終的には違う形の上、になったけれど、私との出会いが幸せを掴むきっかけ、変わるきっかけであったと言ってくれている。
まだ私は、世界全ての女性を助けることはできない。
手の届く人。目に見える人を助けるのが精一杯だ。偽善だと言われればその通りだと頷くしかない。
でも、こうして手の届く範囲から少しずつ輪を広げて行けば、いつか不幸な女性を無くせるか、減らしてくことができるかもしれない。そう信じたい。
逡巡の時間はそうは長くなかった。
「解りました。私で良ければ、お受けします」
ルシアさんは、そう言って私の前に膝をつき、頭を垂れた。
「何ができるか。ご期待に添えるかどうかわかりませんが」
「ええ。よろしくお願いします」
彼女の手を取り、私は立ちあがらせて抱きしめた。
ぎゅうっとね。
「ちょ! 皇女?!」
「全力で応援しますし、援助もしますよ。貴女は、私の希望、夢ですから」
夢の後継者に、未来の保育士候補にエールを送る様に。




