異界 精霊達の内緒話 後編
まるで地震か雷雲か?
荒れ狂う空気の揺らぎ。
彼らは、千年余の人生? の中で、初めての経験に驚愕していた。
精霊達が疑似クラウドと呼ぶある種の特殊空間。
人の立ち入ることのできないこの領域がここまで揺らぐとは。
そして単なる映像に過ぎない筈の映像が、ここまで変化し周囲に影響を及ぼすとは。
最初は単なる揺らぎであったのが、徐々に激しさを増している。
その中心にあるのはラスサデーニア。彼らの末弟だ。
「落ち着け。ラス。気を静めろ!」
「知るもんか! 分からずや! 僕はマリカを守るんだ!」
金の髪、緑の瞳。
薄い緑の燐光を放ち、周囲を威嚇する様に稲光と触手を奔らせる少年を、兄弟達は訳も分からず見つめていた。
彼ら『精霊神』と呼ばれる存在達が居住するこの空間を疑似クラウド、と名付けたのは地球の科学者の一人だった。
確かに存在するが厳密に『何処』に存在するかは不明。
けれど、彼らが繋ごうと思えば直ぐに繋がる不思議な異界は精霊神達の直ぐ側に雲のように漂っている。
地球時代、インターネット全盛期。
地球人は端末さえあれば電脳空間という広大な世界に、誰でもアクセスしその情報を閲覧、利用することができた。
特殊な空間に情報が置かれ、それを活用していると理解できても、一体どこにあるか、と問われてはっきりと電子端末以外の場所を指させる者は少ないだろう。
確かに有る。けれども現実世界には存在せず権利と方法を持たない者には触れることもできない世界。正しく雲、クラウドのような場所が彼らのいる空間だった。
おそらくナノマシンウイルスに起因するもの。能力者達と彼らの影響を受けるナノマシンウイルスがネットワークを作り、具現化されたものだと言われていたが、それもはっきりと証明されたわけではなかった。
ただ、コスモプランダー襲撃の際、実質的な影響を避けるためにナノマシンウイルスと同化して肉体を捨てた彼らには現実世界に身の置き場所がなく、必然的に新たな異空間が居場所となった。
互いの領域の情報は共有できるし、取り込んだ情報の閲覧。リソースがあれば再生も可能。自分の色に染めたナノマシンウイルスの影響が強い領域であれば、現実世界の情報も容易く見ることができる。
人が呼吸をするのと同じように、魂に馴染んだ疑似空間。
常に静かな閉鎖エリアが、まさかこんな荒れようを見せるとは。
『神』と名乗り、呼ばれて久しい彼らにとっても初めてに近いできごとだった。
「落ち着け。ラス! 何故、そんなに荒ぶっているのだ!」
「アーレリオスが自分の娘を、マリカを処分するなんて言うからだろう!
僕はそんなこと、絶対に許さない! マリカは僕が守るんだ!」
「ラス!」
言っていることは、彼の状況程におかしくはない。
おかしくはないが、それでもいつもの冷静さは無くなっている。
元々、兄弟達の中の最年少でありながら彼は大人びた様子を見せる子どもだった。
大人でさえ、正気を失いそうな状況に耐える精神力も持っている。
「アーレリオス! ラスから、正確には涙から異常信号が発せられている!」
「何?」
光、電気信号に強い適性を持つ光の精霊神が彼の周囲の燐光を解析したようだ。
「はっきりと汚染されている訳じゃない。ただ、何らかの『命令』を受けて、それがラス自身の願望と共鳴。異常、いや違う。過剰反応を起こしてるんだ」
「よく解らんが、とりあえず一回強制停止させて再起動かければ、元に戻るだろ?」
「そうだな。オーシェ。ロイス。念の為、この空間を閉鎖してくれ。
万が一にもステラに誤作動を起こさせるわけにはいかない」
「解った」「今すぐやる」
「ジャハール! 後ろに回り込んでラスを捕らえろ。キュリオはジャハールがラスを捕まえたら電気ショックだ」
「任せろ」「了解」
「ナハト!」
「解ってる」
兄弟神達に指示を出した後。
彼、火の精霊神はゆっくりと弟に近づいていく。
「ラス……」
「来るな! 父親のクセに! 真理香先生の愛情を盗ったクセに!
自分の娘も守る気が無いなんて、サイテーだ!」
「守らないなどと、誰が言った?」
「自分の娘より、星と子ども達が大事なんだろう?
ああ、流石に君は大人で、理想的で優秀な神様だよ!!」
「星と子ども達は当然守る。真理香との約束だしな。
だが、同時に娘も守る。どっちも守ってこその『神』だろう?」
「はあ?」
駄々をこねて暴れる子どものように感情を叩きつける弟に、彼は笑って見せる。
不敵に。余裕をもった大人の顔をして。
振り上げた手を下ろし損ねたのか?
目を丸くして動きを止める少年神は、余裕綽々の兄に気をとられている。
背後から近づく者を察せられる筈もない。
「俺は命、いや、存在に代えてもマリカを守る。
お前は違うのか? ラスサデーニア。いや。ミハエル?」
「……シュリア」
と、次の瞬間、周囲が一気に闇に包まれる。
手を伸ばせば届きそうな距離にいた二人、互いの姿さえ見えない程の濃い闇の中。
「よし! 捕った! キュリオ!」
「任せて! ゴメンよ。ラス!」
「! うわあああっ!!」
暗闇の中に一瞬、絶叫を上げる金色の少年の姿が浮かび上がり、そのまま崩れた。
「ラス!」
ここは無重力空間。
倒れて床にぶつかる心配は無いが力を失った弟の、細い身体を火の精霊神は抱きとめる。
髪の色は元に戻っている。目を閉じているので見えないが瞳の色も同じと思われる。
安堵の息を吐きながら。
「……プログラムに深刻な汚染はなし。
一時的にシンクロしただけか? とりあえずは良かった」
額に手を当てて、スキャンを走らせていたのだろう。いつも通り異常のないデータが返ってきたことに改めて安心して、火の精霊神は肩の力をようやく抜いた。
「さっきのはなんだったんだ?」
兄弟を心配する様に皆、集まってくる。
状況が理解できず、首をかしげる風の精霊神に、地の精霊神が冷静な考察を伝える。
「マリカを守りたい。そんなラスの思いが、娘を見捨ててもこの星を守る。と言ったアーレリオスの言葉にキレて暴走した。いつもなら理性で抑え込める筈だが、今回はそれを後押ししたものがあって暴走した、というところか?」
「後押ししたもの、って?」
「オリジンの意志、だろう。元々、ラスはマリカと物理的に近い位置にいる。
最後に肉体に憑依もした。接触したことも少なくない。
無論、軽い接触くらいでリオンのようにバックアップ的なものが作れるほど我々プログラム体に深い介入はできなかろうが、思いを増幅、もしくは同調させるきっかけが付着。暴走を誘導してしまったのかもしれないな」
「そこまでやるか? っていうか、できるのか?」
「マリカ本人はやらんだろう。マリカの中のオリジン。
その自動防衛プログラム、ではないかな?」
「自動防衛プログラム?」
「自分達が滅びる事の無いように、ナノマシンウイルスは感染者を変化させていく傾向がある。
健康になったり、肉体が滅びにくくなったり、後は外見が美しくなって周囲に好かれやすくなったりもだ」
「ああ、そういうこともあったね。精霊としてオートで起動するとアバターがなんでか美麗になるのはそのせい?」
「多分な。そもそも人を不快にさせる醜悪な形に作れないし」
彼らの考察を知る由もなく、長兄の腕の中で末弟は眠り続けていた。
眠りは肉体を失っても、彼らにとって必要なものとして訪れる。
そっと幼子を誘うように額の上で手を翻す兄。
この一時が、娘を本当に大事に思ってくれる弟にとって、苦しいものになっていないことを祈るかのように。
「今日の所は解散だ。
ラスは俺が領域に戻す。皆、念の為のチェックと洗浄は怠るなよ」
「解った。でも、いいの? 安全だと思ってたこの疑似クラウドもそうではないってことだよ?」
「元々、マリカは幾度となくこの空間に入っている。
今後も呼ぶ機会はある。かの存在が本当に実在して我々に爆弾をしかけようと思えばできるし、逆にそんな動きがあったとしたら、尻尾を掴む機会となるやもしれん」
「解った」
弟をお姫様だっこのような形で抱き上げた長兄に、兄弟達は同意する。
「レルギディオスとの和解がなった以上、今の所この星を脅かす脅威はない。
マリカと星の軌道を注意深く把握しながら様子を見ていくしかないだろう」
「そうだね。オリジンも完全な敵、とは限らないし」
「味方、という感じもしないがな。マリカの身体で何をしでかすつもりなのか?」
水の精霊神の疑問は、皆の疑問ではあるが当然、答えは出ない。
「とにかく、今は現状を守る事に専念する。
今日の事はマリカには勿論、ステラやレルギディオスにも秘密だ。
下手に藪を突いて蛇を出したくはないからな。
ナハト。星の運行と、周囲には特に注意して観測を続けてくれ。
……特に異物の接近には」
「解った」
帰還の為に閉鎖空間が解除されたのを確認して、まずは火の精霊神が弟と共に消え、後は皆それぞれに帰っていった。
最後に残ったのは、風の精霊神。
「俺も、心情的にはラスと同じ、なんだよな」
独り言のように本心を虚無の空間に踊らせる。
「マリカやリオンを絶対に不幸にしたくないし、アーレリオスが消えるのもヤダ。
こう考える事自体、俺ももしかしたら汚染されているのかもしれないけど……。一人でこう悶々と考えるのは苦手だし向いてない……。
よしっ!」
ふわり、と。
風に溶ける様に最後の一人が消え、白い空間には静寂が戻っていった。
さっきまでの騒動など夢であったかのように。




