皇国の大祭 三日目 貴族子弟視点 元負け犬の決意
さんざん裏方で働かされ、体力を消耗していた私は、解散後、貰った給金で腹ごしらえをしていた。場所はゲシュマック商会本店。
中央広場にも飲食の屋台は出ていたがその殆どが完売しており、おそらく手ごろに食べられるのはゲシュマック商会だけだろうと聞いていたからだ。
腹立たしいが列に並び、クレープを購入した。飲み物はエール、と呼ばれる麦酒を選択。ここで食事をするだろうと解っていたかのように与えられた金額ぴったりだったのも悔しいが、文句をつける気力もなく、俺は料理を購入し、近くのテーブルに陣取った。
大きく息を吐きだすと、周囲のお客たちが色々と噂話をしているのが聞こえてくる。
初日の『聖なる乙女』が舞って見せた舞が素晴らしかったとか、同じく初日に第三皇子家が家族総出で大祭見物に来ていて、一緒に踊ったとか。まるで雀が囀るかのようで、私は黙ってエールを半分、一気に呷った。
「……なんだ? これ、美味い」
麦酒はさっぱりとした飲み口なのに、味が濃い。
その上、コクとキレがあって口の中に残る後味がたまらない。とんでもない美味さだった。今まで酒と言えば大聖都の葡萄酒が殆ど。ここ数年でアルケディウスの各領地で酒蔵が開かれ、醸造が始まっていたが、スィンドラー家の領地は、まだ蔵を開かせて貰うまでに至ってはいなかった。
思わず叫んでしまう。
「大貴族だってまだ殆ど飲めない麦酒を、金を払えば王都では誰でも飲めるのか?
なんで、こんなに王都と領地は違うんだよ!」
心の中に留め、言葉にはしなかったのは、一応の自制心だ。
ジョッキを置いた音が高く響いても祭りの宵、周囲には気にする者もなく噂話を紡ぐ嘴は止まることを知らない。
「そういえば、明日、グローブ一座の追加公演があるんだって? 見に行く?」
「勿論! 今日、あちらこちらでお芝居の宣伝、やってたもんね。なんだか大祭とは少し違う演出なんだって、時間制限が無いから大祭の時よりも登場人物を掘り下げるみたいだよ」
「え~! 楽しみ!!」
私は慌ててクレープを口の中に押し込んだ。これも美味ではあるのだが、正直味わう余裕は無い。
グローブ座の最新作『皇女マーシャの事件記録』は、スィンドラー家が悪役のモデルになっているともっぱらの評判だ。金に煩いシンドルフ家の大貴族と我儘な夫人、そして放蕩息子。領地で公演された時には民は大うけ&大笑いであったという。
だが
「私もねえ、最初は悪役一家の事、嫌いだったんだけどちょっと納得したり共感したりしちゃったよ。あの奥さん、恋人いたのに領主に見初められて親に無理やり結婚強いられたって少し可哀想な気がしたし」
「息子もね。ある意味気の毒かも。不義の子かと疑われて、それなら何も与えずにダメ人間に育ててやろう、っていうのが辛いなあ。子どもって親に育てられたように育つからね」
「劇のセリフにもあったよね。
『花に水が必要なように、作物に光が必要なように。
人には愛が必要なのだ』とか『好きの反対は嫌いでは無く無関心』とかね」
「なんだか、別世界だと思っていたお貴族様も同じ人間なんだなあって思っちゃうよね。
明日の公演、ちょっと応援しちゃお」
気付けば、涙が零れていた。
自分は大貴族の子だから。普通の人間とは違うのだと思っていた。つもりだった。
けれど、自分を知りもしないだろう庶民のさり気ない一言が、まるで雷のように全身を貫いた。
『お貴族様も同じ人間なんだなあ』
って。
私は、いや俺はずっと庶民どころか、自分以外の人間が、同じように考え、悩む人間だと思ったことは無かった。
何かをして貰うのは当たり前だと思っていたし、尊重されるのも当然なのだと思っていた。それでいいと、母上は言ったし、周囲も自分達が同じ人間なのだと言わなかった。
考えてみれば、当たり前のこと。なのに、自分にはそれが解っていなかったのだ。
致命的に理解していなかったのだ。
自分と周囲が同じ人間であると認識し、比べてみれば自分の無能さが解る。
エンテシウスのような才も情熱もない。
最低限の読み書き計算さえおぼつかない。
部下に任せればいい、という考えは、言い換えれば部下がいないとなにもできないということであり、部下が悪事をしても気付かない、ということでもある。
もう、その日、その後のことは何も覚えていなかった。
どうやって孤児院に戻ったのかも記憶はない。
ただ、布団にもぐって自分という存在の愚かさと小ささに、震えることしかできなかった。
翌日
「おはようございます! いい朝ですな!」
「エンテシウス!」
「ほらほら、公演日に寝呆けている暇など劇団員にはありませんぞ。
朝から今日は皆、忙しいのです。お手伝いを願いましょうか?」
「こら、待て! 放せ!!!」
俺のテントに勝手に入り込んできたエンテシウスは、強引に布団か引きずり出すと舞台の準備をする劇団員の中に放り込んでいった。
そして逆らう事もできぬまま、荷物の積み込みやらを手伝わされ、気が付けば、俺は中央広場の仮設劇場。その舞台袖に立っていたのだった。
「これから、我々の芝居が始まります。
貴公が芸人ごときと蔑んだ技が、いかようなものか?
その目でとくとご覧いただければ幸い」
「な、なんで俺が……」
言いかけたが、そこから先は告げることができなかった。
袖から覗いた客席は満員。
奥には特別に設えた貴賓席まであるようだ。皇女や第三皇子ならまだ解るが、第一皇子どころか皇王陛下まで来ていることにちょっと震えてしまう。
彼らの舞台は、王侯貴族が自ら足を運ぶ程に、素晴らしい物なのか、と。
そして、上がった舞台の先に広がる世界を見た瞬間、俺は、自分の過ちと敗北を感じた。
煌めく照明。
眩い衣装。
美しい音楽と眉目秀麗な芸人達。
生まれて初めて見るアルケディウス、いや大陸でも頂点に近い場所に立つとされる彼らの技は、演技は素晴らしかった。
ああ、悔しいけれど認めるしかない。
俺は負け犬だ。
この世の中には、こんなに美しいものがあるのだということを。
主人公達はおろか、悪役でさえも輝いて見える。
自分達が題材だということが、羞恥や怒りより先に誇らしくなるほどに。
負けを認めるのが嫌だった。
常に自分が場の中心でありたかった。
自分を認めて大切にして欲しかった。
他人のことなど、どうでも良かった。
けれど、気付いてしまえば無理な事だと理解する。
当たり前の事さえできない、やろうとしなかった自分が、皆と同じになれるわけがない、できるわけはないのだと。
けれど、舞台のクライマックス。
皇女役を務める少女が、放蕩息子の悪行に怯む民の前に言ってのけた一言が胸を打つ。
『物事は、できるかできないか、ではなく。やるかやらないか』
涙がこぼれて止まらない。
そこでできない、できっこないと諦めてしまえば、何も変わらぬと。
でもやれば何かが変わる。例え失敗したとしても今までとは違う何かが始まるのだと。
生まれて初めて、心が動いた。
自分の意志で。思いでこぶしを握り締める。
大貴族の子、ではなく一人の人間ダヴィドとして、やりたいことができた。
万雷の喝采を浴びて戻ってきたエンテシウスの前に、俺は膝を付いた。
「俺が間違っていた。許して欲しい。そして……」
父にも、母にも、王家の者達にも告げたことの無い言葉を、謝罪を。
そして。
震える手を、怯える思いを必死に押し隠して希う。
「俺を一座においてくれないか?」
俺を見やる、解っていた、というような、奴の勝ち誇った笑みが悔しい。
俺は今、負け犬だ。
でも、負け犬でもいい。変わりたいと、生まれて初めてそう思えたのだ。
「!」
気が付けば、俺の前には手が差し出されている。
「ようこそ、グローブ一座へ。歓迎しましょう。
ダヴィド」
先を行く先達の、遥か高みから。
でも確かに自分に向けて差し出されたその手を、俺はしっかりと掴み、握りしめた。




