風国 進むものと置いていかれるもの
「に……逃げたのか?」
「まさか、転移魔術?」
「だが、そんなに簡単にできるものなのか? しかも転移陣も使わず、部下まで連れて?」
「いや、それよりも公爵! 盟約書が奪われてしまったぞ! あれを女王に見られたら、我々は叛意を問われ、罰せられるのではないか?」
映像の向こう、貴族館の応接間では、フェイを唆して懐に引き入れ、アマリィヤ女王陛下を退位へ追い込もうとしていた貴族達が右往左往していた。
その様子を、くくっと愉しげに眺めながら、
「やるな。フェイ。 だが、ちょっとツメが甘いな。どうせやるなら、奴らの中へ入り込んで計画や弱点を探り、それから最後の最後で裏切る……いや、表返るのが一番面白かったんじゃないか?」
ジャハール様は少しだけダメ出しをする。
確かに、ちょっと盛り上がりと決定的な証拠には欠けるかもしれない。
でも、計画の内容を確認し、毒を盛るために買収された部下の存在まで把握し、そのうえ誓約書まで手に入れたのだ。
裏付けさえ取れば、反逆罪で目の前の老人達から権力を取り上げることくらいは十分できるはず。
プラーミァで兄王様も言っていた。
国王や王族への殺害未遂は極刑だ、と。
「フェイ一人のことだったら、それもアリだったかもしれません。
でもフェイは今、大聖都の神官長という役職を背負っていますし、アルケディウスには家族もいます。
あまり危険な橋は渡らせられませんよ」
「まあ、それもそうか」
シュトルムスルフトに残る膿を一掃するには、これで十分なはず。
あとは老人達から権力を取り上げるのか、次代へ挿げ替えるのか。
やりようはいくらでもある。
「しかし、本当に単純な連中だな。
弱みを握るでもなく、脅すでもなく、捕らえるでもない。そんな穴だらけの交渉で、フェイを自分達の手駒にできると本気で思っていたのか?」
「今まで、何でも思い通りになってきたのでしょう。
だから、自分達とは違う価値観を持つ者の存在を理解できないんです。
王にしてやると言えば、喜んで尻尾を振ると思われていたんですよ。きっと」
「子どもというか……フェイを完全に舐めてるな。 困ったもんだ」
王の杖を継承していることが分かっているのだから、少し調べればフェイが転移術の使い手だということくらい分かるはずだ。
本気で捕まえるつもりなら、それ相応の準備が必要だった。
杖を使えないよう両手を拘束するとか、ピュールが言っていたように護衛や従者を人質にするとか。 あるいは私を利用して脅迫するとか。
そんな手段すら取らず、逆らわれることも考えず、自分達の思い通りになると思った時点で甘すぎる。
子どもというものは、大人の思い通りになど決してならないのだから。
逆にフェイは、敵がどんな手に出るかくらいは十分計算していたはず。
だからアルとリオンを同行させたのだし、目的を果たせば即座に引き上げた。
現実の変化も、人の変化も見えていない。
意識のアップデートすらできていない相手を恐れる必要なんてない。
変わりゆく時代に置いていかれるだけだ。
あとは、万が一にも私が捕まって、フェイやアマリィヤ様の足を引っ張るようなことにならなければいい。
「マリカ」
「はい。ジャハール様」
映像を閉じたジャハール様は、私が持ってきた精霊石をぽんと放って寄越し、腰に手を当てる。
「基本的に今回の件はアマリィヤ達に任せておけ。 お前や俺が手を出すほどのことじゃない」
「分かりました」
「さっきの光景はアマリィヤの所にも届いている。 フェイが今回の件を報告し、二人で詰めを誤らなければ、最終日の舞踏会で奴らの断罪と破滅は確定だ。
先代が残した汚れも誇りも、全部掃き出してシュトルムスルフトの大掃除は終わる」
「そうですね。
あとは家族を連座にするのか、頭だけを挿げ替えるのか。その辺りを調整する段階でしょう」
「ああ。どうしても往生際が悪いようなら、その録画データを使えばいい。
お前が精霊石を手に願えば、皆の前で再生もできる」
「便利ですね。
これがあればフェイの結婚式も録画して残せたのでは?」
「ステラとエルフィリーネは、多分この間の結婚式を映像データとして残しているぞ。
だが、俺達が楽しむだけならともかく、人間の記録として残す技術は人間自身の力で作らなきゃ意味がないだろ?」
「ステラ様も、そう言えば同じことをおっしゃっていましたね」
優しいようで、こういうところは甘くない。 それが精霊神様達だ。
「そろそろ頑張ればビデオくらい作れるんじゃないか? しっかりやれよ。お前達には期待してる」 「はい。微力を尽くします」
私は素直に頷き、神々の領域を後にした。
精霊石の間を出て、外で待っていてくれたカマラと合流する。
神殿から王宮へ戻ろうとした、その時だった。
「な、何をするのですか?」
「無礼な! ここは神殿です! しかも聖なる乙女がお渡り中ですよ!」
「ええい、黙れ! 風の精霊神の血を引く公爵に、生意気を申すか!」
神殿の護衛兵や神官達を押しのけ、ずんずんと中へ踏み込んできたのは……
ああ、やっぱり。
さっきの公爵だ。
「どうしたのですか?」
「ああ、大神官様。この方が大神官様と神官長に会わせろと……うわっ!」
先の騒動で入れ替えられた真面目な神殿長は何とか食い止めようとしてくれたようだけれど、血筋を盾に怒りのまま突き進む公爵を止めることはできそうにない。
ちなみに彼の名はキシュヒル公爵。
実年齢六十五歳だったかな。
頭頂部の艶が目立つ初老の男性で、口髭と顎髭が眩しい。
「エル・トゥルヴィゼクス。
大祭の良き日に神殿へお越しとは、何か御用でしょうか。キシュヒル公爵」
私は一歩前へ出て静かにカテーシーをする。
神殿の者達と公爵の間を遮るように。
けれど、そんな私の気遣いなど意にも介さず、
「大神官! 神官長はどこだ!」
公爵はそのまま詰め寄ってきた。
理由が分かっている私はまだいい。 でも、これは神殿の巫女であり、他国から招かれた賓客に向ける態度ではない。
少し怖い。
それでも顔には出さず、きっぱりと答える。
神殿は一種の独立国家。
他国の貴族に侮られる理由はない。
そして長である私には、配下を守る義務がある。
「存じません」
「何だと!」
「彼は神官長ですが、大祭の儀式はこの国の神殿が執り行います。
今回は一種の休暇であり、この国の王族としての職務や手続きのために来ているのです。
いかに大神官とはいえ、私的な用事へ口を出すことはいたしません。
ですので、申し訳ございませんが存じません」 「こ、この生意気な!」
「お止めください! 公爵!」
カマラや護衛達が止めなければ、胸倉を掴まれていたかもしれない。
遮られて距離ができたことで、少しは冷静になったのだろうか。
公爵は焦りを押し隠すように鼻を鳴らした。
「部下の行動も把握していないのか。
大神官とおだてられていても、所詮は小娘だな。 まあいい。ならば大神官、今すぐ私と一緒に来い!」
「お止めください! 失礼です!」
強引に私へ手を伸ばしてくる。
その手首を掴みかけた手の甲を、ぱしん、と打って止めたのはカマラだった。
「無礼者!」
「無礼なのはどちらですか? 国王陛下によって大祭へ招かれた聖なる乙女へ無礼を働くなど、公爵といえど許されません」
「女の、それも小娘の分際で私に意見するな!」
フェイが逃げた後の出来事は見ていないけれど、相当腹を立てているらしい。
まあ、無理もない。
でも私は何も知らないふりをする。
「私は神官長フェイを探しているのだ! 今すぐ出せ!」
「フェイを、でございますか? 何か彼が失礼をいたしましたでしょうか?」
「ああ。身内と思って甘い顔をしていたら、手痛い裏切りに遭った。
許すことはできん!
皇女を確保しておけば奴は必ず姿を見せる。
だから、一緒に……」
「その必要はありませんよ」
言い争う私達の間へ、涼やかなテノールが響いた。
「え?」 「フェイ?」
「僕はここにおります。
大伯父上。お話がお有りでしたら承りますので、皆に迷惑をかけないでください」
振り向けば、そこにフェイが立っている。
黒く冷たい――まるで魔王のような笑みを浮かべて。




