皇国 蝶の羽ばたきとその先のこと
アルケディウスでの政策会議を終えた私は、第三皇子家へ戻ると、早速計画案の作成に取り掛かった。
「マリカ。ここの計算が間違っていますよ」
「あ、ありがとうございます。お母様」
「まだ時間はありますから、焦らず、ゆっくりと。時間よりも正確さが大切です。
間違えないよう、一つ一つ丁寧に進めなさい」
「はい」
何の計画案を作っているのかといえば、学校整備事業についてだ。
――農作物の転売防止のための。
学校整備事業が、なぜ農作物の転売防止につながるのか。
そこには、政治というものの難しさがあった。
私は、不老不死の時代が終わった後も、人々が安心して、元気に暮らせる社会を作りたいと思っている。
そのため、大聖都の大神官に就任してからは、国と神殿の二重取りとなっていた税金を半額以下まで引き下げた。
以前のような強制徴収は行わず、納税にも猶予期間を設ける。
人民税は個人納付が原則だけれど、商店勤めの人なら雇用主がまとめて納めたり、領主が一時的に立て替えたりすることもある。
要は、神殿名簿へ登録された人物の税が納められていれば問題はない。
市民の手元へ少しでもお金が残り、生活に余裕が生まれるように。
そして、その余裕で新しい食文化や暮らしを楽しんでもらえるように。
そんな思いから始めた施策で、概ね好評ではあった。
けれど、そこには一つ、大きな落とし穴があった。
ほとんどの国の大貴族達は、私の意図どおり減税分を民へ還元してくれた。
しかし、一部の強欲な貴族達は違った。
減税を領民へ知らせず、例年どおりの税率で租税を徴収。
神殿と国へは減税後の税額だけを納め、差額をそのまま懐へ入れていたのだ。
さらに、盗賊に租税分を奪われたなどと言い訳をして納税を逃れたり、収穫物を現金で納めた上で、その収穫物をさらに高値で転売する――いわば転売屋まがいのことまでしている者もいるという。
最初にガルフから報告を受けた時、私はその話を深刻に受け止めきれていなかった。
けれど政務会議で、次期皇王となるケントニス様から指摘を受け、念のため各国王陛下へ確認を取ってみると、他国でも似たような事例が起きている、あるいは、そのような不正を行っていると思われる貴族がいるかもしれない、という返答が相次いだ。
……最低だ。
でも、この件については私にも責任があると思う。
税制や領地経営について理解したつもりで、本当は何も分かっていなかった。
それに、私が接してきたのは国王陛下や侯爵家など、比較的良識ある方々ばかりだった。
だから、『悪い領主』という存在をどこか甘く見ていて、結果として彼らにつけ入る隙を与えてしまったのだ。
『お前が責任を感じる必要はない。責められるべきは、大貴族共を躾け切れなかった王家だ』
各国の王家の皆様は、そう言ってくださった。
けれど、不老不死時代には減ることなど一度もなかった神殿管轄の人民税を、深く考えずに減らしてしまったのは私だ。
大神殿に蓄えられていた税収が膨大だったこと。
一部の司祭達が私腹を肥やしていたこと。
それらは事実だったとしても、もっと慎重になるべきだった。
一つの行動が、思いもよらぬ結果を招く。
まさに、バタフライエフェクト。
まさか減税が、食料品の転売増加へつながるとは予想もしていなかった。
けれど、それも一つのきっかけに過ぎない。
今まで、勢いだけで走り続けてきた私へ返ってきた、当然の結果なのだろう。
『この件につきましては、新年の国王会議までに大神殿が責任を持って改善案をご提示いたします。
内容に問題がなければ、ご協力をお願いできますでしょうか』
そう各国王家へ連絡し、大神殿とアルケディウスを往復しながら計画書の作成に取り掛かって三日。
本格的な、しかも国家をまたぐ事業計画書を作るのは初めてで、本当に苦労した。
私は基本的に保育士。
現場で働く実務屋の人間だ。
これまでは申請や根回し、こうした書類仕事はフェイやガルフ、ミリアソリス達が引き受けてくれていた。
けれど、大神殿の責任者は私。
「分かりません」では済まされない。
お父様の提案を基に、各皇子やフェイ、リオン、神殿長フラーブ達とも相談しながら、一つ一つ具体的な形へ落とし込んでいく。
書類作成は、お母様も手伝ってくださった。
「なんとか形になってきたわね。この内容なら、各国王家も大貴族達も、税金の復活に文句は言えないでしょう」
「そうだといいんですけれど……」
「明日からはシュトルムスルフトの大祭へ向かうのでしょう?
細かな修正は、留守の間に皇王陛下や皇子達へ添削していただきますから」
「よろしくお願いします」
内容としては、神殿分の租税を元へ戻す代わりに、その税収は経費を除き、全額を福祉の充実へ充てるというものだ。
具体的には、各国へ学校を建設し、希望する者なら誰でも、読み書きや計算を無料で学べるようにする。
さらに学校では、一日一回の給食も提供する。
教師は基本的に神殿職員が務め、生活相談や家庭環境の支援も担当する。
最終的な目標は、国民の識字率を限りなく一〇〇パーセントへ近づけること。
王都では孤児院や学校も少しずつ定着してきた。
けれど地方では、まだまだ「領主が王様」のような地域も多い。
それを改善し、人材育成と貧困対策の両立を図る。
子ども達を学校へ集めれば、特別な能力や才能を持つ子どもを早期に発見し、保護・育成することもできる。
単に最低限の知識を与えて終わるのではない。
その先の未来を作ることこそが、今回の施策で一番重要な目的だった。
大聖都には大学に近い教育施設も設立する予定だ。
各国に伝わる精霊古語の写本などを、試験に合格するという条件付きではあるけれど、身分に関係なく自由に閲覧できるようにする。
さらに大規模な研究施設も併設し、科学や化学の発展を目指すと同時に、能力者や魔術師の育成も行う。
科学と魔術が融合すれば、これまでにない新しい発想や技術が生まれるかもしれない。
今後のアースガイアにとって重要な施策になることは間違いない。
「一度下げた税金を再び上げるとなれば、やっぱり文句や反発は出ますよね?」
「それは、どうしてもね」
お母様は私を見守るような優しい笑みを浮かべながらも、現実の厳しさを静かに告げられた。
「福祉の充実は、直接恩恵を受けられない者もいるわ。きちんとした統治をしていた領地では、減税によって民の手元にお金が残っていた。そのお金を再び徴収され、自分には関係のない所へ使われると思えば、不満を抱く者もいるでしょう」
「はい」
「私腹を肥やしていた大貴族や、その取り巻き達はなおさら反発するでしょうね。彼らの力を削ぐことも今回の目的の一つだから、それ自体は構わないけれど、王家や神殿を悪し様に言いふらしたり、その鬱憤を民へ向けたりすることも十分考えられるわ。
施策が根付き、成果が見え始めるまでの数年間は、何かと騒がしくなるでしょうね」
学校教育というものは、始めたからといってすぐに成果が出るものではない。
お母様のおっしゃる通り、最低でも数年、さらにその先を見据えて続けていかなければならない。
そして、その過程では必ず様々な問題も起こる。
いじめ、不適切な教育、そもそも親や雇用主が子どもを学校へ通わせないといった問題も出てくるだろう。
「だからこそ、貴女がやることに意味があるのよ。大神殿の、『聖なる乙女』が進める施策となれば、人々も頭ごなしには反対しにくい。その間にきちんと結果を示せば、民も納得するわ」
「そう、ですね」
「全ての人に好かれ、誰もが納得する政治など存在しません。平穏の裏では、必ず誰かが負担を負い、苦しむものです」
お母様は、私が養女になる前から、人の上に立つ者としての在り方を教えてくださった先生だった。
生まれながらの王族として。
決して揺らぐことのない信念を持って。
その言葉は、乾いた大地へ降る慈雨のように、静かに私の心へ染み込んでいく。
今までの私は、子どもだった。
守られ、甘やかされ、多少の無茶をしても「まだ子どもだから」と許されてきた。
でも、それではもう駄目だ。
これからは通用しない。
いや、通用させてはいけない。
自分の何気ない一言や、一つの決断――蝶の羽ばたきが、どれほど大きな嵐を呼び起こすのか。
その先まで考えられる人間にならなくてはならない。
「それを覚悟し、受け入れた上で、時には民に恨まれようとも未来のための施策を行う。それが王族であり、上に立つ者の務めです。貴女もこれからは一人の大人として独り立ちし、新しい王家と家族を築いていくのですから、そのことを忘れてはなりませんよ」
「はい。お母様」
大神殿に新たな王家を築き、大神官という名の王になる以上、今までのように面倒事はフェイへ任せ、自分は儀式だけしていればいいというわけにはいかない。
現実はゲームや小説のように、「何々が完成しました」とは進まない。
一つ一つ積み重ね、少しずつ形にしていくしかないのだ。
「まあ、時には息抜きも大切ですけれどね。無理だけは禁物ですよ」
「ありがとうございます」
「今年の大祭は、貴女にとってアルケディウスの娘として迎える最後のお祭りになるでしょう。皆、特別なものにしようと張り切っていますから、思い切り楽しんできなさい」
成人式、そして結婚式まで、あと四か月あまり。
学ばなければならないことは山ほどある。
お母様はそうおっしゃるけれど、多分、私は大祭を楽しむ余裕なんてない。
舞を奉納し、大貴族夫人方へ挨拶をして回り、農作物転売防止への協力をお願いし、さらに科学会議や魔王の島調査へ向けた準備と根回しも進めなければならない。
やることが山積みなのだ。
私の頭の中には、『大祭を楽しむ』という発想は少しもなく、自分の失敗をどう取り返すかでいっぱいだった。
だから私は、再び提出書類の最後の仕上げへ向かい机に向かう。
お母様がどこか楽しげに、何かを企んでいるような笑みを浮かべていたことにも、最後まで気付くことはなかった。




