空国 素晴らしき神の恵み
フェイとソレルティア様の騒動の翌日。
私はリオン、カマラを連れてヒンメルヴェルエクトへ向かった。
マルガレーテ様に頼まれて、アルも連れてきている。
誘拐犯だから、嫌だったら断ってもいい。
そう言ったのだけれど、アルは自分から来ると言ってくれた。
「この度は、ご迷惑をおかけして申し訳、ございませんでした」
王城の応接間で、何よりも、誰よりも先に私へ深々と頭を下げたのはマルガレーテ様だった。
その側でオルクスさんも、申し訳なさそうな顔をしている。
人払いされた部屋に立ち会うのは、アリアン公子だけだ。
私は首を振り、マルガレーテ様を席に促す。
「謝罪を受けるべきなのは、私ではありません。
あの時は分からなかったお気持ちや事情も、少し理解できたつもりです。
ですが、改めて詳しい話と、貴女の思いを聞かせて頂けますか?
マルガレーテ・レノヴァ様」
「……私の、向こうでの名をご存じだったのですか?」
「いいえ。申し訳ありませんが、私は存じ上げませんでした
でも、ラールさんが教えて下さったんです。
アメリカで売り出し中の歌手だったそうですね」
「ラールお兄様が……」
「アメリカ?
マルガレーテ。まさか君は本当に……」
「アリアン公子」
目を瞬かせる公子に、私は静かに問いかける。
「公子は『星』と精霊神様が贈られた夢。
『創造の物語』をご覧になりましたか?」
「あ、ああ。
『星』と『神』と『精霊神』は、進んだ文明世界から悪魔に追われ、子ども達を連れてこの地に降りられた、と」
基本的なところが分かっているなら、少し踏み込んだ話をしても大丈夫だろう。
大きく深呼吸をして、私はオルクスさんとマルガレーテ様に向き合った。
「現在『神』は『星』の元に在り……眠りについておられます。
そう遠くないうちにお目覚めになるかと思われますが、しばらくの間、皆様と冷凍睡眠されている子ども達の管理は『星』と『精霊神』様達がお預かりになるそうです。
ですから、大神官として。
そして『星』より下命を賜り、現状の確認を命じられた者としてお伺いいたします。
マルガレーテ様、オルクス様。
お二人は『神』の船によってこの地に辿り着いた、初代の地球移民でいらっしゃいますね?」
「はい。その通りでございます」
私の問いに頷いたのは、マルガレーテ様だった。
身分が上だからなのか、他の理由があるのかは分からないけれど。
「今、目覚めておられる『神の子ども』はどのくらいいらっしゃるのですか?」
「そう多くはありません。
現在、目覚めて外で生存している者の総数は、両手で足りるほどだとお父様はおっしゃっておられました」
「生存、ということは、亡くなった方もいらっしゃる?」
「はい。
特に幼い子の何人かは、目覚めて間もなく亡くなったり、外の世界の生活に耐えられず死んだりしたようです。
不老不死を得るまでの数百年にも、かなりの方が。
お父様は、彼らの魂を大事に保護しておられると聞いています」
この星で死んだ子どもは、ナハト様やステラ様の管理の元、新しい命に生まれ変わると聞いた。
『神』レルギディオスが、その輪の中に死んだ子ども達を入れず、おそらく疑似クラウドのような場所に保存しているというのは、この星の輪廻に入れたくなかったからかもしれない。
地球に帰りたいという強い思いを抱いて。
「長い宙での放浪の旅の中、お父様の力に守られていても、冷凍睡眠の限界を迎えた者は少なからずいたようです。
お父様は一刻も早く、はぐれた『精霊神』様や『星』と合流し、私達を目覚めさせようとしておられたと伺っています」
マルガレーテ様が目覚めたのは、不老不死の世になってから。
それ以前の詳しいことは知らないという。
ちなみにラールさんは言っていた。
「この世界は、僕達を住まわせるには狭すぎるし、古すぎる。
だから、僕達はこの星に根を下ろしてはいけない。
新しい船で地球に帰るのだ。
それがあの方の持論だったんですよ」
ラールさん自身も、アースガイアで目覚めた第一期生というわけではない。
百年に一人か二人くらいの割合で限界を迎えた子どもがいて、彼らは起こされ、地上に出された。
けれど多くが早死にしたという。
それも、彼の歪みに拍車をかけたのかもしれない。
「目覚めた者の中には、向こうでの記憶を持たない者もいたようですが、私やオルクスはあちらでの記憶を持っておりました。
そして、正直、あまりにも違う世界に絶望したのです」
コスモプランダーの恐怖から逃れられたとはいえ、彼らからしてみれば、急に異世界転生したようなものだ。
倫理観も文化も中世に近く、チート能力も当初から全員が使えたわけではなかった。
体力的にも精神的にも馴染み、生きることを楽しんでいたラールさんは、かなり例外だったのだろう。
多くの子ども達は、生きるだけで精一杯だった。
そこで『神』は、地上に降りた子ども達や神殿の者達を使って、『星』や『精霊神』の精霊石を奪い、子ども達のサポートに使ったのだという。
「不老不死の世になり、またお父様からお力を賜り、なんとか生きることはできました。
ですが、子どもには人権のない世界で生きるのは辛いものでございました。
私やオルクスは生き延びることができただけ、まだ運が良かった方。
死んでいった兄弟姉妹を思う度、お父様は地球帰還への思いを新たにされたのかもしれません」
「でも、この中世の文明では、新しく星間航行が可能な船を作って地球に戻るなんて不可能でしょうに。
子ども達の冷凍睡眠に限界が来ていたのなら、なおさら」
「お父様には何か勝算があったようです。
そのためのエネルギーを集めるのだと。
私達も、できれば地球に帰りたかったですから」
「マルガレーテ様」
寂しそうに、彼女は微笑む。
最初にアルのことを聞きに来た時とは違う。
観念したような、それでいて、どこか諦めきれないような表情だった。
「マリカ様でしたら、お分かりでしょう?
地球移民ではなくても『星』の精霊として、地球の記憶をお持ちと伺っています。
料理、絵画、舞踏、文学、演劇、漫画、アニメーション、ドラマ、テレビ、ゲーム。
そして音楽。
あらゆるエンターテイメントに溢れていた地球と、この星は、あまりにも違い過ぎましたから」
「そう……ですね」
「私は歌手としてデビューしたばかりでした。
これでも、歌唱力と将来を嘱望されていたのです。
コスモプランダーの襲来さえなければ……いつか日本にもその名が伝わるような歌い手になれたかもしれない、とは自惚れが過ぎるでしょうが」
「僕は、彼女と同じアメリカ人でした。
だから、彼女の名前もうっすら憶えていたし、帰りたいという願いも共有できたのです」
あの日以来、全ての夢や喜び。
希望や楽しみは、地球から消え失せた。
未来を託され、逃がされた子ども達はまだ良かったのかもしれない。
けれど目覚めたこの星は、ユートピアではなかった。
歌も楽器も最小限で。
何より、不老不死の大人達に世界の全てが独占されていた。
「帰りたかったのです。私達は!
幸せだったあの頃に。
未来が確かに輝いていた二十一世紀に!
……もう戻ることはできないと分かっていても、微かかもしれない希望に縋りたかったのです」
「お気持ちは、よく分かります」
彼女に頷いて見せたのは、ポーズでも、でまかせでも、カウンセリングの共感でもない。
私だって向こうの世界を思い出せば、欲しいものはたくさんある。
だからこそ、失われた料理や調味料を再現させ、化粧品や様々な科学を再生させてきたのだから。
「でも、もう過去には戻れません。
時間は戻せないし、仮に地球に戻れたとしても、そこに私達が愛したものは、もう残っていないと思います」
「そう……ですね。
分かっては、いるのです。
でも、諦められなかっただけ。
地球人類が繋いできた数々の歌、音楽、芸術は、もう取り戻せないのだと」
「ええ。
ですが、こう考えてみませんか?
新しく、私達がこの地で作り出せばいいのだ、と」
「私達が、作る、ですか?」
自分に言い聞かせるように告げたマルガレーテ様の手を、私は握りしめた。
「そうです。
この数年で、自慢ではありませんが、地球の味はかなり再生されましたでしょう?
ハンバーガーも、フライドポテトも。
ケチャップも。
ヒンメルヴェルエクトで食べられるようになったはずです」
「は、はい。確かに」
「スマホほどではありませんが、通信鏡も開発され、情報通信網も広がってきました。
車や自転車、電気に、製紙印刷、プラスチック、ナイロンなどの開発も進んでいます。
それと同じように、芸術も向こうの世界のものをもっと再生できるのではないかと思うのです。
いいえ。
マルガレーテ様のお力で、再生しませんか?」
「私が、ですか?」
「はい。
歌手を目指しておられたのでしょう?
色々な歌が、貴女の記憶の中にあるはずです。
それを、この世界で再生させていきませんか?」
私自身、向こうの世界の色々な歌をアレクやアルケディウスの吟遊詩人を通して広めてきた。
今、それらの歌はこの世界の技術や思いと混じり合って、新しい歌となり、世界中に広がりつつある。
私は所詮、日本の保育士の記憶からしか歌を伝えられなかった。
けれど、専門の教育を受けた彼女なら、きっともっと多くの歌を再生させられるはずだ。
『神』は国会図書館をクラウドに保管していたという夢も見た。
それが事実なら、楽譜や物語なども取り戻せるかもしれない。
「楽器はまだまだ足りませんけれど、それはこれから作っていけばいいんです。
レコードやマイクだって、頑張れば作れます。
『神』や『精霊神』様達が持つ資料の中にあるかもしれませんし」
「私が、地球の芸術を、この世界に再生させる……。
そんなことを、してもいいのでしょうか?」
「向こうの世界の小説には、そういうお話がたくさんありましたよ。
異世界にやってきた転生者が、その知識や技術を広めていくお話が。
私自身もそうしてきましたし、まだ眠るたくさんの子ども達と力を合わせれば、きっとたくさんのことができると思います」
無くなったのなら、新しく作り直せばいい。
向こうの世界と同じものにはならないかもしれない。
けれど、もっと素敵なものができるかもしれない。
今は『精霊神』様のお力も借りられるし、精霊の書物の秘密も解けている。
様々な科学技術も復活し始めた。
何より、みんな、生きる気力とやる気を取り戻している。
私が目覚めた時より、条件はずっといいはずだ。
「やってみるといい。
君の歌声を、私ももっと聞きたい。
そして、世界に伝えたい」
「私も、お手伝いしますから」
「公子……。オルクス……」
少し迷うように視線を逸らしたマルガレーテ様の前には、優しく頷く男性二人がいた。
彼らの眼差しに背を押されるように、マルガレーテ様は目を閉じる。
そして、意を決したように歌い始めた。
それは、アメリカの有名な讃美歌。
私でさえ知っている、素晴らしき神の恵み、とも言われる歌だ。
伴奏のない歌声なのに、確かな技術と祈りが伝わってくる。
もし地球で時間が与えられていたなら、彼女は本当にいつか世界に通用する歌手になったかもしれない。
そう思えるくらい、その歌は心に響いた。
歌詞は英語だから、私にははっきりとは理解できない。
神の奇跡と愛を謳っていると聞いたことがあるくらいだ。
けれど、そんな知識がなくても分かった。
生きていることの喜び。
そして、前を向いて歩いていこうとする決意が。
「マルガレーテ様」
「マリカ様。
改めて、私のかつての無礼、暴言をお詫びいたします。
そして、どうか力をお貸しください。
人々に幸せを、希望を。
失われた星の夢を伝えるために」
一曲を歌い切り、私に向けたマルガレーテ様の笑顔には、さっきまでとは違う、確かな意思と力が宿っていた。




