帰城3
「お仕事頑張ってね!」
朝食後、ルーシェが「バイバーイ! またあとでねー!」と元気に手を振って、父上に連れられていく。兵隊長も一緒だ。
……本当は。俺が! 久しぶりに! ルーシェの稽古を付けたかった!
だが、俺には山になった書類がある……。
どんよりした気分で執務室に向かう。見張り台の下の部屋なので、少々階段を上らないとならない。
それ以外の部署は一つ下の階にあり、せかせか歩く財務係を追いかけて、その部下達も足早に去っていった。書記は難しい顔で部下を引き連れて、書類保管庫へ入っていく。
俺は、家令と最近いつのまにかすっかり俺の侍従になってしまったウィルバートを従えて、執務室に入った。
執務室はこの階をほぼ丸々使った広い部屋で、中央には大きな会議テーブルがある。昨日、帰ってきてすぐに会議に使用したやつだ。
壁際には待機用の椅子とテーブルがずらりと並んでおり、あそこ紙束をつかんだ人々が並ぶと、処理案件が多いということなので、ちょっと焦るのは誰にも内緒だ。
奥の重厚な机が城主用で、窓側の壁際にあった俺の机は、今ではウィルバートの席になっている。その反対の壁際にサマルの一角があり、背後にお茶の道具の棚とドアがあって、中は金庫室だ。金目のものではなく、重要書類が入れられている。
肘掛け椅子に座ると、ペンとインクを手元に引き寄せ、書見台を用意した。書類にどんどん目を通していく。
ほとんどは、いなかった間の買い入れリストとか、税の納入とか、城下からの陳情とかだ。このへんはとりあえず読み流しておくだけだ。
アークリッド・ロンダールについての報告は、念入りに読む。友人候補達との接触が終わったようで、引き続きよくよく注視するよう、重ねて指示を出しておいた。余所者などと誹られて、エヴァーリに隔意を抱かれたら困るのだ。ここを第二の故郷と思うように教育し、身体的にだけでなく、精神的に健やかに育ってもらわなければならない。
最後に、商人や間諜からの周辺領国の情報に手を付けた。サマルやウォリックによって、さりげなく以前の関連情報が添えてあるのがありがたい。地図を持ち出して見ながら、脳内の情報を更新して、別紙に考察を書き込んでいく。
文字がかすれた。もう一度同じ場所をゆっくりなぞったが、途中でインクが切れて、イライラとペンをインク壺に突っ込む。
うわあーっ、遅い! どうしてインクはペンから落ちて紙になじむのに、こんなに時間がかかるんだ!? 俺の書きたい速度だと、かすれて字にならない。インクが紙にのる速度が永遠かって感じる。ペンにまとわりつかせるのにも時間がかかるし! 頭の中を流れていく文章をそのまま書いてしまいたいのに、インクのせいでちっとも追いつかない!
なるべくたくさんインクを付けて持ち上げたら、ペン先からボタボタと落ちた。
……落ち着け。手間が増えるだけ時間を食う。一つずつ丁寧にこなしていくしかないってわかっているだろ。
ふーっと息をつき、ペンをぼろ布で拭ってペン置きに戻した。こぼれたインクも吸い取る。ペンを持ち、インクを付け直す。
残りは冷静に集中してやった。これを今日中にやっておかないと、明日からは陳情者に直接会う仕事が待っているからだ。
……よし、終わった!
「ウィルバート、この一山は整理して棚に挿して、そっちは担当部署に戻しておいてくれ」
「承知しました」
父上が城主だった頃は、俺が使い走りしていたなあと、遠い目になる。城下の関所や商人組合のところまで、「今すぐ聞いてくるように」と行かされたりしていた。時には「連れてこい」と言われて、背負ってきたこともある。まあ、それは人の体力では無理にしても、若くて体力のあるウィルバートじゃないと務まらない役目である。
席を立って、伸びをする。
何らかのリストを作っていたサマルが目を上げた。
「神官殿とアークリッド殿との会食の時間を早めますか?」
彼らに会うのは正午だ。俺の作業が早く終わったので、気を利かせてくれたのだろう。
「いや、時間どおりで。ルーシェの訓練の様子を覗いてから行く」
気の重い仕事をする前に、ルーシェで気力を補充しておきたい。
窓から身を乗り出し、父上とルーシェがいる場所を確認する。
よし、まだ修練場にいるな。
二人がどこかに移動してしまう前に、急いで部屋を出た。
「じゃあねー! あとでねー!」
ルーシェが嬉しそうに手を振って、すぐさま母上の手に飛びついた。反対側の手は父上がしっかり握っている。美味しいパイがあるのだそうだ。
ルーシェが、昼の軽食を俺と食べるとごねないように、母上が講じた策だとわかっている。でも、パイに負けたかと思うと、もの悲しい気持ちになる……。
三人が大広間に入っていくのを見送り、俺は同じ階にある客間に向かった。
この城は岩山に張り付くように作られていて、居住部分はコの字状になっている。コの開いた部分が岩山だ。広間は中央にあって、客室は左右の奥まったところに配置されいる。
その一つに入った。
ウィルバートが食事の用意をしてくれているところだった。とりあえず俺は配膳の邪魔にならないように、窓に歩み寄った。
ここからは城下が見えない代わりに、見渡すかぎり木々が密集するエヴの森が見られる。低い丘がいくつも連なり、だいたいはその間を川が流れて谷を作っている。ここから見ればそのうねりも小さなものだが、実際にあそこを歩けば、登っては下り、下りては登りで、骨が折れるものだ。しかも、どの谷も丘も似ていて、よほど精通していなければ、見分けがつかない。迷い込んだら出てこられない、豊かで恐ろしい女神の庭。
ウィルバートが近付いてくる気配に振り返った。籠を持っている。
「こちら、ご指示のものです」
手紙が一通に、贈り物の包みが一つ。アークの母君から預かってきたものを、金庫にしまっておいたのだ。
間違いがないか宛名などを確認し、また籠に戻す。
「そこの棚に」
客人が来るとだいたい贈答があるものなので、それ用の棚がある。そこへ置かせた。
配膳が終わったようなのでソファに座ると、ウィルバートはドアの横に立った。
客人を待つ。
いくばくもなく、ノックがあった。ウィルバートが対応に出た。
「ネイト神官とアークリッド様がいらっしゃいました」
「入ってもらえ」
俺も立ち上がって出迎える。
「よく来てくれました」
「お招きありがとうございます」
ネイトと簡単に挨拶をすませて、アークへも声を掛ける。
「アークもよく来てくれた」
「エヴァーリ公におかれましてはご機嫌麗しゅう。お呼びとうかがい参上しました」
ガチガチにかしこまって、最上級の挨拶をしてくれる。
あんまり畏まらなくてもいいとか、兄とでも思って気楽に接してくれとか、そういうことを言ってやりたくなったが、ぐっと呑み込んで、二人にソファに座るように促す。
ウィルバートが飲み物を用意している。その間、黙って待った。
本当だったらアークに、エヴァーリに来て何か不便はないかとか、何かしたいことはないかとか、いや、もっと軽く、どんな食べ物が好きかとか、苦手なものはあるのかとか、なにかしら話して、アークの緊張がとけた頃に本題に入るべきなのだが。
今回はいきなり切り出す。
「アークに聞きたいことがあって、呼んだ。青の竜殺しのことだ」
身の置き所がない様子で座っていたアークが、少し顔を上げる。と言っても、目線が俺の足から腹のあたりに上がっただけだ。
ランダイオに行ってきて身に沁みてわかった。エヴァーリの外では、どれほど竜眼が恐れられているか、を。もちろんここであっても、初見の人には後退られたりするのだが、それでも『竜眼公』の本拠地で、それ以上の失礼をはたらく勇気のある者はいなかった。
竜眼に見られることを必死に避け、目が合えば恐ろしさに腰を抜かす。それが常識な中で育ったのならば、俺の目の前にいることは、恐怖以外のなにものでもないだろう。そんな者に気楽にしてくれなんて言うのは、無茶振りもいいところだ。親切でもなんでもない。
「はい、私にわかることでしたら」
「青の竜殺しはどういった人物だった」
アークが上半身に力を入れてうつむき、しばし考え込む。
「……信じてもらえるかわかりませんが、私には優しい人、いえ、竜殺し、でした。物静かで、あまり人とは話さなかったのですが、でも、黙って私が喜ぶ遊びにずっと付き合ってくれるような」
竜の卵が孵ったのが六年前。アークは現在十一歳。
「それは竜が生まれる前の話か?」
「いいえ。ずっとです。……その、私が彼の手を振り払うまで、です。彼が人を引きずっていった後に、いつもどおりの顔で遊ぼうとやってきたのが、恐ろしくて」
「人を餌にしたということか?」
「……たぶん、です。竜の小屋から、靴と服の切れ端が見つかった、と聞きました」
「それは異母兄か?」
ぱっとアークが顔を上げる。知られていたのに驚いたのだろう。すぐに、「はい」とうつむいた。
アークのことをあらためて詳しく調べさせたので、年上の異母兄弟達に嫌がらせをされていたというのは知っている。そのうちの何人もが失踪したことも。他は婚姻という形でランダイオを出ていた。おかげで、アークの成人までに処理しておく政敵が残っていなかった。そもそもランダイオには、アーク以外に差し出す価値のある子供がいなかったのだ。
「アークの他にも竜殺しが気に掛けていた者はいたのか?」
「父くらいだと思います。兄のように思っていたようです。……彼は内気な性格で、人と仲良くするのが苦手だったので。
……あの、ランダイオは、エヴァーリと違って竜殺しの地位が高くなく、……彼はあまり好かれていませんでした。ですが父は彼を大事にしていて、頼りにしていました」
それも報告にあった。常にランダイオ兵は青の竜殺しを批難していたと。
「私のことは、生まれたときから護衛してくれていたためだと思います。元は母の護衛をしていたようで、そのまま母と私の護衛を任されていたのです」
「竜が生まれたときのことを覚えているか?」
「はい。私もその場にいました。卵は大広間の暖炉の上に飾られていたんです。
卵の中で音がする、とクロー、あ、竜殺し、が卵を下ろしました。耳をあててみると、本当にコツコツと聞こえました。
竜殺しは鍛冶士からハンマーを借りてきて、卵を叩いて、ヒビを入れました。あとは中から竜が体を伸ばして出てきました」
「竜の卵にヒビが?」
これまでなにをどうしても割れなかったものが?
「はい、本当です」
「いや、疑ってはいない。驚いただけだ」
孵化が近くなると、殻が脆くなるのだろう。
「騒ぎを聞きつけた父が駆けつけて、今すぐ竜を殺せと命じました」
アークは急に、聞いてもいないことを一気呵成にしゃべった。肩や手に力が入って、ブルブルしている。
「本当です。兵士達が彼から竜を取り上げようとしました。でも彼は怒りだして、また俺への嫌がらせですか、グレミオ様まで奴らの味方をするのですか、それでこの子を殺すのはあまりに非道ではないですか、と、……彼を取り押さえようとした兵の腕を取って、腕一本で天井に投げ上げるように持ち上げました。
……私が見たのはそこまででした。母に広間から連れ出されました。……だいぶ大きくなってから、その後のことを聞きました。竜殺しは持ち上げた兵を、もう一人の兵に叩きつけたそうです。それで、二人は窓の外に飛んでいって、落ちて死んだそうです」
「そうだったか。ランダイオ城主は本当に竜を殺そうとしたのだな」
思い詰めたように話すアークがただならぬ様子に、さすがになだめる言葉をかける。
「その一回、だけでしたが。その後も竜殺しには逆らえなかったのです」
「わかるよ。人には無理であっただろう」
「でも、私は愚かで、彼が恐ろしいとわからなかったのです。竜が大きくなるものだとも考えてもみなかったのです。小さな弱々しい青い竜を、可愛いとすら思っていました。私になついて、頭をこすりつけてくるたびに、撫でてやっていました。腹が空いたと鳴くのをかわいそうに思っていました。クローと一緒に森に狩りに入って、彼が獲物を仕留めるのを待つ間、竜を抱きしめてやっていました。私は、まさか、竜が、あんなふうに人を食べてしまう、とは」
アークは息をすすり上げて首を横に振った。涙があふれだす。
俺を見るネイトに頷くと、ネイトは彼の口を塞ぐように抱きしめた。
「おまえのせいではない。おまえはまだ子供ではないか。子供になんの責任を問えると? それに、おまえの父のせいでもない。ただ竜の卵が孵ってしまったところで生きるしかなかった。それだけのことだ」
青の竜殺しを疑わずに慕っていたから、アークは殺されなかった。だが、乱心したとしか思えない竜殺しと結託していたから、他の兄弟にきつくあたられた。……あの髭親父は、信頼を失った自分の代わりに、アークで竜殺しを繋ぎ止めていたのだ。この子に正確な情報も与えずに。むしろ、遮断して。
「よく話してくれた、アーク。ありがとう。役に立った」
ネイトの腕の中でまだしゃくりあげているというのに、「お役に立てたのなら幸いです」と途切れ途切れに返してくる。
とはいえ、今日はもうこれ以上話すのは無理そうだ。
アークが見えないのをいいことに、ウィルバートに顎で促す。心得たウィルバートは俺に身を寄せ、少し大きめな声で囁いた。
「ギルバート様、そろそろ次のご予定が」
「そうだったな。すまないが、私は行かなければならない。ネイトとアークは、ここで落ち着くまで休んでいってくれ。軽食も遠慮せず食べてくれ。料理人が腕をふるってくれた。美味しいはずだ」
立ったところで思い出し、ウィルバートに籠を持ってこさせた。
「アーク。母君から預かってきたものだ。ご両親はお元気だったぞ。ランダイオへの支援も話し合ってきた。あちらのことは何の心配もいらない」
ネイトの胸から顔を上げたアークが、ウィルバートに渡された籠の中を見て、またぼろぼろと涙をこぼしはじめる。
「ありがとう、ございます」
気にするなと手を振り、部屋を出た。
出たところで立ち止まり、長い息を一つつく。
俺が知りたかったのは、ランダイオのことなどではない。どうして青の竜殺しは竜を殺させなかったか、だった。
予想はしていたが、話を聞いて、やはり胃の腑から冷えて固まっていくような心地になった。
……竜殺しは同族の幼い者を可愛がる。それが、竜に対しても発揮される。
そしてたぶん、俺達はそれに――竜から受け継いだ本能に、逆らえない。殺意と血の臭いに酔った、あの時のように。
「父上を呼んできてくれ。俺は執務室で待っている」
「は」
ウィルバートは踵を返して去って行き、俺は人通りの少ない廊下を選んで執務室に向かった。




