34. キリオンの見た景色
なんてきれいな女の子が居るんだろう、と目を奪われた。
『髪に小枝がついてましたよ』
にこりと笑った女の子の、その笑顔にばかり気を取られて、何を言われたのか全くわからなかった。
言葉の意味が理解できたときには、あまりにも恥ずかしくって、その場から逃げてしまった。
なぜか持ち帰ってしまったあの枝は、どうしても捨てられなくて部屋に置いてある。
歳の近い女の子に話しかけられた。そんなことは初めてだった。
仲良くなれるチャンスだったかもしれないのに、どうして逃げてしまったんだろう。何度も何度も後悔して、毎日のようにあのときの夢を見た。
夢の中ではちゃんと返事ができたし、そのあとも話をして仲良くなって、まるで、友だちみたいに笑い合っている――
すごく、すごく幸せな時間。
目が覚めると、仲良くなったのは本当のことだったんじゃないかと思って胸がどきどきした。だけど二人で一緒に拾ったはずの、真っ白に光る石が棚に置いてなくて、さっきまでのことは全部夢だったとわかってしまう。
あのとき逃げていなかったら……。夢を見て目が覚めた朝はすごく落ち込む。
もしかしたら、また会えるかも……と思って、用もないのに毎日ギルドへ足を運んだ。
あの女の子も、探してくれているかもしれない、なんて思ってしまうくらい、夢の中と現実の区別がつかなくなっていた。
でも仕方がない。あの女の子を探しているときが一番、生きているような気がしたから。
また会えた。本当に嬉しかった。
名前もわかった。シホさん。シホさん。絶対に忘れないように、ずっと頭の中で呼び続けた。
だけど、このときは前よりも最悪なことが起きた。
お金が入って少しだけ余裕ができたからと、浮かれ気分で場違いにおしゃれなレストランに入ったせいだ。おかげでシホさんに会えたんだけど……。
なんだかわからないまま頼んだ料理は、パイ生地でフタをされたシチュー。こんなおしゃれな食べ物は見たことがなかった。
焼き固められたパイ生地はスプーンでつついても凹むことすらなく、手で触っても外れない。熱いお皿を素手で触ったせいで、指をやけどした。
だれか同じものを食べている人はいないかと探してみたけれど、そんな都合のいいことはなくて。恥ずかしさで泣きそうになっていたらシホさんが助けてくれた。
すごく嬉しかったけれど、同じくらい恥ずかしくて、顔を見ることができなかった。
シチューはとても美味しかった。
何を話したのかはあんまり覚えていない。話ができることが嬉しくて、変な自慢話をしたような気がする。恥ずかしくて死んでしまいそう。
そのあと調子にのって魔法でお皿を浮かせてみせた。そんなこと、魔法使いだったら誰でもできるのに、シホさんはすごく喜んでくれた。
それで、もっと喜んでもらいたくって……
お店を閉めると言われて、びっくりしてお皿を落としてしまった。あの瞬間を思い出すだけで嫌な汗が吹き出してくる。
落ちたお皿が粉々に砕け散った。
おしゃれなお店のお皿を割ってしまった。弁償するために、持っていたお金をぜんぶ出して、お店を逃げ出した。
足りなかったらどうしよう……。
捕まって牢屋に入れられる夢を見た。夢の中に出てきたシホさんは、もう振り向くことさえなかった。
置いていったお金は家賃を払うためのものだったから、大家さんにすごく怒られた。
謝って、許してもらえたけど、家賃を払うために大家さんが勧めてくれたところでお金を借りたから、初めて借金ができた。
なるべくお金を使わずに、ご飯も食べないようにして、借金を少しずつ返していたんだけど、りしっていうのがあるみたいで、ぜんぜん借金が減ってくれない。どうしよう……。
今日、またシホさんに会えた。
だけど、お金がなくて食べ物を恵んでもらうなんて、ひどすぎる。
シホさんのくれたパンは美味しかったけれど、あぶらっこくて、とても量が多くて、普段なら食べ切れない。でも絶対に残したくなくって、がんばって食べきった。
こんなにおなかいっぱいになったのは初めてかもしれない。
まさかお金が返ってくるなんて、思いもしなかった。ライラさんはすごくいい人。
これで借金が返せると思ったら、本当にほっとした。
シホさんと一緒に出かけることになった。夢が本当になったみたい。
だけど、もっと信じられないことが起きた。
シホさんが、『友だち』って言ってくれた……!
友だちができた!
うれしすぎて、からだが破裂しそう!
生きてると、こんなにうれしいことがあるんだ。すごい。
生きてて良かった。
はしごをのぼるとき、手をにぎった。
シホさんの手はつめたくて、やわらかくって、しっとりしていて、にぎりしめたら壊れちゃいそう。女の子の手だって思った。
どきどきが止まらなくて、変な汗が出た。
だからその勢いで気持ちの悪いことを言ってしまった。
あだ名で呼んでほしい。なんて……。調子に乗りすぎだ。
名前が好きじゃないのは本当で、シホさんに名前を呼ばれると、嬉しいような嫌なような、気持ちがじくじくとうずいてどうしていいのかわからなくなる。
『キリちゃん』と呼ばれたときは嬉しいの気持ちが全部になった。
だけど、『シホちゃん』って呼ぶのは……いいのかなって思う。気持ち悪くないかな……。
呼ぶたびに緊張して、わきの下にじっとりと汗をかく。
飛竜の前にシホちゃんが飛び出していった。何をしているのかわからなかった。
お婆さんを助けるためだとわかっても、信じられなかった。どうしてそんなことをするの?
飛竜が火を吐いて、シホちゃんが吹き飛ばされた。
血の気が引いた。世界が真っ白になって色が消えた。無事だとわかって、やっと息をすることを思い出した。
だけど、飛竜はまだシホちゃんを狙っている。
やめて……。だれか、助けて。
心の叫びは誰にも届かなかった。ここには誰もいない。誰も助けてなんてくれない。
違う。やらなくちゃ、やるんだ。
ポケットから、残っていた石を引っ張り出した。石は全部で4つ。その中から一番形のいい石を取って、震える手で杖を構えた。
呼吸をおさえて、魔力をこめて撃った。狙いは正確で、今日いちばんの一発が飛竜に命中した。
やった!?
だけど、飛竜はびくともしなかった。
そんな……。一番いい石だったのに……。
心の中が真っ黒になった。飛竜に睨まれて足がすくんだ。
こっちにくる。こないで!
死にたくない。撃たなければよかった。後悔しながら残っていたクズ石を全部にぎって続けざまに撃った。手が震えていたせいで、2発も外した。
もう石はなかった。……終わった。
飛竜が火を吐こうとしている。さっきの爆発を見ていたからわかる。当たったら死んでしまう。
逃げなくちゃいけないことはわかっているのに、動けなかった。
いままでは生きていても良いことなんて全然なかったから、いつ死んでもいいなんて思っていたけれど、やっぱり死にたくない。
「シホちゃん……」
初めてできた友だちの名前を呼んだ。世界で一番大切なひとの名前。
少しは役に立てたかな……。
覚悟を決めてぎゅっと目をつぶった。
爆発の音がしたのに、無事だった。
どうして……?
目を開けると、シホちゃんが飛竜にしがみついていた。
頭がどうにかなりそうだった。
どうすればいい、魔法を撃たなきゃ。でも石がない。石――
そうだ……石なら、杖にくっついてる。
杖を木に何度も叩きつけて、先端に付いていた魔昌石をはずした。
石の代わりに魔昌石を飛ばそうなんて、いままで思ったこともなかった。そんなことをしたらお金がいくらあっても足りない。
まともに飛ばせるかどうかもわからなかったけれど、できると信じてやるしかない。
飛竜がシホちゃんを踏みつけている。
頭にかっと血が上った。
シホちゃんにひどいことしないで!
手の震えは止まった。
ありったけの魔力をこめて、飛竜の頭に向けて魔昌石を撃った。
外れるなんて考えもしなかった。
命中した、と思ったら飛竜の頭が消し飛んだ。
……なんで?
倒れた飛竜の横で、シホちゃんが動いた。
よかった。無事でいてくれた。
がくがくと震える膝を手でおさえながら立ち上がって、シホちゃんのところに走った。
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