23. メイド喫茶
クリスが酔っ払った日の翌朝。
私はクリスを起こしてエミリーからの伝言を伝えた。
「え、朝から? めんどくさいわねー……」
眠そうに目をこすりながら、いつもどおりの様子で伸びをしている。
昨日あんなに酔っ払っていたのに、二日酔いみたいなお酒の残り方はしていないようだった。
でも、あまりにもいつもと変わらないような……。
「昨日のことって覚えてますか?」
「ん? なにが?」
「お酒を飲んだあとのこと、というか……」
甘ったるい声を出して私にすり寄ってきたクリスの姿を思い出して、口元が緩みそうになる。
「ああ、急に眠くなって部屋に戻ったのよね。それがどうかした?」
「いえ……」
クリスは酔っ払っているときの記憶がないようだった。
「クリスさんは、あんまりお酒を飲まないほうが良いと思います」
「まあ、確かにすぐ眠くなっちゃうのは困るわね……。味は嫌いじゃないんだけど」
「お酒を飲むときは私がいるときにしてくださいね」
「べつにいいけど」
そう約束をさせて、出かけるクリスを見送った。
私も着替えを済ませていつものように食堂へ降りていった。
ところが、その食堂がやけに静かだった。準備に忙しいはずの厨房にも人の気配がない。
ああ、そういえば。とライラの話を思い出した。今日は定休日なんだっけ。
「クリスさんも出掛けてしまいましたし、どうしましょうか」
なにをしようか、やりたいことを頭の中に思い浮かべながらうろうろしていると、上から話し声が聞こえた。食堂の二階にはライラとリルカの部屋がある。
「もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「いえ、し、仕事がありますので……」
聞こえたのは、ライラの声と……もう一人、女性の声だ。だれだろう?
階段を降りる足音が聞こえてきた。
姿が見える。
「あれ、エミリーさん?」
昨日の夜に食堂で会ったけど、ここにいるということは泊まっていったんだろうか。
「え? シホさ――うわあっ!!」
私の声に振り向いたエミリーが、階段から足を踏み外して滑り落ちてきた。
階段に駆け寄って、仰向けに倒れているエミリーに手を貸した。
「大丈夫ですか?」
「……す、すみません、大丈夫です」
「あらまあ、大変」
2階からライラが降りてきた。私はその格好を見て目を見張った。
「ライラさん……」
寝間着姿、それもいつものとは違って肌が透けるような……なんかちょっとえっちなやつを着ていたのだ。
「あら、シホちゃん? やだ、こんな格好で……ごめんね」
少し恥ずかしそうに言ったライラの顔は、いつもより肌つやが良く見えた。
エミリーの腰に手をまわして支える様子もなんだか親密そうだし、ふたりでこそこそと目配せなんかしちゃったりして……。
どうも見てはいけないものを見てしまったような気がして、その場を退散する。
まあ、二人とも大人だし、そういうこともあるのかな。
食堂は休みでも宿泊客向けに軽食が用意される。私は軽く食事をして、町へ買い物に出ることにした。
なぜだか私は靴の運がないらしい。靴ずれのあとで買い直した靴もあまり具合がよくなかった。
足に合う靴が見つからなければ、いっそ合うものを作ってもらうのもありかもしれない。
そんなことを考えながら、記憶を頼りに靴屋へ向かってぶらぶらと歩いていく。
こうして一人で町を散歩するのは初めてのことだった。歩いているだけなのに、いつもの風景が少し違って見える。
「たしか、こっちの方に靴屋さんがあったような……」
このあたりは冒険者ギルドを見に行ったときに通ったことがある。金物屋さんに、お布団屋さん、パン屋さん……美味しそうな匂いがする。あとで寄っていこう。こっちはアクセサリーのお店かな。クリスにプレゼントをするなら何がいいだろう。……うーん。
考えながら歩いていると、装飾の可愛い建物があった。このお店のものらしい手書きの看板が道に置いてある。立ち止まって見てみると、なにやらメニューが書いてあるようだ。
――カランカラン
ベルの音とともに扉が開いて――中からメイド服を着た女の子が出てきた。
「――あ、いらっしゃいませにゃー。……あれ? お客さん、どこかで会ったような」
にゃー?
小首をかしげた赤髪ツインテールのメイドさんが、私の顔をじっと見つめる。その頭には、猫耳がついていた。
会ったことがある?
いや、こんな奇抜な格好をした知り合いはいないはず……。
「あっ、そうだ! あなたライカ亭で働いてる子だよね」
「ええ、そうですけど」
「ライカ亭に可愛い子が入ったって聞いたから偵察しに行ったんだよね。やっぱライバル店の動向はチェックしとかなきゃだし」
「ライバル店……?」
メイドさんが不敵に笑う。
「そのとき見たんだけど、あなた、いい動きしてたよ。見た目に関しても正直いい線いってる。あたしと実力伯仲……ライバルとして認めてあげてもいい!」
「……ありがとうございます……?」
「けどね、もしライバルが仲間になったら、とっても素敵なことだと思うんだ」
「はあ」
何を言ってるんだろう、このメイドさんは。
「あ、自己紹介がまだだったよね。あたしはロゼッタ。あなた、このメイド喫茶『きゅあかると』で働いてみる気はない?」
「いえ、結構です。間に合ってます」
私にはライカ亭があるから他で働くつもりはない。
話の雲行きが怪しくなってきたし、断って早々に立ち去ろうとしたら、ロゼッタが私の腕を掴んだ。
「待って! 話だけでも聞いて」
「な、なんですか?」
「お願い! うちで働いて! あなたみたいな即戦力が必要なの! このお店、いまあたし一人で回してて本当に大変なんだって!」
私はお店にちらりと目を向けた。
店の規模は喫茶店としては大きくも小さくもなさそうだけど、女の子が一人でやっているというのはちょっと違和感がある。
「一人って、店長さんとかいないんですか?」
「…………逃げた。あたしに借金全部押し付けて店長が逃げたんだよ……。そしたら他の従業員も辞めていっちゃって、気づけば残ったのはあたし一人だけで……。借金はお店を売っても返しきれる額じゃないし、潰れでもしたら、あたしが体で稼ぐしか……」
「……それは大変ですね…………」
そんな重い話を、会ったばかりの私に言われても反応に困る。
「だからお願い! あたしを助けると思ってここで働いてっ!」
「そんなこと言われても困ります」
「お給料も向こうより出すから! いやまあ、あの、出せる範囲でだけど……。あと、あとは……まかないも食べ放題にするから」
「えっ、食べ放題、ですか……!?」
食べ放題という言葉に一瞬心が惹かれた。いや……食べ放題だからって、そんな誘惑に負けるわけには――
「え、そこ? ま、まあいいか。うちで働いてくれたら美味しいものいっぱい作って食べさせてあげるよ!?」
「いえ、やっぱりダメです! 私にはライカ亭という大切なお店があるんです」
「そんな堅いこと言わないで。ね、ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから!」
ロゼッタが駄々っ子みたいにしがみついてきた。
「あっ、ちょっと、やめて……離してくださいっ」
意外と力が強い。離そうとしても微動だにしない。
「ねえお願い! 開店から閉店までずっと一人は嫌なの! お客さんもあんまり来なくて寂しいの!」
「知りませんよっ、そういうことならお友だちに頼んでくださいっ」
「とっ……友だちがいるならとっくにそうしてるってば!! あっ、そうだ! あなたがあたしの友だちになって働いてくれれば一石二鳥!? あたしって頭いい! ねえ、あたしとおともだちになろう!?」
「どういう理屈ですかっ」
つっこみを入れている間にも、店の中にひきずりこまれそうだった。
「うちのシホに何してるのよ!!」
突然、どこからともなく飛んできた人影がロゼッタに飛び蹴りを浴びせた。
「うぎゃっ!」
蹴飛ばされたロゼッタが道端に積んであった木箱に突っ込んだ。ガラガラと派手な音を立てて箱が崩れ落ちる。
華麗に着地を決めた人物が金色の髪をなびかせながら私に言った。
「まったく。ちょっと目を離すとこれなんだから!」
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