22. はじめてのお酒
どうしよう……。
まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。
「ねえ、シホ」
「……なんですか?」
隣の席に座っているクリスが、私に真剣な眼差しを向けてくる。
「なんでもないわ。呼んでみただけ」
そう言うとクリスがにへらと笑った。体の芯を失ったみたいに、くにゃりともたれかかってくる。
そして私の肩に頭をこすりつけてきた。猫みたいだ。
「ねえ、シホー、シホってばー」
名前を呼びながら、腕をつかんでぐいぐいと私の体をゆさぶってくる。
「なんですかー? クリスさん」
「ふふふ、呼んだだけ~」
完全に出来上がっている。さっきからずっとこんな調子だった。
話は少しさかのぼり――
夕方、お店の扉を閉めて仕事を終えた私は、椅子に座って心地好い足の疲れを感じていた。
そんな私にライラが言った言葉が、今回のことの発端だった。
「明日は定休日だし、たまにはクリスちゃんと二人で飲んでみたらどう?」
飲んでみる……?
私はライラに質問を返した。
「……えっと、お酒のことですよね」
「ええ」
「あの、お酒って、何歳から飲んで良いんですか?」
どうも飲酒という行為について、何か引っかかるものを感じたのだ。
ライラは不思議そうな顔をして私に言った。
「え? お酒にそんな決まりはないわよ? こどもには飲ませないほうがいいっていう人もいるけど、シホちゃんくらいの歳だったら飲まない子のほうが珍しいくらいじゃないかしら」
「へー、そうなんですね」
そういうことなので、私やクリスがお酒を飲んでも全く問題ないようだ。
私は部屋で寝転んでいたクリスを誘って食堂へ向かった。
「私、お酒って飲んだことないです。クリスさんは飲めるんですか?」
「わたしもちゃんと飲んだことはないわね。べつに飲みたいとも思わなかったし、酔っ払ってみっともないことになってる大人は沢山見てきたから、あんまり良いイメージがなくて」
「じゃあ、私たち二人で一緒にお酒デビューですね」
「まあ……そういうことになるのかしら」
席について待っていると、ライラが料理と一緒に果実酒を出してくれた。
「今日はお魚の料理がメインだから、それに合わせてみたの。そんなに強くないお酒だけど、最初はすこしずつ飲んでみてね」
初めてのお酒に少しどきどきしながら、クリスと二人で乾杯をした。クリスの方も緊張しているみたいで、ぎこちなく杯がぶつかって二人で顔を見合わせる。
一口飲んでみると、爽やかな果実の香りと味がした。普通のジュースみたいだと思っていたら、あとから喉の奥がかっと熱くなった。
「ん……美味しいですね」
「そうね、悪くないわ。……なんだ、結構美味しいじゃない。いままで飲まなかったのがもったいないくらい」
料理を食べながら飲んでみると、ライラの見立て通り料理とお酒がたがいに引き立てあうようで、単体で食べるよりも味に深みが感じられた。
一通り食事が終わって、私が追加の料理を頼んでいると、クリスが
「ねえ、もっと他のお酒も飲んでみたいわ!」
と、大きな声で言った。
いつもより顔が赤い。もう酔いが回っているんじゃないかと思いつつ、私も他のお酒には興味があったので静観していると、クリスが強そうなお酒を注文した。
「大丈夫ですか? もう結構酔ってるみたいですけど」
「何言ってるの。まだ一杯しか飲んでないわよ」
「それはそうですけど」
まだ一杯だけど、一杯で酔っ払っているのならちょっと心配にはなる。
新しく運ばれてきたお酒を飲んでみると、さっきとは比べ物にならないくらい刺激的な味がした。
「わっ、ちょっとすごいですよ、このお酒」
「そ、そうね! なかなかやるじゃない……。まあこのくらいで酔っ払う私じゃないけど!」
一体何と戦っているのか。クリスはぐいっとお酒をあおった。
私はお酒よりも、テーブルの上を埋め尽くした料理のにおいに心を奪われていた。いつもなら少し騒がしい店内のざわめきも、お酒のせいか心地よく感じられる。
串にささったお肉ときのこに舌鼓を打っていると、肩にとん、と何かがぶつかった。
見ると、クリスが頭をもたれかけている。
「クリスさん? 寝ちゃったんですか?」
「寝てないわよ」
起きていた。クリスは私の腕に頭をこすりつけるように、すりすりと首を動かしている。
「……なにしてるんですか?」
「ん……。なんにも。シホはいや?」
「いやじゃないですけど」
「よかった」
にっこりと笑ってすりすりを再開する。
変だ。いつものクリスじゃない。
「さてはクリスさん、酔っ払ってますね」
「酔ってないわよ」
私、知ってる。酔っ払いはだいたいそう言うんだ。
「シホ」
「なんですか?」
「んー……呼んでみただけ。ふふふっ」
「はあ、そうですか……」
そんなこんなで、クリスはすっかり出来上がってしまったのだ。
「シホ」
「もー、なんですかー?」
私がごはんを食べようとするたびに、クリスが私を呼ぶ。
「なでて。あたま」
「……よしよし」
「んっ」
目を閉じて満足げに笑っている。猫みたいだ。いつ喉がごろごろと鳴り出してもおかしくはない。
クリスはお酒に酔うと甘えん坊になるみたいだった。
だけどそんな姿も長くは続かず、私が頭をなでているうちにクリスはすっかり眠ってしまった。
幸せそうな微笑みを浮かべたまま、どんな夢を見ているんだろう。
どうやって部屋まで連れて行こう……。まあそれは後で考えるとして、とりあえず料理が冷めてしまう前に食べることにした。
塩のきいたスペアリブにかぶりついていると、今度は後ろから声をかけられた。
「おう、ねーちゃん、連れは寝ちまったのかい。おれっちと飲もうやー」
振り返ると、ふらふらと足元のおぼつかない大男が立っていた。
「すみません、私は彼女と二人で食事をしているので」
「おー、彼女ときたか。お熱いねえ!」
酔っ払いがテーブルに、どんと手をついた。日に焼けた、力の強そうな腕だ。
「やめてください」
なんだか変なのに絡まれてしまった。こういうとき、いつもだったらクリスがすぐに追い払ってしまうんだけど、頼みの綱は泥酔してしまっている。
どうしたものか困っていると、リルカがやってきた。
「ねー、お客さん、シホさん困ってるからやめたげて?」
「うるせえな、ガキはひっこんでろ」
酔っ払いが腕をぐるんと振り回し、リルカが押し退けられる。
「きゃっ」
「あっ、リルカさんっ」
テーブルにぶつかりそうになったリルカを、横から現れた腕がキャッチした。
「リルカちゃん、大丈夫?」
「あっ、エミリーさん!」
冒険者ギルドのエミリーだ。彼女はリルカの前に立って酔っぱらいを睨み付けた。
「人に迷惑をかけた上に、いたいけなレディに手をあげるとは。見過ごしにはできません」
「なんだあ?」
酔っぱらいが振り返る。
並び立つと、エミリーが小さく見えた。
「余計なちょっかいかけやがって。……ん? なんだ、お前も女じゃねえか。ふん、おれっちと一緒に飲むってんならいまの言葉はちゃらにしてやってもいいぜ」
「お断りです」
「お高く止まりやがって。おれっちはなあ、冒険者歴2年のベテランなんだぜ!」
酔っぱらいが冒険者手帳を取り出して自慢げに見せた。
エミリーは冒険者ギルドに勤めているから、そんなものは見慣れているだろう。
「それがどうしました。冒険者なんて、なるだけなら子供にだってできます。……あなた、見ない顔ですね。ろくに仕事を受けていないのでしょう。挙げ句、酒に酔っての乱暴狼藉。恥ずかしくないのですか!」
「う、うるせえ! このっ!」
酔っ払いがエミリーに殴りかかった。
「まったく、冒険者も質が落ちたものです」
エミリーがくるりと背中を向ける。
あぶないっ。
――と思ったら、酔っぱらいの体が宙に舞った。
どすん。背中から着地した酔っぱらいを、すかさずエミリーが組み敷いた。
「う、うぐっ! ぐるしい……わ、わかった……まじめに働くっ。もう悪さはしねえよ!」
「怪しいものです」
「あの……もう離してあげて、エミリーさん。そのひと苦しそう」
止めに入ったのはリルカだった。
「リルカちゃん。いいんですか?」
「うん。リルカは平気だよ」
「優しい子ですね」
リルカの言葉をうけて、エミリーは酔っ払いを解放した。
「私は冒険者ギルドのエミリーです。次に悪さをしたら容赦はしませんよ」
酔っ払いが立ち去ると、しんと静まっていた食堂に拍手が沸き起こった。
「いよー、やるぜ、ねーちゃん!」「ヒュー!」「エミリーさんかっこいい」「すてきー!」「ほれたぜ!」「俺も冒険者になろうかな!」
「いや、これは……参りましたね」
少し照れている様子のエミリーにリルカがお礼の声をかけた。
「あ、あの、エミリーさん、ありがとう」
「リルカちゃん。怪我がなくてよかった」
エミリーが屈んでリルカの頭をなでた。
「あう……」
いつも元気なリルカが少し大人しくなってエミリーを見つめている。
お邪魔かなあと思いながらも、私はリルカに声をかけた。
「リルカさん、さっきはいざこざに巻き込んでしまったみたいで、すみません」
「あ、ううん、リルカはぜんぜん」
元はと言えば私が酔っぱらいに絡まれたのが発端だ。私は何もできなかったけど、リルカが怪我をしなくてよかった。
リルカにお礼を言っていると、エミリーが私に目を向けた。
「こんばんは、シホさん。クリスさんは……眠っているんですか?」
「ええ、ちょっとお酒に酔ったみたいで」
「そうでしたか。いや実はクリスさんに伝えることがあったんですが。シホさんから言伝をお願いできますか?」
「もちろん。かまいませんよ」
「明日の朝、ギルドでミーティングを行うので出席するように、と。内容は口外できないので、すみませんが」
「わかりました。伝えておきますね」
「ではよろしくお願いします」
用事を済ませたエミリーが立ち去ろうとすると、ライラが引きとめた。
「あら、もう帰っちゃうの? ねえ、少し飲んでいかない? 騒ぎをおさめてくれたお礼がしたいの」
「いえ、当然のことをしたまでですから、私はこれで――」
「固いこと言わなくてもいいじゃない。エミリーさんとはずっとお話をしてみたかったし」
「いや、ですが……」
「リルカも! エミリーさんとおはなししたい」
「あらあら……。ねえ、リルカもこう言ってるし、ちょっとだけ。だめ?」
「はあ。ちょっとだけなら……」
ライラの微笑みの圧力におされて、エミリーがたじたじになっていた。
その後、私は酔っ払ったクリスを起こしてなんとか部屋まで連れていった。
いろいろと大変だったけど、お酒もたまにはいいかもしれない。
私はベッドの中で体をすりよせてくるクリスを撫でながら眠りについたのだった。
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