36 麒麟児の出廬
三人揃って無事にパブルス帝国の自宅に瞬間移動することができ、それからは家でゆっくり過ごした。楓が「なんかもっと異世界っぽい街ってないの? 天空の城とか、海中都市とか!」と聞いてきたが、少なくともこれまで異世界で見てきた街並みはどこも地中海周辺の景色と類似している。俺も見てみたい。デリザリン王国なら今頃ロンバード・ストリートみたいに入り組んだカオス地形になっている可能性もあるが、不可解な物理法則無視地帯は目撃したことが無い。
まだルミーナとマリアは帰宅していないようなので、アトラの作る夕飯を三人で食べ、楓待望の風呂にも入ることができた。生憎魔法使いが不在で溜めれなければ沸かせなかったので、カエラにお願いしたら側近共々久しぶりに風呂に入らせてくれということで一大イベントになってしまったが。そして俺とアトラに眠気が来た頃、楓だけを先に地球に帰した。余暇一週間のうち異世界に滞在していたのは二泊三日だが、全員異世界に出揃うまでに数日かかったのと、地球との時差のことを考えると、日本生活に戻すために今から帰宅した方が良いという結論だ。アトラとは次またいつ会えるかわからないので、最後に激しく抱き合っていたよ。
翌日メイド服を新調したアトラとギルドに向かい、スライムの中にハーフが混じっていて、そいつと和解した旨を報告した。当然のように称賛した流れで勧誘されかけたギルド加入は断った。
スターリィーの部屋に入った際、俺達はスライムの採取をしなかったが、どこからかぷにぷにの球体を入手したらしく「職務中の暇な時間を使っていたわけでは……」と言われたが、別にそんなことで怒る客じゃないし、やっぱりバランスボールの代用目的だったらしい。それよりスターリィーには激しく揺れるものがあるので人前でぽよんぽよんされると目のやり場に困る。まあ遺跡探索前のアルネスと話した時にでも転機が訪れたみたいでいいんじゃなかろうか。あれなら好きな読書もしつつできるからな。俺達は冒険者じゃないのでまた会う機会は早々ないが、偶然出くわした時に変化が見れることを期待しておく。
その日の夕方に二人が転移帰宅してきたので、お互いの情報共有をしたが……エルドギラノスに遭遇してしまい、あのネックレスが命運を握っていたと聞いて驚いていた。どうやらアトラだけを瞬間移動させる想定で作っていたらしく、三人も同時移動したことに苦笑いしてたよ。
せっかく異世界に来たので何か他のことにも着手したいところだが、今滞納によって地球での生活が危ぶまれている。≪エル・ダブル・ユニバース≫のクールタイムを待つのと地球での生活に慣らすためにアトラ以外の三人はその日寝ず、翌日の昼前に転移した。日本はもう数時間で日付が変わる頃。地球に降り立つなり種族上寝る行為が必要な俺とルミーナは気絶するように速攻で寝た。翌朝学校に数時間遅刻するほどに。
「……どうなってんだ?」
帰宅後、不在の自宅で不祥事が起きていないか念のため電気ガス水道の利用料金を確認してみたところ、何故か電気代が一万も発生しやがっている。そもそも何もつけない生活を行っていたので、何かを付け忘れたはずはない。人工島管理公社が嫌がらせするにしても、まだ滞納を滞納させてないのでそこまで残酷な奴らではないだろう。つまりこれは……そう、敵襲を意味する。
異世界に行くとき、この家の外で転移していれば鍵での施錠だけになる。ガラスが割れていたり壁がぶち破られていたりするわけじゃないので、仮に犯人が合鍵を持っていれば侵入できるが、今回この家の中から楓と転移している。鍵の施錠だけでなく、チェーンもかかっていたことになる。チェーンは構造上外からだとネジでも外さない限り取れない。何も壊された形跡はないが、部屋の残り香からして中に何者かが侵入していた形跡がある。ゴミ箱も勝手に満たされていて、無作為に捨てられていたせいでコバエも大量発生してやがる。
「ホントに何なの? ねえ」
スマホ画面に表示された金額を見たルミーナはキレているが、それはあんな奴と知り合っている俺に対してもキレている印象を受ける。そう、犯人候補は一名しかいないので、今すぐにでも殺しに行きたいが……
「チェーンがかかった状態を維持したままこの部屋に出入りしてんだろ? 何もんだ?」
怒りより疑問の方が勝ってしまう。魔法使いでもない限り、現実味の無い犯罪行為が行われている。これは……触れない方が身のためな気がする。
「小細工はないわね……」
ルミーナは玄関付近、主にチェーンを触って確かめているが、いたって正常。輪っかが知恵の輪になっていて取れるかとも考えたが、切れ目はしっかり再加工されている。
「電気信号を与えたら勝手に解除される機能とかあるのか?」
「都心部のマンションならあるらしいよー」
異世界ぶりに会った楓がベランダからやってきた。最近のハイテク機能としてあり得る話みたいだが、このアパートは適応外らしい。
「まさかだけど、行く前に言ってた仕事の話、必要になっちゃった?」
「なった。奇しくも想定外の形でなってしまった」
チェーンには絶大な信頼があったのにそれすら信用できなくなったのはもう部屋に監視カメラを仕込むしかない気がする。何らかの対策を講じるためにも、軍資金が必要になる。
「しゅうやん一か月借りるね!」
「ん? 一か月……?」
おいちょっと待て、そんなに長丁場なのは聞いてない。楓の斡旋なら闇バイトでもブラック賃金でもなさそうだが、もっと短期間で効率良く稼げる奴だと思っていた。
「いいわよ」
「いいのかよ⁉」
ルミーナが俺の人権を有しているのも謎だが、考える間もなく了承するのは納得いかん。
「だってお金は必要でしょ? 私達はまたカフェで働いておくから、萩耶は地球人である萩耶にしかできないことで沢山稼いでほしいわ」
「なるほど……」
話が端折られすぎてて全く理解できなかったが、判断理由を聞いて納得した。それなら神の元で過ごすルミーナとマリアは絶対に異世界人とバレることが無ければ、異世界人を隠すような立ち回りをする必要が無い俺は堂々と稼ぐことができる。ビックリし過ぎて契約の恩恵で思考を読み取ることすら忘れていた。
「ずっとバイトっつっても滅入ってくるだろうから、偶には学校の友達と遊んだりしていいからな」
自分が異世界人だから不必要な外出は控えているという意識はとてもありがたいことだが、一か月も不在状態が続いて何もリフレッシュの機会が無いのは精神衛生上良くない。
ルミーナの立場になって考えたものの……
「私友達なんかいないわよ」
「あれ? そうなのか? 異世界人だからバレないようにとか?」
「そういうんじゃなくて、私が地球人だとしても有益になるとは思えないからいらないだけよ」
これは……本人の意思なのか、俺の友人関係を見てそう思ってしまったのかは些か疑問ではある。とはいえ付属中から将来ほぼ確実に業界で有力な立場に位置するオーラが出ている人は珍しい。逆に言えば、そういう人は既にWB社にスカウトされている可能性があるし、志望・就職先次第では関係性を築くべきじゃなかったと後悔することだってある。リスク対策という面で見れば妥当な判断なのかもしれないが、地雷を踏んだようなこの感覚はどうすべきか。
「まあ……偶にはマリアと公園とか本屋にでも行ってくれ。暇があるか分からんが、俺も顔が出せそうなときは出すから」
実際のところ契約の継続も儘ならなくなるので、おいそれと外出を推奨するもんじゃない。家にゲーム機でもあればそれでよかったんだろうが、今回は自己判断に委ねる。
一か月規模のお仕事依頼。それは不思議にも一か月後にライブを控えるかえでとマッチしていて……
「それじゃスタジオに行くよー!」
どうやら、今回警備員としてじゃなく、バックダンサーとして雇うみたいだ。立ち回りの変化の影響で難度が上った日々の鍛錬に加えて、ダンスの練習。学校にも通いながらとか……体、持つかな?
楓は頻繁に行き来するからか、学生証を翳すだけで手続きを終わらせることができる。俺は元々顔を見せるだけで全スルーなので、厄介な手続きなく立ち止まらずに電車に乗ることができる。
「今回ダンス主体なんだろ? 一か月で求めるレベルに行けるかわからんぞ」
この前ガラス割ったときにそんなこと言っていた。時々お願いされるので多少は踊れるが、高難度のダンスや創作ダンスを要求されれば専門外なので全くできない。俺はただ動きを真似するロボットになるだけなので、ダンスを全面に押し出すと粗が目立つだろう。戦闘とダンスはどちらも体を動かす動作だが、必要な経験やセンスは全然違う。
「ダンスもやってほしいんだけど、今回はちょっと違うかな」
そのことでかなり悩まされているらしく、少しの間を挟んでから、
「とある人にメンタルトレーニングをして欲しいんだよね」
「メンタルトレーニング……?」
要はバックダンサーのリーダー的立ち位置について仲間を鼓舞しろってことなんだろうか。直球でも良ければ人にキツい言葉を浴びせるのは誰かさんのお陰で得意なので嫌な気はしない。
「報酬はー、一億!」
「一億⁉」
「と言いたいところなんだけどね、ボクじゃなくて会社通すことになるから……出ても数十万ぐらいじゃないかな」
考えても想像つかない金額過ぎて顎が外れかけたが、お金を出してまでもメンタルを鍛えて欲しい人が居るのは意外だな。楓は個人事務所なので、そういうバックダンサー的なのは全て外注で賄っているはずなので、楓が直接関わる内容じゃないと思っていた。
「続きは事務所で話すね」
電車を降りて関門を抜け、本土の電車に乗り継ぐことなく階段を下りてロータリーに出ると、舞希が運転する車の中から紅葉がこっちに手を振ってきている。後部座席に乗り、いつもは人工島の楓宅やスタジオでダンスを教えてもらっていたが、今回初めて事務所に行く。
ネットに疎い俺でも伏せるべき情報の判別はつく。例えば、事務所の所在地とか。人工島の連絡橋から移動し、都内某所のビルに着いた。人の目を浴びない為に車で移動しているが、俺一人だと車で移動する必要があるかはわからない。その辺はこれから相談していくことにする。
事務所は大きく分けて歌の収録部屋、ダンスレッスン部屋、事務作業部屋、この三部屋で構成されている。後はトイレやシャワーやキッチンがある細長の狭苦しい場所がある程度。ダンスレッスン部屋は広々としているが、全体的に見ると決して大きな事務所ではない。でも三人でやりくりするのであれば十分すぎる規模感だろう。
殆ど事務所に居ないらしく、例に漏れず舞希が打ち合わせに向かい――答えてくれるか怪しかったが、聞いたら普通に答えてくれた――作詞作曲は楓が行い、編曲や管理・企画・販売・運営系を紅葉と舞希が行い、トレーナーさんは雇っていない。今回のようなライブとかグッズ販売、テレビ出演、PV制作とか他との協力が無いと成立しない事以外はほぼほぼ自社で回しているらしい。歌詞やファッションなど、拘りがある部分は妥協しないが、自分の世界観を貫くために極力外注するのは控え、そうならないようにスケジュール調整を徹底しているらしい。
残された要素といえば、スタイリストと振り付けになる訳で……今回、メンタルトレーニングをしてほしい人は、星村玲嘩――この事務所の、四人目だ。
この事務所は以上の四名が従業員らしく、依頼するにあたってまずは現在不在中の玲嘩について情報を共有してくれる。
「れーちゃんはねー、当時ありえないぐらい歌とダンスが上手い奴が現れたって話題になったんだー。Reyって言うんだけど、しゅうやんボク以外のアイドルとかわかんないよね」
「一ミリもわからん」
この手に詳しい禎樹の口からなら出そうだが、生憎聞いたこともない。
「ボクの人気も落ち着くかなーって思ったんだけど、アイドルなのに愛想が良くなくて次第にね……」
かえでの存在が危ぶまれる人物が居たことには驚きを隠せないな。俺の顔を見て控えめに笑っている。
「まあ、歌って踊ってる奴が無愛想だったら仕方ないか」
かえで以外のアイドル誰一人として知らないが、アイドルに留まらず好きでやってるはずのことを楽しめてなさそうな表情でやってたら誰もその人を応援しようという気にはならないだろう。言っちゃなんだが、金稼ぎでやるにしても儲ける為に表情は作るはずだ。余程大きな課題があったに違いない。
「感情的な曲歌うと右に出る者はいなかったよ。やれって言われたら完全に全く同じもの再現できるけど、ボクとはジャンルが違うしねー」
かえでは変幻自在の声帯と独創性に満ちた作詞作曲能力を持ち合わせていて、自分の曲もロックだったり演歌だったり、ある一定のジャンルに囚われている印象はない。でも誰しもがかえでと聞いていの一番に出てくるのは『可愛さ』だろう。自分の可愛さを前面に押し出した振り付けや、聞く人皆の気持ちをハッピーにさせるような、そんな明るい太陽の様なアイドルという認識だ。老若男女分け隔てなくみんなが平等に無意識で口ずさむ、それだけ浸透していて、愛されている。感情的な曲もあれど、それに特化している印象は全くない。
「あんまり優劣つけたくないけど、舞踏・歌唱単体で見たらボクが負けてるよ」
「そんなにか」
楓にもそういう感情を抱くこともあるんだな。その意外さのせいで色々言えたはずの最強ポイントが何一つ口から出てこなかった。
「どの業界でもそうですけど、どこか他人と違う秀でた要素がないとトップに立つ輝きは生まれませんから」
「桜梅桃李だね」
あくまでアイドルが歌やダンスが上手いのは当たり前と言わんばかりに辛辣な発言をする紅葉は、あのままでは何れ萎んでいくのが分かっていたような感じがする。でも戦闘面に置き換えても、ただ強いだけの人間は探せばいくらでも出てくるので言わんとしてることはわかる。
「あと一か月したらツアーが始まっちゃうから、早く擦り合わせをしたいんだけどー、毎日家にれーちゃーんって言いに行っても姿を現してくれないんだよ? ひどーい」
それでも見捨てず毎日会いに行ってる楓は良い奴過ぎる。今の時代チャットでも送っておけばいいはずなんだけどな。
「一か月前なのにまだ振付師が来ないのは流石にマズいか」
「んーん? れーちゃんは今ボク専属のバックダンサーだよ?」
「振り付けも完成してなければライブどころじゃありませんからね……」
業界のこと知らな過ぎて恥かいたが、どの道バックダンサーとライブの練習ができないのは痛い。いくら昔名を馳せかけた存在で、もし今回の振り付けを全て自分が考えていたとしても、当日いきなり現れてかえでに合わせる事なんかできないだろう。それこそ、バックのダンサーがメインより輝きを放ってしまったり、下手くそすぎて雰囲気を壊してしまっては本末転倒だ。
「ですけど今回も来ないと思います……」
「もう一年も会ってないもんねー……」
さっき、中二の後半でデビューして中三の時にアイドルを辞め、この事務所に電撃入社したと聞いている。楓と同い年なので今は高二のはずだが、一年ってことはここに来たのは良いが、碌に顔を出していないことになる。今回のライブは激しめのダンスが多く、新曲も半数を占める。紅葉の発言的に、スタイリストや振り付け師を担っているかも怪しくなってきた。
「玲嘩は今何してんだ?」
「働かないと収入源がなく一人暮らしの生計が立てられないので、衣装の案や振り付けの案をPCで送ってきているんです」
「高校も入ってすぐ中退したらしいよー。えげつないペースで送られてくるから、弟も強く行けないんだよねー」
姉の楓が紅葉のことを『弟』と言ってることに対して物凄く引っかかるが……
「振り付けから逆算して曲を作ったり、案が余りすぎて一般の方でも気軽に着られるような物をポップアップストアとして販売したりしています」
「あー、こないだのか」
いきなりグッズ感ないアパレル始めたかと思えばそういう裏事情があったのか。
玲嘩が今どんな立ち位置なのか理解することができたが、
「てことは最悪俺一人でバックダンサー頑張れよってか?」
「いえいえ、そんなことはありません。外注を考えています」
普段わらわらとバックダンサーがいる印象はないが、今回はダンスが主。かえでを引き立たせるためにも優秀なバックダンサーが必要なので、俺一人で請け負わなくて良かったのは不幸中の幸いか。
「ただ萩耶さんにはリーダー的立ち位置になっていただきたいので、まずは全曲の振り付けを覚えていただきたく……」
「俺への依頼、メンタルトレーニングだよな?」
「うん、明日土曜だし、来てくれるよ、きっと」
一年も来ない奴が今回に限ってきてくれるとは思えないが、楓の表情には期待という感情が詰まっている。いつも期待してるというより、今回は秘策があると言わんばかりの含みがある気がする。とりあえず楓からの依頼の時点でアイドル活動が絡んでくるのは目に見えていたので、その必要が発生するかもしれないという認識でよさそうだ。
「よーし、今日のうちに全部教えちゃうぞー!」
「覚えるのは得意な方だ。任せとけ」
勉強は全く覚えないくせに、体の動かし方なら戦闘に通ずる部分が多く、一度見ただけで理解することができる。要は覚え方を工夫すればいいんだ。ダンスの心得はこれから磨いていけばいい。一先ずは、振り付けを理解しないことには何も始まらない。
異世界に居たせいで曜日感覚が消えていたが、翌日が土曜日ということもあり、時間を気にすることなくダンスを教わっていたら、少し日は跨いだが一日で振り付けを覚えることはできた。後はどれだけ上達できるかだ。
「なんかこの辺の選曲可笑しくないか?」
覚えやすい曲から順にやったので、今初めてセトリを見たが……二十曲ぐらいある中の真ん中辺り、凄い違和感がある。前後が英語の曲名でカッコいい並びなのに、いきなり可愛い系や情景描写的な曲名が四曲並んでいやがる。しかし重度の楓ファンであれば、可愛いゾーンに入る手前の曲が可愛さとヘビメタを組み合わせた斬新な楽曲だったり、前兆や余韻が伺える構造にしているんだろうと考察することができる。
「バックダンサーずっとやってたら辛いでしょ? ここはお歌タイム、休憩タイムだよ!」
要はダンスよりボーカル中心のゾーンもあるというわけか。緩急が凄そうだが、その辺は合間のMCで上手く繋ぐだろう。
『月光』とカッコよく書かれた冊子の衣装ページを見てみると、どれも黒基調でカッコいい衣装ばかり。今回はダンスが主体だし、見た目もクールだし、ギャップを狙っているんだろうか。玲嘩の話からして何か別のことを狙っていそうだが、こういう系統のかえでも嫌いじゃない。
「実はこの曲、臥薪嘗胆がテーマだけど、しゅうやんのために作った金欠の歌なんだよ」
「なんだその不吉な曲は」
ニコニコした楓がスマホを渡してきたので、歌詞と曲を聞いてみる。
「し、沁みるぜ……」
何をバカげたこと言ってんだと思っていたが、実際に聞いてみるとあまりにも刺さりすぎてもう一人の自分と辛さを分かち合えたような気持ちになる。一番で金欠のことについて嘆いて奮闘し、二番で一抹の富豪体験や感動秘話について歌っているが、金欠人間を見るだけでよくもここまでリアリティーにあふれた歌詞を書けるもんだ。
「間奏の振り付けしゅうやんに考えてもらおっかなーって思ってるんだけど、金欠の演技でいいのある?」
「素人に難しい質問ぶつけてくるな……」
事務所で寝ることもよくあり、今日はここで寝るからか、片隅に数人分の雑魚寝ゾーンを作り終えた紅葉が、
「再現してみたらどうですか?」
滅茶苦茶ハードな要求をしてきやがる。金欠が金欠の再現? 日常動作過ぎて逆に何すればいいのかわからん。
「両膝ついて頭抱えて『あぁー!』って感じ?」
悩みこんでいたからか、楓が予想で真似しているが……そんなことなるかよ。それは二の次三の次だ。
「実際は直立不動で『……え?』、これだぞ。現実を受け止められなさすぎて思考が停止する」
『え』でも『は』でも『ん』でも、とりあえずまずは日本語一つだけが口から飛び出てくる。あの瞬間は一秒が何時間にも長く感じる。嘆き悲しむのは、この後だ。
「でもそれだと見世物にしては弱いよねー。誇張しよう!」
楓は風に煽られる旗のような揺らめきを全身で体現しているが……心の乱れの再現度はまさしくそれだな。
「玲嘩さんに相談、ですね」
謎ダンスを見て苦笑いした紅葉は、近くのコンビニで買ってきてくれたらしく、未開封のバスタオルと肌着上下を渡してくれる。これを渡してきたってことは、俺も泊っていくこと確定みたいだな。多分、時間帯を気にしてくれたんだろうが。
「夜遅くなっちゃいましたね。朝は起こしませんので、ゆっくり休んでください」
「はーい!」
少なくとも土日は事務所宿泊になりそうなので、まだ契約が続いている内にルミーナとマリアに情報共有しておこう。
翌日、九時頃に起床してから楓にダンスを教えてもらい、一時を過ぎようかとした頃……事務所に、誰かが来たらしい。紅葉がそそくさと出入口の方に向かって行った。
一か月で完璧に仕上げることは可能だとしても、やると決めたからには親友の舞台を台無しにしたくないので、全力でダンスに取り組んでいる。来客の方に気を向けずにガラスに映る自分と楓の姿を見ながら踊っていると……
「え⁉ 来てくれたの⁉」
どうやら玲嘩がきたらしく、楓のダンスが急に止まって事務室の方に向かって行く。
「あのね、今回のセトリに見合うバックダンサーがどうしても見つからないと言われたので来たまでです。今回だけですよ」
どう察知したのかわからないが、声も聞こえてきたので俺もみんなのところへ向かうと……すげえ、どこかの王女が来たのかと思った。
ハイウエストのスカートにシャツを着て、ジャケットを羽織っている玲嘩は、今まで見てきた人の中で最もファッションセンスが高い。黒髪ロングに髪飾り、イヤリングやネックレスやブレスレットも付け、ビジュアル系の大人びた格好は、結奈みたいな個性派じゃなく、真似ようとすれば誰でも真似れる王道系ファッション。でもここまでの始祖といった風格は出せないだろう。素人目でも圧倒的なハイセンスが伝わってくる。しかも恰好だけでなく、小さすぎる頭部に長い脚と恵まれた容姿を誇っている。よくよく見れば、昔バックダンサーの仕事で会ったことあるような気がするが……邪魔な装飾が多い恰好からは踊る気が一切見えてこない。
「れーちゃんありがとう! ホントに助かるよ! 今日からまたよろしくね! 最高のライブにしようねっ!」
なんか発言と口の動きが一致してなかったので読唇してみると……『じゃあしゅうやん、れーちゃんが毎回バックダンサーやってくれるように、メンタル叩きなおしてね』だってさ。ようやく今回の依頼の全貌が見えてきたな。これは確かに……十万ぐらい出そうな案件だな。
玲嘩がどうしてそれでも貫き通さずアイドルを退き、尚もかえでのバックダンサーとして踊り続けようとしているのか聞くべきだが、この手の話題は直ぐには言ってくれないだろう。余程辛い過去を背負っていないとこの事務所に逃げ込んだものの顔すら見せないのには話が合わない。これは相当手強そうだ。
この事務所に知らない男が一人いるというのに、バックダンサーだと粗方想像ついているのか、一瞥するだけで何も話しかけてこない玲嘩は、俺や楓みたいなTシャツじゃなく、ハーフトップにタイツというスポーツウエアに着替えてからダンスに合流する。
玲嘩は殆ど自分で振り付けを考えているので、一から覚える必要はなく、三人でのダンスの擦り合わせから始めることができる。まずは三曲続いている部分。立ち位置を覚えるために軽めに踊りつつ、約十分通したが……
「はぁ……はぁ……はぁ……」
途中から動きが鈍くなっていた玲嘩は、もうバテている。予想外過ぎたか、楓もキョトンとしている。
身長は165と少し高めだが、特に太っている様子もなく、何ならかなり華奢な方。胸も大きくなく、行動の邪魔になっている印象も見受けられない。一年もダンスから遠のいたせいで、知識はあっても動き回れる体力を失ったんだろう。
「自分で作った振り付けなのにできないとかあるんだな」
元アイドルというぐらいなので相当期待していたが、裏切られたので愚痴を漏らしてしまう。
「あのねぇ、一度に踊って作ってるとでも思ってます?」
鋭い視線を向けてくるが、知らねえよ振り付けをどうやって作ってるのかなんて。素人目からしたら曲聞きながら一旦自由に踊ってみて、録画を見つつそれからどんどん改良していくもんだと思うだろ。お得意のPC上でキャラクターでも動かしていると言うんだろうか。
「ちゃんとアイドルの活動もしないとだね」
楓は飲み物を渡しつつ苦笑いしているが、
「別にいいじゃないですか、生活出来るお金はいただけているので」
本当はバックダンサーもやりたくなかったのか、かなり刺々しい発言をしている。言いすぎた自覚があったのか、最後の方は弱弱しかったが、楓と俺との扱いの差は感じる。
「でもなぁー、それにしてはちょっとだらけすぎっていうかぁ、昔はもっと引き締まってたよねぇー……4kgぐらい太った?」
流石にこれには楓もピキッと来るものがあったのか、声まで変えて女性が言われたら嫌なことをズバッと突く。お腹もツンツンするという二点突きだ。
「太ってません!」
玲嘩もこればかりは譲れないと声を張って反論している。元の姿を知らないが、俺としても太ったというより体力が落ちたという方がしっくりくる。
「運動して無さすぎて筋肉が見えなくなり、太ったように見えているだけですよ。多分体重やサイズは、測れば大幅に減っていると思います」
虎の威を借りるように玲嘩は楓に得意げな顔を向けているが、今のは誉め言葉じゃなければ擁護していたわけでもないはずだ。
「スタミナとやる気が見えてこないのは確かです。ご飯も食べずに家でゲームをしていたのでしょう」
「……」
ぐうの音も出ないってまさにこういうことだろう。玲嘩は表情を一変させ何も喋らなくなってしまった。
「ですが流石はアイドルです。腕や足は細く、お腹は綺麗なくびれと縦ラインの同居。全然体型に変化がありません。不健康でバテやすくなってしまったのが残念ですね」
「そうだよー、それじゃあライブ二時間ぐらいあるのに持たないよー」
形勢逆転し、今度は楓が紅葉の下に付いて嫌らしい視線を送っている。舞希は基本不在なので、この事務所内では紅葉が一番地位高そうだ。
「楓さんに言われても……」
玲嘩は楓の体型にジト目を向けているが、確かにあの体型でライブを成功させ続けている現実には嫉妬したくなるだろう。
「楓の腰、俺の太ももより細いからな」
「それは言い過ぎでしょ~」
楓は笑って受け流しているが、目測で人の身長とか直ぐ分かる身としては事実でしかない。誰が見ても細いというより幼いという方がしっくりくるとはいえ、少なくとも肉付きはなく、かといって筋骨隆々でもない。どこからこれだけの原動力が生まれているか全く想像つかない。
「……モデルを目指すなら多少の肉付きが必要でしょうが、アイドルやバックダンサーを目指す以上、動き回れる筋力があればいくら細くても問題ありません。最近は外見も必要になってきていますが、大前提歌やダンスが上手くなければ罵倒されてしまいますから。まずは体力をつけましょうか」
話しを戻した紅葉は、マネージャーたるもの体調管理もこなせちゃうのか、タブレットにメモを取りながら部屋の隅にあるランニングマシンを指差している。かえでが外出て走る訳にはいかないので、室内に走れる環境を用意しているんだろう。
他の器具はバランスボールとヨガマットぐらいしかなく、筋肉を付けるというより体力をつける目的なのが伺える。玲嘩の場合、自身が振り付けの制作を行っているので、踊る体力はなくても覚える必要はない。となるとまずは体力づくりから始めさせるのは理にかなっている。
「一先ず通しで踊れるようになるまでは玲嘩さんを担当しますので、楓さんは萩耶さんをお願いします」
楓は元気よく手を上げて「はーい」なんて言ってるが、妹か弟からはさん付けされてるんだな。
「……玲嘩さん、毎日お風呂入ってますか?」
汗だくの玲嘩を早速走らせようと近づいた紅葉は、何かに気付いたようで一瞬ピクっと眉が動いていたが、異臭なんかしていない。寧ろ玲嘩が踊れば踊るほどいい香りが散らされていた。
「香水で誤魔化してませんか? アイドルなので美容には気を付けましょう」
それでいい匂いがしてたみたいだが、これだけで美容を碌にしてない事に気づけた紅葉は大したもんだ。自分がそうさせたのか知らないが、美容に拘る姉を持つだけある。
「そんな決まりはありません」
差し伸べた手を掴むことなく自ら立ち上がり、ランニングマシンの方へ向かっている。表情からして何故か今回だけはやると言ってしまった自分を恨んでいるようにも見えるが、中途半端にしてライブを台無しにするような性格じゃないだろう。
「ファッションは気にするのに美容は気にしないんだな」
うわっ、こんわ。睨んできたよ。楓と紅葉が苦笑いしてる。せっかく返答してくれそうな話振ったのにこれならどうしろってんだ。
その日は、楓と二人でダンスレッスンに励んだが……紅葉が付きっ切りでトレーニングした玲嘩は、灰のように燃え尽きている。あれは明日筋肉痛で動けない奴だな。ルミーナで同じ状態をよく見た。
「玲嘩さん、親御さんには連絡したので、今日からライブが終わるまでここで合宿しましょう」
事務室から戻ってきた紅葉は、何往復かして健康志向の晩飯を人数分持ってきてからシャワー上がりの玲嘩にニコニコ笑顔でとんでもないこと言っている。
「あのね、私一人暮らしですよ?」
何をとぼけたこと言ってんだとばかりに鼻で笑っている玲嘩は、
「はい。ですが未成年なので、親御さんが契約主になってますよね。荷物は明日運搬していただくので問題ありませんよ」
「私の家解約したの⁉」
目をかっぴらいて紅葉の両肩を掴んでいる。髪の毛もまだ濡れてるんだし怖いって。
「みっちりレッスンを積みましょうね。食事や美容の管理もさせていただきます」
「はぁ⁉」
「それって合宿っていうか引っ越しだよね~」
関係ない楓は呑気にお茶飲んでいるが、紅葉も大胆な行動に出たな。私生活を監視下に置いてサボれない環境を作り、親に合意を得て家を解約させることで、自宅や実家という逃げ先すらも消しやがった。ここまでしないと一か月という短期間では間に合わないんだろうが、今回はバックダンサーをやってくれるという条件を駆使して反論の余地がないかなりグレーな作戦だ。よかった、非常勤バックダンサ―兼警備員で。
「萩耶さん」
「うす」
「毎晩テストを行います。記憶力と運動能力はあるようですが、ダンスの能力がまだまだです。合格点に達さなければ、ここで合宿です」
「うす」
怖いっす。笑ってないで助けてください楓様。
「なあ、紅葉ってアイドルのことになるとスパルタ教師なのか?」
絶望する玲嘩をよそに紅葉は誰かと連絡しているので、この隙に楓に耳打ちする。楓はフリーになってからは、自分の好きなようにやってきているはずだ。いくらライブ直前とはいえ、このスパルタマネージャーの元ではそんなこと実現できるはずがない。親族特権があっても可笑しくない。
「違うよ、弟が頑張ってれーちゃんを拘束させたんだから、ここからはしゅうやんの出番だよ?」
「なるほど……?」
ということであれば、早速嘘でもテストに失格し、その名目で毎晩事務所で過ごせってことなのか。それだとただの雇われたバックダンサーが毎日事務所に居座っていることに筋が通る。どの道事務所拘束は避けられないみたいだが、楓と紅葉がどれだけ玲嘩に輝きを取り戻してほしいかが伝わってくる。
「まだ話せてすらないが、本当に上手くいくのか……?」
何ならさっきトイレ行く合間に玲嘩が紅葉に「何で外国人ダンサーなんですか?」って質問しているところを盗み聞きした。異世界人は種族によって様々だから自分が碧眼だったこと完全に忘れていたが、本人に直接聞いてこないのはいかがなものか。
「体力が戻ってきたら、嫌でも話すことになると思うよ」
「そうなのか?」
「安心して! しゅうやんって基本秘密は守る……っていうか、大事に至るようなことじゃなかったらかるーく流すから、悪く言えば気が回らないけど変な気遣いがいらなくて居心地良いよ! って言っといたから! 大丈夫!」
「どこが?」
楓は俺のことも玲嘩のこともよく知っているからか、それ以降ニコッとしてるだけで何も教えてくれないが……一緒に暮らすことになる以上、必ずしも接点は訪れる。ライブが終わるまでに、バックダンサーを今度も続けてもらえるような気持ちの変化を起こしてやればいい。現状何も思いつかないが、焦っても失敗するだけ。俺も玲嘩もまずは基礎を習得するところからなので、メンタルケアを始める段階ではない。
「しゅうやさん、テストは明日から実施しますが、良ければ是非晩御飯食べていってください」
「いいのか? 俺まで」
「実家から沢山頂いているので問題ないですよ」
それは非常にありがたい。金欠人間にとって相手にもデメリットがないタダ飯ほど天の恵みはない。
「てか親とはいがみ合ってたんじゃなかったのか?」
楓は夜逃げの様な形で実家を飛び出している。親は否定的どころか激怒中だろう。
「昔は私経由でちゃんとやっているか偵察していました。ここまで功績を残してしまうと……」
「まあ、認めざるを得ないか」
寧ろ実力で見せつけたってことか。実際親は将来の姿よりその過程に対して苛立ちを覚えていそうだが、過程すらもアクシデントなく右肩上がりだった。
「反抗期ソング作っちゃおっかな〜」
「もう12曲ありますよ」
「あれー? そうだっけー?」
楓は呑気な奴だ。短絡的とはいえ、実力は確かだった。一概に運が良かっただけとも言えないのは解せない点だ。
翌日から意図的なテスト不合格作戦による四人での事務所暮らしが始まったが、どうやら紅葉は自宅を事務所と改築していたので空き部屋を持っていない。でも舞希が事務所の上に住んでいたらしく、ベッドぐらいしか使ってないみたいなのでシェアハウスへと変化した。俺と楓は人工島に借家があるので自室が不要だとして、玲嘩も送られてきた荷物は大量の服とノートパソコンだけ。自室は要らないとのこと。なのでLDKと舞希の自室、衣装部屋という構成に変化した。部屋がかなり広いのでLDKに四人集まってもまだ寂しさがあるのに、衣装部屋はあっという間に八割埋まってしまったのは流石だな。
「そういや、楓は食事管理されてないんだな」
ただでさえ俺の分まで用意してくれているのに、玲嘩のように徹底管理された献立とは別に、一般的なご飯を作ってもらう程がめつくはない。謎のサプリを俺にまで用意されるのは複雑な気持ちだが、そんな朝食を食べながらシンプルにパン一枚を食す楓を見て疑問に思う。
「食レポとかする機会があるので、個人の判断に委ねています」
「なるほど」
確かに言っちゃなんだが、こんな料理毎日食べていると他の料理の味なんか忘れ去り、いざ食べたときに美味い以外の感想を言えなくなってしまう。
「それに楓さん、何食べても体に変化が起きないんですよ。痩せもしないし太りもしないし、その日の調子が変わるだけなので、好きな物を食べてもらっています」
「へぇ、変わった体質なんだな」
「いえーい」
見た目も大切な業界人にとって、食事管理を徹底しなくてもいいのはアドだ。ただ、身近に一名それを聞くと発狂しかねん奴がいるので、ここだけの秘密にはしておいた方がいいだろう。
「逆に玲嘩さんは食べないとやせ細ってしまいますから、しっかりと食べてくださいね」
「変な奴しか居ねぇな……」
食べても太らない奴と、食べないとすぐ痩せる奴って……こいつらどういう体の構造しているんだ。
「学校行かなくていいのか?」
身支度を済ませ、水曜日になったが一向に登校しようとしない楓が留年しないよう聞いてみると、
「しゅうやん二周目だから知らないと思うけど、最近ボクみたいな人向けに通信教育ができるようになったんだよー」
うっそだろおい。そんな仕様知らん。知っててもスマホの操作を誤って単位落としそうだが。
「学校とここ行き来しなくても大丈夫! その分学費は高いけどねー」
「へー、いい商売考えたもんだな」
ただ高校を卒業したという実績が欲しいだけなら、午後の授業に出なくてもテストで通過できれば卒業可能。楓の場合出ても出なくてもテスト合格が余裕なので、これから一か月通信教育でも留年の心配はいらない。流石はバカ学校、生徒を手玉に取ってやがる。
二週目勢は専門学校扱いになるので、午後は一定数出席が必須になる。学校が終われば事務所に直行する日々を送り、二回目の休日が訪れた。
玲嘩のマッスルメモリーがすさまじいのか、紅葉のレッスンが秀逸すぎるのかわからないが、息は上がってもMCまでの数曲を通しで踊り切れるまでは取り戻したので、ようやく三人でのダンスレッスンにも取り組めるようになった。それでようやく気付いたが、数曲やってMC、数曲やって歌唱パートなど、均等にバックダンサーが一息付けるセトリになっていたのは玲嘩のことを思ってだろう。
「動きがぎこちないです。ここは激しい動きに見えますが、いかに滑らかさを出すかが重要です。それでは見栄えの悪いロボットですよ」
いくら体力が追い付いてなくても、踊りだけは楓と同等に上手い。そのせいでまだまだ駆け出しの俺は言われたい放題だ。パルクールと一緒で自由な発想で踊れるブレイクダンスなら楓にも勝てる自信があるが、可愛かったりカッコよかったりする振付を愛想振りまきながら指示通りに踊るのは分が悪い。しっかしクール系の人がカワイイ系の振り付けも難なくやってんのが笑いの沸点を下げてくる。その笑顔俺相手にも振りまいてくれ。
「指摘だけは立派なもんで。まずは自分が是正して完璧にできてから言ってくんねえか?」
ちょっと体力がついただけで踊れるようになっただけで、愚痴愚痴言われるのも腹が立つもんだ。楓があちゃーと額に手を付いているが、下に見られてはメンタルトレーニングどころじゃない。
「貴方さっきから何様?」
「こっちの台詞だ」
腕組んで睨んでくるが、あーあーそんなに汗かいちゃって。もっと涼しい顔で踊らないと見てる人の印象が悪くなる。
「あのねぇ、遊びでやってないんで。しっかりやってくれないと困りますよ」
「真面目にやってるが? 俺はお前の口の利き方にイラっときただけだ。かえでのダンスはわかってんだからあまり大口叩くなよ?」
「いいえ、何一つわかっていません。私が世界一のかえでファンなので、品質の差が際立って見えます。これ以上足を引っ張られると困ります」
「それは聞き捨てならんな」
足を引っ張るってことに対してもだが、それより世界一のファンという発言の方が気に食わん。こちとら本人による英才教育だ。負けてたまるか。
「でしたら路上で初めて歌った曲のタイトルはご存じですか?」
ファン度を測るというのか、いきなり質問してきた。ファンはファンでも好きと詳しいは区別すべきだが、生憎俺は『詳しい』方のファンだ。
「またね、だ」
こんな初歩的な質問、答えられない訳がない。確かに路上で歌ったっきり一度もCDやサブスクに登場していないし、ライブでサプライズとして歌うこともなかった。重度の詳しいファンでも初期勢且つ記憶に強くないと忘れていても可笑しくない。一気に篩に掛けてきたな。
「だったらこっちからも問題だ。その曲は何で『またね』というタイトルが付けられた」
これは答えられないだろう。今は歌われていない曲の制作秘話なんかどこにも情報が転がっていないはずだ。ましてや路上アーティストとして出たての頃。メディアの取材なんかある訳がない。
「当初は『初めまして』という予定でしたが、路上では常に初めましての状況下です。通りかかった人に自己紹介をしても覚えてくれる可能性は低いので、また来てほしいという意味を込めて『またね』というタイトルを名付けています。歌詞自体は自身の特色を活かすために様々な工夫がされているので、自己紹介でもバラードでもなく、散歩しながら口ずさめるようなゆっくりとしたメロディーになっていますが、『さよならなんて言わないよまた明日も会うからね』という歌詞には深い意味が込められています」
……なんで知ってんだ? この情報、どこにも出てない。初の路上ライブ前に何か起きたら守ってほしいとお願いしてきたときに教えてくれた裏話だ。開いた口が塞がらない。
楓の方を見ると、両手を合わせてごめんねのポーズ。友達だから教えたのか。これで勝ったと思ってどや顔していた自分が恥ずかしいな。
「最近出たバラード曲は?」
「mistakeだ。ワードチョイスを間違えて人間関係が上手くいかないことを綴った歌だな」
古い情報がダメなら超最新の情報ならいけると思ったっぽいが、何とか思い出せた。楓と異世界に遊びに行ってる時にリリースされていたので、耀傷に通った影響でスマホを触る習慣がついてなければ答えられなかったな。
「前回のサブスク限定配信で生歌披露した楽曲は?」
「『昼間寝すぎ』、『週休七日』、『明日やる』の三曲です。いずれも堕落テーマです」
コイツ、金会員だったのかよ。同じ事務所なら敢えてファンクラブに入ってまで情報を収集する必要はないはずなので、事務所に来てない玲嘩なら生放送現場も知り得ないと予想したのに見事正解しやがった。
『昼間寝すぎ』は石塚のことを合理的にバカにできるように書き下ろしたというマル秘情報はあまりにも身内ネタすぎるので言わないが……
「やるじゃねえか……」
「あなたもよく知ってますね」
少しは俺のことを認めてくれたのか、目つきと態度がかなり和らいでいる。ただのダメダメバックダンサーじゃないってことを伝えることができて一安心だ。
「ボクのこと大好きなんだねー! みんなでいいライブにしようねっ!」
俺と玲嘩の間に割って入り、身長的な問題でジャンプして肩を組んでくる。玲嘩と引っ張られるようにして頭をぶつけてしまうが、睨みを利かせてくることもなくくすっと微笑んできたよ。余程かえでのことが大好きなんだろう、分かち合えて一気に態度が軟化している。かえできっかけに話の輪を広げることができるとわかったのは大収穫だ。
それから数日後、夜八時頃に転移者騒動が起きたみたいで結奈からボイスチャットが来た。どうやら位置情報特定機能は基本的に人工島内でしか発揮できないらしく、六時頃に人工島外に出た情報があったのでかけてきたらしい。人口島に居なければ監視の必要はないのに呼んでくるのは気に食わんが、最悪人工島外に逃げれば追手を撒きやすいという情報を得れたのはかなりデカい。
人工島に到着した頃には当然転移者が始末されていたが、魔法で大暴れした形跡がEoDの惨状から見て取れた。パブルス帝国とヴァーブォーン王国には情報が浸透しつつあるはずなので、その他の国の人である可能性が高いが、始末されている以上見た目や服装から判断できない。
お陰様でシェルターはかなり深くまで解放され、EoDを修復するために未だ避難指示が解かれていない中、Wアラームが鳴った瞬間俺ん家に突撃し、バイトから帰宅して自宅に居たルミーナとマリアの身柄を拘束されてしまったから仕方なく人工島に戻ってきた。適当に不在理由を偽って語ったら帰ってくれたが、金欠がバレてその後二人と色々話してたから事務所戻りは一時頃だなこりゃ。明日も登校日なのでこんな時間から事務所に入っても意味はない。自宅で一泊すればよかった。
『先々週は渋谷、先週は新宿、今週は銀座? アンタ都民なんだからいい加減覚えなさいよ』
「都民は都民でも人工島民だからな」
未だに片手で数えられる回数しか自分の力で事務所まで行ったことが無いので、特に電車の乗り換えとかが全く理解できない。さっきまで拘束された逆恨みと言っちゃなんだが、結奈とビデオチャットを介して道案内してもらう。行動パターンから事務所の位置を割り出されたらマズいので、毎回ルートを変えるせいで乗り換えが手助け無しではできん。
「どうでもいいことは記憶しない素晴らしい脳みそだろ?」
『呆れたわ……毎週どこ行ってんのよ』
「……この時期って夕焼けが凄いよなー、赤とか青だけじゃなくて、ピンクとか紫とか黄色とか、変幻自在っつーか。今日は空が内出血してたぞ」
『? 内出血がどうしたのよ。駆け込み乗車でもして指挟んだの?』
地下鉄プラス人混みとなると電波が途切れることも多く、話を逸らすつもりが変な部分だけ切り取られてしまった。
「さーな、色々ひっくるめて個人情報だ。案内助かった、じゃあな。……ったく、んだよこのコンクリートダンジョン」
本当に東京の地下鉄は意味が分からない。蟻んこもびっくりだろう。一度更地にして情弱にもわかりやすく改修してくれ。
東京は夜でも明かりがついているビルが多く、例に漏れず事務所も明かりがついていたので、紅葉や舞希あたりが眠い目を擦りながら事務作業に励んでいるのかと思いきや……合鍵を使って事務所に入ると、明かりはついているのに事務室には誰もいない。隣の部屋の明かりもついていたので、そっちの方を覗いてみると……
「おい……何時だと思ってんだ、いつまで練習してんだよ」
玲嘩が、ダンスレッスンに励んでいた。他三人の姿は見当たらない。流石に上で寝ているんだろう。
「私がやりたいのでやっているだけです。邪魔しないでください」
実際、かなり追い込まれているのは伝わってくる。元々ストイックな性格だったと聞いてはいるが、一年程逃げ続けた挙句、たった一か月で二時間踊り続けられる状態まで戻さないといけない。最近の玲嘩は紅葉に体調管理もしてもらっているのにも関わらず、次第に目元が暗くなっているように見える。みんなで就寝するタイミングに目だけ瞑って時を過ごし、今のような追い込み練習を連日行い、必死に感覚を取り戻そうとしているんだろう。その気持ち、よくわかる。だが――
「これ以上頑張ったって身を亡ぼすだけだ」
キツめに言われたからか、玲嘩は踊るのを止めたが……疲労の汗だけじゃなく、焦りの汗も出ているように見える。相当プレッシャーを感じているな。
一年間のサボりで骨人間の道を歩んだとはいえ、筋肉は脂肪よりも密度が高く、体積が小さい。流石に体重が増えただろうが、見た目は初めて会った日より一層細く見受けられる。ちゃんとした食事を摂り、ちゃんと運動を再開したからといっても、約二週間でここまで体型に変化が出るのは、褒めるべきことじゃない。ただの危険信号だ。
「休むときはちゃんと休まないとベストコンディションが出せないだけだぞ。楓や紅葉、舞希だって寝てる。なんでか分かるか? 明日の自分が持たないからだ」
深夜一時なのに起きてる俺が言うのも信憑性に欠けるが、そんなことどうでもいい。今のコイツには、誰かが言わなきゃ気付けないことがある。
「でも……っ!」
ハンドタオルを力強く握り、震える体で地面を見るせいで表情はわからないが……
「よくその意思で今までサボれたな、バカがよ」
必死に追いつこうとしてるのは十分に伝わった。でも俺達は奇しくも寝ないと生きていけない人間という生き物だ。マリアのような人の形をしてるだけのバケモノ種族じゃない。
「バカ……」
初めて面と向かって罵倒されたのか、復唱してから汗か涙かわからん水滴を落としている。
「何に対しても否定的な態度を取るんじゃなくて、素直に受け取ってみたらどうだ?」
玲嘩目線、楓と知り合いで優遇されているだけの一般人ダンサーと映っても仕方がない。世に出ないのが正気か疑う程歌や踊りが上手くなければ、SNSで名を馳せているわけでもない。そんな奴から指摘されたところで何も響かないのが一般的だが、玲嘩の場合こういう得体の知れないちっぽけな発言一つが将来をも左右される鈍重な束縛原因になる。一々言われなくても一番理解しているのは本人だろう。その知らない人相手の冷酷な態度も。
「自業自得だ。無理をするなとは言わないが、自分の実力を弁えてペース配分しろ」
正直、強くなるためには人間的な要素をいくつか捨てなければならない瞬間もある。だが、それも自分の実力を理解してペース配分ができる奴が行うことだ。分かってない奴が真似すると、ただ体調を悪化させるだけ。それで得られるのは夜更かしや不眠、拒食といったマイナス状況だけだ。高校を中退している玲嘩なら日を跨いでまで練習しようが翌日に何の影響もないが、だったら別に夜更かししてまで練習するぐらいならしっかり寝てまた明日頑張ることもできるはずだ。焦る気持ちはわかる。でもそれで判断能力を失っては意味がない。
俺のような立場と違って、怠ったからといって生死に関わる問題じゃない。他人に先に越されることはあるが、追えないし越せない壁にはならないし、別のルートを辿る選択肢だってあるんだ。なのに今の玲嘩からは余裕が見えてこない。常に張り詰めた空気だ。今更ながら火が付いたくせに今日明日でナンバーワンになろうという気概さえ伺える。傲慢な奴だ。
「お前が寝るまで俺もずっと起き続けるからな。知らんぞ? 二人揃って明日絶不調でも」
実際のところ、今回バックダンサーをやるためだけに邁進しているならこの一夜漬け作戦でも全然いい。だが、今後も続けてくれるように意識改革を起こさないと依頼を完遂することができない。そこに気づかれないようにキツめの台詞を吐いて他のことを考えさせないようにしたが、流石に言い過ぎたかもしれねえ……
「……自主練しないあなたも、ライブを台無しにしたら一生恨みますからね?」
泣きっ面に挑発的な表情を交えるという高等テクニックで目を合わせてきた。へぇ、良い表情できるじゃん。尚更一年間も引きこもってた原因が気になってきたな。
「本気を出さない人なんか無理です。本当は強いのに実力を隠してのうのうとしている人も嫌いです」
「へぇ。あまり調子に乗ってると痛い目みるぞ」
見抜いたのなら大したもんだが、俺のロボットダンスは事務所で暮らすための演技だ。今回が初バックダンサーだったらもう少しかかっただろうが、もう既に違和感なく踊れる域に達している。実力至上の最たる例で暗躍する人間をあまり舐めるなよ。
今日の所はシャワー浴びて寝てくれるようなので、戸締りと消灯を済ませておこう。流石にこの時間から上の階のちゃんとした寝室にお邪魔する気にはなれないので、ここに布団も展開しておく。
「……今からは衣装作成します」
「はい……? いやその……寝ろよ」
この流れで寝ないとは思ってもいなかった。そこまでして夜更かししたいならもう知ったことじゃねえが……
「こんな時間に寝たことないので、布団に入っても無駄な時間を過ごすだけです」
「でも慣らしていかないことには一生そのままだぞ」
「……」
どうやら問題は違うところにあったようだが……
「とりあえず目瞑ってじっとしてろ。寝付けなくてもいい。この時間に横になって安静になる習慣を付けろ」
寝ることも全力でしろと、意味不明な根性論を押し通すわけにもいかないので、根拠がない方法を適当に言い残し寝ることにする。流石にこんな場所で寝られてはキーボードの打鍵音や筆記具の音、ましては歌ったり踊ったりはできないだろう。
週末、玲嘩の調子が徐々に上がってきたのは誰が見てもわかる変化だ。楓と紅葉がもう下手なダンスで偽らなくて、寧ろ上手いダンスを見せつけてそれを起爆剤にさせた方がより良いという結論に至り、俺が圧倒的な力量差を魅せつけてやったところ……本当に革命を起こしてしまった。ジャンル違いにも見えるブレイクダンスではあったが、見る人が見れば格の違いぐらい瞬時に伝わるもんだ。
本気のダンスを魅せられて完全に火に油を注いでしまったようで……ちゃんと脱力するとこはして調整し、生まれた余力で歌の為に腹筋を鍛えたり、ダンスの為に体幹を鍛えたり、両方ともに効果がある肺活量など、必要な要素を満遍なくしこたま鍛えるようになった。二日に一回は得意の水泳にも励み、これも得意な縄跳びの音も良く聞こえてくる。楓は「昔のれーちゃんだ!」って喜んでたが、あまりにも意識改革が起きすぎてちょっと引いたな。その道を究めたことがある人にとって、対抗意識はとんでもない原動力になるとは知っていたが、玲嘩は過去一の変わりようだ。その調子で一般人の俺に負けないよう頑張ってほしい。
三週間が経過した土曜日、通しで踊っても殆ど疲れた様子が伺えなくなった玲嘩と小休憩を取る。
「どうだ? 階段は一歩ずつ、着実に上るもんだろ?」
「階段、ですか。そうですね」
「何何~階段って」
俺が意味深な例えをしたからか、楓が体を横に倒すようにして視界にフェードインしてくる。
「階段って、基本的に一段ずつ上っていくだろ? でも、目を瞑っては上れない。等間隔だったら行けるかもしれないが、幅も高さもバラバラで、歪みや凹み、粘着質かもしれない訳だ。それは実際に足を踏み出すまで分からない」
「上ばっかり見ないで、しっかり足元見ながら上らないと躓いてしまうってことね!」
この例えを理解したのか、話題に沿った補足をしてくれる。
「そうだ。目標に見合った成果が求められる。躓いたら一番下まで落ちるリスクがあるとはいえ、着実に踏み進むことでその場で踏み止まれる可能性が高くなる」
「二段飛ばしや三段飛ばしなど、大きく踏み出そうとすれば、それだけのリスクが伴います」
自分がやろうとしていた行為を振り返るように、玲嘩が会話を繋ぐ。
「降りるのは簡単なんだ。大ジャンプしたっていいし、板に乗って滑り落ちることだってできる。目標を諦めることほど簡単な選択はない。だからちゃんと登ろうぜーって言ったんだよ」
夜レッスン中の玲嘩と鉢合わせた後日の出来事だが、良い感じの例えを思いついたらつい言いたくなったもんで、何の脈絡もなく話し出したもんだが……玲嘩の中で俺の存在がそこそこ舐めるべき相手ではないとできかけていたのか、素直に聞き入れてくれた。
「なるほどね~しゅうやんも良い事言うね!」
「流石にあれは酷すぎたからな」
「反省はしています。後悔はしていませんが」
できれば後悔もしてほしいもんだが、失敗を経験する前に改善させたので、後悔されなくても仕方ない。
「今回はチームだから、おんぶしないようにね! その人が全負担を背負っちゃって躓きやすくなっちゃうよ~」
「そんな状態で躓いたら二人揃って二度と階段上れなくなるな」
俺が言うのは実際の階段のことで、目標の比喩表現として用いる階段では新たな段差を作ることは容易いが、持ち直すまでに時間はかかりそうだ。
この話を聞いていた紅葉はうんうんと頷きながら飲み物を持ってきて、せっかくなら偶には歌いながらやってみるのもいいかも、というひょんな提案から三人で歌いながら踊ることになり……
「歌ってもっと大きな声出した方が楽だよー」
いつも歌いながら踊っている楓はそんなこと言っているが、今の玲嘩に言ったって無理だろう。
「まだ歌と踊りを両立出来るとこまでは行けてないんだから、ライブ終わるまではダンスだけに注力すべきだな」
歌とダンスを並行するだけで何十倍にも難易度が上るようで、玲嘩は激しく呼吸を乱している。よくよく考えたらただでさえ激しい動きで息が上がるのに、それに加えて上手すぎる歌唱も交えるとか狂気の沙汰じゃない。歌詞は楓が書いて振り付けは玲嘩がやっていて、それぞれが最高なものを作っている都合上、振付の難しいタイミングと歌詞の呼吸のタイミングが全て一致しているとは言えない。そこもいい意味で悪さしている。
「あのね、私にもプライドがあります。やらせてくださいっ」
「んー、どうする? しゅうやん」
振ってくると思っていなかったので、全然言葉が出てこなかったが……
「そういや今回のバックダンサーは三人編成なんだろ? 後一人はどこ行ったんだ?」
この状態の玲嘩を続行させるわけにはいかないので、休憩がてら気になっていたことを聞く。
何だかんだ次の土日を迎えれば現地でのリハーサルが始まり、ライブも順次始まっていくので、いまだに顔を出さないのは本当に居るのか怪しくなってくる。この事務所には全て四人分で用意されていたので、多分玲嘩みたいに失踪中とかじゃなく、外部依頼の人になるんだろうが、リハーサルで初対面は振り付け面で見れば問題なくても、お互いのコミュニケーション面で見れば良くないだろう。
「言われてみれば居ませんね」
それに関しては玲嘩も疑問に思っていたのか、丁度スポーツドリンクを持ってきた紅葉の方を見ているが……
「もうすぐ来るよ……あ! 来たかも!」
楓が直接依頼したのか、出入り口の方に姿を消し……その間に、玲嘩は汗を拭いて人と会える体制を整える。
「じゃじゃーん! 田崎陽菜ちゃんでーす! バラードの時、華麗に舞ってもらうよー!」
どういう人物か知らない玲嘩の為に、フルネームで紹介しているが……
「外注って陽菜だったのか」
陽菜と目が合うと今まで隠しててごめんねーと言わんばかり軽く目を瞑って両手を合わせてきた。俺を通じてバレエ界の秀才と知り合えたので、早速起用したのか。
「はい。ダンス曲は萩耶さんと玲嘩さん、ボーカル曲は陽菜さんにバックダンサーを頑張っていただこうかと」
ダンサーとはかけ離れた華奢でかわいい系の女性が現れたからか、腕組んだ玲嘩は『こんな人が?』って顔に書いてるような表情をしているが、陽菜を侮ってはいけない。アイドル界のスーパースターが楓なら、バレエ界のスーパースターは陽菜だ。
「遅れてごめんねー、先週までバレエの大会がありよったけん」
「堂々優勝おめでとー! 日本の頂点サイコー!」
日本一と聞いて玲嘩は俺と陽菜を交互に見て現実を受け止めることができてない。どうしたんだよ、腹筋でもして負けないように頑張るか?
「休息の間も無く恐縮ですが、今日からよろしくお願いいたします」
「いえいえ、うちもかえでさんのバックダンサーをできると聞いて大会どころじゃなかったけ」
「それでも天下取れるの最強すぎ!」
紅葉と握手している手を楓は横から掴んで上下にブンブン振ってる中、
「冗談、ですよね?」
「いや、ガチだ。検索してみろ」
玲嘩の反応が新鮮で面白いな。検索結果が出たのか、硬直してるのも声出して笑ってしまう。
「最初嘘だと思わなかったか?」
「いっちょん同一人物とは思っとらんかったけんばり驚いたっちゃんね」
陽菜もかえでファンだったのか、相当興奮している。方言が強まりすぎて終始何言ってんのかわからん。まあ、一応陽菜も芸能業界の人間ではある訳で、かえでと楓が同一人物だとわかってもばらさないだろうという信用を元に依頼したんだろう。バラードや元気溌剌曲にバレエ要素を取り込むのは確かに面白くて一ファンとして見てみたくはある。
「一緒に踊ることはないけど、お互いどんなことしてるか把握しよう!」
そう言って楓はライブの一曲目から歌い始め、完全な通しが実現する環境下で練習を再開した。
楓にはバレエが作る世界観が分からないので、どんな舞を魅せるかは全て陽菜に託し、陽菜は曲に合わせて自由に表現するために、とにかく曲を聴くことに専念することになった。踊り自体は全国一位を取るレベルなので、一緒に合宿することもなければ家も遠いので、あの日以降事務所では会っていない。頻繁にグループチャットでやりとりしていて、お互いレッスン風景の写真や進捗動画を送り合ったりもしたので、あまり遠くにいる感覚はしなかった。
チャットのプロフィール欄に誕生日が書かれていたので、
「ほい、これプレゼントだ」
好感度上げに励むためにも誕プレを買っておいた。楓や紅葉の流れで渡すと質も値段も雑魚過ぎて相手にならんので、テレビ収録で事務所に俺と玲嘩だけが残されたタイミングに渡したが……
「いきなりなんですか? 賄賂ですか?」
「人の善意を無下にするなよ、来年からあげねえからな」
いくら誕生日当日といってもいきなり物を渡されれば玲嘩らしい反応が飛び出してくるとは予想していたものの、賄賂とまで言われるとは心外だな。四月が年の変わり目の印象が強い学生の中で六月という割と早めに誕生日を迎える俺は、金欠なんで基本的に自分から誰かに誕プレを買ってやることはない。渡されたら相手の誕生日に何か返すという受け身のスタンスだ。玲嘩は俺のプロフィールとか見ないはずなので、これが最初で最後だろう。
「ださっ……ありがとうございます」
「おいてめぇ今何っつったか」
特に誰かと相談することが無かったとはいえ、特売コーナーに紛れ込んでいた可愛い動物柄の靴下だ。女はこういうのが好きなんじゃないのかよ。確かに玲嘩は柄じゃなさそうだが、靴を履いていれば見えないとこにまで高級品に拘るというのか。
「えーめっちゃいいじゃん!」
「楓さん正気ですか……?」
スケジュール管理の要らない二人でダンス練習に励んでいたせいか、いつの間にか楓の帰宅時間になっていたようで、引き攣った表情で靴下を汚そうに摘まみ上げる玲嘩の元にアイドルらしい衣装の楓が駆け寄っていく。それに続くようにして紅葉や舞希もご帰宅だ。
「れーちゃんせっかく誕生日プレゼントもらったのにそんなこと想っちゃだーめ!」
「あのね、要らない物を押し付けられるぐらいなら現金の方が良くないですか? 好きな物選べますし」
完全に同意見過ぎて急に申し訳なくなってきた。素直に500円渡しておけばよかった。こっちの頭悩まされる時間も無くなるし。
「んーん、それじゃあ想いが籠ってないよ。現金とかただの義務誕プレじゃん!」
楓の発言を受けた玲嘩はぐうの音も出ない。なんか俺まで流れ弾をもろに食らった。
「これが好きそうだとか、これなら喜びそうだとか、色々考えてプレゼントしてくれたんだから、要らないとか言っちゃだめだよ? 毎年置物ばっかりでうんざりしてるならわかるけど、れーちゃん今回初めてでしょー?」
「そうですね……」
食べてなくなる物より一生残る物の方が良いと言って毎年置物ばかり渡してくる野郎は俺にも心当たりがある。プレゼントという名目で廃品回収させられている気がするが、誕プレという体で渡されている以上強く出られない。
「それにこういうことがないと自分と違う文化に触れ合う機会ないでしょ? しゅうやんに感謝しないと! はい、ありがとうございました」
「あっ、ありがとう……ございます……」
「お、おう」
不服そうに頭を下げてくるが、楓には逆らえない様子。舞希は何だかんだ三人の上下関係を始めてみたからか、必死に笑いを堪えている気がする。
今日は四人の息抜きも兼ねた親睦会だ。紅葉は同行しないが、必要なことでもあると認識してくれているようで案外すんなり受け入れてくれた。言葉の入りが「かーえーでーさん……今回だけですよ」と否定的だったので拒否られるかと思ったが。玲嘩も最初は「私は練習したいのですが」と言っていたが、楓が上手くあしらっていた。
「やっぱすごいな……」
「どしたの急に」
「あー……いや、美男美女が揃ったなーと」
事務所から一緒に居るので現地集合したわけじゃないが、改めて人であふれる場に四人で降り立って認識した。
「自意識高いんですね」
「特にアンタに言ってんだけどな……」
玲嘩が真隣に居たので発言を急変させた影響でナルシスト要素が含まれてしまったが……玲嘩は、街中に降臨すると誰よりも輝いて見える。一人だけスポットライトが当てられているのかってぐらいずば抜けた容姿端麗さだ。それでいてファッションセンスも高いので、男女四人組がいるで一度、かえでのガチファンがいるで二度、えげつない美人がいるで三度、いや全員レベル高くないかで通行人から四度は見返られるのはいかがなものか。
「髪染めたんだ?」
「ウィッグだよ!」
楓が答えるということは、ライブの雰囲気作りの一環なんだろう。灰色のポニテ、今日はコンタクトじゃなくて眼鏡なのでインテリ感があって似合っている。
「校則が厳しくて派手な色は染められんっちゃん」
陽菜含め割と茶と金はいた気がするが、こういう派手な色はダメなんだろう。銀や灰などの白っぽい色が派手かは置いておき。
「ライブが終わった後にファンクラブで裏側密着として親睦会の様子載せたいから、写真撮ってもいい?」
「俺は気にしないぞ」
続いて二人も首肯する。唯一世間に顔が出てない人がOKなら皆もOKなんだろう。
「ありがと! 意識しなくて自然体でいいよ、楽しむこと優先でね!」
そう言いつつ掌を向けた先には、極力主役四人の視界に映り込んでも気にならないようにか、全身真っ白な恰好をした女性がいた。白は逆に目立つ気もするが、写真撮影なので真っ黒だと職質される危険性もあるか。
「……あれっ、恋音じゃん」
ペコペコお辞儀しながらカメラを握りしめていて、帽子を深く被っているせいで低身長な若者としか認識できなかったが、いざ目と目が合ったらピンと来た。
「お、しゅうやん知り合いだった?」
「商店街のくじ引きで偶々な」
「えっ、そんな偶然起きるんですね……」
「萩耶君って色んなジャンルの知り合いがおるんやね」
運が良すぎるのか、関連事業だから世間が狭すぎるのかよくわからんが、この場にいる全員がびっくりしている。
「主に風景やってるんじゃなかったのか?」
「人物にも色々挑戦してみたくて、打診したら快諾してくれました。すみません、私のような最底辺の写真家が音楽業界の頂点に君臨する方々の休息を邪魔してしまい……」
「おーすごいすごい、あんま喋んな写真に集中しとけ」
このタイプは多分玲嘩が嫌いな性格だ。早いとこ写真撮影に専念してもらおう。俺達と違って恋音は仕事で来ているからな。
まずはライブの成功祈願ということで神社に行くことになったが……
「バ先じゃねーか」
渋谷か千代田かと思えば集合場所が何故か三茶だったので嫌な予感がしていたが、ウォーキングという体でぐねぐね経路選択しつつも着実にバ先に近づきやがった。
「こんなところに神社があったんですね」
玲嘩はまだ俺のことをそこまで深く知っていないからか、金木犀のいい香りがする周辺景色を見渡しているが、
「萩耶君バイトしちょったんだ」
「最近金欠だからな……」
「最近っていうか永年だよねー」
「うるせえ」
一頻り弄られ、店内を覗くと……マリアの姿しかない。今日は平日なのでルミーナは学校だろう。陽菜は催事の振休だし、俺だけが午後サボりだ。
「次どするー? 上野? 墨田? 中央? 江東?」
距離感的にはランニングにも程があるが、そういう意味じゃなく……動物園、水族館、博物館、植物館、どの展示系に行きたいか聞いているんだろう。長年の勘がそう伝えてくる。
「んー、なら墨田か?」
展示系を網羅するなら上野がうってつけだが、見たさで言ったら鉄骨ドームが特徴的な植物館に軍配が上がる。しかし流石に距離が遠い。となると東京スカイツリーは『決戦兵器ドラグノーン5000rtk』とかいう中二臭いネーミングの兵器の武器と言われているが、未だに間近で見たことが無い。登れはしないが、近くで見ることはできるので、懇親会にしては物騒だがこの際行ってみたくはある。
「水族館は臭くないからいいですね」
「お前も排泄物あるだろ、動物に謝れ」
多方面に失礼なこと言いやがる玲嘩は故意的に言ってないのが余計タチ悪い。
「んー、四時間徒歩は寧ろ疲れちゃうから、渋谷行こう!」
「渋谷って園ないっちゃないと?」
「その後その後」
渋谷には各所に変なビルやトイレがあるらしく、特に目的は無いのでそれらを軸に練り歩く。海の中みたいなトンネルやアーチが特徴的な公園にも行った。しかし写真を撮ろうとすると、どんな瞬間でも向けられたら瞬時に決めポーズできるのは業界人の才能なんだろうか。俺なんか反射神経に身を任せたシンプルピースしかできなかったので、途中から自然体の写真撮影が増えた気がする。
「玲嘩さん楽しめちょる?」
「大丈夫。基本中だから外の空気に気圧されてるだけです」
気圧されてる奴はそんな張り切った恰好できんだろ――と言いかけてギリギリ留まった。上は半袖ワイシャツを着て、下はミニスカの上にロングスカートが重なった二重構造が特徴的。スリットで片足はミニスカ状態なので、細さをアピールするかの如く露出している。全体的に黒系で統一していて、ネイルやピアスやブレスレットなど装飾品もうるさすぎず、ライブ用に染めたインナーカラ―もいい味出している。ファッションセンスは玲嘩の強みだが、体型やセンスなど周りに圧倒的な差を魅せつけ過ぎだ。無意識に敵を作る才能がある。
玲嘩の服装を気にしたら他二人も気になってきた……楓は腹出し肩出し半袖にスカート。それに意味を成しているのかわからない袖のような独立した生地が腕と脹脛にある。露出と生地のほぼ均等なコントラストが最高に気持ちいいが、この時期だと朝晩は寒そうだ。陽菜はいつもワンピースを着ている印象だが、二人の雰囲気に合わせたのか今日はシアーシャツにスリットデニム。ギャップが凄い。合流した時はインテリ系だったが、日焼け対策なのか帽子とグラサンを付けているので如何にも富裕層って偏見を抱く印象だ。やっぱり一般人のファッションセンスは目を見張るものがある。
人工島民は戦闘狂しか居ないので、スポーティーな恰好が主流で且つそれ系しか売っていない。その影響で例に漏れず一般的なファッションのセンスなんかない。楓のお陰で服の名称はある程度分かるが、現状明るい茶色のシャツに明るい色のデニム。適当にネットで『秋コーデ カジュアル メンズ』と検索して出てきた結果みたいな恰好だ。今回昼間のお出かけなので上は白か灰色っぽい奴のローテーションだが、夕方以降なら黒シャツに緑カーゴになる。この時期は大体これら。もはや女装した方が素晴らしい服装で街を歩けるまである。まあテンプレみたいな俺のお陰で三人を際立たせることができればそれでよかろう。
「れーちゃんって一度決めたことにはこーなっちゃうからねーっ」
コンビニから出てきた楓は目元に両手を当てて視界が狭くなっていることを表現している。一度やると決めたからには本気でやるのはいいことだが、この時間があれば◯◯ができたとか、囚われていそうだ。こういう息抜きの楽しみ方も覚える必要がありそうだ。
「はいしゅうやんにもあげる」
「きゅうり味のぐみ……」
楓が渡してきたのは期間限定のぐみ。限定商品って無性に買いたくなるのはわかるが、食う前から死ぬ未来がわかっているようなもの渡されたな。
「うっそだろおい……普通に美味いのかよ……」
「この人の味覚は信用してはいけませんよー」
「は?」
どうやら毒味役だったらしく、ぐみが喉を通ったのを確認してから自分の分を手に取っている。何でも美味しく感じる貧乏舌ですらマズく感じたらどうしようかと思ったんだろう。
「冒険じゃあ! ……うげっ」
「大げさだな」
「いやいやいや」
楓から一つ貰っていた陽菜の表情も青ざめている。え、これ、一般的にはそんなマズいのかよ。
「れーちゃんも食べる?」
「私は要りません」
二人の反応を見て食べる人はいるはずがない。ただの変態か、捨てるぐらいなら食うっていう優しい奴ぐらいだ。
「ほらほら~そう言わずに~」
「いりませんっ!」
心の底から食べたくなかったのか、玲嘩は勢い余って近寄ってくる楓の肩を思いっきり押した。
「おっ?」
「すっ、すみません! 私、こんなことするつもりじゃ……」
「気にしない気にしない。でもれーちゃん、時には冒険も必要だと思わない?」
「……」
自分がやった行動が裏目に出て、断れなくなった玲嘩はぐみを受け取り、恐る恐る口の中に放り込む。すると……二回ほど、噛んだ。で、止まった。飲み込んでないな。
「あれー? どこ行っちゃうのー?」
アイツ……変なグミを変なトイレにペッしに行ったな。チャレンジ精神は評価してあげたい。
「うちはプリン味のガムです! これも食べてみる?」
転移者がこなさ過ぎて頭が可笑しくなったのか――理論は本土なので通用せず、悪ふざけが過ぎたガムを一枚貰い、食う。こういう謎商品は大抵売れ残って後々破格で在庫処分されるので、事前に味の是非を知れるのはデカかったりする。
「ん……マズくはないが……プリンじゃダメなのか……?」
やっていいことと悪いことがある。確かに忠実にプリンの味が再現されているが、それが寧ろ何でプリンなのに噛んでいるんだという解釈不一致を招きかなり不愉快。普通にプリンを食わせて欲しい。
「えぇー⁉ しゅうやん分かってないねぇ~。期間限定とか数量限定とか、新商品とか意味わからない味だからいいんだよ! ねー!」
陽菜は楓の意見に完全同意なのか、強く頷いている。理由が伝わってこない抽象的な意見だが、二人が共鳴し合っているということは、好きな人なら潜在的に共感できる要素なんだろう。
「あれか? 肉屋で魚食うタイプ。バイキングで全部ちょびっとずつ取るタイプ」
陽菜はどうか知らないが、楓のことはよく知っているのでわざとらしくいやらしい視線を送ると、
「用意されちゃったら……ねぇ?」
「逆に気になるっちゃんね」
逆に気になるって意見は分からなくもないが、その場合初回以降は含まれていないはず。でもやっちゃうタイプであれば、俺の理解では及ばない領域だ。
「いやー、堅実派と冒険派できれーに分かれたね~」
「おい、俺の味方はよ戻ってこい」
「……はい?」
丁度戻ってきた玲嘩は、派閥区分は聞こえていなかったようでいきなり味方にされて首を傾げている。今思えば玲嘩とは考え方が似ている部分が多く、意見が衝突しても相手の意図を直ぐに読み解けているような感じはしていた。対して楓や陽菜と居る時は普段しないことを体験する機会が多くて刺激的。ボケとツッコミのバランスは良くないが、性格のバランスは良さそうだ。
「れーちゃんって嫌いな食べ物ある?」
「グミです」
あまりにも即答過ぎて口直しのお茶を吹き出しかけた。危ない危ない。
「んーそれ以外は?」
「魚ですかね。骨が煩わしいので」
「自分の体の骨のありがたみを思い知れ……」
一度骨折を経験して考えを改め直していただきたい。
「しゅうやんって何でも食べるよね」
「そーなん?」
「それが最近食えんものが見つかったんだよ。ゴルドー……」
っぶね。異世界の食品名口走ってしまったっ。
「ゴルドー……?」
「そんな名前から始まる食べ物ってありましたか……?」
訂正。やべっ。しっかり聞かれてしまっていた。
「ボク分かったよ! ゴルゴンゾーラ!」
何かいい誘導案がないか考えていると、純粋にそう思ったのか、俺の為にそうしてくれたのか分かりにくい閃き反応をした。
「あの青カビがあるチーズですか」
「ピリピリするらしいっちゃんね。好み分かれそうやねー」
「あ、ああ、そうなんだ、見た目も気持ち悪いしな」
全然ピンと来ていないので、カビと聞いて適当に見た目を指摘しといたが、二人の反応を見るに的を得ていたようだ。
「あとは……サソリかな」
「サソリ⁉」
深堀されたら見抜かれるので、変化球を投げて気を散らしておこうとしたら、真っ先に反応したのは楓だった。
「普通食べるものじゃないよね⁉」
「それはそうだ。でも売ってたから食わされたことがあんだよ。味自体はマズいわけじゃないんだが、見た目のせいで先入観がな……」
「味は美味しいんですね」
「甲殻類の味がすんだよ。目隠ししてたらサソリだとは思わんだろうな」
愼平と禎樹と本土に行った時、昆虫食の自販機と遭遇して色々食う羽目になった。そういう過去もあったのでその辺の雑草ぐらい平気で食えたりする。
「うーん……一度しか食べたことが無いものとか、普段食べる機会が無いものも含めても、うちは嫌いな物ないかも」
「それでしたら私はパクチーが苦手です」
「あーパクチー癖強いもんね~」
何だそれ。地球にもあるのかそんな異世界っぽい名前の食品が。今度見かけたら食べてみよう。
「――あ! やばい! 忘れてた!」
「どうしたどうした」
何かを思い出したかのようにビニール袋の中を漁り出した楓は……
「しゅうやんには後これもあげる。イカスミ味のアイス!」
「イカスミ味のアイス……?」
確かに棒に刺さった真っ黒い固形を渡されたが……そもそも、イカスミって味するんだろうか? 食べたことが無いので全く想像できない。
「ん……なんかスースーするぞ……? これが、イカスミなのか……?」
夏じゃなくても放置されていたので少し溶けている。早いこと大半を口の中に放り込んだが、爽快感が半端じゃない。一気にこの量を食べたから感じてしまっているんだろうが、イカスミってこういう味なのかもしれない。……なんか、楓が笑いを我慢しているような表情に見えなくもないが。
「それ、チョコミ――」
「――れーえちゃんっ」
ニコッと微笑んだ楓に何を察したのか、玲嘩は黙り……
「せーかいはゴマ味でした~!」
誇らしげに楓が答えを言った瞬間に陽菜が顔を逸らした。妙に肩がピクピク動いて見える。
「ゴマ⁉ いやいやいや! それだけはない! 絶対にない! いくら高級だろうがこんなスースーするゴマはありえん!」
一番しっくりくるのはミント味だが、それならアイスが真っ黒なはずがない。
「またまたぁ~」
「どのコンビニだ! あれか⁉ ちと待ってろ、奢るから食え!」
一体何なんだこの食べ物は。笑ってないで本当の答えを教えてくれ。
謎菓子騒動を乗り越え渋谷でオシャレな昼食を済ませてから墨田に行く……途中で服を買いに寄る。綿密に計画を練った旅行もいいが、こういう行き当たりばったりなのも刺激があっていい。
「こっちとこっちの服、どっちが良いと思う?」
楓が試着室のカーテンを開けてじゃじゃーんと二つ目の服を着て姿を現した。玲嘩は腕組んでうんうんとしっくり来ているよう。陽菜も音無し拍手をしてキャッキャしている。全会一致でもどっちも最高という答えが出てしまったな。
「んぁー……どっちもいいんだけどなぁ……こうなったら、どこに行くかなんだよな?」
どっちも買うという選択は簡単であり逃げでもある。二つとも試着したということは、楓的にも甲乙つけがたい状況なはずなので、いつものようにガチ回答を担当する。
「右だったら水族館とか動物園とか、何かのんびり鑑賞する系が良い気がするんだよ。あんま派手じゃない所が、あくまで自分は主役じゃないって感じがしてな。だからといって左が派手ってわけじゃなくて、結構動きやすそうな恰好だからー、公園とか娯楽施設系で遊べそうなんだよな。まー個人的には左か? 俺がそっち系の店の方を好むから、俺と遊ぶときに着るならそっちの方が機会が多いんじゃないか? いやでもな、似合うなって思う方は右なんだよな……どうすりゃいいんだよ」
「……ね? 凄いでしょ?」
「何がか? ……え?」
腕組みして顎に手を当てつつ熟考するが、楓の言葉は玲嘩と陽菜に向けられていて……二人はきょとんとしてこっちを眺めていた。
「え? 俺変か?」
「変ですね」
「変やね」
「変変! 変過ぎてめっちゃいい!」
「どういうことだそれ」
三人の反応的には褒めているんだろうが、ワードチョイスがキモいとかそっち系で使われるものなのでむずがゆさがある。
「こういう感想系って普通ぶっきらぼうっちゃないと?」
「ここまで本気で向き合うことあるんですね……」
「しゅうやん意外とこういうのに付き合う時真面目なんだよね」
……ああ、なるほど。この二択に意味はなかったのか。試されていたわけだ、この余暇にどれだけ前向きに参加しているかを。それも戦闘面で積み重ねを一番大切にしていそうな俺が、どれだけ割り切れているかを。そんなことやらなくても切り替えができない人間はそう長くない。楓はそれを分かった上で、二人に張り詰めて練習するだけでなく、休むときはしっかり休むことの真意を伝えようと態々店に寄ったんだろう。
「いーや、人選んでるぞ?」
「そういうところも含めてしゅうやんっぽいよね~」
楓に至っては全てがお見通しのようで、完全に主導権を握られている。自分一人だったら来ないようなところだから、見るだけでもおもしろい。こんなものがあるのかって……と言ったところで、またまた~とあしらわれるのがオチだろう。全く、敵わないな。
買った服は次回お披露目するということで、俺の意見が組み込まれたのかわからない状態になったが……買い物を経て、東京スカイツリーに到着。併設された商業施設の屋上から見上げたが、近すぎると何にもわからんもんだ。しかも登れないとかただの巨大なオブジェクトに過ぎない。WB社の島に保管しろよな。
「水族館で見るクラゲって神秘的だけど、野生で見るクラゲって気色悪いよねー」
「半透明で濁った赤色なのが気持ち悪いよな」
「海水浴の天敵っちゃん」
クラゲの展示数の多さに驚きながらものんびり談笑しつつ見て回る。
「この展示された状態でも気持ち悪くないですか……?」
「えーっ、なられーちゃん的には何が可愛い?」
「ペンギンですね」
「ペンギンもいいよね~」
展示近くの椅子に座ってペンギン達の様子を眺める。そこまで大きな水族館ではないが、水族館で観たいな―と思う物が的確にある感じが好印象だ。WB社員じゃないので墨田に用事が無いのが残念だ。
「大抵のペンギンは時速11キロぐらい……へぇ、人間でも勝てそうだな」
「勝負しちゃう?」
「せんせん」
仮にここが水族館じゃなくて大海原でもしようと思わない。
「うちはクジラがすいとーと」
「おー! でも同じ分類にしちゃう?」
確かにクジラは哺乳類だ。こういう話で度々話題に上がるせいで覚えてしまった。
「水族館っていう判定基準としてはアリじゃないか? 俺はアジだな」
「一定数そういう派閥いますよね」
「まだ何も言ってないが⁉」
勝手に食う前提にするなよ。大爆笑なのはいい事だが、何でも美味しく感じる貧乏舌のくだりと話噛み合わんだろ。
「白と黄色っぽいあの感じがいいんだよ。ヤマメとかも模様が好きだな」
「クマノミとかチンアナゴとか、もっと水族館っぽい奴ないの?」
「あの辺良いの居ても名前まで覚えてねえよ……」
「よく食べる魚は名前覚えるけんね」
「だからッ⁉」
この四人って、もしかしなくてもツッコミ担当俺だけ? 玲嘩は? ボケって楓の専売特許だと思ってた。
「グッズ見てからレッスン行こっか」
「そうだな」
何だかんだもう四時だ。せっかく四人揃ってるしみんな練習したいって気持ちもある。
「こういうのもいいですね」
「いつも、もいいけど、たまに、もいいでしょ?」
俺と陽菜が先に進む中、後ろで今日を振り返った玲嘩に対して、楓はニッと歯を見せて微笑んだ。
水族館を出て、なんとなくゲーセンに入ってUFOキャッチャーに2000円吸われ……次どこ行こうか利便性がいい方に向かいつつ考えていると、
「せっかくなので、うちの行きたいところに付き合ってもらってもよか?」
「よかよか!」
「運動系、っちゃけど……」
「いいですね。そろそろ体を動かしたいところでした」
「既にしこたま歩いてるけどな?」
この人ら、激しい運動を一日一回は行わないと気が済まないらしい。ホントに一般人だよな? 実は対異世界人業界を目指していますとか言わないよな?
目的地は今から徒歩で行ける距離じゃないらしく、舞希と合流して車で移動することになり……着いたのは、
「スケートリンク?」
想像もしなかったスポーツだった。
「もっと近場にボーリングとかダーツとかあったんじゃないのか?」
「それだと疲労感が足りませんよ」
「それだとしゅうやんが無双して終わるだけでしょ? スケートは無理だよー?」
一人着眼点が可笑しい人がいるが、そこには特に触れず……
「……まさか、バレエ繋がりでスケートクソ上手いのかっ⁉」
「あはは」
「あははってなんだよ、怖いだろ。……え、スケートも大会出てんのか?」
リンクを見る限り、お遊びでやっている奴は誰一人いなさそうなのに、慣れた素振りで受付と話している陽菜をよそに楓に耳打ちする。
「あれ? しゅうやんには話してないのかな?」
「楓さんが聞き出したんだと思いますよ。私も知らないので」
「そうなんだ! なら本人から聞いた方がいいかもね」
そう言った楓は何度か来たことがあるのか、靴を履き替えに向かった。俺と玲嘩は顔を見合わせ……二人とも知識が無いので、バレエ大会の話で盛り上がっている陽菜の元に近寄る。どうやら前回が初じゃないっぽいな、大会見に来てくれたことが。
「小さい頃からお世話になっとるここの管理人さんです」
「ど、どうも……」
いい歳した優しそうな面持ちのおじいちゃんに軽く会釈し、レンタル靴を受け取る。
「紐はかなりキツく結んでね」
俺と玲嘩に向き合うような位置に座り、装着の手助けをしてくれる。
口調からしててっきり最近こっちに越してきたんだろうと思っていたが、小さい頃から都民だったようで……
「行きたいところがここって、スケートの大会にも出てるのか?」
「出てみたかった、やね」
靴を履き終えたので際で待っている楓と合流して全員氷上に降り立つ。
「幼稚園で縄跳びの二重跳びができる子がいて、それ見てうちにも自分にしかやれんことってないのかなーって探し始めて」
「それでスケートにたどり着いたわけだ」
幼稚園で二重跳びは結構珍しいと思うが、そういう出来事がきっかけで行動を起こすのは子供の頃よくある話だ。
玲嘩は楓に腕を引っ張られながら中央で練習している人の邪魔にならないように外周を回っていくので、その後をゆっくり追うように進んでいく。
「そうやねー。萩耶君って滑れるんだ?」
「あそこまで本格的な奴は無理だけどな。大抵のスポーツ軸さえ意識すれば初見でもそれなりにできるもんだよ」
「基礎的な体力とか体感がある前提やけどね……」
基礎があると友人間でのお遊び程度に留まらず、地方の大会ぐらいなら勝ち進めそうなぐらい汎用が利く。その分地道な積み重ねなので、中々使いこさせる人もいない。
「……でもスケートはお金の都合で叶わなかったっちゃん」
言いたくなくて話を切り上げた訳ではなく、単純に即興で進めてしまった俺に驚いただけだったようで、話の続きをしてくれる。
「確かに敷居高そうだよな」
そんなに高いのかと聞こうと思ったが、ここまで移動に時間がかかっていることと、そもそもスケートリンク自体中々見たことが無いので、習い事を始めたくても交通費だけでかなりかかりそうな印象がある。それに本人に言えたことじゃないが、花屋の家庭が裕福とは考えにくい。
「そこで館長さんに、氷上に拘りが無ければ陸上で似たようなことができるよっち勧められたのがバレエっちゃん」
バレエは家でも練習ができる。野球やサッカーより練習場所を確保できるといっても過言じゃない。
「別に自分にしかできないことを探すことが目的だったから、言われるままバレエしてみたってことか」
首肯している陽菜は、進む速度を少し上げた。氷上でヨチヨチ歩くのと加速するのは別の才能がいるので、足先の動きを監視して真似させてもらう。思っていたより奥深いな、氷と刃の具合でどうとでもなる。ストップだけじゃなくて後進もできそうだ。片足もバランス感覚があれば直ぐにできる出来る気がする。
直ぐに追いつけたことに「だよね」と言いたげな笑みを浮かべているが……
「ということは、今回の奴って断りづらかったとかあるのか? 目標とか将来の夢って意味合いじゃなさそうだし……もしそう思ってたらすまん」
加速したこともあり楓からは多少距離がある。本音を隠して空気を悪くしないようにするってことも考えられたが、
「ううん、そんなことはないよ。楽しそうだから参加しちょる」
陽菜は、華麗に舞い始めた。例えここが氷上であろうと、陸上と遜色なく大胆さと繊細さを兼ね備え、周囲の視線を一瞬でかき集める。
「でも将来の夢はお花屋さんを継ぐことやね。バレエやスケートは趣味でやりたいけん」
「趣味でやっててテッペン取れるのもどうかと思うけどな……」
フィギュアスケートでこういう踊りのパートがあるんだろうと言うことはテレビ中継で何となく理解しているが、それがどう得点に影響されるかは全く分からない。俺からしたら、真似しようとしても真似できない次元の話になったとしか言いようがない。
「今はスケートもそれなりにやってるのか? もう映像で見る選手と力量の差が分からんぞ」
「前は内緒で入れてもらってたけんど、バレエの大会に出始めてからは全くやね。でもこれぐらいなら今もできるよ」
そう言った陽菜は目の前で二回転をして魅せた。確か二回転にも何種類かあったはずだが……話の流れで特に助走も無しで簡単にできるもんじゃないだろう。まさかこんなところで絶句するとはな。
「すごっ! ボクもやりたい!」
蛇行していたこともあって楓と玲嘩が近寄ってきたが……なんだその回転は。止まり方が分からないから手を繋いで勢いに任せているんだろうが、寧ろ難しそうなことやってないか?
「この時期に怪我すると責任取れんちゃけど……」
「そっかぁ、怪我して旱魃起きたら大変だもんね」
「瘡蓋の隠語特殊すぎるだろ」
「おっ、さっすがしゅうやん察しが良いね。ならボクの代わりに飛んでみよっか!」
「どうしてそうなった?」
「でも、できるんですよね」
「ん? え?」
苦笑いが一名、期待が二名。いくら何でもできる前提で話を進めないで欲しい。
「単純に二回転するだけならできると思うが、人に見せれる美しさはないぞ。それに氷を傷つけかねん」
「トゥループできると?」
トゥが何か分からないが、氷を傷つけるジャンプ何だろうと踏んで、
「傷つけちゃうのはよくないかもねー」
どうせ飛べるんだろうっていう前提があるからか、引き際も早く……それから数時間、陽菜からアドバイスをもらいながら四人でスケートを楽しんだ。因みに楓と玲嘩は周回するだけだったが、結局ジャンプをやらされた俺は二回転までなら綺麗に飛べるようになった。ただ回るだけなら、最初っから三回転できているらしい。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそだ」
楓と玲嘩、陽菜、俺、恋音はそれぞれ帰路が異なる。その中でも恋音は家が一番遠いので、ある程度見送ることにした。というのも、あのネガティブ思考で日常生活どうやってんのか気になってしまったが最後だ。
「みなさん、楽しそうで良かったです。私も幸せな空間の一空気として停滞することができて眼福です」
空気なのか人間なのかよくわからんが、仕事という立場でも楽しめたのならそれに越したことは無い。
「みなさんは凄いですね……この催し事で終結した初対面の相手に対して、旧知の中のような距離感で終日楽しく遊ぶことができていました。私のような人間は何を発しても相手を傷つけてしまうような、そもそも聞きたくない声を聞かせてしまうような気がして言葉に詰まってしまいますが、そのようなこともなく相手が誰であっても優しく接する懐の広さがあります」
「まぁ、知らん相手と大舞台に立つよりかは深く知り合った仲の方が上手くいくだろうよ」
色々語っているものの、自分を卑下する発言はすらすら出てくるらしい。寧ろそういうことを口に出してしまうことで相手の評価が悪化しているような気がする。
「その点新谷君は接しやすいね」
「そうか?」
特に今回はツッコミ側だったが、普段も聞き手側やツッコミ側に位置することが多いので、相対的にそう見えるだけだろう。
「はい。陽キャにも陰キャにも属さない、相手に合わせてどちらにも適応できる超人族です」
「ほう。褒めても何も出んぞ。器用貧乏なだけだ。やればできるが、色んな妨げがあってやらないからな」
こっちから何か提案できる財力がない。世の中、何をするにも時間と金がないと始まらないせいで。そりゃあなんせ永年金欠の身としては基本的に受け身の姿勢になってしまう。
「どんな写真撮れたか?」
電車移動なので懐は痛むが、今日撮った写真見せて欲しかったのもあるので仕方ない。気が乗らない会話を続けない為にも話を変える。
スマホ操作すら覚束ない人間にはカメラの操作は分からないので、覗き込むようにして今朝から時系列順に見ていく。
「いい笑顔してますね」
「こんなのあったな」
グミ事件、これが同日とか信じられんな。濃厚な一日すぎる。
「こんなの、ハーレムみたいな写真ですが……新谷君は異性に興味の無い態度と表情をするの上手いね」
「褒められてんのかそれ?」
どちらかというと普段から相手が女ばかりだから接し慣れているんだろう。興味がなかったらそもそも今日同行していない。でも恋音が言わんとしてることもわかる。基本的にかえで主体の写真だらけではあるが、男1女3の一日だと隠している訳でもないので、あの男誰やねんとなる可能性はある。いくらかえでファンが良くできた子たちだとしても、男女関係は過敏なものだ。
「ま、その辺の判断は楓に一任するさ。俺がどうこう言う筋合いはない」
映ってもいいと言ったからこういう構図の写真も撮れたわけだ。今更撤回する程繊細じゃない。実際、街中で「アイツ○○じゃね?」と言われようがどうでもいい。殴られたりするなら話は変わるが。それだけ色んな人から注目されている証拠であり弊害だ。
「……すまん、この写真は俺達だけの宝物にさせてくれないか?」
それこそ、男女の垣根を感じさせない最高の一枚が出てきた。
「えっ、皆さん心から笑ってらっしゃる素晴らしい写真なので、これこそ公開したらファン受けよさそうだけど……」
「そうなんだが。なんか、皆に見せたくないんだよな」
俺にもこんなに笑う瞬間あるだなっていうか……水族館で、四人が泣きそうなぐらい笑い合ってる写真。これは各々が思い出として飾るべき一枚だろう。
これから数か月に亘って始まる全国ツアーは、まず日本武道館で行われ、千秋楽は有明アリーナで開催される。初日は平日ライブというのに、チケットは受付開始数秒で完売しているらしい。
かえでは服と同じで二度と同じセトリは使わない主義なので、俺が異世界で不在になってバックダンサーが欠けても問題とのこと。元より最初の一回で依頼の件が決着すると思っていたらしく、バックダンサーに重きを置いてないらしい。そしてその予想はほぼ的中している訳で……
「やっぱしゅうやんにお願いして良かったよ。れーちゃんがここまでモチベ戻ってくれると思わなかった」
会場は何日も抑えらないので、設営が終わった午後からリハーサルを行い、明日当日の入場が始まる前にも一回行うらしく、今日は各自休息となった。今更練習を積んでも何も変わらないというより、今は労わった方が良いという判断だろう。何より、みんな絶好調だったので心残りはない。
都内なのでそこまで遠くはないが、紅葉のご厚意で俺達のホテルを用意してくれたらしく、現地に前乗りすることになった。楓と紅葉と舞希は最終打ち合わせなどがあるからか、事務所に戻るらしい。
玲嘩と陽菜は一緒の部屋だが、性別が異なる俺は当然個室になる訳で……事務所に戻る前、楓は俺の宿にお邪魔している。
「無事に今日を迎えれたのは玲嘩本人の努力だろうよ。俺は何もしてない」
楓のクイズ合戦で態度が和らぎ、夜中の小言を経て友達と言えるぐらいお互い気軽に話せるようになった。トリガーはあの時披露した俺の実力だとしても、それを発火するように指示したのは楓や紅葉だ。俺にはあそこでそうする判断はできない。ここで見せつけることで、心を折るかもしれないと思っていた。
「またまたー、しゅうやんって人を動かす才能があるんだよ?」
「そんな人を動かす才能がある楓の方がすげえよ」
金欠に陥って楓の依頼を受けることになる未来は、あの時公園で異世界に行く踏ん切りがつかなかったら訪れていない。楓のお陰で最高にして最強の仲間が増え、自ずと生活費も倍増した。どうやらフレームユニットに狙われていたようで、二回交戦したが、いずれもルミーナが居たから今の自分がある。戦闘面抜きにしても、家業がこなせるマリアやアトラと出会わなければ今頃生計が立てれていない。あそこで異世界に行く判断をしていなければ、既にこの世を去っていただろう。お互いがお互いのことを尊敬しているのはいいことかもしれない。
「このライブで俺は一時離脱だ。アイツ、今後も続けてくれると思うか?」
「今回の為だけにあそこまでやれないよー」
「それもそうか」
本人の口から聞いたわけじゃないので確信を持てなかったが、あの練習量は今後もずっと続けていくためのもの。日々の行動が、今後の活動を裏付けていた。
「まーしゅうやんが居なくなったらやる気無くすかもしんないけど」
「それはないだろ。最初の一歩は自己判断なんだし」
一般人の俺にすら負けない為に急成長が始まったとはいえ、既に俺という通過点は越えた先にいる。火付け役が居なくなった途端やる気を無くすぐらいなら、元からバックダンサーをやろうとしていないはずだ。
「確かに! よくやる気が起きたよね~なんでだろ」
「俺はてっきり楓が上手い事言い聞かせたのかと思ってた。違ったのか」
「うん、そこは完全にれーちゃんの自力だね。セトリがほぼダンスだから自分が出ないとマズいと思ったのかなー」
考えてみれば今までダンスが特徴的な曲が多く組まれたライブは何回もあったが、玲嘩がバックダンサーに就いてからは初の出来事だ。自分の参加が必要だと感じるのも可笑しくはない。
「何はともあれ、役目は終了だな……って言いたいところなんだが、知りすぎたら気になるもんがあってだな」
結局メンタルをトレーニングしたことでバックダンサーに戻ってくれたっていう印象は全然ない。意識改革は起きたようだが、今回の依頼が『メンタル』と題されていることにどこか突っかかりがある。
約一か月間一緒にレッスンに励み、玲嘩がメンタル面に支障があるようには思えなかった。何なら出会った当初は気性が荒い人だと認識するほどに。でも寝る間を惜しんでまで自主練に励むほどダンスに対して原動力があったのに、バックダンサーを断り続けてきたのがいまだに理解できない。
「アイツの本当の過去、教えてくれないか?」
隠しているという感じはしない。だが、知らないという感じでもない。
「あんなにもできる奴がどうして日の目を浴びない。ただ才能があるだけで上に立てる業界じゃないことはわかってるつもりだ。それにしても誰の目にもつかんのはおかしいだろ」
名義は忘れたが、元々アイドルとして活動していたとは聞いている。歌っている姿は殆ど聞いてないにしろ、かえでとため張れるレベルに踊れる逸材が、この業界を倦厭して完全に引退するまで追い込まれたのは意味が分からなすぎる。
「うーん、でもなー……」
楓は天井を見上げて言うべきか悩んでいるが……付き合いは長い。
「さてはお前も知らんな?」
見抜けてしまう。絶妙に触れにくいのか、楓でも明確には聞いていないんだろう。誰とでも仲良しになれる楓が知らないなら、紅葉や舞希も会社権限とでも言って強要しない限りは知らないはず。
「勘が鋭いしゅうやんきらーい」
ぶうたれる楓からは似た表情をこないだも見たような気がする。耀傷に一か月通っただけで、自分では気付けない程に性格が一変したんだろうか。
「嘘嘘。ほぼこれじゃないかなーって予想はあるけど……」
堅苦しい空気になってたからか、笑って雰囲気を一変させた楓は立ち上がり、
「今の親密度だったら、直接聞くのもアリだよ?」
もう時間なのか、部屋から去り際、背中でそう語る。
「それも、そうだな……」
「ボクとしてもライバルが欲しかったんだけどねー。明日頑張ろうね!」
「あぁ」
扉が閉まる直前になって笑顔を向けてきた楓は、ライブに対する期待感の他にも、当時玲嘩に並々ならぬ対抗心があったことも伺えた。そして、何かに対する期待感も含まれているような気がした。
現状のかえでは、天上天下唯我独尊。路上から市場を席巻し、気付けば教科書にも記載されるほどにアイドル=かえでが根付いていた。というか伝説的な存在になりすぎて、比較対象どころか唯一無二の存在として神格化している。そんな奴の存在を脅かし、ライバルに成れたかもしれない逸材――
そうは言われたものの、グループチャットに玲嘩が居てもアカウント登録はしていない。いきなり送っても相手がそういう設定をしていなければ相互登録じゃなくてもやり取りできるみたいだが、中々送る気にならず陽菜や楓のプロフィールを眺めていると……
(アイツ、ライブ来るのかよ)
結奈のプロフィールに、かえでのライブに参戦する文言が記載されていた。招待されているルミーナやマリアには気付けなくとも、勘が良いからバックダンサーを俺がやってることには気づくだろう。先に言っておいて幻滅させないようにしようかと考えていたら……部屋の扉がノックされた。
インターホンも覗き穴もないので、扉を開けると……玲嘩だ。何用かは知らないが、最高にファッションも決めていて、あまりにもタイミングが良すぎる。
「あのね、少しお話してもいいですか」
「あぁ、丁度俺も話がしたかったんだ」
「えっ、奇遇ですね」
流石に話題が一緒だとは思えないので、奇遇かどうかは知らんが、
「ついてきてください」
早速玲嘩はどこかに向かいだしたので、その後を追う。
エレベーターを使わずに非常階段で屋上まで登り、一角のフェンスに到着。どうやら一般客も入れたらしいが、皇居の方は見渡せても他のビル群に負けているせいであまり景色は良い方じゃない。俺達以外は誰もいなかった。
「正直、ここまでやる気になれたのは、あなたのお陰です。ありがとうこざいました」
「そりゃどうも」
面と向かって頭を下げてきたが、バカだから言いたいことにフィルターをかけれなかっただけだ。事前に性格を知り得ていなかったので、これが功を奏したのは結果論に過ぎないだろう。
「……他にないのか?」
礼を言ったっきりライブへの期待と俺への感謝を交えた笑みを向けてくるだけで、何も話を続ける様子が無い。
「いえ、私よりあなた方が、言いたいことがたくさんありそうなので」
「よくわかってんじゃねえか……」
ひとまず名を名乗る……のは野暮なので、
「――アイドルを辞めるって選択肢はなかったんだな」
ごちゃごちゃ言ってもしょうがないので、いきなりだが核心を突く発言をかます。
これ以外に何聞かれると思ったのか知らんが、驚いた玲嘩は少しの沈黙の後……
「……私には、アイドルをするしか選択肢がないので」
自分の居場所はここしかない、ともとれること言う割には、事務所を自主退社して、かえでの個人事務所に突撃するという大胆な行動に出たもんだ。
質問するまでもなく、玲嘩は自主的に話始める。
「私は幼い頃に交通事故で両親を亡くしました。日夜公園で悲しみを胸に歌い続けていたら――ある時、天真爛漫な子供から『お姉ちゃんお歌上手だね』と言われました」
一人暮らししていたのは、両親がいないからで、事務所引っ越しがすんなり通ったのは、身寄りの方にお節介になっていたからなんだろう。
「それから歌に感心を持ち、トップアイドルであるかえでを知り……私にも同等の歌とダンスができるのに、なんでこの人がこれだけ人気なのか、それが理解できませんでした」
その対抗意識がキッカケでアイドル業界に参入したということか。この手の動機は、よくある話だ。
「私自身もアイドルになって、ようやく気付けました。それは――聞いたり見たりした皆を、笑顔にできる、そんな才能。私には、その才能が有りませんでした」
当時悔しくもあり同時に納得感もあるような気持ちを抱いたからか、思い返した玲嘩は自分を嘲笑っている。嘲笑ってるってことは、もうそこに戻ろうとする意思がないとも言える。
「なので……もう、一生かえでさんの元に居られればいいや。そう思いました」
自分の長所――居場所はこの界隈しかないので、同等のダンスや歌ができてアシストできるかえでの下に付き、バックダンサーや振り付け、スタイリストとしてアイドルに関係する仕事に転身した。確かにそれは当時の玲嘩が取れる最善の判断だったのかもしれない。かえでの発言的に敵対心はあったはずなので、情報を仕入れたり、お互い切磋琢磨するためにも事務所に加えることに対して嫌悪感はなかっただろう。
「でも、いきなりそうはならんだろ。何か他にも原因があったんじゃないか?」
どうも話が飛躍しすぎている。そこに至るまでに、一番気になっている謎が隠されている。人間だれしも、憧れたことに対してようやくスタートラインに立てたというのに、直ぐに無理だと悟って努力することもなく諦めるはずがない。ましてやこの一か月で玲嘩がどれほどの努力家かは十二分に知ることができた。そのような人が、悪あがきもせずたったそれだけで辞める決断に至る訳がない。
「……私と友達になってくれますか?」
言おうか戸惑った末、何をどう思ったのか……何故か、約束事から始まる。
「何を今更改まってんだよ。俺はもう友達だと思ってたぞ」
そうは言うものの、一度大切な存在を失ったり、失いかけた経験がある人が再発を恐れる気持ちが芽生えてしまうのは自然の摂理みたいなもんだ。楓が俺と執拗なまでに親しいのは、自分が一度死にかけているからってのもあるはず。つまり、これから言う話は友達を失いかねないということで……固唾を吞んでしまう。
「初めは、ようやくかえでに対抗できる逸材が出てきたと言われていました。当時かえでさんには疑問しか抱いていなかったので、当たり前のことを言っててどうするのって思っていました」
かえでは、似て非なる楓の存在を形成させるために、SNSの発信量は目を見張るものがある。悪く言えば情報収集が容易いので、玲嘩もかえでの情報を集めるためにSNSに目を通し、かえで関連で表示されてくる自分に対する書き込みを見る機会があったんだろう。
「次第に愛想が悪いのにかえでに勝てるわけがないと叩かれるようになって……私は、そんなこと言われるためにアイドルになりたかったわけじゃないんですっ!」
思い出すだけでも腹立たしいのか、徐々に感情的になっていき、最後の方には涙を数滴こぼしている。
楓や紅葉もそう言っていたが、本人も回りを笑顔にできる才能がないことを自覚していた。それでも歌やダンスはかえで相当に熟せるので、アイドルで上を目指そうと活動していた。しかし次第に回りからも劣化版と揶揄されるようになってしまえば、当然本人のモチベーションが維持できるはずがない。まさかとは思っていたが……時代が変わったもんだ。インターネット上の書き込みで誕生したはずの新芽が摘まれた。
「……んだよ、たったそれだけのことかよ」
「あのねぇ! 私の気持ちがあなたにわかるわけがないでしょう⁉」
あぁ、わかるはずがねえ。本人にとっちゃそれほど転機が訪れたビックイベントだとしても、情弱にインターネットの怖さを語ったってことの重大さが何一つ伝わってこん。
もう友達を失ってしまったと覚悟しているのか、最初は言い過ぎたことをためらっていたが、途中から容赦なく刺々しい発言をし出した。まさに、出会った当初の態度に戻ったかのように。
「そんな見ず知らずの匿名が一人で百個書ける情報鵜呑みにするなよ! 好きが前提で来る一人一席しかないライブの動員数とかを気にしろッ!」
書き込んだ全員がかえでのファンかどうかもわからなければ、アイドル誰一人も知らないかもしれない奴が書いたかもしれない。ネットってそういうところだ。このぐらい情弱でもわかる。気にするだけ馬鹿馬鹿しい。
「でもかえでの情報を集めようとしたら目に入ってくるので仕方がないでしょう⁉」
「なら見るなよ、直接聞けよ。聞こうと思えばいくらでも聞けるだろ、その辺のショップで。あ?」
ちょっと言い過ぎた自覚はある。でも正論だったのか、玲嘩が黙り込む。ここに楓が居たら「分かりもしない人から言われるからダメなんだよ? だって目の前で言われたら殴れるけど殴れないでしょ?」みたいなこと言われて上手くあしらわれたかもしれない。でも、ここにはストッパーが不在。
「一言……いや、四の五の言わせてもらうが、別にアイドルだからって愛想良く振る舞う必要はないと思うぞ。お前が自分のブランディングを貫けずに誹謗中傷に耐えれなかっただけだろ?」
インターネットの書き込みに対してとかやく言うと俺の知らない知識や正論で返されて相手に持ってかれそうなので、他の要素から責め立てる。
「相手がどう思うかじゃない。自分がどう思うかだろ? やりたくてやってんなら、自分がやりたいようにやりゃいいだけなんだよ。相手の思うように動いてたら何も楽しくないだろ。実際そうだっただろうが。操り人形じゃねんだから」
実際、全員が全員かえでのようなキラキラアイドルってわけじゃないだろう。音楽のジャンルにはロックや演歌だってある。あれをかえでのような性格で実現しようとしたらきっとこけるからな。見合った雰囲気というものがある。
元より、アイドルって要素に固執する必要はないように感じる。かえでも何だかんだその枠組みに捉えられていない活動の幅がある。やりたいことを実現していった結果、今の形にたどり着いている。自分のジャンルと合わないなら、同じジャンルに飛び込んでいくんじゃなく、かえでを一歌手としてライバル視すべきだろう。
「諦めずに業界に居続けるってことは、やっぱりあの舞台に憧れてるんじゃなないのか? あぁ? かえでの力でデケェ舞台に立てていいご身分だなァ!」
玲嘩は、昔のルミーナと似ているところが多い。煽れば煽るほど強くなる。でも、唯一違うところは、心の奥底に眠る本当の自分は――メンタルが、弱い。
「誹謗中傷がないならやりたいよ……でも、私にはどうすればいいか分からなかった……ッ!」
遂に本音が漏れた玲嘩は、数滴で耐えていた気持ちが決壊し、ポロポロと何滴も零れ始める。泣かせた奴が言うのもなんだが、やめてくれよ、どうやら俺は人の涙に弱いみたいだから。
「人には人の数だけ思考や信念があって、それを説いているだけで、こっちが誹謗中傷と捉えても、相手は実際に悪意を持って言っていなかった場合もある」
そういう怪しい発言をするなと言われてしまったら腰が折れるので、続けざまにたとえ話をする。
「文字で話すより実際に会って話した方が話早いだろ? 『早くして』とか、見る時の状況次第では相手がクソイラついてるように映るが、楽しみすぎて催促してるだけかもしれないだろ? イントネーションとか表情もあるから、文字より意図が伝わりやすいだよ」
「見るもの全てをポジティブ変換しろってことですか?」
バカなこと言うなと泣きっ面のまま鼻で笑ってくる。睨まれているような気さえする。今の俺の発言を試すかのように。表情が器用な奴だ。
「そんな難しい事じゃない。目指すべき場所があるなら、寄り道するなってことだ。その誹謗中傷を見たからって目的地にどう変化が現れるんだよ。ショートカットどころかいばらの道にしてるだけじゃねーか」
玲嘩が目指す頂点は、ブレることはなく、手の届く位置で、自分と同じ場所から、今も尚輝き続けている。動く点Pのような存在だと時には周りの意見も参考になるかもしれないが、視点を動かし続ける必要はない。何なら今のその立ち位置を活かしたっていい。憧れの人に弟子入りするのも色んな界隈で用いられる一つの手段であり、不要な情報を遮断でき、近道になる。
「自分で誤った幻想を築いて要求水準を上げ過ぎなんだよ。夢中になる何かがあるだけ誇りに思って良いんだ。例えそれが冷笑されるぐらい結果として実って無くても、否定ばかりで実行に移さん奴よりましだ」
その行動力が無ければかえでの元にのうのうと戻って来れる訳がない。心残りがあるに決まっている。そしてその心があるお陰で、惰性だろうが今も続けていられるはずだ。
「SNSとかそういうのって、事務所管理にしたらダメなのか? それで解決する話じゃないか?」
「かえでさんの様な優良事務所の方が珍しいですよ」
それは今の個人事務所もそうだが、かえでがアイドルを始めるにあたってスカウトされた事務所も指している。実際のところは、誹謗中傷に対する事務所の対応が杜撰なのは、割と仕方のない話なのかもしれない。そこまで稼ぎ頭でもないアイドルに対してまで過保護にしていたら、中小企業は赤字で潰れてしまうだろう。それに表を規制すると、裏で変なことを呟かれたり、面倒なトラブルも起きそうだ。
「ならかえでの事務所に入った今は実現できるだろ。不要な物は排除しろ」
昨今の悪しきSNS時代の中では世間の意見もある程度扇動しておく必要があるのかもしれない。それはやってもいないし、関わっても居ない身には分かりっこないが、本やCDだってジャケットだけ見て良し悪しを判断する奴だっている。俺の口からアカウント自体を消せとは中々言い出せないが、それに振り回されているのなら辞めた方が手っ取り早い。見なくていいものを見ているのなら、聞く事のない声だって聞こえるに決まっている。
俺だって不要な行為を排除した結果、この年になっても家事のやり方が分からなければ、やろうという考えにも至らない。今はメイドという高貴な存在がいるお陰で私生活の水準が平均値に戻っているが、少し居なくなるだけで私生活が地に落ちた経験だってある。排除するにもやりすぎには注意しろと補足したいが、塩梅をややこしくさせるぐらいなら極端な方が玲嘩の性に合っている気がする。
「なぁ、あの景色をまた自分の力で見たいとかないのか?」
「今はもうないです。このような私を受け入れてくれたかえでさんの力になれるだけで十分です」
嘘つくなと言いたかったが、向けてきた表情には揺るがない決意がある。色々考えた結果が今の形なんだろう。弱っていた自分を拾ってくれたなら、そうなっても仕方がない。
でも――俺は、玲嘩がまだアイドルに戻れると思っている。というか、アイドルに戻ってほしい。昔の姿を見たことはないが、バックダンサーにしては宝の持ち腐れだ。一つの転機となる佳境を超えて燃え尽きたのであれば、再燃させてやる。その価値は、素人目にもあることが分かる。
「難しく考えすぎなんだよ……もっとお前にしかできないことを前面に押し出すだけで良かったんだよ」
「それはかえでさんにしかできないことです。普通、あのやり方では上手くいきません」
そう思っているのは、行動に起こしてないからだ。押し出していれば、形態は変わってもアイドルを辞める決断にはなるはずがない。
「普通ってなんだよ。勝手に大人が決めつけた前提や幻想を盾に甘えてんじゃねえぞ」
紅葉も言っていた。どこか他人と違う秀でた要素がないといけないと。歌が上手い、ダンスが上手い。その程度、探せばいくらでもいる。一つの収入源として安定させるために、大人がそう易々とギャンブル性が高い新規挑戦を受け入れてくれるはずがない。そういうのは軌道に乗ってからか、窮地に陥ってからだろう。玲嘩の場合、それよりも先に誹謗中傷で自滅している。
「今までの人生で人の目に付くためには普通じゃダメだとわからなかったのか? 普通はなぁ、埋もれるんだよ、全員と同じだから。会社の事務員でもやるならそれでいいが、お前は普通で居たらダメだろ。ただ歌が上手くて踊りが上手い。それ以外の要素が無いってんなら、それらを普通の域から逸してみろよ。簡単な話だろ。そんなんだからいつまで経っても殻が破れないんじゃないのか?」
かえでに匹敵する歌唱力や表現力を持っている時点で、十分に卓越していることはわかる。でも、かえでという前提がいる影響で、比較対象にされ、普通の域から逸するラインがかえでに定められている。つまり唯一かえで同等の実力を有していると広まっても、あくまで普通の範囲内で捉えられてしまう。
「何でかえでがそれらを実現したか考えたことはあるか?」
玲嘩からの返事は、ない。考えたことが無いと捉えることができるが、自分の認識と齟齬が無いか確かめようとしている方がしっくりくる。
「あいつは自分が初めてのことでも恐れずに前向きに挑戦して、失敗や誹謗中傷を恐れてないんだよ。何より自分が一番楽しそうにしてるところが、周りの人の感情にも反映されてるんだよ」
じゃなきゃこんな手広く楽曲ジャンルを扱うはずがない。かえではかえでらしく可愛い曲で攻めればそれだけで十分なのに、非常に貪欲。今回のライブだって、可愛いと思う人よりカッコいいと思う人の方が多いだろう。
「でもお前は、どこの誰かもわからん奴の言葉に恐れ、退けた。本当に本気でアイドルやりたいやつは、そんなこと気にしないんじゃないか?」
直接面と向き合って罵倒されたならまだわかる。でもそこに居ない相手に恐れたのはあまりにも愚か。何度でも言うが、愚の骨頂だ。
「バカでブスで中卒のお前が身につけるべきは自己肯定感と鋼のメンタルだ。しょうもないことで夢をあきらめるな」
そもそもの動機がかえでの人気調査なので、夢かと言えば疑問は残るがそんなことどうでもいい。下手な言い回しだろうが、こっちの意思や熱意を伝えることが最優先だ。
「いいすぎです」
敢えて思ってもいない罵詈雑言を向けたが、それで涙を流し続けるようじゃまだまだ先に進めない。
「これを『それで?』とか『だから?』って流せるようになれよ。『やりたいことやってるのに勝手に口出さないでくれる?』とまで言えたら一人前だな。何なら俺相手なら物理解禁してもいいぞ」
そのぐらい気が強くなれないと、この先一人で戦っていける訳がない。俺のように一人乃至チームで誰の目にもつかない活動をするなら構わないが、人望が命の活動を始めるなら大前提として必要になる。初対面の時に見せたあの冷酷さはどこに行ったんだ。
「まずはそう思える心を作るところからだな。それを実際に口に出して言えという意味じゃない」
批判的なコメントを言うにも、何らかの形で情報を手にしていないとできない。「見てくれてありがとう」とかが誰も傷つかずにファン対応も良いという最適解なんだろうが、そこにたどり着くには無敵になった先にある余裕を生まないといけない。
「ついてくる奴がいなければ話は別だが、実際過去のお前にはちゃんとファンがいたはずだ。どうせ賛否両論を聞き入れるんなら、わけわからん奴の意見を聞かずにそっちの話に耳を向けてやってくれ。一番大切にすべき層の意見だ」
一度世に出た楽曲は、その人が失踪した後も語り継がれる場合がある。誕生日の時に歌うアレだって、誰が作ったか知ってる人の方が少数派だろう。当時玲嘩に持ち歌があったかは知らんが、世界中のどこかには今も尚聞いてくれている人がいる。それこそ誹謗中傷のように顔が分からなければ、たった一人が千人分聞いているかもしれない。一般的にも意見を述べている層はごくわずかで、全体の殆どがサイレントマジョリティーで満ちている。
「あの一等星のように皆の目に留まる星のようには輝けないかもしれないが、お前にはお前にしか出せない輝きがあるんだ。それが今周りの声で霧がかってしまっている。もう少し磨いてみろ、自分でもびっくりする輝きを放てるぞ」
辞める決断をしたのに俺から指摘されて揺らぐものがあるのか、複雑な心境で下を見ている玲嘩に合わせるように、盗み聞きしていた楓が姿を現した。突如尊敬対象が現れたので、玲嘩は驚いているが……俺は、気付いていた。事の顛末が今後の玲嘩を左右すると予想したのか、俺と玲嘩がここに着いた頃には既に身を顰めていた。
「しゅうやんあれは飛行機だよ……でもそうだよね、これからは光を反射させて自分も輝くんじゃなくて、自分の力で光っていこうよ。恒星みたいにね」
玲嘩の苗字は、星村。星という文字が含まれているので、星に例えたんだが……一枚上手を行かれたな。
飛行機の下りは俺にしか聞こえない声量だったが……今の発言に含まれているのは、名字だけじゃない。恒星である太陽の光を反射して輝く月、その明かりというタイトルがついた今回のライブ『月光』は、金欠だった俺をバックダンサーとして招き入れ、バックダンサーとしても窮地に立たされていた玲嘩に脚光を当てていたというわけで――
「それで今回のライブタイトルが『月光』なのか。やっぱお前すげえよ、敵わんわ」
全て、楓の掌の中だったってことか。偏に詩的とは形容できない程に事が想定通りに運んでいる。
「え? しゅうやん考えすぎだよ?」
そこは偶々でも嘘でも威張っておいてほしいが、一部始終を聞かれたうえで楓からも背中を押された玲嘩は……
「……わかりました。少しはソロの活動も再開させて頂きます」
さっきまで泣いていたのが噓のように、やる気に満ちた挑戦的な表情を向けてくる。玲嘩は泣き顔なんかより今の表情の方がお似合いだ。
「やったー! れーちゃん、リスタートだね!」
「ですがかえでさんのバックダンサ―を辞めるつもりはありませんし、あくまでこっちが最優先です。かえでさんの足手纏いにならないように、副業として始めます」
最初のうちは好きに行動方針をとればいい。何より玲嘩がまたアイドルに戻るという決断をしたことが代え難い快報だ。そのうち自分の活動が楽しくなってきて、かえでのバックダンサーを巣立つ時が来るだろう。メンタルケアも必要な今はまだ、巣の中の小鳥でいい。
「漫才みたいにれーちゃんが前説にやったら面白そう!」
「音楽ライブで前説って斬新だな」
よきライバルを取り戻した楓は玲嘩が巣立てるように案を考えている。楓からしても、バックダンサーとして活躍してくれるのはうれしいけど、自分と同等に歌やダンスができるかけがえのない存在でもあるので、なるべくアイドルとして完全復帰してほしいんだろう。
「あなたは今回が最初で最後なんですよね?」
「あぁ。タイミングが合えば顔出す」
厳密にはゲリラ助っ人みたいなもんだが、少なくともこのライブツアーには明日以降も参加している確証はない。
「たまには顔を出してくださいね。あなたの言葉を貰えないと、私はまた道を踏み外しますよ」
何で挑発してくるような言いぐさなのかは知らないが、今俺に向けてくる表情は最高に活かしている。まるで過去のトラウマなんかない、別人のようだ。
「自分で探せるようにならないと衛星のままだぞ」
さっきの月の流れで例えると、玲嘩はくすっと笑った。何だかんだ、今初めて笑った姿を見た気がするな。俺の発言を愛想笑いじゃなく、心から。
「今まではかえでの人気を疑問に思って、自分も同じ舞台に立てるはずだからアイドルやってたんだろ? ならこれからはどうするんだ?」
かえでがどのようにして人気を博しているか理解したはずだ。それでいてもう一度アイドルを始める宣言をしている。
根拠がなかったわけでもなく、勢いで復活を宣言したわけでもなく、うまく言葉にして表現できないような沈黙が続き……
「理由なんて後からいくらでも付いてくるよ。今は続ける意思が湧いた自分を褒めて褒めて褒めまくろう!」
楓のいう通りなのかもしれない。今後を左右する大きな一歩を踏み出したんだ。今は明るい未来に向かって希望を抱くことで十分。
「こんなところに居たんですね。楓さん、行きますよ」
事務所に戻って打ち合わせをする予定だった楓は紅葉に見つかってしまうが、話は終わっているのでここに留まろうとはしない。
「明日頑張ろうね!」
「ああ」
「はい!」
一例する紅葉の隣で楓は手を振ってきた。最終日にしてようやく玲嘩の隠し事がなくなっただけでなく吹っ切れもしたので、チームとしての結束力が増したように感じられていい気分だ。
「あのね、これから先、私を導ける人はあなたしかいません」
楓がいなくなり、二人だけの空間に戻った直後、真剣な眼差しを向けてきて、
「――私のプロデューサーになってください」
ぎゅっと目を瞑り、頭を下げてきた。
こうなることは、何となく予想できていた。初対面から今日に至るまで、玲嘩の日常を変化させたのは全て俺によるもの。幸先悪かったが、今となっては玲嘩という人物を知悉している。そりゃ今後の自分も正しく導いてくれるだろうと思い、プロデューサーとして就任してもらうように申請する気持ちもわかる。
玲嘩の今後を想うなら、ここは承諾するのが道理だが……これは、刹那的な規模感の話じゃない。
「お前に夢や目標があるように、俺にもやることがあるんだ。申し訳ないが、プロデューサーになることは出来ない」
別にプロデューサーになることに対して嫌な気はしない。でも誰かに頼らないとやっていけないなら今と変わっちゃいないし、俺もプロデューサーを本職にするわけにはいかない。活動上、定期的に会うことすら儘ならない。
また泣きかねない発言を受けた玲嘩は顔を上げたが……不思議と、納得感もあるような肯定的な表情をしている。
「……まあ、いくらでも反応してやるから連絡ぐらいで勘弁してくれ」
中々返事がないもんで、拒否反応を気持ち緩和させてスマホを取り出すと、玲嘩も「わかりました」と言ってスマホを出してきた。流石に二度と会えない存在になるには深く知りすぎて、影響を与えすぎたからな。
楓と違って何も飾りっ気のないユーザーアイコンが一覧に追加され、
「やりたいことって、私にも教えてくれますか?」
可愛い動物のスタンプを送っていると、もうスマホなんか手に持っていない玲嘩が質問してくる。グループチャットの様子から察してはいたが、殆ど連絡をしないタイプみたいだ。
私にもって部分には引っかかるが……
「異世界人絡みだ。ニュースで見たことあるだろ?」
「ファーストインパクトぐらいしか報道されていないので、詳しくはわかりませんが……大きな目標なのはわかりました」
本土の人間には異世界人の情報はそんなに出回っていないとはいえ、ファーストインパクトレベルだとは思わなかったな。人工島内でスマホを開くと転移者絡みのニュースが数多く表示されるが、本土で開くと全然表示されない。多分、人工島内独自の仕様が存在しているんだろう。
「そういやお前、中退したんだろ?」
「はい。手に職があったので不要だと判断しました」
なんかすげえこと言ってるが、高校は義務教育じゃない。本人が行かない判断をしたら強要するのは無粋だが、
「退治に来ないか? あの学校、運動さえできれば誰でも卒業できるんだ」
世の中には玲嘩であれば楽に卒業できる高校も存在している。退治は他の学校と違って体を動かすことが主なので、玲嘩とも都合がいい。金は持っているはずなので、運動がてらに通学するのはアリだ。
「楓さんも通っている高校ですよね?」
「そうだ。別に入学したからって対異世界人関係者にならなくてもいいからな」
職を選ばないなら、高認を受けるぐらいなら退治を卒業した方が力仕事系はほぼ学歴パスで就職できる。ただそれ以外に就きたい場合は進学するか縁故ぐらいしかないよって話であって、今の玲嘩には心配無用。
「数学とか社会とか、生きてて何にも役に立たんし、今の時代調べればすぐ出てきやがる。 でも人間関係とかチームワークとか、学校でしか学べないこともある」
社会性とか協調性とか、大人になって学ぼうとしても学べる機会や場所がない。誹謗中傷でやられた経験がある玲嘩には、他人がどんな考えを持っているか、学校に通って知るべきだろう。考え方は人の数だけあるからな。
「なんか大人の発言してますけど、同い年ですよね?」
学校にも通い始めることに対しては否定的な態度のように見受けられないが、俺の発言に対して鼻で笑ってきた。
「この際だから言っとくが、俺は21だ」
自分より四つ年上と聞いて、過去一の衝撃を受けている。なんか最近、表情豊かになったよな。良いことだ。
「退治には二週目っていう制度があってだな……ややこしいから入学したら先生から聞いてくれ」
入学前提で話を進めてしまったが、
「今はダンスの練習に励みたいところですが……わかりました、少し考えさせてください」
俺をプロデューサーにしたがっていたこともあってか、この提案を前向きに検討してくれるみたいで、軽く礼をしてから部屋に戻って行った。玲嘩の秘密を聞き出せたし、これ以上話すこともないので、俺も部屋に戻るとするか。
翌日、何一つ失敗なく完璧なダンスをでき、事故なく無事にライブを終えた。玲嘩が昨日見た時より別人級に踊れていたのは、一皮剥けたからだろうか。あれが、本当の姿なんだろう。俺のダンスが、誰が見ても三人の中で最下位になった瞬間だった。
ライブには主催側で何回か参加したことがあるが、今回ステージ上から見た景色はいつもと違って見えた。様々な色に輝いて揺れ動く光が一つの空間に集結している光景を、暗闇の中で全員が見つめるステージの中央からは中々見れるものじゃない。主演レベルで関わっていると来場者との一体感が忘れられない経験となった。これを目指して歌手を志す気持ちが分かる。
事務所での打ち上げも終わり……俺と楓は、人工島に戻っている。次は日曜日に大阪でライブするらしいが、まだ出発しないようだ。
「玲嘩がアイドルをやると覚悟したからこんなもの食べれると思っていませんでしたーとか言ってたのは面白かったな」
「ねー! フレームアーマーですらニコニコしてクリームソーダ飲むのにねーっ」
俺からクリームソーダを飲む結奈の写真を見せてもらったことがある楓は、他に誰も乗っていない連絡橋の電車の中でケラケラ笑う。
「れーちゃん、いい子だったっしょ? 面白かった?」
面白いかどうかで判断していいのか微妙なところだが……
「まあ、過労死しないかが心配だな」
俺から言われた後に紅葉からも言われたらしいので、寝る間を惜しんでまでレッスンに励むことはなくなったが、歌やダンスを再開した影響で振り付けや衣装考案の方に時間を割きづらくなった。息抜きや今日はこれをやると計画立ててやってはいるものの、今後事務作業の紅葉と、作詞する楓と、衣装の案を描く玲嘩が事務所に揃ってると、気が付けば夜が明けていたということもあり得そうだ。
「ボクも人のこと言えないからなー」
今まで俺の前では全然見せてくれなかったが、今回かえでの姿と密に接した。どれだけ業界ナンバーワンと言われようが、いかに努力し続けているかは十二分に知れた。
「俺もだ」
「しゅうやんは時事ネタじゃない?」
「バカ言うな、その辺適当に歩いて暮らしてたら今頃死んでるわ」
滞納のせいで過去最大級のピンチが訪れはしているが、可能な限り鍛錬に励んでいるつもりではある。自宅や公園でしている訳ではなく、結乃の施設でやっているので、俺と同じく普段どれだけ鍛錬しているか楓は知る由もない。
全員に過労死チャンスがある現状に二人して笑い……
「しゅうやん、ありがとね。れーちゃんがアイドルに戻ってくれて、ボクほんっとーにうれしいよ」
「結構キツい言葉かけてしまったから、俺としても何とかなってよかったよ」
「最近刺激が少なかったんだけど、これから大変だぁ~」
「俺も俺で定期的にチャット送ってくれってさ」
今はまだ当時の実力にすら戻っていないにしろ、かえでの存在を脅かした実績のあるアイドルが復活した事実は、本来であれば喜ばしい出来事じゃないはず。でも今まで一度も自分に対抗できる存在が現れず、永遠と自分との戦いを強いられていた楓にとっては、ライバルの存在は今後の成長に大きな影響を与えてくれるだろう。玲嘩が楓に対する忠誠心が高いせいで、抜かそうという意思を見せてこなくとも、楓目線では自分と同等に歌って踊れる存在が居ることは、絶対に対抗心に燃えるはず。今成長が止まっている訳じゃないが、これからギアを上げて急成長していくだろう。二人の活動には一ファンとして目を見張るものがあるな。
「しゅうやんが技使いじゃなかったらなー……」
俺に対してというより、こういう運命にした大きな存在に対してぼそっと呟いている。
「そしたら俺と出会えてねえだろ」
俺と楓の出会いは転移者絡み。仮にそこで転移者騒動がなかったとしても、アイドルである楓は簡単に卒業できる退治に進学し、いずれ二週目中の俺と接点を持つ可能性はあるが、そもそもこういう謎現象が起きなければ新谷家から出てないと思うので、接点は絶対に生まれない。
「わかんないよー?」
過去はどうしようもないからか、楓の発言は未来に対して向けられているような気がして……
「……ま、異世界人の騒動が落ち着いたらな」
後一年ちょっとで二週目も終わってしまう。対異世界人関係の企業に就職すれば人工島内に留まれる場合もあるが、基本的には生徒じゃなければ会社近辺へ引っ越しが必要だ。あくまで人口島は転移者を始末する場所であり、学生の職業訓練場だからな。現状就職宛がなければ、活動の都合上直接どこかに属する判断が取りづらく、どの道働かないことには食って行けず……本職は無難に対異世界に関係しない仕事になりそうだ。そうなったら突如抜けだす可能性がある身としては一先ず縁故を駆使するしかなく、カフェはちょっと気が持たんので……可能性が、ないとは言えない。
「るみまりがいないとこで無責任な発言しちゃっていいの? 言質とっちゃうよー?」
「すまんすまん、今の発言はなしだ。一年後に考える」
就職年次の十月末に内定をもらえて無かったらそれはそれで一大事な気もするが、未来の自分に全て託す。現在の自分は今を生きるので精いっぱいだ。
「ちょっとさ、ダークな話してもいい?」
いつも断りなんかせずに話してくるのに、今回に限って聞いてくるので変な思考が巡ってしまう。
「玲嘩のことか?」
「うん。誤解を招かないように補足? っていうか……本当の闇、かな」
これは玲嘩も知らない話なのか、さっきまでのテンション感を一変させた楓は、俺の覚悟を待つためか少しの沈黙を作る。
「ボクとれーちゃんって、完全に系統が違うじゃん?」
「そうだな」
かえでの曲は子供から大人までが鼻歌で歌いながらるんるんできる感じだが、玲嘩の歌い方は心にグッと刺してくるような感じだった。まだ昔の曲を聞いたことはないが、かえでの曲を歌っている玲嘩は歌が上手くてもあまりにも似合わなさ過ぎた。
「れーちゃんの系統って、客層も狭く深く……コア層がつきやすいんだよね」
熱狂的なファンってことか。確かにかえでの曲は誰もが知ってて歌えるレベルなので、名前より曲が先行して人物まで深く知り得ている人の方が少ないだろう。でも玲嘩はあの歌唱スタイルなら、聞き手の心境や場景にかなり影響される。学校で例えるなら、数十人規模で色んなクラスの奴らにも絡みに行く連中には、感情を訴えかけてくるような歌い方なので高確率で関心を持ってくれないだろうが、教室の隅で趣味の話で盛り上がってる奴らには、単純に好みという理由で聞いている奴がいれば、人生が変わるほど心に響く奴もいる可能性がある。
「配信とか録画環境とか、音響とかもスタジオによって環境バラバラだから、『今日なんか調子悪い?』とか『音声加工してる?』とか『口パクだよね?』って言われやすいんだよね」
「心ねえな」
お得意の変声で悪口の再現度が豪く高いが……曲や人が好きで見ている奴にとって、スタジオのマイクやカメラにまで興味が向いている奴はかなり少数派だろう。ましてや今日はあのスタジオだからあのマイクで、いつもより音質が悪い、なんて想像を膨らませる奴はもっと居ないはず。そもそも延長線上でそんなところにまで興味を持つ奴は、コア層なんかとっくに引退し、それこそプロデューサーやマネージャーを目指してみるとか、別の何かを目指していそうだ。
「ボクみたいに居るだけで『きゃー!』とか、歌うだけで『わぁー!』ってなる方が珍しいよ」
「存在がでかくなりすぎて、言っちゃなんだが何やってもまかり通ってしまうのか」
それもそれでどうなのかと思うが、こうなるためには過去の実績があってこそ。楓にも玲嘩の様な時期があったかはわからないが、楓は今その先に広がるユートピアに居る。
「心打たれた人って、同じ体験を味わえないだけで一番鋭いナイフを持っちゃうんだよね。もちろんコア層の中にもちゃんと愛してる人はいるけど、そういった過激な思考が生まれやすいのも事実なんだよねー」
インターネットについては一度載せたら一生消えないということぐらいしか知らなかったが……匿名で自由に表現が可能であれば、こんな闇も生まれるのか。絶句を通り越して失望したな。もっとみんなが有益な情報を共有する場なのかと思っていた。
「つまり……」
「うん。実はファンから言われてた可能性が一番高いんだ」
「……」
考えてみれば、最初かえでに匹敵する大型新人の誕生か、として随所で取り上げられたとしても、テレビで玲嘩の姿を見ることが無ければ、学校――それも禎樹の口から布教が始まることもなかった。不特定多数の注目が集まっていなければ、当然玲嘩に対する悪口を書き込めるのはその存在を知っている極少数に限られる。コア層がつきやすい系統となれば、その可能性でない確率は限りなくゼロに近いはず。
「れーちゃんってさ、九頭身? だし肉体美がアイドルのものじゃなかったからさ、一番言われてたのは『早くモデルになれ』なんだ」
「アイドルなんかやるな、歌とダンスには興味ねえ、とも捉えれるよな……」
暇さえあれば歌唱の為に腹筋、ダンスの為に体幹を鍛えている印象はある。それでいて華奢なので、ファッションモデルとして映えるのは必然的。俺は別に玲嘩をプロデュースする立場じゃないので、その完璧すぎる体系を見ても何も思わなかったが、プロデューサーが見ればアイドルなんかやらせるには勿体ないと感じても無理はない。
「前の事務所で一回かすみんと表紙飾ったこともあるんだよー。多分、事務所の方針もアイドルからモデルに変わってきてる感じがしたんだろうね」
かすみんが誰かは知らないが、楓が知ってるレベルなので相当モデル界隈で名を馳せている人なんだろう。そんな奴と一緒に横並びにされたら、そりゃあ素人でもモデルとして注目を浴びさせようとしている気配を感じ取れる。
「努力という根っこと、経験という茎が無いと、人気という花は開かないよ。でもね、どれだけ根っこがしっかりしてても、どれだけ茎がしっかりしてても、ぐちゃぐちゃな土壌で酸性雨を浴び続けたら枯れちゃうんだ」
儚げな表情をする楓には、何も言葉を返すことができない。バカにも理解しやすい秀逸な例えが、惨状を容易に想像させるせいで。
「でもそんなれーちゃんをしゅうやんが切り開いてくれたんだよ⁉ バックダンサー越えてよくアイドルに戻したよね⁉ 魔法使っちゃった⁉ ホントに凄いよ‼」
電車が人工島に到着し、扉が開いたタイミングと同時にテンションも上げてきた楓は、俺を人工島に連れ出すかのように、手を握ってきて引っ張ってくる。
「一生言えない自慢だね!」
「墓まで持ってく前提か。宝物すぎるだろこの自慢話……」
この先玲嘩がどれだけ有名なアイドルに成長するかは誰にもわからない。本人が死ぬ気で頑張っても、また過去のようにかえでの劣化版と言われて多くのファンがつかないかもしれない。でも玲嘩は何を言われようとアイドルを続けてくれるだろう。直接一生アイドルを続けると宣言してたわけじゃないが、世紀の大復活経て、取り巻く環境も改善し、一般人の気軽に相談できる友達も作れたはずだ。当時ネックだった心の支えは、十分にある。後は思う存分実力を発揮してくれ。
一般的な都会と違って人工島の都心部は高層建築物が多いから都心と名付けられているだけで、栄えてはいない。そもそも島民の大多数が未成年なので居酒屋やスナックと言った夜の印象があるお店が殆どなく、街灯かコンビニチェーン店ぐらいしか明かりがついていない。沢山の人が行き交っていそうな街並みなのに殆ど人が居なければ清潔に保たれているうす気味悪い道を二人で歩く。よく二人で遊びに行くことはあるが、最近は仲間が増えた影響でこんな時間にこんな道をたった二人で歩くのは数年ぶりだ。
「楓は出初めの頃誹謗中傷とかなかったのか?」
俺を追って人工島に引っ越してきた頃からアイドル活動の話はタイムリーに聞いているが、その時には既に大分上の方に位置付いていたため誹謗中傷について相談を受けることはなかった。でも楓は路上からの成り上がりだ。通行の邪魔とか、些細なことでも言われていた過去があるはず。
「んー、なかったと言えば嘘になるかな」
やはりSNSには誹謗中傷が付き物なのか、あははと苦笑い気味に回顧している。
「でもさー、ボクもしゅうやんと考え方一緒ななんだよねー。知らない人から言われてもね?」
実際このメンタルはかなり強靭だろう。相当自分に自信が持てていないと核心を付いてくることもある呟きで無傷なのはあり得ない。
「昔路上やってたから、直接言われたこともあるよ? でも実力で黙らせたかったんだよね。あの時の、しゅうやんみたいに。だからむしろやる気が出ちゃってさー、いい糧になったと思うよ」
「特殊だな」
良くも悪くも、未知で強力な存在に命を救われたことが意識面に影響している。死に陥りかけたときに救われると、これだけの影響力があるということは覚えておかないといけないな。
「特殊だよー、れーちゃんが普通。でも、普通ってことは――伸びしろ、変わりようがあるよね」
「なるほど?」
玲嘩は努力が得意だ。最初のうちは紅葉や舞希に管理してもらった方がいいだろうが、そのうちSNSと正対しても無傷で居られるようになっているだろう。
「紅葉にはSNSの管理を徹底させるよう念押ししといてくれ」
紅葉から『練習熱心ですねっ』って写真付きで送られてきたダンスレッスン中の玲嘩の盗撮写真を見て爆笑しつつ、今回の依頼の件で俺からもお願い事をしておく。
「その必要はないよ。れーちゃんあれから情報を集めなくなったからね。今じゃ明日の天気も知らないし、ボクら四人しか連絡先登録してなかったよ」
「日常生活にまでストイックさ出さなくていいだろ……」
やけにスマホは触ってないくせに連絡を入れたら速攻で返事が来ているのはそのせいか。通知が来る原因が俺達四人しかなければ、そりゃ何か通知が来れば飛んで近寄るだろう。
のんびり歩いてても連絡橋から数十分でアパートに戻って来れる。もうこんな時間だからか部屋の明かりは四部屋ともついていない。上下に住んでるとはいえ、転校よりも中々に濃厚な一か月だったもんで、楓と別の場所に入っていくことに違和感があれば、五年近く住んだはずの自宅が今まで住んでいた感覚が全然しない。
「あ、しゅうやんさ、今度ボクたちに剣教えてくれない?」
「剣?」
二階へ続く階段を一段登った時に声を掛けられ、楓の方に振り返る。
「そー。今度剣を使ったかっちょいー振り付けしようと考えてるんだよねー」
「別に構わんが……見世物にならんかもしれんぞ?」
剣術は人によってかなり変わる。特に俺は殺人に特化した剣術になるので、次の動きに繋がりやすい挙動であっても、到底振り付けとして組み込めるような挙動をしているとは思えない。
「そこはまーうちのれーちゃんがちょちょいのちょいと、ね?」
「すげー投げやりだな……アイツならやりかねんけどさ」
大前提として俺は人に物事を教えるのが下手だ。逆にその下手さが功を奏して上手い事見世物に成り下がる可能性もある。体を動かせる案件は他と比べて意欲も湧くので呼ばれたら飛んで向かうとするか。
「じゃまたね~」
「おう、週末のライブも頑張れよー」
「しゅうやんも来ちゃう?」
「地球に居て、人工島が平和だったらな」
楓はここで『待ってるね』とは言わない。俺には俺の使命があると一番理解しているから。でも、一か月も行動を共にしてたら……どこか、寂しさがあるな。今まで楓はこんな感情を味わっていたのかと思うと、俺もとんでもない事象に巻き込まれたもんだな。
階段を上がる最中、楓はこっちにニコッと笑ってから自宅に入っていった。その笑顔には、単純に面白かったや楽しかったといった感情の他に、ありがとうと込められている気がした。




