7話 「黄泉の世界へ」
8月18日。早朝。
夕べはあまり眠れなかった。
というか、昨日の出来事が現実だということにまだ信じきれない自分がいる。
それでも、横で寝ている赤魔くんを見ると、これは夢ではないと確信ができる。
彼は夕べ何度も起きて番をしてくれていた。わたしが代わろうとすると、何度も【お前はゆっくり休んでくれ】と気遣ってくれた。それでお言葉に甘えても、あまり眠れなかったのだけれど。
わたしは外に出て、翼の発現や飛行をしてみた(赤魔くんが寝ている間に見張りをするという目的もある)。
やってみると、わたしの背中から翼は当たり前のように生えるし、あっさりとしまうこともできる。
身体を浮かせることもできる。空を飛ぶことだって。
それどころか、昨日よりもコツを掴んだのか、カーブしながらの障害物スレスレで急上昇ができるようになった。
やっぱり簡単に受け入れ難い部分はあるが、わたしはもう死んでいるし、人間ではない。
不老不死の悪魔。不老不死は傷の治りが早いのか、昨日の飛行練習で負った怪我は全て回復している。
本来なら、明後日から二学期が始まるはずだったのだが、学校に行くのを禁止されてしまった。
最初はショックを受けたが、わたしが死んでいるということや、これから天使と戦っていくことを考えると、そうする道しかないのかもしれない。
赤魔くんが言うように、天使の敵であるわたしが学校に行けば、学校のみんなが天使の攻撃に巻き込まれる危険がある。
やはり、これが最適なのか……。
……………………わたしは、この先の人生がどうなるのか不安になってきた。
しかし、結局今は自分ができることをしていくしかない。
「…………考えるのはあと!
戻ろっ」
千歳の家——若葉堂の上空。
わたしは自分の頬をパンパンと叩いて喝を入れ、空中で踵を返した。
今のうちに、持っていく弁当をまとめておこう。
* * *
一階の店内に入る。
「おすすめの弁当はっ……と」
陳列棚から、わたしの好きな【肉巻きおにぎり弁当】を取り出す。
お腹が空いているから、沢山食べたい。
あと、赤魔くんもいっぱい食べそうだから……。
他に【かにめし弁当】【山菜盛り合わせ弁当】【サラダチキン弁当】【照り焼きエッグディッシュ弁当】【やきとり弁当】などをカゴに入れる。
「……そういや、いい機会だから言っておくが」
赤魔くんが降りてきた。
無愛想な感じは変わらないが、昨晩よりも顔色は良くなっている。元気にはなったようだ。
「おはよ」
「おはよう。
お前は死物になった影響で、何を食べても太ることはない」
「…………そうなの……?」
「逆に言えば、どんだけダイエットをしても体重が減ることはないがな。
身長も伸びない」
「うわっ」
一瞬良いことを聞いたと思ったが、直後に嫌なことも言われてしまった。ずっとわたしは今の身長のまま……かよ。
「あと、病気にはなるが、食べ物の影響ではならない。
つまり、腐ったものや消費期限が切れたものでも、ほぼほぼ問題なく食べられる。
その時の味覚は正直だがな」
「それは……良いのか悪いのか、どうなんだろう?」
天使が堕落した存在に成り下がったというのも、どれだけ食べても太らないからというのもあるのかもしれない。
「千歳のご両親が、悪くなるから好きなだけ弁当を持っていっていいって言っていたのは、そういうのもあったんだろうな。
あの二人も不老不死にはなっていたし、ニッカもいたからその辺の事情はわかってたんだろう。
あと、それから——」
赤魔くんはわたしに一枚の小さな紙を差し出した。
中央に何か鉛筆で書いてある。
「起きた時に見つけた。
テーブルに置いてあったんだ」
わたしはそれを受け取り、書かれている内容を読んだ。
【六空の好きなアイスとチョコレート、冷凍庫にあるから朝に食べて。
体に影響ないかもしれないけど、念のため食べ過ぎはダメ。
今回だけの特別だよ】
………………これは。
「……千歳の字……」
わたしは冷凍庫を開ける。
中には、わたしが朝によく食べているバナナ味のスーパーカップのアイスクリームと、板チョコが入っていた。
「天使にされた千歳の暴走状態からして、メモも含めて事前に用意していたものではないだろうな」
「じゃあ、なんで……?」
「おれにもわからん。
三人は完全に消えた。
故に天界にもいない。
それでも、不思議なことは起きる時は起きるってことだ。
それを、おれたちは奇跡って言うんだ」
お父さんもお母さんも、最期に【いつでも見守っている】って言ってくれた。
もしかして、それは——こういう奇跡が起きた時のことを言うのかな?
わたしはチョコレートを取り出して、夢中で頬張った。
カッチカチのチョコレートをバリバリボリボリと噛み砕き、あっという間に完食。
次にアイスクリームを食べる。
シャキッ。
冷たい。カチコチだ。でも、だからこそ食べ応えがある。
…………ああ、本当に冷たい。
目が潤う。
口の中に広がって満たされるこの気持ち……。
…………全く、しょっぱいよ。
鼻を啜り、目を擦りながら、わたしは思いを馳せる。
千歳……本当にありがとう。
あんたの言う通り、体のことは気にしなくていいみたいだけど、控えめにするね。
だから、これからも見守っていて。
* * *
家から一応財布だけ持ってきたわたしは、赤魔くんに連れられて【月陽傘根公園】という場所に来ていた。
休憩ができる東屋の展望台がある以外は、だだっ広い芝生の公園。中央には海難慰霊碑がある。
公園の奥に設置された柵の向こうは崖となっている。その下にはノスタルジックな住宅街と、果てのない海が広がっている。
反対方向からは、活火山の廻り岳が見える。
箱館戦争時には、海上警備の拠点としてここに砲台が設けられていたこともあったらしい。
吹き付ける風が心地良い。青い空の下で生きている街と海を眺めた時に感じる、温かさと切なさ。
このままそれらに身を委ねて、ずっとここにいたくなる。
不思議な気持ちだ。平和だった幼少期に、家族とこんな感じの公園で遊んでいたのを思い出す。なかなか飽きなくて、ひたすら原っぱを走り回っていたっけ。
……赤魔くんの仲間はここにいるらしいのだが、人の気配は全くしない。
展望台に登る。赤魔くんに言われた通りの行動を取る。
晴れ渡る空を15秒以上見上げる。
次に、時計回りに廻り岳と海の方を交互に3回見る。
最後にトイレに行き、個室の前で今度は3回反時計回り。その後ノックをゆっくり3回してから個室に入る。
やってる時は恥ずかしかったが、最後までこなすとこれをやる意味がわかった。
「…………えっ?」
個室のドアを開けた時は、普通の女子トイレだった。
しかし、ドアをロックして振り返ると、途端に見知らぬ土地の中に放り出されていた。
「驚いたろ?」
トイレに同行しなかった赤魔くんが、いつの間にかとなりに立っている。曰く、男女どっちのトイレでも手順が合っていればいけるらしい。
「ここは、おれたち悪魔の秘密の拠点——名付けて【黄泉の国】。
悪魔しか入れないし、あの手順を踏まないと辿り着けないようになっている」
今いる場所は、その土地一帯を360度一望できる丘のようだ。
丘の上から土地を見渡す限り、舗装された箇所はほぼ存在しない。
辺りは全く手入れがされていない。生い茂っている草木や伸びている蔓で覆われている。
それ以外の箇所は、隕石と瓦礫だらけの真っ白な地面。
所々に寂れた車や倒壊した公共施設が点在。
地殻変動でもあったのか池や水場も多い。見える殆どの住居はそこで水没していた。
誰一人歩いている者がいないそこは、人の手が介入されていない自然のままの光景。
それはまるで、人類と文明が崩壊した終末世界のよう。
「…………この異世界に、あんたの仲間が?」
「五人だけだがな。
あとの仲間は天界で天使と戦ってくれている」
赤魔くんは指を上に突き出して答える。
「おれもお前に呼び出される前は、上で戦っていた。
大事な戦いを放り出してこっちに来たようなもんだ」
わたしはムッとして言い返す。
「……呼んだつもりは全くないんだけど。
それどころか、あんたが勝手にスマホから出てきて驚いたって感じだったし。
まっ、あの時はそれで助かったけどさ」
「細かいことは今はいい、行くぞ」
「あんたから言い出したんでしょ」
赤魔くんの案内でわたしは黄泉の国を歩いていく。
痛々しい程に滅んだ世界。草木や石ころが邪魔。水場や障害物も多くて、とにかく歩きづらい。
【せっかくだから飛んで行こうよ】と提案したが、
【せっかくだから、この世界を自分の足で歩いてみろ】と言われてしまった。
そう言えば、悪魔しか入れないという話だったが、昆虫やうさぎなどの他の生き物は普通にここで生きている。
…………やがて、赤魔くんは森の奥深く——大きな屋敷のような建物の前で足を止めた。
こんな場所、丘の上からは全く見えなかった。林立する木々で隠されていたようだ。
「『ウィンベル』、いるか?
入るぞ」
言いながら赤魔くんはドアを開ける。
「このドアは指紋認証になっている。
お前の指紋は登録されてないから、おれが開けている間に先に入れ」
よく見ると、ドアに手形のような不思議な文様が付いている。成る程。ここに指を置いて登録されている指紋だった場合のみ開くってことか。
わたしが足を踏み入れると、
「ああっ、ご無事ですか!?
『ご主人様』〜」
……と、こちらに駆け出してくる者が、一人。
その走ってきた存在は持っている箒を放り出して、部外者であるわたしに抱きついてきた。
「……ちょ、ちょっと……」
抱きついてきたのは、鮮やかな水色のポニーテールの、メイド服を着た少女。身長はわたしより2cmくらい高いかも。
「……………………あれ?」
彼女は違和感があったのか、わたしから離れて顔を上げた。
コバルトブルーに瞳を輝かせた、恐らくヨーロッパ系の色白少女。小さな唇に少し尖った鼻をしている。
「……どうも……」
「曲者!」
彼女は床に放り投げた箒をすかさず拾って構える。
その悪魔の少女——ウィンベルは、箒をブンブンと振り回してわたしに襲いかかってきた。
「……ッ!」
今朝の練習が生きた。わたしは右にステップからの飛行で、素早くウィンベルの背後に回る。
彼女が虚を突かれている間に、その手に持っている箒を思いっきり蹴り上げて、無力化させた。
飛行に慣れてきてわかったが、空中を走っている感じだ……。
陸上とは全く異なるが、延長のように思えれば楽しいかもしれない。低空飛行なら尚更陸上の感覚に近づけられるかも。
「やるな、六空」
赤魔くんがドアの影から顔を出す。彼はこの状況を様子見していたらしい。
わたしが運動部所属でなければ今の動きは簡単にはできなかっただろうに、見守るとは。どうやら彼には(自分が弱体化しているからか)スパルタ精神があるようだ。そうでなければこの先やっていけないのかもしれないが。
「あっ、ご主人様!
申し訳ありません、こちらの方と勘違いを!」
「どう見間違えるんだよ。
……まぁ、いいや。
久しぶりだな、ウィンベル。
しばらくここで世話になる。
こっちの六空もな」
赤魔くんがわたしを親指で指し示す。すると、
「申し訳ございませんでした!
お見かけしたことのない方だったのでつい……」
ウィンベルが、あたふたわたわたと、何度もお辞儀と謝罪をしてくる。いきなり攻撃してきたが、本当に勘違いだったらしい。
「大丈夫。
それより、よろしく。
わたしもここで何をするのか、よくわかってないんだけど。
赤魔くん、教えてくれなくってさ」
わたしは軽く手を差し伸べる。
とはいえ、わたしの中に彼女を警戒する感情が残っていたらしく、少し壁を作って挨拶。
「……えっ、赤魔……?」
ウィンベルは赤魔くんとわたしを交互に見比べる。
そうか、赤魔くんって、本当の名前じゃないから……。
「あ〜、コイツにそう呼ばれてるんだ。
お前は好きにしていい」
「わかりました、赤魔様!
早速、おもてなし致します!」
うわっ、早速順応した……。
* * *
おもてなしというには、すごく貧相。
屋敷の中は廃墟をどうにか住めるように改装した感じ。
館内の所々に外にあった草木やキノコが生えているし、家具が置かれていない部屋は埃と塵だらけ。
割り当てられた部屋も雑草がボーボーで、屋外の自然の中にいるようだ。虫が湧いてこなければいいが。
シャワーはペットボトルに入れたお湯を使った簡易シャワー。浴槽はビニールプール。
棚に入っている食事は大体缶詰やお菓子。千歳の家から弁当を沢山持ってきておいてよかった。
ベッドはダンボールを敷いているだけ。
それでも、匿ってもらっているのだからありがたい。
こういった惨状の中にいると、嫌悪感を抱いている余裕もない。
ただこれが、小学校の頃の秘密基地だったら、わくわくしたんだろうな……。
……なんてことを考えながら、赤魔くんの話を思い出す。
彼の話によると、この世界の時間の流れは現実世界と同じのようだ。
ここに来た目的は、ウィンベルちゃんにこれからの戦いで役に立つアイテムを作ってもらうことだったらしい。
……で、その完成を待ってる間はここで療養と特訓をすることになった。
特に赤魔くんは、自分の本来の力がどれくらい出せるのか試したくてしょうがないみたいだ。
わたしももっと飛行の練習をするか。それくらいしかできることないし。
天啓の練習をしたい場合は、赤魔くんとウィンベルちゃんの翼を出させられるか試すって感じか。難しそうだな……。
ちなみに、赤魔くんがウィンベルちゃんに残りの仲間はどこにいるのかと聞いたところ。
三人は【人間界で人知れず戦っている】とのことだった。
それで最後の一人は、ここの監視室とかいう場所で【人間界の監視】をしているらしい。
何でも、ここから人間界の好きな場所を見下ろせるらしい。それによって悪魔の動向を探っているのだそうだ。
赤魔くんは監視中の人? に、わたしの友達の周辺に危険がないか監視するように頼んでくれた。わたしはその人の顔も名前もわからないけど。
そう言えば、赤魔くんはウィンベルちゃんにスマホを持っているかも聞いていた。彼女は持っていないと答え、そもそもそういうのは疎いと言っていた。
わたしのを貸そうとすると、赤魔くんは【お前のじゃなくて、天界由来のモノが必要だ】と断られた。どういうことなのかはよくわからない。
……そもそも、充電が切れていた。
今赤魔くんは地下にいるはずだ。彼の様子が気になってきた。
「ちょっと行ってみるか」
わたしは赤魔くんの特訓を覗きに、部屋を出た。




