4話 「赤い悪魔」
「——ッ!」
「起きたか」
目が覚めたと同時、耳元の近くでつい最近聞いた声がした。
わたしはまだ朧げな意識の中、首だけを横に向ける。わたしはリビングのカーペットに横になっていた。
「…………早く立て。
あの二人を成仏させる」
起き上がることを急かす、ムスッとした深紅の三白眼。赤いツンツン頭のあの少年だ。
コイツが何者なのかはわからないが、敵意は感じない。
少年は赤い右手——人差し指を部屋の奥の方に向けている。
わたしは少し頭を起こして、その指先を追った。
「……お父さん、お母さん!」
見ると、少年の赤黒い左腕が樹木のように枝分かれしながら部屋の端まで伸びている。その腕に死んだはずのわたしの両親がぐるぐる巻きにされていた。
あの時両断されたお母さんの首は、きちんと胴体にくっ付いている。
……しかし、二人はわたしが望んでいた姿ではなかった。
両親はあの天使という怪物にされた千歳と同じように、顔面が歪に変形し、忌まわしき翼まで生やしていた。
「「ウグウゥゥゥゥー!!」」
その上、怪物のような唸り声を上げながら暴れている。
「やっぱ、お前のご両親か。
あの二人はもう既にこの世の者じゃない。
人間を殺すためだけに生きる化け物だ。
二人を正気に戻すことは誰にもできないから、殺るしかない。
今のうちに別れを告げておけ」
「…………千歳に——『天使』にされたさっきの子に…………こ、殺されたから……あんな風になったの?」
わたしは重い身体を起き上がらせながら質問する。
「……理解が早いな。
天使が人間を殺すと殺された奴は天使に——ああいう風になる」
本当に、身体が重い。背中に何か背負っている感覚だ。
「おれは天使の敵——『悪魔』。
悪魔が人間を殺すと、殺された奴は悪魔になる。
今のお前も、もう悪魔になってる」
「……え?」
…………もしや。わたしは慌てて後ろを確認。
肩越しに見える、漆黒の翼の先が。左にも、右にも生えている。千歳の翼をそのまま黒くしたような見た目だ。
「なんで?」
「おれの毒を吸っただろ?
お前は死んだんだ」
「!」
思い出す。
……そうだ、千歳を助けようとした時に、毒ガスをわたしは吸った。
そこで、わたしは死んだのか。
思えば、忘れていたけど、あの時自分も死ぬ覚悟だった。自分の生命などどうだっていいと思って、なりふり構わず行動していた。ただ、千歳を救おうと……。
それで死んだ……? 本当に……?
今こうしてわたしは意識があって、生きているのに?
いや、もう人間ではなく、黒い翼の生えた悪魔として生きているってことなの……?
訳がわからない……。
とりあえず、聞いておかなければいけないことがある。
「……毒を吸ったのは、千歳も。
あの子は、どうなったの?」
「消滅した」
「え……」
この悪魔はさらっとエゲツナイことを言う。
しかし、始まったこの異様な状況の最中、信じるしかない。
「お前のように、彼女がまだ生きている普通の人間だったなら、おれの毒で悪魔になっただろうが。
天使、悪魔……どちらにせよ、【一度死んでる奴がおれの毒を吸えば、そいつは消滅する】」
「………………」
悪魔の少年は、目を背けた切ない表情で告げる。
「…………悪い、彼女がああなった以上は、ああするしか」
千歳……。
「……わかった。
教えてくれて、ありがとう」
この少年の言う通り、そうするしかなかったんだろう。
千歳も自分の運命を受け入れていた。
なら、わたしも受け入れるしかない。
わたしが悪魔になったらしいことの状況整理は、ひとまず後で。
胸に手を当て、瞑目。
静かに鼓動を確認。
そして、千歳が残してくれた想いをグッと握りしめて。
「……ごめん、遅くなった」
わたしは手を挙げて、少年に少し待ってもらうよう静止し、お父さんとお母さんのもとへと歩いていく。
天使という化け物になったお父さんとお母さんは今も尚、ウーウー唸ってもがいている。
「…………ごめんなさい、お父さん、お母さん……。
わたしがしっかりしていれば、千歳がああなることも、お父さんとお母さんがこうなることもなかった……。
わたしも、まだよくわかんないけど、なんか悪魔になってしまった……」
お父さんとお母さんのすぐ面前で、わたしは言っておかなきゃいけないことを口にする。瞳から涙がとめどなくこぼれてくる。
わたしは一度に多くのものを亡くしたが、さっきまで千歳ばかり見ていた。
両親の死が精神のキャパに収まり切らず、二人の死をどこか他人事のように感じてるところがあったが、今ここでやっと両親の死に向き合った。
「この責任は、わたしが取るよ。
全てを狂わせたジェノって奴を捕まえて、謝らせてやっつける!
そして、他の人たちがこうならないように、みんなを守ってあげる。
…………千歳のお願いに、今こそ応えてあげないと」
【頼られた時に、力になってあげれるようにならないと】
【甘えてばかりじゃダメよ】
二人から言われたこと。
こんなにも早くそれが身に染みることになるとは、よもや思いもしなかった。
「……わたしはいつも独りで、中学の陸上部の時も問題起こしたし、高校でようやく友達できたと思ったら頼ってばかりで……。
心配ばかりかけさせてごめんなさい……。
お父さんとお母さんが叱ってくれた時も、わたしは適当にあしらってばかりで。
本当にごめんなさい……。
お父さんが出世した時も、おめでとうって軽く言っただけでお祝いもしなかったし、母の日・父の日・誕生日にもプレゼントあげなかった。
わたしって、ホントにダメな親不孝だね……。
……けど、わたし、これからはちゃんと頑張るから。
お父さんとお母さんが天国で安心して眠れるように、嫌なことから逃げないから。
宿題だってちゃんとやるし。
千歳からも言われた。
お父さんとお母さんから言われたことも、絶対に忘れないから。
だから……もう心配しないで」
上手く喋れているのかはわからない。
とにかく言うべきだと思ったこと、心の中にあふれてきたことをひたすらに述べ続ける。
その後は何を言ったのか、覚えていない。
………………やがて。
「…………悪魔くん。
もういいよ、言いたいことは言った」
わたしは振り返り、悪魔の少年に後を託す。
「わかった。
お前は下がってろ。
今度巻き込まれたら、お前も完全に死ぬぞ」
言われた通りにお父さんとお母さんから離れ、二人が見える角度の部屋の隅まで移動する。
少年は両目をカッと見開き、両親を拘束している左腕に力を込める。
すると、あの毒ガスが左腕で覆っている範囲内だけに発生。虚ろな目をして口を開けながら放心している両親の姿を、徐々に徐々に霧消させていく……。
「「六空…………」」
「——!」
お父さんとお母さんが、同時にわたしの名前を読んだ。
「……六空……ありがとう、声をかけ続けてくれて。
やっと……意識が戻ったわ……」
「いきなりこんなことになってしまって、ごめん。
お父さんとお母さんを許して欲しい。
六空のこの先の人生、笑えるように、幸せになれるようにいつでも祈ってるよ」
「頑張って、負けないで……。
お母さんとお父さんは、いつでも見守ってるから」
最期の瞬間に聞こえた優しい言葉が、わたしに再び流れる涙を加速させた。
ぐしゃぐしゃに顔を濡らしたわたしは、お父さんとお母さんが見えなくなるまで無意識に手を振っていた。
「…………………………」
……もう、何も聞こえないし、そこには悪魔の左腕だけが残されている。
「…………うっ、」
膝から崩れ落ち、床に両手をついて倒れる。
ドン……ドン……。
カーペットを何度も叩く。
それからわたしは這いつくばり、さっきまでは食卓だったテーブルにすがりついた。
こんなことになる前は、ここにお父さんもお母さんも座っていたんだ……。
わたしはテーブルに抱きつき、もう流しきったと思った涙をまた流す。
「うあああああああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」
何度も込み上げてくる気持ちに、わたしはどうしても抗うことはできなかった……。
わたしはこの日。
もっと親孝行したかった大好きな両親。
かけがえのない愛おしい友達。
抱きしめたくなる程大切な日常。
全てをあっという間に失ってしまった。
* * *
あれから、どれくらい経っただろう。
ようやく、わたしはどうにか会話ができるようになるまで精神が回復した。
「…………これから、あなたはどうするの……?」
「……お前は、もう気が済んだのか?」
わたしが悪魔の少年に質問すると、逆に質問返しがきた。
「…………済んでないよ。
だけど、動かないと気が紛れない」
「なら、お前は何がしたい?」
「また質問?
とりあえず、千歳の家に行く。
千歳のご両親も、成仏させてあげないといけない。
その後は、友達——百夏と八宵を守らないといけない。
あとはあのジェノって男を捕まえて、100発ぶん殴って、泥のついた靴で顔面踏んづけて……って、やってやりたい」
わたしの身体がプルプルと震えている。
激情がわたしの全身に流れて、周囲にあふれそうな程の昂りに支配されていく。
悪魔の少年は、そんなわたしに左手を差し出した。
どうでもいいことだが、恐らく彼は左利きらしい。
「なら、お前に付き合う」
「……いいの?」
「元いた場所に帰りたいが、方法が無い。
それに、お前を悪魔にしてしまったのはおれだ。
面倒見る責任があるだろう」
「…………わかった、お願い」
わたしは悪魔の手を取った。
「安心しろ。
お前のことは絶対に守る」
「助かるよ、ありがとう」
「お前をこれ以上の不幸な目には遭わせねぇ。
将来|幸せな生活を送れるよう《ハッピーエンド》にすることを約束する」
今から、わたしとコイツは同盟を組む。
……大切な人たちを失ったというのに、状況に順応するのが早い?
【これから頑張る】って切り替えが早すぎる?
絶望からもう立ち直った?
そんなことない。
自信や覚悟なんて、全くなかった。
本当は叫んで逃げ出したい。ずっと泣いてうずくまっていたいんだ。
ただ、ただ……あっちに行ってしまった千歳と両親を安心させなきゃいけないから……。
わたしは、恐怖を殺して前に進むしかないんだ。
目的を達成するために目の前の仲間も利用する悪魔になる。
そんな覚悟すら、弱いわたしにはない。
それでも。
それでも! 自分の心に嘘はつける!
わたしは唇を強く噛んで、少年に尋ねた。
「ねぇ、あんた名前は?
それに、天使とか悪魔のこと、色々説明してよ。
事情知ってるんでしょ?」
わたしだけ知らないことが多すぎては不公平すぎる。
コイツは少しぶっきらぼうだが、敵意は感じない。
コイツはスゴイ強いから、助けてもらうことは沢山ある。
でも、わたしがコイツを助けなきゃいけないことも、これから先きっとある。お互いが生きていくために。
だから、もっと知らなきゃいけない。コイツのことももっと知りたいし、もっと信じさせて欲しい。
わかることは、コイツの身長は150cmあるかないか。わたしとほぼ同じだ。
男の子の平均身長なら、小学校5、6年くらいか。わたしはこの身長で高校2年生だけど。
……ていうか、コイツが悪魔なら、わかってる情報をまとめると多分不老不死。悪魔が不老不死なのかは知らないけど、天使がそうならきっとそう。
だから、見た目で小学生とか実年齢を判断できないのか。
「おれのことは……好きに呼べ。
お前は六空って言うんだろ?」
「……好きにって……」
名前が無いのか、言いたくないのか。
「…………じゃあ、赤いから……赤い悪魔だから、
『赤魔』くん!」
「……まぁ、それでいい」
彼はあっさりと納得した。ダサイとか言ってくると思ったのだが。
本当に、子供っぽい外見に似合わず、彼は冷静だ。
かなり長い年月を生きているかのような貫禄。
何となくだが、悪魔という種族のリーダーなんかもやってそうな雰囲気も感じる。
……ともあれ、これで彼の名前は赤魔くんになった。
「お前、まだ翼が具現化されてるだろう。
集中すれば目に見えなくさせられるぞ」
「……えっ、そうなの?」
「激しく動揺させられたり、精神的に大きく揺さぶられると具現化してしまうがな。
で、翼が具現化していると戦闘力が大幅に下降し、絶好の標的にされる」
「……えっ、そうなの?」
「だから、天使も悪魔も、常に翼は隠しているんだ。
いかに翼を露出させられないように立ち回るか、それが重要なんだ。
おれも翼を隠している。
そもそも、人前で翼を出していたらすぐに目立ってしょうがないだろう」
「そうなのね。
……でも、千歳とお父さんとお母さんは翼が見えていたけど」
「……あれは天使に成り立てで、精神や力の制御ができていない状態だったのと、天使のランクが低級で、知能が相当低くされているからだと思う。
天使の視点になったことはないから、はっきりとは言えんが」
「天使にランク……。
知能が……」
「……その辺はおいおい話す。
まずは集中して念じてみろ。
【翼よ、消えろ】って感じで」
「あ、うん……」
赤魔くんの指示通り、わたしは目を閉じて集中。
心の中で、言われた通りの言葉を唱える。
………………翼よ、消えろっ!
……すると、わたしの背中の重みが急に消え失せた。
「うわっ、こんな簡単に……」
何度も背後を見回したり、鏡に映してみるが、本当にわたしに生えていた漆黒の翼は消えている。
「翼の重みも感じないだろ。
出そうと思えば、また念じれば出せる。
だが、翼を出していなくても、おれたちは空を飛べる。
つまり、出すメリットはないから常に隠しておけ」
「……空を飛べる?」
赤魔くんは頷き歩き出す。そして、家の外に出るように手招き。
「あの子の家に行くんだろ?
空を飛びながら行くぞ。
ついでに移動中に、おれ——悪魔と天使のこと。
説明してやる」




