20話 「ミーミルの泉」
おれは今、全身を空中に磔にされている。
足下には妖しげに輝く緑色の泉。
「キャプテン……そろそろ始まるわよ」
泉の外にいるビフォンが、こっちを心配そうに見ている。
黄泉の国の屋敷。バルコニー。
六空よりも先に帰還したおれは、ビフォンに用意してもらった呪術——【ミーミルの泉】の支配下にあった。この泉を呼び起こす術は、神事に携わっているビフォンしか習得していない。
「貴様は何が欲しい?」
バルコニーにしわがれた老人の声が響く。
だが、そこにいるのはおれとビフォンだけ。この反響するような声は泉が発している。
「おれは……人を死なせない力が欲しい。
誰も、天使にも悪魔にもさせない力が」
おれの返答に、泉はコポコポと泡を立てた。
「人を【不死】にするということか?
それは生命の在り方を超えた力だ。
殺す力の種類は無限大、いくらでも渡すことができよう。
しかし、死なせない力となると……この世には存在しない。
故に世界の理を乱すことになる。
……この意味を……貴様は理解しているのか?」
「ああ、あんたはミーミルの泉の化身。
欲しいものを得る代わりに【代償】を差し出さなければならない。
おれが払うものは、それなりってことなんだろう?」
昨日の祭りで、沢山の人間を危険に晒した。結果的に犠牲はゼロだったものの、危なかったのは事実。
おれは次の戦いを犠牲ゼロで終えられる気がしなかった。
だから、おれはビフォンを呼んで次の手を打とうとした。だが、その準備が終わる前に札幌での戦いが始まった。
そして、今日は恐れていたことが起こった。明確に甚大な被害を出してしまった。
霊能力少女と彼女をいじめていた奴ら。それから、イベントの観客とスタッフ全員を、みすみす天使にされてしまった。
この被害状況を招いたのはおれの責任だ。なら今すぐに手を打たなければならない。
おれがもっとしっかりしていたのなら、この結果にはならなかったのでは?
そんな後悔がおれの背中にしがみついて離れない。歩みが後ろに引っ張られて、前に進ませない。
「…………貴様が差し出すものを告げよう」
泉の化身がしばしの沈黙の後、喋り出す。おれの覚悟はとっくにできている。
「貴様の超人的な肉体——左腕以外の赤黒い身体。
それから、両目をもらう」
それを聞いたビフォンは口を押さえて息を呑んだ。しかし、おれはその代償の軽さに拍子抜けだった。
「…………それだけでいいのか?」
「自惚れるなよ。
ただでさえ弱体化している貴様が、信じられない程弱くなるということだぞ」
わかってる。この赤い身体を失うということは、おれの武術が左腕でしか使えなくなるということだろう。
「……特訓すれば実戦レベルまでは追いつける、追いついてみせる。
おれにはいざという時の身体強化だってある。
目が無くても、第六感を鍛えて生命力を高めれば相手の位置や気配を察知できる……。
とにかく、今のおれは、強さよりも【守れる力】が欲しいんだ。
誰も危険な目に遭わせない力が。
……それに、おれの身体は【炎に触れると爆発する】強烈な引火性がある。
それを左腕のみにできるのなら、おれとしてもありがたい話だ」
おれは目を閉じて、六空の顔を思い浮かべる。
これ以上の犠牲を出さないために。天使も悪魔も作らないために。彼女のために。
「貴様には仲間がいるのではないのか?
その者たちに頼ったりはしないのか?
ここで力を得なくても、仲間の協力で問題なく守護を果たせるのではないか?」
泉の化身が当然のように聞いてくる。わかっている。
「頼ってるさ。
確かに、ソリネスが加わって戦力は一気に増した。
ビフォンも来てくれて心強い。
だが、守る力はどうしても不足している。
アイツらが力不足って意味じゃない。
あんたも言ったように、おれが今もらおうとしている【不死にする力】は理を超えているから、誰も手にしていない。
だから仕方ないんだ、アイツらが悪いわけじゃない。
目の前で起こる悲劇と犠牲を絶対に抑えるために……おれは今ここで、何としてもあんたから力を得なければならないんだ」
「では、何故それを貴様が得ようとする?」
「キャプテンだから。
アイツらに代償なんて払わせられるかよ。
それにどの道、今からもらう力はおれでないと上手く扱えないはずだ。
【理想統合】の性質を持ったおれでないとな」
おれは泉を見下ろして、不敵に笑ってみせた。
泉の化身が言ったように、仲間に協力を仰ぐ方法はある。
だが、それだけでは不確実。余計な犠牲は絶対に避けなければならない。
さっき、おれとソリネスはこんな会話を交わした。
〈俺が戻ってきた途端に、ミーミルの泉を使ってチート能力を得る?
俺が全面的に戦闘に参加するんじゃダメなのか?〉
〈ソリネス。
お前は、そこにいる何万もの人間を守れる力を手にできるとなったら……欲しいか?〉
〈そりゃ、欲しいか欲しくないかと言われると欲しい。
けど、絶対ではないな。
俺はそこにいる全員を守れるって自信はない。
保証もできない。
仕方ない犠牲は受け入れる。
そうじゃなきゃ、戦えないだろ。
もちろん、未然に危険を防げるのなら防ぐけどな〉
〈それがお前の考え方だろ。
お前はそれで間違っていない。
おれにはおれの考え方がある……。
おれは全部を守れる力が欲しいんだ〉
頭が硬かろうが頑固だろうが、仲間を信用していないと思われようが、おれはもう決めた。
「貴様の決意、受け入れた」
泉の化身がおれの願いを完全に聞き入れてくれた。
泉から、柱のように天高く湧き上がる飛沫。
おれの身体がずぶ濡れになり、途端に走る激痛。
「うあああああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙…………」
思わず悶える。右腕の感覚が一瞬で消えた。
見ると、右腕の色が人間のそれと同じ色になっている。筋肉もあからさまに落ちている。
「全く、無茶して……!」
ビフォンの顔は悲痛に満ちていた。唇を強く噛んで震えている。おれが決めたことなのだから、そんな顔はしないでほしい。
これで、これからのおれの戦いは左腕オンリーになった。いや、特訓で右腕の筋力を上げればいい話だ。
それから休む間もなく、左足も激痛とともに赤黒さが消えた。足技も改めて鍛え直す必要があるな。
その後は右足か。巨大化も左腕しかできなくなるだろう。
どれだけ弱体化しても、おれの毒とこれから得る力があれば、乗り切れるはずだ。
たとえ、この目が見えなくなっても、おれは戦いをやめない。
これが、おれの次の一手——
「キャプテン、負けるな……!」
ビフォンからの熱い声が届く。おれは、感覚がなくなった右手を上げて返した。
* * *
※六空視点。
「赤魔くんは?」
屋敷に戻ってきたわたしは、彼の姿がどこにも見えないことに気づく。ビフォンと、奪還したソリネスさんもいない。
リアストさんとウィンベルちゃんが監視室でモニターを眺めている。リアストさんはポーカーフェイスだが、ウィンベルちゃんは気まずそうな表情。何かを隠しているのは一目瞭然だった。
「ねぇ、ウィンベルちゃん?」
ウィンベルちゃんの顔を覗き込む。すると、彼女はあわわわと目を逸らしてそっぽを向く。
…………怪しすぎる……。
「わ、わたしは何も……。
秘密の会議をしていることくらいしか……」
……秘密の会議……?
もしかして、昨日の夜に赤魔くんがビフォンに耳打ちしていたやつか?
〈…………そっか。
そのためにあたしを呼んだんだ〉
〈そうだ。
他の二人に繋がらなかったのは残念だが、お前が来てくれただけでもこの先の目的は達成できる〉
〈…………わかった。
けど、後で責任は取れないよ〉
……わたしは昨日の二人の会話を思い出す。
責任は取れない?
…………何か、嫌な予感がした。
「六空さん……」
リアストさんが神妙な様子で声をかけてきた。
「六空さんはもう我々の仲間です……。
それなのに……仲間外れは嫌でしょう……」
どういうことだ? 嫌に決まっている。
わたしがそう返すと、リアストさんは顎に手を当てて考え込んだ。
しばらくして、リアストさんが口を開く。
「キャプテンとビフォンさん……遅いですねぇ……。
今日はもうすぐ雨が降りそうなのに……」
「雨……? 外……。
そこで秘密の会議を?」
「…………おや、今のは独り言です……」
リアストさんはそれっきり喋らなくなった。
そして。
「リアストさん、ずるい……。
わたしは、ミーミルの泉……」
今度はウィンベルちゃんがぽつりと呟いた。
「…………えっ?」
「わたしも独り言です。
リアストさんが喋ってくれないから、つい……」
わかった。二人とも、何も知らないわたしを気遣ってくれている。
赤魔くんのところに行って、彼が何をするつもりなのかその目で見てこいと言っているんだ。
「外……もしかして屋上?」
その時、わたしはウィンベルちゃんが言った言葉を反芻。
ミーミルの泉。去年プレイしたRPGのキャラクリに出てきたステージだ。
そのゲームでは、主人公に最初に泉の水を飲ませることで、ステータスの調整を自分で設定することが強いられた。どれか一つのステータスが成長しやすくなり、どれか一つのステータスが伸びにくくなる設定をしなければならなかった。
前に八宵を家に呼んだ時、わたしはそのゲームを二人で遊んだ。そこで八宵はこんなことを言っていた。
〈六空さん、知ってました?
ミーミルの泉って、北欧神話に出てくる要素なんですよ!〉
〈あっ、そうなの?〉
〈はい。
泉の水を飲むと叡智を得て賢者になれるんですが、何かを差し出さないといけないんです〉
〈じゃあ、このゲームのキャラクリもそこから?〉
〈でしょうね。
神話では、最高神オーディンは片目を差し出しました。
それと引き換えに、全てを見通す知恵を手にしたんです〉
〈流石読書家の八宵、詳しいね〉
…………ミーミルの泉って、そういうこと!?
赤魔くんは何かを犠牲にして、何かを得ようとしている!?
何を捨てる気!?
「ありがとう、二人とも!」
監視室を飛び出し、屋上へ向かった。行ったことはないけど場所はわかる。
そこに赤魔くんはいないかもしれない。いなかったら、そこから飛んで外を探せばいいだけ!
* * *
「気づいたか」
屋上へと続く階段の踊り場。ソリネスさんが壁によしかかっていた。
「ソリネスさん……。
やっぱり、そこに赤魔くんたちが?」
「俺は見張りを頼まれている」
質問の答えではなかったが、それはYESと同じ意味だった。
「彼は、何かを犠牲にして何かを得ようとしているんですか?」
「……口止めされてたはずだが、アイツら喋ったのか。
まぁ、だから君はここに来たんだろうが」
つまり、わたしの考えは正解だということ。
ソリネスさんの横を通り過ぎる。彼は動かない。そのまま無言で通してくれる。
階段を上って、バルコニーへと繋がる扉に手をかける。
「——うっ!」
全身に駆け巡る痺れ。
手が震え、足の力が抜けていく。頭の中が苦痛の感情で満たされて、他に何も考えられなくなった。
わたしは崩れ落ちて、床をのたうち回る。
「悪いな。
ここから先は、シークレット。
悪魔しか入れないんだ」
ソリネスさんが腰を下ろして告げてくる。
思考が少し回復した。言葉が出ないが、口をパクパクと動かして反論。
「わたしも悪魔なのに……ってことか?
君は半分天使なんだろ?」
でも、この世界には入れているのに。
この世界は悪魔しか入れないはずだ。
「……君の言いたいことはわかる。
この世界に入るよりも、この先に行くことの方が世界の審査が厳しく設定されているんだ。
だからこの先はシークレットになっているんだ」
世界の審査……? システム的なこと……?
完全な悪魔しか入れない空間……。
赤魔くんは何かを捨てる気だ。何かのために。
もし、それがわたしのためでもあったなら?
これまでの戦闘中、わたしはいつも最初は棒立ちだった。
ここでも黙って事が終わるまで待っていなければならないの……?
………………………………………………。
——違う!
赤魔くんだけに背負わせてはいけない。
わたしは、赤魔くんの……。
震える手で。ソリネスさんの鼠色のズボンのポケットに刺さっている、ペンライトを引ったくる。
それは——神器の刑光刀。
床を転がり、ガクガクと立ち上がる。
刑光刀を力の入らない手でどうにか握り、構える。
死物であるわたしにも神器は扱えるはず……!
「……!?
どうする気だ、それで扉を壊す気か!?
だが、そんなことをしても——」
——天使の翼よ、出ろっ!
わたしの背中が途端に重くなる。一対の翼が具現化した感覚。
「君は……まさか……」
わたしを天使にしているのは、この翼だけ。他の要素は赤魔くんが昨日黒い毒で殺してくれた。
ならば、こんなもの……ッ!
わたしはペンライトの光を赤くし、具現化した天使の翼に近づけた。
「——あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」
揺らめく炎が、あっという間にわたしの背中を火だるまにした。
熱い、熱い、熱い、熱い……!! わたしは炎を背負っている!
……けど、この神器は悪魔を殺せるって話だった。
なら、同じ死物である天使も殺せるはず……!
わたしは悪魔。中途半端な天使の要素をここで全部殺す!
「……まじか…………」
ソリネスさんはわたしを見て固まっている。この行動は予想外だったようだ。
わたしは不老不死。これくらいの痛み、もう慣れてんだよ!
昨日だって、おびただしい爆発を背中に受けているんだ! それと同じ!!
やがて。
地獄の業火を耐え切ったわたしは、虫のように床を這う。刑光刀が手から滑り落ちて、階段を転がっていく。
もう、天使の翼の感覚はない。
念のため悪魔の翼まで燃えていないか確認した。大丈夫、こっちの感覚はちゃんとある。
わたしはゆっくりと、一歩ずつ、扉を目指して前に進む。
腕が一本くらい千切れても構わない! これ以上赤魔くんに背負わせられない……!
だって、わたしは赤魔くんに——
やっと扉にたどり着いた。普通に歩けばたったの数歩の距離。それなのに、虫になったわたしにはかなりの距離だった。
あとは、ドアノブに手が届けば…………。
………………もう少し、もう少し……。
……まだ、届かな——
「——君の勝ちだ、行けよ。
アイツを、守ってくれ」
ソリネスさんが、扉を開けた。
同時に、わたしの身体がバルコニーの異様な空間へと吸い込まれていった。
読んでいただき、ありがとうございました!
次の話で1章が完結します。
よければブックマーク・評価・感想の方をいただけると嬉しいです!




