8 優先するもの
「失礼致します」
後ろから声をかけられて振り返る。五十代くらいの男が、恭しく頭を下げた。目配せすると、チップが目の前に次々に運ばれてくる。
「当カジノでお楽しみいただけているようで、とても光栄に思います。わたくしは支配人でございます。お客様はとても勝負強いですね。ぜひVIPルームにご招待させてください」
口調は穏やかで、口は弧を描いている。でも目は笑っていない。全部取り返す、という気迫がひしひしと伝わってきた。
「えー、行かない」
ピノは興味なさそうに、ぷいっと視線を外す。
支配人は口をあんぐりと開けた。予想外だったのだろう。
「なぜですか? もっと高額な賭けができて、何物にも変えられないスリルを味わえるのですよ」
「だって、お腹減っちゃったし。エビを食べに行きたいし。お金にも興味ないし。僕の目的はスタンプだから」
カジノで遊んだのは、スタンプのついでだとピノが言うと、支配人はピノの腕を掴んでいる引っ張る。
「えっ? 痛いよ!」
「そう、おっしゃらず。ぜひ遊んでください」
強引な支配人に、俺とガルが立ち上がる。
ピノの隣に座っているレヴィンが、支配人の手首を掴んだ。『ボキッ』と鈍い音が響き、支配人の悲鳴が上がる。
あーあ。面倒なやつを怒らせちゃった。
レヴィンは自分に身体強化のバフをかけたようで、今の握力はゴリラ以上だ。
「ああ……あっ、ぁあ!」
「骨が折れたくらいで、うるせーな」
ピノの腕を外させると、治癒魔法で骨を元通りにする。
「骨なんてな、折れても治せばいいんだよ。そうしたら、また折れるから」
地を這うような低い声に、支配人はひぃっと喉を引き攣らせた。
支配人が腕を引くが、抜けない。レヴィンは握り潰さない力加減で、手首を掴んでいる。
騒ぎを聞きつけて、警備員たちが集まってきた。
「早くこいつらを追い出せ!」
支配人が叫ぶと、また骨の折れる音と支配人の絶叫が上がる。
再び治癒魔法をかける。
「謝罪が先だろ。そっちが先にイカサマをしたんだから」
「え? イカサマ?」
レヴィンのセリフに、ピノが目を瞬かせた。
「謝って」
ピノは頬を膨らませて、腰に手を当てる。
お姉さんはビビって、腰を抜かしているし、支配人は「早く追い出せ」と声を荒げた。
突っ込んでくる警備員を全員浮かせて、天井に貼り付ける。
「謝罪が終わったら下ろすから、ちょっとそこで待っててくれ」
上を向いて叫んだ。
支配人は俺たちと天井を交互に映す。
「まだ言わねーの? オレは言うまで何回でも折るし、折るために何回でも治すぞ」
レヴィンの言葉がトドメになったようで、微かな声で「申し訳ありません」と支配人が謝った。
「お前もだ」
レヴィンはお姉さんに吐き捨てる。
お姉さんは床に手をついて「すみませんでした」と頭を下げた。
「いいよ。もう悪いことしちゃダメだからね」
ピノはさして気にしてもいない様子で頷いた。
「そんなに簡単に許していいのか?」
「うん、謝ったし離してあげて。それより僕、お腹減った。早くエビを食べに行こ」
ピノは最後に手に入れたチップは受け取らず、それより前に手に入れたチップだけを換金する。
「いいのか? 最後も当たってたと思うぞ」
「うん、でも本当に入ってたかはわからないし。それに、報奨金をいっぱいもらったから、お金に困ってないもん」
ピノが「今日は僕がご馳走するよ。美味しいものいっぱい食べよ」と笑う。
カジノを後にして、レストランに入った。
名物のエビは、思い描いていたエビの十倍はある。めちゃくちゃでかい。
殻ごと炭火で焼いたエビの殻を、ガルが次々と剥いていく。
俺たちはそれにかぶりついた。プリップリの身は弾力があり、味付けは塩のみとシンプルだが、それが素材の味を最大限に引き立てている。
「剥いてばかりいないで、ガルも食べろよ。すげー美味いよ」
「ああ、そうだな」
ガルも食べ始めたところで、記念撮影。でかいエビを咥えて、みんないい笑顔だ。
フライに蒸し焼きと食べて、しめはリゾット。腹がパンパンになるまで食べ尽くした。
「ピノ、ごちそうさま」
「うん、いいよ。カジノで勝ったお金だから。でも、驚いたな。ロランが女の人に情けをかけないんだもん」
「不正を許せなかったんだよな」
ガルが感慨深そうに言うが、そういうわけではない。
正義感の強いガルらしい考えだ。
俺は別に正義の味方なんかじゃない。こいつらの味方なだけで。
イカサマされていたのがこいつらじゃなければ、俺は何もしなかったかもしれない。
いや、綺麗なお姉さんでも助けていたな。
「というより、ロランは女女うるせーけど、女に興味がないんだよ」
レヴィンの言葉に、全員が目を丸くする。
「俺、お姉さん大好きだけど?」
「好きかもしれねーけど、仲良くなりたいとは思っていないだろ?」
「めちゃくちゃ仲良くしたいけど!」
レヴィンは疑わしそうに、眉を上げた。
「ロランは豪華客船で舞台女優にデレデレしてたよな?」
「あー、すげー美人だった!」
「じゃあ、そいつの名前は?」
名前? 首を捻る。
「聞いてない」
「さっきのディーラーにも鼻の下を伸ばしてたよな」
「色っぽかったよな」
イカサマするまでは、ずっとお姉さんのことを見ていたかった。
「ディーラーの名前は?」
「いや、知らねーよ」
「二人とも話す機会はあったろ? 名前すら聞かないなんて、興味がないってことだろ」
レヴィンに指摘されて、額を押さえて混乱する。
記憶を遡るが、俺は今まで関わったお姉さんの名前を、一人も知らなかった。
「え? おかしくない? 俺、お姉さんが好きなのに」
「女性と仲良くなるより、みんなで旅をすることを無意識に優先していたんじゃないか?」
……そうか。仲良くなっても、すぐに離れることになる。俺はこいつらと旅をしたい。
「ロランは女の人より僕たちの方が好きなんだね。だからディーラーさんじゃなくて、僕を勝たせてくれたんでしょ?」
俺がこいつら以上に優先する奴はいない。
三人がニヤニヤと、意地悪く笑う。
「うるせー。恥ずかしいことを言うな! 俺はお姉さんが大好きだ!」
「大声でそんなことを叫ぶ方が恥ずかしいぞ」
ガルに嗜められる。四人でバカ笑いをして、店員の目が気になったところで店を出た。
ホテルに戻ってダラダラと寛いでいると、難しい顔をしたガルがスッと立ち上がった。
「やはりカジノの不正は見過ごせない。憲兵に伝えてこようと思う」
他の客も被害に遭っているかもしれない、とずっと考えていたのだろう。相変わらずクソ真面目だ。
「ついていくか?」
「いや、伝えるだけだから大丈夫だ。みんなは休んでいてくれ」
ガルは一人で出て行った。
俺たちはカードゲームで時間を潰す。
「ねぇ、帰ってくるの遅くない?」
ピノの言葉で、時計に目を向ける。ガルが出て行って、すでに一時間経っていた。
「迷子になってんじゃね?」
「ロランじゃねーし、それはねーよ。こんなに高い建物は他にねーから、迷いようがない」
「それなら俺だって迷わねーよ」
レヴィンとピノには訝しげな目を向けられた。信用がなさすぎて辛い。
探しにいくか相談していると、扉が開く。両手に荷物を抱えたガルが、肩で扉を押し開けていた。
「何してたんだよ」
「ホテルの従業員に、最上階から見る夜景が綺麗だと聞いたんだ。バルコニーで飲み食いしながら、眺めようと思って、酒とジュースを買ってきた」
テーブルにドンと飲み物が置かれる。
憲兵に伝えてから、買い物をしていて帰ってくるのが遅くなったようだ。
「ロラン、料理を作るから、食材を出してくれないか」
野菜と調味料を取り出した。
「なぁ、ドラゴンってまだ食えると思う?」
「凍らせてあるんだよな? 食べられると思うぞ」
「じゃあ、メインはドラゴンの肉で!」
カチコチに凍ったドラゴンの肉を炎を出して炙る。
手持ち無沙汰だからか、珍しくレヴィンとピノも手伝っていた。
「ロラン、鍋に水を入れて、沸騰させてくれ」
「はいはい、任せて」
炙り終えた肉と鍋を交換する。
「味見したい」
ピノにねだられて、薄切りにした肉をみんなでつまんだ。
調理を終えて、バルコニーのテーブルに料理を並べる。
まだ暗くなりきっておらず、真っ赤な空が徐々に藍色に染まっていく。
出来立てが一番美味いから、暗くなるまで我慢なんてできず「かんぱーい」と声を揃えてグラスを鳴らした。
ぶどう酒を口に含む。辛口で渋みがあり、肉との相性はバッチリだ。
「やっぱガルの料理が一番美味いわ」
レヴィンはトマトのスープにご満悦で、しみじみと頷く。
「そうか? ……実は相談があるんだが」
ガルがフォークを置いて、言いにくそうに切り出した。
「なんだよ?」
「雪山温泉の後に、砂漠のオアシスに行っていいだろうか?」
ガルが目的地を指定するのは初めてだ。
「いいに決まってんだろ!」
「そうそう、遠慮しちゃダメだよ」
「何がやりたいんだ?」
全員が賛成する。
「砂漠のオアシスで、一カ月後に料理大会が開かれるんだ。それに出てみたい」
「そんなん、ガルが優勝じゃん」
「応援するね!」
「楽しみだな」
話しながら食べていると、いつの間にか陽は沈んでいた。
下に目を向ける。
宝石箱をひっくり返したように、キラキラと街の明かりが煌めいていた。
「すごーい」
「綺麗だな」
ピノとレヴィンが顔を見合わせて、笑っている。
ガルは空を見上げていた。
「どうした?」
ガルは眉を下げて笑う。
「いや、星は見えないんだなと思って」
「夜でもこれだけ明るいとな」
俺も空に目を向ける。
星は数えるほどしか見えなかった。
「子どもの頃にみんなで見た星が綺麗だったよな」
感慨深そうに漏らすガルの言葉が引き金となって、遠い昔が脳裏に蘇った。




