10 雪山温泉
地に足がつく。キュッと鳴り、踏みなれない感触に恐る恐る目を開けた。真っ白だ。全身を貫くような寒さに、体がぶるりと震える。
「うそっ!」
「ありえない」
「奇跡だ」
三人が悲鳴のような声を上げる。
正面に目を移すと、『雪山温泉街』と書かれた門があった。
微かに香る硫黄の匂いが、鼻を刺激する。
「どうだ! 俺の転移魔法の実力は」
得意げに胸を張って、首を反らす。
「これが毎回ならな」
「初めて目的地に着けたね」
「次も期待している」
訝しむレヴィンにはしゃぐピノ。ガルは俺の頭をわしゃわしゃとかき混ぜる。
「よし、とっとと宿に行こうぜ。めっちゃ寒い」
レヴィンが首をすくめて、自分の体を抱く。
「ちょっと待って」
みんなから離れて、踏まれていない雪に顔を思いっきり突っ込む。雪の中に埋まった顔は、寒いというより痛い。
顔を上げると、鼻や頬がジンジンと痺れていた。
視線を下げると、くっきりとした顔拓が残っている。
「僕もやる」
ピノも俺の隣で雪に顔を突っ込む。
「すごーい! 僕の顔だ」
ピノは歓声を上げて、鼻を啜った。
「ガルとレヴィンもやれよ」
苦笑いを浮かべるガルと、あからさまに嫌そうな顔を見せるレヴィン。
「ほら、早く」
催促すれば、二人も渋々雪に顔を埋めた。
「冷たっ!」
「みんな、顔が真っ赤だな」
「写真を撮るから、顔拓の前でしゃがんでろ」
カメラを覗き込んで位置を調整すると、俺も顔拓の前に戻る。
「撮るからな」
魔法でシャッターを押して、カメラから写真が吐き出される。
顔を赤くした四人と、その前に四つの穴。
「写真だと、顔拓ってわかんねーな」
「へこんでるだけだね」
少し残念に思うが、これも思い出だ。アルバムに貼り付ける。
強い風が吹きつけ、四人揃って身震いした。
「もういいか? 宿に行こうぜ」
レヴィンは限界のようで、俺たちを急かす。
門をくぐると、見たことのない建物が連なっていた。
瓦を並べた屋根に、どっしりとした石の塀。明かりは提灯というらしい。ぼやっとした淡い光が、雪景色を彩っている。
「宿はどこにする?」
どこを見ても温泉宿で、選択肢がありすぎて迷ってしまう。
「あそこの一番大きいところはどうだろうか」
ガルの提案に異論なんてなくて、温泉街の奥にある宿を目指す。
奥に進むにつれて、硫黄の香りが強くなって鼻をつまんだ。
「すげー臭いだな」
「鼻が曲がりそう」
ピノも鼻を覆っている。
「そのうち慣れるさ」
「温泉で作るゆで卵が美味いらしいぞ」
「えー、臭いが移りそうで嫌だな」
うぇ、と舌を出すが、街の至る所で卵を美味しそうに食べる人を見かけて、少し興味が湧いた。
宿に入ると、綺麗な女将さんが笑顔で出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました」
この街の伝統衣装である浴衣がめちゃくちゃ似合うし、露出していないのに色気を感じる。
「ねぇ、スタンプってどこ?」
ピノがいつものようにスタンプの場所を尋ねる。
「スタンプは、街の奥にある露天風呂にございます。スタンプは入口にあるので、いつでも押すことはできますが、露天風呂は予約制になっております。せっかくですし、露天風呂を堪能されてはいかがでしょう?」
俺たちは顔を見合わせて頷く。
「予約はどこでできますか?」
「ご希望の日時をおっしゃっていただければ、わたくしが連絡いたします」
どうする? と相談を始める。
「夕飯の後がいいよな?」
「月を見ながら温泉に浸かって、酒を飲みたい」
「お酒、やめるんじゃなかったの? 僕はスタンプが目当てだから、いつでもいい」
「じゃあ、夜にしようぜ」
話がまとまり、女将さんに「夜で空いている時間」と告げると、通信機で露天風呂の予約を取ってくれた。
「夜中でも大丈夫でしょうか? 今日は夜遅くから雪が降るようでして、とても幻想的な景色を楽しめると思います」
「はい、大丈夫です」
「では、夜の十一時から一時間。本日の最終枠で予約をお取りいたしました。露天風呂はございませんが、当宿にも大浴場がございます。ぜひお楽しみください」
女将さんに部屋の鍵をもらい、部屋へ案内してもらう。
部屋は畳が敷き詰められた、広い部屋だった。窓の外は葉のない木に雪が積もり、白い葉のようになっていた。石で囲われた池は不思議と凍っておらず、赤い魚が泳いでいる。
「寒くねーのかな?」
「温泉なのだろう。温泉で泳ぐ魚の話を聞いたことがある」
ふとした疑問に、ガルが答えてくれる。
「それだと熱そうだよね。あっ、だから真っ赤なのかな?」
「のぼせてるのかよ」
ピノの天然発言に、レヴィンが喉の奥で笑いを噛み殺した。
夕飯まで時間があるから、街を散策することにする。
「なぁ、卵食おうぜ」
土産売り場で新鮮な生卵を買って、ネットに四つ入れた。温泉卵用の湯壺で十五分茹でる。
じっと見守っていたが、すぐに飽きた。
「足湯に浸かって待つか」
レヴィンが足だけ浸かる温泉を見つけた。
ふくらはぎくらいまでの浅い温泉で、傍らにあるベンチに腰掛けて、足だけ湯につける。
「あったけー」
「癒される」
レヴィンとガルがしみじみと声を出した。
「僕、ちょっと熱い」
「俺も。冷えてるからか?」
雪の中を歩き続け、足先は感覚がないほど冷えていた。
我慢して浸かっていると、足先からじわじわと全身に熱が回ってポカポカしてきた。
「そろそろ十五分経つぞ」
「えーまだ出たくない」
ピノが口を尖らすと、レヴィンがすっと立ち上がる。
「オレが取ってくるから、ここで待ってろ」
「一緒に行くか?」
「いい。ロランじゃないんだし、迷子になったりしない」
「おい!」
レヴィンは片方の口角を上げて、意地悪く笑う。
「じゃあ、ちょっと行ってくるわ」
ひらひらと片手を振って出ていく。
入れ違いに、二人組のお姉さんがやってきた。
俺たちに目を向けると、顔をパッと輝かせる。
「あの、英雄様ですよね。一緒に写真を撮っていただけませんか?」
お姉さんたちから話しかけられ、驚きすぎて言葉に詰まる。
ピノが「いいよ」と何でもないことのように答えた。
いいよなー、お子ちゃまは。お姉さんに話しかけられても、意識せずに普段通り話せるんだから。
ピノが真ん中に座っていて、お姉さんはピノを挟むように俺たちの間に座る。羨ましすぎる。
俺の隣りにいるお姉さんは、こちらに顔を向けて柔らかく笑った。近いし石鹸の匂いがするしで、心臓が胸を突き破りそうなほどバクバクしている。
「ロラン、カメラを受け取ったらどうだ?」
「あっ、うん」
恐る恐る受け取り、緊張しながら位置を確認する。
「俺のカメラでも撮っていい?」
声を裏返しながらかろうじてそう告げれば、快く了承してくれた。
二台のカメラを浮かせ、お姉さんの隣に戻る。
「じゃあ、撮るから」
魔法で同時にシャッターを押し、カメラを返す。
出てきた写真はみんな笑顔だったが、俺だけ少しぎこちなかった。アルバムに貼る。
握手を求められ、ズボンで手を拭う。足湯で温まり、手のひらが湿っていた。
お姉さんたちの手はひんやりしていて、細いのに柔らかい。もう、今日は手を洗わない。
そのままお姉さんたちと会話を楽しむ。主にピノが。俺は意識しすぎて、上手く言葉が出てこない。
「レヴィン、遅くないか?」
ガルがボソリと呟く。
「あいつ、迷子になってんじゃね?」
ガル相手なら、滑らかに口は動く。
「誰が迷子だって?」
ちょうどレヴィンが戻ってきた。温泉卵だけじゃなく、酒瓶を抱えている。買い物してたのかよ。
お姉さんたちがレヴィンとも写真を撮りたいと言うが、レヴィンはそっけなかった。
「卵が冷えるから無理。お前ら、宿に戻るぞ」
卵が冷えるのは、レヴィンが買い物をしていたせいだろ。
残念そうなお姉さんたちに詫びて、足湯を出た。
宿に戻りながら、レヴィンが俺に目線をよこす。
「で? 今回は名前を聞いたのか?」
「……聞いてない。というか、上手く話せなかった」
どんな経緯で話していたかをガルが説明する。
「袖にされる相手じゃないと、自分から話しかけられないんだろ? 友好的だと、仲良くならないように無意識に自制する」
恥ずかしい分析はやめろ!
「難儀だな」
ガルが憐れみの目を向けてくる。
「僕たちと旅がしたいんだもんね」
いたずらっ子のように笑うピノにカジノでのことを蒸し返され、照れくさくてそっぽを向いた。
宿に戻ると、まずは洗面所で三人が手を洗う。
「ロランも早く手を洗ってこい」
「嫌だ。俺は手を洗わない」
「どうした? 怪我でもしてんのか?」
レヴィンに手首を掴まれて手を見られる。怪我なんてしていない。
洗いたくない理由を話せば、後ろからガルに羽交い締めにされて引きずられる。
ガルに押さえられたまま、ピノとレヴィンに片手ずつ洗われた。
「ひどい。洗いたくないって言ったのに」
手のひらは石鹸の匂いがして、レヴィンとピノの手の感触しか思い出せなくなった。
「手を洗わずに食べて、お腹が痛くなったらどうするんだ」
ガルは子どもを叱るような口調になった。
ムッとしながら温泉卵の殻を割ってかぶりつく。
硬めの温泉卵は、ぷるぷるの白身とねっとりとした黄身が舌に絡みつく。小さいのに食べ応えがあって、濃厚だった。
気分は急浮上する。
「美味かった!」
全員うんうんと頷いている。
食事はたくさんの野菜や肉を煮込んだ郷土料理を食べた。トロトロになるまで煮込まれた肉は、舌の上で溶ける。
腹がパンパンになるほど食べて、全員が仰向けになって寝転がった。




