霧に潜みし連続殺人!極悪令嬢は鬼を祓う!{後編}
事の発端は、ルミナが連盟に出向いたその日の夜、新たな事件はまたもや貧民街にて起きた。
『深霧』の中に迷い込んだ1人の酔っ払いの男が、酒の飲み過ぎのせいか、霧の中から殺人鬼が飛び出し、男の背中を両手に握り締めた剣で斬り付ける。
「ぐああっ!!」
男は背中を斬られた直後に、殺人鬼の方を振り向いた瞬間、殺人鬼は容赦無く、追撃の斬撃を二度斬り込んで男を殺害する。
殺人鬼__元銀級冒険者。『味方殺し』のジャックス・ベイカーは口元を隠した布を下ろし、顔の上半分に飛び散った返り血を左の長袖で拭き取る。
「はぁ……はぁ……。」
ジャックスは息を切らしていた。対象を一撃で殺す筈が、3度斬り付けて殺害した。
それもそうだ。破損した宝具『断罪なる処刑人達』は現在、ガードナーが宝具修復技師のゼペト・ビカソに依頼して現在修復中、多少、多額の資金を支払ってしまったが腕は一級品。
修復が完了するそれまでの間、ジャックスはガードナーが裏で仕入れた。試作用の武器を使用する事に致し方無かったのだ。
使用の経験も余り無く、不慣れな武器での殺害はやり辛い、ジャックスは右手に持った血塗れの刃の剣を2度振るい、刃の血を払い、鞘に納めたその時__
「なっ、お、おいお前!其処で何をしている!?」
「!!」
背後から男の声が聴こえ、ジャックスは直ぐ様に布で口元を隠し、後ろを振り向くと貧民街内を巡回していた衛兵が驚きの表情をしながら、ジャックスを見ていた。
不味い、見られた。
ジャックスは一瞬だけ息を止め、すぐに判断した。
この衛兵を生かすわけにはいかないと、ジャックスは剣を鞘に納めると懐に隠した。2本の武器の柄を構えながら、衛兵の方を振り向き、睨むと衛兵はジャックスと殺害した酔っ払いの死体を見て驚愕した。
「なっ!ま、まさかお前は__」
「ちいっ!!」
ジャックスは直ぐ様に跳び出すと同時に、懐に仕舞い込んだ2本の手斧で、衛兵を瞬時に✕の字に斬り裂く。
「がああっ!!」
手斧で斬られた衛兵の胸は、鎧ごと両断し胸から血飛沫が噴き出し、前のめりに倒れる。
まだ衛兵の息が残ってるのか、ジャックスは見逃さずに倒れた衛兵にトドメを刺しに掛かる。
「や、止め__」
「あああああああっ!!!」
「ぎゃあああああっ!!!」
ジャックスは2本の手斧で衛兵の身体を豚肉の様にズタズタに斬り刻んで行くと、そのまま絶滅する。
「はぁ……はぁ……。」
息を切らしながら、ジャックスは衛兵の死体を見下ろす。
{まただ。また一撃で殺れなかった…。やはり処刑人達でないと駄目だ!こんな用意された武器では仕留められない、やはり、慣れた奴で無いと意味がねえっ!!}
武器は借り物ではなく、愛用の物では無いと意味が無い。処刑人達の斬れ味は今まで使った鎌よりも最高だった。世の中にはあの様な物が存在するとは思わなかった。
半年前。
冒険者登録を抹消され、何もかも失ったジャックスは貧民街にて浮浪者生活をしてた矢先に、区画領主であるガードナーに試作武器のテストの仕事を紹介された。
最初は捕縛した魔物を使っての実戦テストを行い続けた。しかし、5ヶ月近く経った頃、ガードナーはある物を入手し、ジャックスに手渡された。
それが宝具。『断罪なる処刑人達』であった。ガードナー曰く、あの宝具は元々あの御方から大金貨1000枚で入手した物だそうだ。誰から買ったのかは一切教えてくれなかったが、渡された瞬間から、ジャックスの転落人生は一変した。
『これを使えば、お前を見捨てた連盟にも馬鹿に出来なくなる。試してみろ。』
ガードナーはそう言って笑った。
最初は魔物相手の実験だった。だが、宝具の真価は『人間』を斬ったときにこそ発揮された。刃が肉に触れた瞬間、生命力と魔力が強制的に吸い上げられる。相手はほとんど抵抗できず、あっさりと息絶える。しかも、吸い取った魔力は宝具を通じて使用者の体力をわずかに回復させる。ジャックスはすぐに理解した。これはただの武器ではない。狩りの道具だ。
そして、標的は自然と決まっていった。
貧民街の娼婦達。夜の霧に紛れやすく、誰にも惜しまれにくい。殺しても騒ぎになりにくい。ジャックスは彼女たちを『練習台』として選んだ。最初は躊躇いがあった。だが、二度、三度と重ねるうちに、躊躇いは消えていった。
『俺は選ばれたんだ。この宝具を使える俺だけが、本当の強者なんだ。』
そう自分に言い聞かせた。
だが今夜は違った。
処刑人達が修復中で使えず、不慣れな剣や手斧では衛兵一人すら綺麗に仕留められなかった。血の飛沫が自分の服にまで飛び、息が上がる。ジャックスは歯を食いしばった。
あの修道女を殺し損ねたせいだと。
「……あの修道女さえ、いなければ、糞が。早く元に戻してくれよ、ガードナーの野郎……。」
そう呟くとジャックスは深霧の中から消え去って行った。
そして夜明け間近の午前4時。
無宿の浮浪者の老人が朝早く、資金稼ぎの為に売る為のゴミ屑を集めてる矢先に、路地のある方向から矢が飛び放たれる。
「がはっ!!」
老人の背中に深く刺さり、そのまま倒れて息絶える。
路地の細道から、発砲済みのクロスボウを抱え持ったジャックスが姿を現し、老人の遺体の背中に深く刺さった。矢を抜こうと手で掴もうとした。その時__
『おい!あっちで悲鳴が聴こえたぞ!』
複数の足音が急速に近づいてくる。巡回の衛兵だ。ジャックスは舌打ちをし、矢をそのままにして霧の中へと身を滑り込ませた。
「……っ!!」
矢を抜くを放棄したジャックスは歯を食いしばりながら、貧民街の最奥へと消え去った。
朝を迎えて暫く経った頃、多くの貧民街の住民達が野次馬と化し、殺害された老人の遺体現場に集まっていた。
「此方です!!」
1人の衛兵が、王宮騎士団長のクレア・フォンアルトを連れて駆け付ける、現場に臨場したクレアは老人の遺体を見下ろしながら、遺体の背中に刺さったままのクロスボウの矢を調べる。
「__弓を使っての殺害か。」
「はい、第1発見者の住民の話によると、職場の帰り際に男の悲鳴が聴こえ、駆け付けた途端、此方の遺体を発見したとの事です。」
クレアはチラリと別の目線を向ける。記録係の衛兵が住民の男に聞き込みをしている、恐らくこの男が第1発見者なのだろう。
「__ん?」
クレアは遺体の方に目線を戻すと、ある物を目にする、それは遺体の老人の背中に突き刺さった矢だった。クレアはその矢を良く見ると、何かが違う事に気付く。
「如何なされたのですか?騎士団長殿。」
「……この矢、良く見れば木製ではなく。鉄で造られている。」
その時、クレアはある事を思い出した。
{そう言えば今回の貧民街での連続殺人事件が起きた同時に、何処かの貴族が裏で違法製造された『武器の密輸』があるとの報告があったな…。}
クレアは鉄製の矢を慎重に抜いた。矢尻は鋭く、普通の猟師が使うものとは明らかに違う。表面には微かな加工痕があり、量産品の特徴を示していた。
「……記録係。この矢をすぐに鑑定に回せ。材質、製造技法、可能ならば流通経路まで調べろ。」
「ははっ!」
衛兵が矢を受け取って走り去る中、クレアは現場を見渡した。朝の光が差し始め、昨夜の霧の名残はほとんど消えている。だが、石畳の隙間にはまだ湿気が残っていた。
「__……どうやら今回の連続殺人と違法武器の密輸、無関係とは思えない。…ルミナ、もしお前ならば、どうやって動く。」
一方、野次馬の中にて、貧民街の住民に変装したアレックスは、鉄製の矢を目にした瞬間、静かに目を細める。
{鉄で造られた矢、もしやあれは。ガードナー家が裏で流している試作武器の一部か。}
彼は住民に紛れながら、現場の状況をすべて記憶に刻み込んだ。そして、誰にも気づかれぬよう静かにその場を撤収した。
*
同日、午前10時。
ヴィクトリア家の馬車は滑走した。行き先は東区画にある『聖エルメス孤児院』。
馬車内では聖堂教会本部所属のシスター・ルミナスに化けた。極悪令嬢ルミナ・ヴィクトリアと向かいには彼女の側近メイドのアリッサ・レストの2人が座っていた。
アリッサが両手で抱え持ってる紙袋の中身は、巷で話題の中央街にある、人気の菓子屋のクッキーの詰め合わせである。
「お嬢様……今日は本当に、リィンちゃんに会いに行くのですか?」
「当たり前でしょう、何の為に中央街の菓子屋で販売している、詰め合わせのクッキーを全て購入したと思ってるのかしら?」
ルミナは修道女のヴェールの下で、静かに扇子を開閉した。翡翠色の瞳は、窓の外の朝の光を捉えている。
「で、ですがお嬢様。ジャックス・ベイカーは宝具が使えない今、不安定になっているはずです。こんな時に孤児院へ……。」
ルミナは扇子を閉じ、アリッサを見た。
「彼はいま焦っている。焦っている人間は、必ず隙を見せる、孤児院との用事を済ませたら、今夜決行する、何たって今日はもう。『約束の土曜日』ですもの。」
「土曜日、あっ!」
アリッサは思い出す、そう、ルミナの父でヴィクトリア家が当主。ヘクトール・ヴィクトリアの命の元に、今週中に『深霧の殺人鬼』の連続殺人事件を解決しなければならないからだ。
来週もとい明日は日曜。一度断ったディーゼル家子息トラビスとの縁談をしなければならない。
「そうですよね、お嬢様にとって、今日中に決着を付けないとなりませんよね。」
「そうよ、断られたとは言えまた断ってしまったら、お父様のお顔に泥が塗られるのはもう懲り懲りですので、致し方無く縁談は受けますわ。」
苦笑いするアリッサ。
暫くして、目的地である、聖エルメス孤児院近くに馬車は停車すると、アリッサは抱え持ったクッキーの詰め合わせが入った紙袋をルミナに手渡し、扉を開ける。
「それじゃあ、行って来るわね、アリッサ。」
アリッサは礼儀正しく頭を下げ、見送りを行う。
「行ってらっしゃいませ、お嬢様、どうかご無事で。」
馬車から静かに降り立つルミナは。修道女としての柔らかな微笑みを浮かべたまま、孤児院へと寄ると、孤児院の院長が箒で門前辺りの掃き掃除をしていた。
「ご機嫌よう、院長。」
呼び掛けられた掃除中の院長は振り向くと、修道女姿のルミナに気付き、笑顔で対応する。
「これはシスター・ルミナス。この前のリィンの件は有難う御座います。本日も本部からの御用件で?」
「いいえ、今回は私個人の用でお伺い致しました。宜しいでしょうか?」
「どうぞ院内へ。」
院長が扉を開けてくれた。ルミナは柔らかな微笑みを浮かべたまま、静かに中へ入る。院内の床壁は古く子供の手が入る程の穴凹があり、室内で年少の子供達が古い積み木や縫いぐるみを使って遊んだり、奥の教室らしき部屋では10歳近くの子供達が本を読みながら、羊皮紙と羽根ペンで読み書きしているのをルミナは目に通す。
ルミナはアリッサから預かったクッキーの詰め合わせを胸に抱えながら、院長にクッキーの詰め合わせの紙袋を渡す。
「どうぞ、此処へ来る途中に美味しそうなクッキーを購入しまして、宜しければ子供達にどうぞ。」
「ああ、これはこれは有難う御座います。」
院長は菓子を貰うと、通り掛かった職員の修道女に渡し、2階の小部屋へ向かった。
ノックをすると、中から小さな声がした。
「……誰?」
「こんにちは、シスター・ルミナスです。入っても宜しいでしょうか?」
扉がゆっくり開く。リィンは前回より少し顔色が良くなっていたが、目元の赤みはまだ残っている。
「……シスター。」
「ええ。今日は、少しだけお話ししに来ましたの。」
ルミナはベッドの端に静かに腰を下ろし、リィンと目線を合わせた。修道女としての柔らかな声だったが、その奥には確かな意志が宿っている。
「お姉様のことは、まだ悲しいでしょう。でも、今日はもう1つだけ、約束をしていただけますか。」
リィンは小さく頷いた。
「……なに?」
「今夜、悪い人がもう二度と、誰かを傷つけないようにします。だから、貴女はここで、静かに待っていて下さい。明日の朝には、必ず良い知らせを持って来ますから。」
リィンの目が、わずかに見開かれた。
「……本当に?」
「ええ。修道女としての、そして一人の人間としての約束です。」
少女は暫く俯いていたが、やがて小さな声で答えた。
「……わかった。待ってる。」
ルミナはリィンの頭を優しく撫で、立ち上がった。部屋を出る前に、棚の上の熊のぬいぐるみを一瞥する。血の痕はすでに消えていたが、片方のボタン目が取れかかったままになっていた。
「……必ず、終わらせますわ。」
小さく呟く声は、もう修道女のものではなかった。
リィンとの用を済ませた後、ルミナは院長と共に1階へと降り、玄関へ。
「…少しだけ、元気になられましたね。リィンは。」
「シスター・ルミナスのお陰です、貴女が初めて尋ねて来たあの日以来。あの子は少しずつですが、前を向こうとし始めています。熊のぬいぐるみを抱いて眠る姿も、以前より穏やかになりました。」
院長はそう言って、静かに頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます。」
ルミナは柔らかく微笑んだまま、静かに答えた。
「………それにしても、前回訪れた際に気にはなられたのですが。孤児院内の内装も、設備、娯楽品を含めた器材すら、想像以上に古びた物ばかりですわね。」
孤児院の玄関前で、院長はルミナの言葉に苦笑いを浮かべた。
「……お恥ずかしい限りです。教会からの予算も限られておりまして。子供たちには不自由をかけています。此処に住まう18人の子供達と職員の食費を始め、日用品、勉強器材、玩具などと。各院の規定で10歳を超えた子達は本来ならば此処を出て、奉公先で住み込みで働くのですが。あの様な事件が起きたとなると、子供達の身に何かあったら大変で、連続殺人の事件が解決するまではもう少しだけ住まわせていますが、やはり子供達は生活の問題でしょうか?」
ルミナは修道女としての柔らかな微笑みを崩さず、静かに首を傾げた。
「いいえ。ここで育つ子供達は、少なくとも『誰かに守られている』と感じているはずですわ。それだけでも、十分に価値があります。」
院長が目を見開く。ルミナは続けた。
「ただ……もし、少しでも設備を整えられる機会があれば、教会本部にも働きかけてみます。私個人の意見として、ですが。」
「……本当ですか?」
「ええ。教皇聖下も、孤児達のことを憂えておられますから。」
院長は深く頭を下げた。ルミナはそれに軽く礼を返し、門を出ようと近付くと、門前の左側の塀にて貧民街の住民に扮したアレックスを見かねる。
門を出た瞬間、修道女の柔らかな表情が消える。翡翠色の瞳が冷たく細められ、ルミナはアレックスの方を振り向かずに、そのまま立ちながらそのまま立ちながら、静かに口を開いた。
「報告なさい。」
物陰からすっと現れたアレックスが、低く頭を下げる。
「はい。今朝未明、貧民街で新たに3件の殺人が発生しました。1人は酒場帰りの酔っ払い、もう1人は巡回中の衛兵。そして最後の1人は無宿の老人です。酔っ払いは剣での斬殺、衛兵は手斧による斬殺、老人は鉄製のクロスボウの矢による射殺。どちらも『処刑人達』ではなく、試作武器によるものと見られます。」
「……焦っていますわね。」
「はい。現場に残されていた鉄製の矢は、ガードナー家が裏で流通させている密輸武器の特徴と一致します。クレア騎士団長もすでにその矢を回収し、鑑定に回しています。」
ルミナは小さく息を吐いた。
「宝具が使えない今、奴は自分の『狩り』の精度を保てなくなっている。だからこそ、今夜が好機よ。」
「ご命令を。」
「今夜、ジャックスとガードナーを叩くわ。…けど、その前にやるべき事が1つだけありますわ。」
*
夕方時、貧民街の東区域『霧溜まり』。
数日経ったか、誰かが行き止まりの壁の返り血を掃除した跡が残った。住民の誰かが気になって拭き掃除をしたのだろう。
そんな壁の前にルミナが現れ、抱え持った花束を、花束の山の上に優しく置いてから。静かに祈る。今のルミナの姿は極悪令嬢そのものではなく、修道女そのものになりきっていた。
{妹思いの罪無き若き娼婦、リーネ・フォス。天で見届き下さい、主に代わり、私自らが貴女の命を奪った悪しき者と裏に潜む悪を必ずや討ち倒します。どうか安らかに眠って下さい。そしてリィンの未来を守って下さいませ。}
ジャックスに殺害されたリーネの魂、祈り終え、立ち上がろうとした時__
『きゃあああああっ!!!』
「!」
何処からか女性の悲鳴が聴こえ、瞬時に後ろを振り向く。
「殺人鬼のお気持ちは良く分かりませんが、せめて行う時間帯だけは守って頂けたいですわね。」
そう言うとルミナは、悲鳴のある方向へと向かって颯爽に駆け出した。
悲鳴があった場所は、霧溜まりからさらに東へ一本入った細い路地だった。
ルミナは修道服の裾を軽く摘まみ、石畳を蹴って走る。足音はほとんど立てず、まるで影が滑るように移動する。
角を曲がった瞬間、視界に飛び込んできたのは――若い娼婦が壁に押しつけられ、喉元に刃を突きつけられている光景だった。
相手は布で口元を隠した男。右手に握っているのは、 ガードナー家が裏で流している試作の短剣だ。刃はすでに血に濡れている。
低く、掠れた声。ジャックス・ベイカーだ。
娼婦の目は恐怖で見開かれ、涙が頰を伝っている。彼女は抵抗する力すら残っていない様子だった。
ルミナは路地の入り口で足を止めた。修道女のヴェールが夜風に揺れ、翡翠色の瞳が静かに細められる。
「……おや。時間帯を守らないどころか、白昼堂々と狩りを始めるとは。よほど焦っていらっしゃるのですね、深霧の殺人鬼、いいえ、それともこう呼んだ方が良いかしら?元銀級冒険者のジャックス・ベイカー。」
男の肩がびくりと震えた。
「……てめぇ。」
振り返った瞬間、ジャックスの目が殺意で歪む。布の隙間から覗く瞳は血走り、昨夜の修道女との交戦で折れた肋骨の痛みをまだ引き摺っているのが見て取れた。
「あの時の修道女……クソが。お前のせいで俺は……!」
「あら?私のせい?違いますわ、貴方が罪無き弱者ばかりを獲物として殺害したからですわ。」
「このぉ、糞修道女がぁぁぁ!!!」
激昂したジャックスは、殺害対象を娼婦からルミナに切り替えて襲い掛かる。
短剣を構えたまま、一直線に跳躍した。痛みで歪んだ顔が、修道女の姿に殺意をぶつける。
「死ねやぁぁぁぁ!!!」
ルミナは動かなかった。
ただ、静かに一歩だけ左へずれた。
ジャックスの短剣が空を切り、石壁に刃を食い込ませる。火花が散る。その瞬間、ルミナの右手が動いた。袖の内側から黒い金属が滑り出し、ヴィクトリア家の紋章を刻んだ籠手が両拳に嵌まる。金属が噛み合う乾いた音が、路地に響いた。
「……生憎と手加減は苦手ですの。壊しても、泣かないで頂けますかしら。」
次の瞬間、ルミナの右拳がジャックスの折れた肋骨付近に正確に沈んだ。
「がはっ……!!」
男の体が大きくのけぞる。続く左の掌底が顎を捉え、ジャックスは後ろに大きく吹き飛ぶ。壁に背中を打ちつけ、試作の短剣が手元から転がった。
娼婦は恐怖で動けないまま、壁に寄りかかっていた。ルミナは彼女に一度だけ視線を向け、静かに言った。
「今すぐにここを離れなさい。衛兵を呼んで。」
女は震えながら何度も頷き、よろよろと路地を駆け出した。
ジャックスは壁を支えに立ち上がろうとする。口から血を吐き、布がずれて素顔が半分露出する。灰色の長髪が乱れ、目は充血していた。
「てめぇ……あの時の……修道女のくせに……何であんな力を……!」
「力?違いますわ。これは『報い』です。」
ルミナはゆっくりと歩み寄る。ヒールの音が石畳に冷たく響く。
「貴方が殺した4人の娼婦。昨日今日殺した酔っ払いと衛兵と老人。そして――リーネ・フォス。彼女は妹の誕生日に、ぬいぐるみを買って帰る途中でした。貴方が奪ったのは『人の命』だけではありません。『未来』です。」
ジャックスは歯を剥いて笑った。
「未来だと?笑わせるな。俺だって未来を奪われたんだよ!連盟に裏切られて、仲間を殺してだ、そのせいで何もかも失った!あの力を手に入れた俺は、ようやく俺は選ばれたんだ……!」
「選ばれた?いいえ。貴方が選んだのは、弱い者を狩る道ですわ。」
ジャックスが懐からもう1本の手斧を抜き、叫びながら斬りかかった。
ルミナはそれを籠手で受け止め、刃をへし折った。そのまま距離を詰め、右拳を男の鳩尾に叩き込む。空気が抜ける音と共に、ジャックスの膝が折れる。
「ぐ……ぁ……!」
追撃の肘打ちが腹部を捉え、ジャックスは腹を両手で抑えながら後退りしていく。
「あら?もうお逃げになるのかしら?」
「お、覚えてろ、て、てめぇは必ず、俺の宝具で殺してやる!!」
ジャックスは後退しながら、深霧の中へと消えて行った。
奴が一定の距離へと逃げた事により、深霧の魔法効果は消えて、霧は晴れていく。翡翠色の瞳が、凍てつくようにジャックスが逃げ去った方角を見据えた。
「…ガードナー邸へ、逃げたみたいね。」
殺人鬼の行き先はもう見当は付いている、ルミナは獲物を逃さない様な鋭い目付きをし、4番区域の方へと歩き出した。
そして今、終止符と言う名の日没が沈み始める。
*
夜、ガードナー邸、執務室にて。
負傷したジャックスが帰還した瞬間、デマオン・ガードナーは激怒し、飲みかけのワイングラスをジャックスの身体に投げつけた。
「この大馬鹿者がぁ!!」
グラスが粉々に砕け、ワインが絨毯に飛び散る。ジャックスは痛みで顔を歪めながらも、頭を下げたまま立ち尽くしていた。
「一度ならずに二度までも失敗をするとは、あの修道女1人相手に獲物を逃げられただと!?しかも試作武器まで失い、衛兵を斬り、老人を射殺して騒ぎを大きくしおって!王宮騎士団の連中がすでに鉄の矢を鑑定に回しているんだぞ!このままでは密輸ルートまで芋づる式にバレる!」
「だ、だが……あの修道女が……。」
デマオンは机を強く叩き、声を荒げた。
「お前の失敗の言い訳など聞き飽きたわ!!」
「だ、だから旦那……処刑人達さえ戻れば俺は……。」
窓に写る午後の陽光が庭を照らしているが、その光が今は苛立たしい。デマオンは荒く息を吐くと、引き出しから修復が完了した『断罪なる処刑人達』を机の上に置く。
「お前が戻って来る少し前に修復技師ゼペト・ビカソが『処刑人達』の修復を完了させた。これでお前の失敗を取り返すチャンスだ。もう二度と失敗するな。次にまた失敗したら、分かっているだろうな?」
デマオンは机の上の宝具をジャックスに押しやる。紫色に輝く刃が、執務室の薄暗い光を反射した。
「……分かった。今度こそ、今度こそだ。あの修道女をこの手で殺してやる。」
ジャックスは宝具を受け取り、深く頭を下げた。肋骨の痛みがまだ残っているが、宝具の重みを手にすると、わずかに安心したような表情を浮かべる。
その時、突然と1人の使用人が息を切らしながら、執務室に入室して来た。
「し、失礼します。た、大変です旦那様!侵入者です!!」
「何だと!侵入して来たのは何処の輩だ!?」
「そ、それが、1人の修道女で__」
「奴か、旦那、俺は先に行くぞ!!」
宝具を手にし、ルミナを殺害しに掛かろうとジャックスは、誰よりも先に外へと飛び出した。デマオンは去るジャックスの後ろ姿を見て致し方無いと察したか、使用人に命じた。
「直ぐに屋敷内を警備している使用人達を招集し、侵入者を制圧に迎え!!」
「は、はっ!」
使用人は急ぎ、屋敷内を警備している使用人たちを招集しに走った。
だが、すでに遅かった。
中庭には何人かの武装した使用人達が倒れ伏せ、飛び出したジャックスが宝具を構えた瞬間、屋敷の正門が内側から静かに開いた。
そこに立っていたのは、修道女の姿をしたルミナ・ヴィクトリアだった。
ヴェールの下から翡翠色の長髪がわずかに覗き、両手にはすでに黒い籠手が嵌まっている。表情は穏やかなままだったが、瞳だけが凍てつくように冷たい。
「……待たせましたわね、殺人鬼、いいえ。ジャックス・ベイカー。それと、デマオン・ガードナー様。」
武装した使用人達と共に駆け付け、ルミナの前に顔を出したガードナーが、顔を青ざめさせた。
「こ、この修道女が、奴が言ってたあの__」
「貴方の『狩り』の跡を辿れば、行き着く先は1つしかありませんわ。宝具を修復させた修理技師の動き、試作武器の流通経路、そして――昨夜の衛兵と老人の殺害現場に残った鉄の矢。すべてが、この屋敷を指していました。」
ジャックスが大鎌形態の『断罪なる処刑人達』を構える。紫色の刃が夕陽を浴びて禍々しく光った。
「てめぇ……!」
「貴様、聖堂教会の回し者か!?修道女如きが、土足で我がガードナーの領地に踏み込むなどと、万事に値するぞ!!」
「フフッ、万事?そのお言葉、そのままそっくり貴方がたにお返し致しますわ。」
夕陽がガードナー邸の中庭を血のように染め上げていた。
倒れた使用人たちの間に立ち、ジャックス・ベイカーは紫色に輝く『断罪なる処刑人達』を構えたまま、荒く息を吐いた。肋骨の痛みなど、今はもう感じない。宝具が戻ってきた。これさえあれば、あの修道女など――
「死ねやァァァァッ!!」
大鎌が横一閃に振られた。真空を裂く刃が、ルミナの上半身を両断する軌道を描く。
だが、そこにいたのは残像だった。
「遅いですわ。」
ルミナの声は、すでにジャックスの真後ろから聞こえた。
拳が鳩尾に沈む。衝撃波が走り、ジャックスの体が大きくのけぞる。同時に大鎌が強制的に実体化したまま弾かれ、紫色の光が激しく明滅した。
「ぐはっ……!?」
「宝具に頼りすぎですこと。本体の技量が伴っていなければ、ただの重い鉄くず当然ですわ。」
「貴様、一体何者だ!?」
デマオンは彼女が一体何者か、すでに薄々感づいていた。だが、口に出して確認せずにはいられなかった。
ルミナはヴェールをゆっくりと外し、三つ編みの結び紐を解いた。
翡翠色の長髪が夕陽を浴びて広がり、ティアラを頭に着けて指先で整え。修道服の上からでもはっきりと分かる、両腕に装備された。百合花の紋章を刻んだ黒い籠手。穏やかだった表情が、嘲るような微笑に変わる。
「中級貴族、デマオン・ガードナー。私のお顔に見覚えは御座いませんで?」
デマオンはルミナの顔を見つめた途端、ある記憶がフラッシュバックした。1年程前、王城主催のパーティーに出席した際。自ら、ヘクトール王城筆頭書記官とその娘の令嬢に挨拶した事がある。
そしてデマオンは、その令嬢の顔を思い出し、彼女が何者か呟いた。
「ま、まさか、筆頭書記官の――ヴィクトリア家の……ルミナ・ヴィクトリア嬢!?」
「フフッ、正解ですわ。」
ルミナはヴェールを完全に外し、修道服を脱ぎ捨てて愛着してる深緑色の豪華なドレスへと変わり、貴族令嬢らしい華麗なる容姿へと変貌する。
翡翠色の長髪を夜風に晒した。ティアラを指先で整え、扇子をゆっくりと開く。穏やかだった修道女の顔はすでに消え、そこに立っていたのは、王都中が恐れる『極悪令嬢』そのものだった。
「デマオン、貴方は殺人鬼ジャックス・ベイカーに宝具を渡し、貧民街の弱者を『狩り』の対象として殺害し続けた。その罪は許しませんことよ。」
「ぐうっ…。」
「貴方に与えられる選択肢は2つ、潔く罪を認め自首するか。最後まで抵抗して抗い続けるか?さぁ、選びましてよ。」
デマオンは一瞬だけ迷った。だが、次の瞬間、彼は屋敷内に残っていた全ての使用人達を呼び叫んだ。
「し、侵入者だ!!出会え!!出会えぇ!!」
ガードナー邸から屋敷内の警備担当していた数十人の使用人達が武器を持って、デマオンの元に合流すると、デマオンは言った。
「この女はヴィクトリア筆頭書記官の令嬢と騙った。貧民街住まいの娼婦だ!殺れ!この女を殺せぇ!!殺した者には金を弾む!さっさと始末しろ!!」
『はっ!!』
武装した使用人たちが一斉に動いた。剣、槍、棍棒。十数人がルミナを取り囲む。
だが、ルミナは動かなかった。
ただ、静かに両拳を構えただけだ。
「……相変わらず、下賤ですこと。」
最初の使用人が剣を振り下ろした瞬間、ルミナの右拳が彼の腹に沈んだ。革鎧が凹み、男は声もなく後ろに吹き飛ぶ。続く2人を左右の裏拳で同時に弾き、3人目の槍を籠手でへし折った。
「なっ!?」
デマオンは驚く。
「さて、お次は誰がお相手を致しますか?」
「な、何をしてる!殺せ、早く殺せぇ!!」
使用人達の叫びと共にルミナに向かって一斉に攻撃を仕掛ける、左から斬撃が来れば、ルミナは剣を裏拳で斬撃の軌道を逸らしてから、カウンターでの左正拳突きを使用人の腹部に打ち込んで倒す。
右方向から槍持ちの使用人が飛び出し、ルミナに向かって突きを繰り出すも、彼女は後ろに数歩後退してから、右での手刀で槍を両断させ、槍持ちの顔面に左の殴打を叩き込んだ。
鼻骨が砕ける鈍い音が響き、男は血を噴きながら後ろに転倒する。残った使用人たちが一斉に後ずさった。剣を握る手が震え、槍の穂先が定まらない。十数人いたはずの警備が一瞬で半減し、地面には呻き声と血が点々と散っている。
「……まだ足りませんの?なら、此方から参りますわよ!」
使用人達は、主であるデマオンを守りながら防戦一方の状態となるも、ルミナの猛攻は並の使用人達の実力ですら手も足も出ずにいた。
その最中、別方向から、鉄製の矢を装填済みのクロスボウを抱え持った。3人の使用人が中庭が見える2階ベランダに駆け付け、好戦一方中のルミナ目掛けて狙撃態勢に入る。
しかし、拳と蹴りを繰り出すルミナに狙いを定めようとするも、華麗に素早く縦横斜め無尽に敵の攻撃を避け続けるせいか、動きが止まる気配が無い。引き金を引こうとすると指が震えてタイミング良く射てないでいた。
その時、上から1本の短剣が放たれ、クロスボウ持ちの1人の左腕に刺さる。
「ぐあっ!?」
屋根から1つの人影が現れると共に、2階ベランダから瞬時に飛び降りる、現れたのは工作員姿のアレックスだ。彼は瞬時にクロスボウ持ち達に向かって3人に飛び掛かった。
左腕に短剣が刺さった男がよろめく隙に、アレックスは残る二人の懐に一気に踏み込む。1本目のクロスボウを蹴り飛ばし、2本目の銃身を肘打ちでへし折る。3人目が慌てて引き金を引こうとした瞬間、アレックスの手が男の首筋を正確に捉え、意識を奪った。
「お嬢様、上は抑えました。屋敷内部の方も既にエレンが侵入し、応戦に入っています。」
「ご苦労様。」
中庭では、すでに十数人いた使用人のうち、立っているのは五人5を切っていた。ルミナは息ひとつ乱さず、次の男の剣を籠手で受け止め、刃をへし折る。折れた剣の柄で男の顎を打ち上げ、そのまま膝を腹に叩き込んで沈黙させた。
「……まだ抵抗なさるおつもり?」
残った使用人達が、武器を握ったまま後ずさる。主の命令で動いてはいたが、目の前の令嬢が放つ圧倒的な威圧に、足がすくんでいた。
その時、中庭の端から紫色の光が迸った。
ジャックス・ベイカーが、『断罪なる処刑人達』を大鎌形態に変えて飛び出して来た。修復されたばかりの刃が夕陽を浴びて禍々しく輝き、霧化体の予兆が彼の周囲に薄く漂い始める。
「今度こそ殺す……!お前だけは、絶対に殺してやる!!」
大鎌が大きく弧を描く。風を切り裂く音と共に、真空の刃がルミナへ向かって放たれた。
ルミナは半歩だけ横にずれた。
真空刃が石畳を抉り、土煙が舞う。その煙の中を、ルミナは真っ直ぐに踏み込む。
「また同じ手ですの?学習能力がありませんわね。」
「るせぇぇぇ!!」
ジャックスの絶叫と共に、大鎌が再び振り下ろされる。紫色の刃が夕陽を切り、真空の刃が連続で放たれた。石畳が抉られ、土煙が中庭を覆う。だが、ルミナは煙の中を真っ直ぐに進んだ。
次の瞬間、煙が割れた。
ルミナの右拳が、大鎌の柄を真下から叩き上げる。金属が軋む音と共に、ジャックスの両腕が弾き上げられた。その隙に左の掌底が男の折れた肋骨を正確に狙う。
「がはっ……!」
攻撃を食らったジャックスは押し出されると、彼は一気に後退してルミナから距離を取る、
両手に握り持った大鎌から、紫色の魔力が激しく明滅し、宝具が悲鳴を上げたように震えた。
「お、俺は、俺は選ばれたんだ!この宝具に、この力があれば俺を切り捨てた連盟の奴等に復讐する為に、俺はぁ!!こんな所で俺は終わる訳にはいかねぇんだ!この場を包み隠せし深き霧よ、写せし身を塞がせ我も見失消せ。『深霧』ォ!!」
紫色の魔力が爆ぜ、中庭を一気に濃い霧が覆い尽くした。視界はほぼゼロ。石畳も壁も、数歩先すら霞む。
だが、ルミナは動かなかった。
翡翠色の瞳を細め、ゆっくりと拳を構える。
「我が身よ霧と化せ!『霧化体ミスト・ボディ』!!」。
ジャックスの姿形は完全に霧と一体化し、気配すら消えた。
濃い霧が中庭を埋め尽くす。
足音も、息遣いも、金属の軋む音すら消えた。ジャックスは霧そのものとなり、どこからでも斬りかかれる位置に潜む。
「……また同じ手ですの?」
ルミナの声だけが、霧の中に静かに落ちたその時。
深霧の中から2発の『真空刃』が放たれ、ルミナの右側から襲い掛かるも、魔力の反応を感じたか、ルミナは右腕で振り払って魔法を掻き消すも。
別方向からまた2発の『真空刃』が深霧の中から飛び出し、ルミナの背後に向かって放たれるも、これも魔力反応で見切ってからの回し蹴りを放ち、『真空刃』を蹴りの衝撃で相殺させる。
{なる程、『深霧』と『霧化体』を使い、あの中で宝具を使って、風の攻撃魔法を撃ち出す、多少は学習出来てますわね。}
四方八方から次々と『真空刃』がルミナに向かって放たれる。
右、左、背後、頭上。
連続で放たれる真空の刃が、石畳を抉り、壁を削り、土煙を巻き上げる。
だが、ルミナは一歩も下がらなかった。
翡翠色の瞳が、霧の揺らぎを正確に捉えると、霧の中から高速に横回転する物体が現れ、ルミナに襲い掛かる。
{魔法の中に…回転する物体?宝具、いや違う、あれは。}
片腕を大きく振るい、放たれた回転物体が籠手の部分に当たると、ガキン!と金属が衝突する音が大きく響き、弾き飛んだ物体は壁に突き刺さる。
{手斧…!}
逆方向からも、もう一本の手斧が飛来する。
ルミナは身を捻り、それを指先で摘まむように掴み取った。
「投擲まで混ぜるとは。……必死ですことね」
掴んだ手斧をそのまま霧の中心へ投げ返す。
金属が霧を切り裂く音がしない、どうやらジャックスには当たっていないようだ。
一方のジャックスは、ルミナの背後にて、上半身だけ実体化させ、大鎌を両手で持ち構えながら、深霧の中に気配を消し、隠れ潜んでいた。
{手斧は囮だ。此奴は俺の仕事を2度も邪魔をした。報いを受けてやる、一撃だ。一撃で此奴の心の臓を突き刺してやる}
静かに接近する。深霧の魔力のせいか、ジャックスの魔力の反応が見つからず、ルミナは背後の気配に気付いていない。
{死ねぇぇぇぇぇ!!!}
殺意を込めた大鎌の一振りが、振り返らないルミナの背中に突き刺さろうとする__
__その時だった。
邸内全体を覆い尽くした『深霧』が突然と雪結晶と化し、全て凍り付く。
それだけではない。
「____あぇ?」
気が付くと、ジャックスは『霧化体』が解かれ全身実体化し、宝具ごと右半身が雪に包まれて、低温で凍え震えて動けなくなったいた。
{な、何だ?何が起きたんだ?何で俺は……動けねぇ……!?}
右半身が完全に凍結している。大鎌を握る指も、腕も、脇腹も、すべてが氷の枷に繋がれたように動かない。息を吐けば白い吐息が立ち、歯の根がカチカチと鳴る。
「……予想以上に脆い『深霧』でしたわね。」
ルミナはゆっくりとジャックスの方を振り向く、凍てついた霧の中で、何故か彼女だけ平然と保っていた。
「知っていますこと?霧は一定の低温に達すると霧の中の水分は『冷却』を起こして凍り付く、この事を『霧氷』と言う名の自然現象の1つなのですのよ。」
「な、何でだ。なん、で……俺の、霧が……凍るんだよ……!?」
白い吐息が途切れ途切れに漏れながら、ジャックスは何故、自分の魔法が凍ったのかを分からずにいた。流石に自然現象とは思えない。しかしルミナはどうして自分と『深霧』が凍ったのかをジャックスに説明した。
「あら?簡単な質問ですわね、私が魔法を発動させたのですのよ。貴方が魔法を唱えた直後に。」
「な、んだ…とぉ……!?」
だが可笑しい、そもそも魔法を使用するには『詠唱』を唱えなければ発動出来ない。『深霧』を発動した直後から、ルミナは魔法の詠唱を唱える処か、口を開く動作も無く、ジャックスの攻撃を防ぐ事と避ける事に専念していて魔法を詠唱する暇も無かった。
瞬間、ジャックスの脳裏から、恐怖が駆け巡ると共にある『言葉』が思い出した。
{ま、まさか此奴__『無詠唱術師』ぃ!!?}
『無詠唱術師』。
詠唱を必要とせず、意思1つで魔法を発動できる者。王国内でも極めて稀な才能であり、教会ですら公式に認定された者は片手で数えられるほどしかいない。
そして、その1人が――目の前の極悪令嬢ルミナ・ヴィクトリアだった。
「__さて、お話はこれくらいにして。断罪のお覚悟は宜しいかしら?」
ルミナは籠手越しながらも、指をパキポキと鳴らしてから、拳を構える。
「あ、ああ…。」
「今まで貴方が殺した人数分、全身全霊を込めて、殴らせて貰いますわよ!」
「あ、あああああああっ!!!」
凍てついた半身のまま、ジャックスは必死に宝具を振り上げようとした。だが、氷の枷は微動だにしない。紫色の魔力が断続的に明滅し、刃が悲鳴を上げるように震える。
しかし、それよりも速く、ルミナは急接近し、凍りついた男の眼前で右拳を引き構える。翡翠色の瞳に、一切の温情は宿っていない。
「貴方が奪った命は、数え切れない。先ずこれは、霧で惑わせ無ずすべも無く無残に殺害された、娼婦4人の分!」
右拳が振り下ろされ、ジャックスの左肩に強く打ち込むと共に肩の骨に亀裂が走る音が響かす。
次に二撃目の左拳は右足に、三撃目の右拳は左足に、四撃目の左拳は右肩に其々打ち込む。
「ぐああっ!!」
瞬時に其々の四肢に打撃が打ち込まれたと同時に、ジャックスは軽く浮き上がるも、ルミナの連撃はまだ終わらない。
「これは罪無き貧民街の住民2人の分!」
右拳を胸元に、左拳を腹部に上下同時に深く打ち込むと、ルミナは身を回転させる。
「更にこれは、立場は違えど日々、毎日、街の為に守ってくれた衛兵の分!」
左回し蹴りをジャックスの腹部に深く打ち込まれ、更に身が高く浮かび上がる。
「そしてこれは、愛する妹の為に、誕生日プレゼントを買った帰りに貴方の手で殺害した。妹思いの名も無き姉の__分ですわぁ!!」
最後の八撃目の拳が、ジャックスの顔面に深く打ち込むと共に、鼻骨が砕き圧し折られながら、ガードナー邸への屋敷の外壁へと向かって思いっ切り吹っ飛ばされる。
外壁に叩きつけられたジャックスの体が、鈍い音と共に石壁にめり込む。
右半身はまだ氷の枷に縛られたまま、左半身だけが痙攣している。紫色に輝いていた『断罪なる処刑人達』は、衝撃で柄から外れ、石畳の上で転がり、明滅を繰り返していた。
「が……はっ……あ……。」
口から血混じりの息が漏れ、灰色の長髪が額に張り付く。目は充血し、焦点が定まらない。
ルミナはゆっくりと歩み寄った。ヒールの音が、凍てついた霧の残滓を踏みしだく。
「まだ意識があるのですね。……感心ですこと。」
彼女は転がった宝具を足で軽く弾き、手元から遠ざけた。紫色の魔力が断続的に明滅し、まるで悲鳴を上げているようだった。
「これが、貴方が『選ばれた』と信じていた力。……随分と脆いものですわね。」
「て、めぇ……俺は……まだ……。」
ジャックスが震えながら左手を伸ばす。だが、その指先が宝具に触れる前に、ルミナの靴先が彼の手首を踏んだ。骨が軋む音がする。
「いいえ。もう終わりですわ。」
翡翠色の瞳が、冷たく男を見下ろす。
「貴方が奪った命は、これで全て返しました。後は――」
ルミナは拳を握り直した。
「貴方が仕えた『主人』の番ですわ。」
ルミナはジャックスを一瞥し、そのままデマオンの方へ向き直す、凍てついた霧が完全に晴れるも、肝心のデマオンと彼を守ってた4人の使用人達の姿形が見当たらない事に気付く。
「……逃げられましたわね。」
屋敷内の制圧を終わらせたアレックスとエレンの2人が、中庭に駆け付ける。
「追い掛けましょうか?」
「必要ありませんわ。」
「え?宜しいのですか?」
エレンは追う必要が無いのかと驚くと、ルミナは告げた。
「ええ、それにですわ、仮に私から逃れられたとしても。彼女達からは逃げられませんからね。」
自分の役目を終えたルミナは、宝具『断罪なる処刑人達』を拾うと紫色に光りだし、大鎌形態から元の芝刈り鎌形態へと戻る。
陽は沈み落ち、夜となったルナジェント王国の夜空に少しの間だけ、このガードナー邸内に季節外れの雪が降った事は、後の朝刊に載ることをまだ知らないでいた。
*
その頃。
デマオン・ガードナーと武装した使用人達4人は、貧民街の路地から路地へと駆け走り続けていた。彼等はルミナとジャックスが戦ってる最中に何とか正門から脱出し、今の状況となっていた。
{ジャックスはもう駄目だ。宝具は恐らく、ヴィクトリアの小娘が回収された挙句、筆頭書記官の耳に届くのは間違い無い!ほとぼりが冷めるまでは隣国辺りに何年かやり過ごすしか無いっ!!}
「旦那様!彼処の角を曲がれば、東市街地奥の港区域に通じる船乗り場で船を用意させてます!」
「良しっ!このまま直ぐに乗り込むぞ!!」
デマオン達はこのまま、船乗り場へと続く道筋を辿って走り続ける。苦手な溝川の水の臭い匂いがする最中、船乗り場が近くなのは間違い無い。
溝川の水の臭いが濃くなる中、デマオンと使用人4人は、息を切らしながら東市街地の港区域へと駆け続けていた。
「旦那様、もう少しです!船乗り場の倉庫の裏手に、事前に手配した小型帆船が待機しております!」
「急げぇ!ヴィクトリアの小娘が追ってくる前に出航するぞ!」
夜の港はすでに人通りが少なく、倉庫の影が長く伸びていた。デマオンは安堵の息を漏らしながら、船の姿を確認しようと角を曲がった――その瞬間だった。
「そこまでだ。」
静かな、しかし凍てつく声が、闇の中から落ちた。
デマオンが足を止めた先には、すでに複数の人影が立ち塞がっていた。松明の光に照らされたのは、王宮騎士団の制服を着た者たち。先頭に立つ金髪の女性が、剣を抜かないまま腕を組んで彼らを見下ろしている。
クレア・フォンアルト。
「デマオン・ガードナー。組織的な連続殺人、違法武器の密輸、宝具の違法所持、ならびに殺人教唆の容疑で、お前を逮捕する。」
「な……なぜ、王宮騎士団がここに……!?」
「少し前に匿名の知らせでな、もしやと思って言われた通り、おかげで待ち構える手間が省けたわ。」
クレアの後ろから、さらに数名の騎士が姿を現す。逃げ道は完全に塞がれていた。
使用人の1人が慌てて剣を抜こうとしたが、クレアが一歩踏み出すだけで、全員の動きが止まった。
「抵抗するつもりか?止めておけ、それとも、大人しく罪を認めるか?」
デマオンの顔から血の気が引いていく。背後を振り返れば、すでに港の入口にも騎士団の隊員が並んでいた。完全に包囲されている。
完全に逃げ場を失ったデマオンは、自身の貴族としての終わりを迎えた絶望でショックを受けて叫んだ。
「ち、畜生、畜生ぉぉぉ!!」
「連行しろ!!」
『はっ!!』
クレアの命の者、デマオンら5人は抵抗せずにそのまま、騎士達に連行されて行った。
こうして。王国内を恐怖に満ちた『深霧の殺人鬼』の連続殺人事件は1人の極悪令嬢の手により。無事、解決を迎えたのっだった。
*
後日談。
事件解決から3日後の朝のヴィクトリア邸。
ルミナの自室にて。
部屋の主である彼女はベッド近くの化粧椅子に座り込み、後ろに居るアリッサが後ろで丁寧に髪を梳かしながら、ルミナと共に、今日の朝刊を声に出して読んでいた。
『『深霧の殺人鬼』こと本名。ジャックス・ベイカー。宝具違法使用罪。殺人8件及び殺人未遂3件の容疑で終身労働刑。エベレス鉱山にて採掘囚人に処す。』
『中級貴族ガードナー家当主。デマオン・ガードナー。宝具違法所持罪。違法密輸罪。殺人教唆罪の容疑で逮捕及び家名剥奪。懲役120年、アルドラス監獄島に収監。』
アリッサが読み終えると、ルミナは静かに扇子を閉じた。
「……妥当な判決ね。」
「はい。クレア様も『今回ばかりは文句を言えない』と、珍しく素直に仰っていたそうです。」
「でしょうね。証拠が揃いすぎていましたもの。」
窓の外では、いつもと変わらない王都の朝が始まっていた。霧はもうない。ただの、穏やかな日差しだけが差し込んでいる。
アリッサが少し躊躇いながら口を開いた。
「そう言えばお嬢様、聞きましたか?聖ルミナス孤児院の子供達。主に10歳過ぎの子達が今週から院を出て、出先の紹介で住み込みとして働き始めたらしいですよ。他にも何でも匿名の貴族令嬢様が金貨100枚を院に寄付したとか。一体何処のお嬢様なのですかね?」
「…そうね、どんな人なのかしら。」
ルミナは、わざとらしい笑みを浮かばせる
事件後の翌日。
聖堂教会本部にてルミナはジャックスが殺人に使用していた宝具『断罪なる処刑人達』を直接、ビマルクス教皇の手の元に回収され、厳重に保管される事となった。
その報酬として、ルミナは資金を得る代わりとして2つの願いを教皇に申し出た。
1つ目は孤児院暮らしの子供達、特に10歳過ぎの子達にはとても環境の良い、住み込みの働き口を紹介させること。
もう1つの願いは聖エルメス孤児院を始めとした。各孤児院に十分な予算を付け、老朽化した設備の修繕と、子供達が安心して遊べる娯楽品・学習用具を整えることだった。
教皇は静かに頷き、即座に承認したという。
「……匿名の寄付、ですか。」
アリッサが苦笑いを浮かべる。
「はい。誰がやったのか、教会側も『神のお導き』としか言っていないそうです。」
ルミナは窓の外を見たまま、扇子を軽く開閉した。
「神のお導き、ね。……都合の良い言葉ですこと。」
「お嬢様は、本当に……。」
「何も言っていないわ。ただ、弱い立場の者を食い物にする連中を許せなかっただけよ。」
アリッサはそれ以上何も聞かなかった。主の背中が、いつもより少しだけ穏やかに見えた。
そんな中、ヴィクトリア家に仕えるメイドの1人であるエリー・テレンズがノックをしてから、扉を開けて部屋に居るルミナに報告をする。
「失礼致します、お嬢様、フォルクス商会のレイナ様が玄関にお見えです。」
「ええ、直ぐに行くわ、有難うアリッサ。髪はもう良いわ。」
青緑色の美しい長髪を整え終え、化粧台に置かれたティアラを頭に着けてから、アリッサと共に自室を後にし、1階へと降りると、玄関にて、ルミナの幼馴染で商業貴族令嬢、そしてフォルクス商会の総務部長であるレイナ・フォルクスが待ち構えていた。
「ご機嫌ようルミナ、朝早くに来たと言う事は、」
「あら?そう言うレイナこそ、我が家に自ら直接訪ねて来る何て、今日は台風でも来るのかしら?それとも、今日は私に何かの依頼をお願いしに来たのかしら?」
「違うわ別件よ。ほら、数日前に聖堂教会管轄の各孤児院から、10歳過ぎた子供達を商会の住み込み見習いとして働かせるお達しがあったでしょう?家の商会の方にも何人か回ってきたの。それでね――」
レイナの隣には、フォルクス商会の従業員服を着込んだ。見覚えのある薄茶色の髪の少女の姿があった。
「__紹介するわ、数日前から住み込みで働く事になった子の1人よ、ほら、大丈夫。練習通りに礼儀正しく挨拶しなさい。」
その見習いの従業員の少女は、身を震えて緊張するも、礼儀正しくルミナに向けて挨拶をする。
「は、初めましてっ!リィン・フォスと申しますっ!フォルクス商会で、見習いとして……働かせていただくことになりましたっ!」
玄関ホールで、リィンは緊張した面持ちのまま頭を下げていた。
フォルクス商会の従業員服は彼女には少し大きく、袖を何度もまくっている。薄茶色の髪は丁寧に結ばれ、目元の赤みはもうほとんど消えていた。
少女は頭を下げすぎて、前髪が目にかかった。ルミナは静かに一歩近づき、その前髪を指先で横へ流した。
「顔を上げなさい。」
リィンが恐る恐る顔を上げる。翡翠色の瞳と、少女の目が重なる。
「声は小さいままで良いわ。ただし、名前だけははっきり言いなさい。貴女はこれから、自分の名前で生きていくのですから。」
「……リィン・フォス、です。」
「宜しい。」
ルミナは振り返り、アリッサを見た。
「お茶を。応接室よ。レイナも上がりなさい。」
「ええ、それじゃあお邪魔するわ。」
来客2人を案内する最中、緊張しながら自分の隣をリィンの顔を見つめる。
天に住まい見守りし姉の魂はきっと、リィンの今後の人生に幸せへと導いてくれるだろうと思った。極悪令嬢であった。




