霧に潜みし連続殺人!極悪令嬢は鬼を祓う!{中編}
貧民街の隙間や路地の狭い細道から、満ち溢れた魔力の『深霧』は貧民街を彷徨う迷宮と化してしまう。
やがて霧と共に、殺人鬼は霧と1つとなり、音も無く、気配も、匂いすら断ち、彷徨い歩く獲物を狙う、今まで殺した5人の娼婦も呆気無く。雇い主から得られた例の『宝具』を使って、一撃で葬り殺した。
そして今回も、何時もながらに貧民街の住民を殺す、だが、娼婦ばかりは流石に飽きたと感じた殺人鬼はたまには他の獲物を狙おうとする。見つけた。霧の中で彷徨い立つ修道女の後ろ姿を。
霧と化した殺人鬼は笑みを浮かばせながら、こう意識した。
『神の使いである修道女を殺しても、多少の罰くらいは当たっても文句は言わないだろう。』と。
殺人鬼の影は霧化したまま、修道女の背後真上に入り、両腕のみを一部解除させ、両手に持った大鎌で振り下ろされる、一撃だ。
その一撃は肋骨すらも貫き、心臓を突き刺す一振り、決めた。筈だった__
{聖書!?}
刺したのは修道女ではなく、その修道女が胸に抱き抱え持っていた分厚い聖書だった。殺人鬼は目を大きく見開き、驚きを隠せずにいた。しかし驚いたのは其処では無かった。
{修道女が消えた?奴は__}
瞬間、何時の間にか背後に周り込んでいた。霧と化した殺人鬼は自身の背後を振り向くも、両手に握り持った大鎌目掛けて、修道女は回し蹴りを繰り出す。
殺人鬼の意識が、一瞬、反応が遅れた。
大鎌を握る両手が、鈍い衝撃を受けて弾かれた。回し蹴りの軌道が正確に柄を捉え、金属が軋む音が霧の中に響く。殺人鬼はバランスを崩し、半身が霧から強制的に実体化した。
「……っ!」
低い呻き声。男の声だ。
修道女であるシスター・ルミナスに扮した極悪令嬢ルミナ・ヴィクトリアは着地と同時に、下のロングスカートの裾を少し摘んで持ち上げる。修道女のヴェールが夜風に揺れ、翡翠色の三つ編みが背中で躍る。表情は穏やかなままだったが、瞳だけが冷たく細められている。
「あら。娼婦達のお次は修道女ですか?殺人鬼とは随分と、人の好みを自分の都合でお変わりするのですことね。」
霧の中で、金属の軋む音が消えた直後。
殺人鬼の半身が強制的に実体化したまま、大鎌の柄を握り直そうとする。だが、その指先がまだ完全に形を成していないうちに、ルミナはすでに次の動きを始めていた。
「……霧化体を使いながら、大鎌だけを実体化させている。」
静かな声が、濃い霧に吸い込まれそうになりながらも、はっきりと届いた。
「ですが、不完全ですわね。完全に霧と一体化しているなら、物理攻撃など通用しないはず。なのに、柄を蹴られただけで実体が戻る。……つまり、宝具に依存しているのでしょう?」
殺人鬼は答えなかった。代わりに、霧が急速に収束する。実体化した半身が再び煙のように薄れ、大鎌ごと視界から消えた。
次の瞬間、霧の中から鎖で繋がれた別の鎌が放たれる。
空気を裂かれる、ルミナは左に避けるも、鎌の刃が、修道服のスカートの裾を掠める。
{今放たれたのは…鎖鎌?}
放った後の鎖鎌は引っ張り、霧の中へと戻っていくと、再び鎖鎌が放たれる。今度は避けずに正面から駆け出し、身を低くさせてから鎌の刃を避け、繋がられた鎖を右手で触れさせて軌道を変えて、鎌は建物の壁に突き刺す。
このまま反撃を仕掛けた瞬間、霧の中から別の鎖鎌が放って来る。
{2本目!?}
ルミナは予期せぬ放って来た2本目の鎖鎌を、スカート越しの上段蹴りを繰り出して、放った鎖鎌を蹴りの反動で吹っ飛ばす。
「このまま__」
建物の壁に突き刺さった鎌が抜かれて、鎖は蛇の様に変幻自在に動き出し、1本目の鎖鎌が、霧の中に突っ込もうとするルミナの背後から襲い掛かるも、背後からの奇襲を回し蹴りで鎌の刃に当てる。
「!」
しかし、ルミナの蹴りを食らっても鎖鎌の刃は粉々に砕けない事にルミナは気付く。
{初撃の大鎌の一振り、放たれた2つの鎖鎌__}
霧の中から連続投射する鎖鎌をルミナは次々と拳と蹴りで弾き返しながら、敵の攻撃を推理した。大鎌と2つの鎖鎌は恐らく、同一の武器。違う、所有者の得意とする武器を応じた変化型の宝具__
「だとしたら、スタイルを変更致しましょうか。」
鎖鎌が放たれると、ルミナは堂々と籠手を装着した拳で、鎖鎌を上へと大きく弾き飛ばす。
{何だ?俺の鎖鎌を一気に弾き飛ばした?いや、それだけじゃない、奴の攻撃動作が急に変わっただと!?}
「ふぅ__武芸体術・拳闘士。」
ルミナは自身の戦闘スタイルを切り替えて、身を低くしたままの全身跳躍で、霧に向かって1発の鋼の拳を打ち込む。
{馬鹿が、そんな無意味な拳如きで、真正面から俺の『霧化体』を打ち込もうなんざ、この強化魔法は物理を無効化に__}
放たれた拳から、衝撃波が一部の霧を散り散りに吹き飛ばす。
「なっ!!?」
「どうやら其処にいらした。見たいですわね!」
放たれた鋼の拳が、濃い霧の一部を物理的に散らした。
衝撃波はわずかだが。『霧化体』の『物理無効』を部分的に貫通していた。殺人鬼の意識が、明らかに揺らいだ。
{……馬鹿な。この状態での物理攻撃は通じないはずだ。なのに、何故……!?}
霧の中で、其々2つの鎖鎌を持った両手が腕ごと、同時に形を成そうとする。だが、ルミナはすでに次の一歩を踏み出していた。
「見えましたわよ。」
低い声。ルミナの修道女の穏やかさはすでに消えている。
翡翠色の瞳が、霧の揺らぎの中心を正確に捉えた。そこに、半ば実体化した男の輪郭が浮かんでいる。身長は中肉中背。黒いフードを深く被り、顔は布で覆われている。両手に持った2本の鎖鎌の正体は鎖に繋がれた鎖双鎌だった。そして殺人鬼の双鎌は紫色に光だし、両手持ちの大鎌の形へと変える。
「なる程、それが、貴方の宝具の正体ですわね。」
拳を構えたまま、ゆっくりと近づく。霧が彼女の周囲で渦を巻くが、殺人鬼はルミナの拳から放たれる微かな衝撃波に警戒し、寄せ付けずにいた。
「はあっ!!」
殺人鬼は近付いて来るルミナに真っ向から、大鎌で横から振り下ろし、ルミナの上下半身を一振りで両断する。
{狩った…なっ!!}
しかし、斬られたルミナの姿形は残像だった事に気付いた殺人鬼は、目を大きく見開きながら、姿を消したルミナを目で探す。
「甘いですわよ。」
殺人鬼の左横から、ルミナは左拳で拳闘士の基本体術が1つ『殴打』を、殺人鬼の脇腹に打ち込み放つ。
「くっ…我が身よ霧と化せ!『霧化体』!!」。
ルミナの殴打が打ち込まれると同時に殺人鬼は『霧化体』で直ぐ様に自らを霧化させ、攻撃を避けると共に『深霧』の中へと包み隠れる。
「……。」
ルミナは拳を構え警戒すると、殺人鬼は上半身だけ実体化させ、宝具を両手持ちの大鎌から片手持ちの鎖双鎌形態へと切り替える。
「たあっ!!」
右の鎌の斬撃がルミナに振り下ろされるも、ルミナは身を回転させてからの裏拳を殺人鬼の右手首に叩きつけて、斬撃を弾かせる。
{裏拳で弾いただと、だがな、左はどうだ!!}
同時に左の鎌による横一閃の斬撃が、ルミナの視界の外から襲い放たれる。
ルミナは身を回転し続けたまま、殺人鬼の左の鎖鎌の鎖めがけて回し蹴りで軌道を逸らして流す。
「追撃の仕方が甘いですわ。攻撃とは__」
回転し終えたルミナは真っ向から跳び出す。
{こ、この修道女、只者じゃ__}
「こうやるのですわよ。」
殺人鬼の胸元目掛けての両掌での掌打を打ち込みに掛かる。
{しまった。間に合わな__}
意識の反応が遅れた殺人鬼は、直ぐ様に鎖双鎌でのクロスガードの体勢を行うも、ルミナの掌打が双鎖鎌で防いだまま、殺人鬼の両腕ごと胸を押し出され、殺人鬼の上半身が縦回転しながら霧の中へ弾け飛んだ。
鎖双鎌をクロスに構えたまま、建物の壁に背中を強く叩きつけられる鈍い音が響く。霧が一度大きく揺らぎ、男の呻き声が漏れた。
「……ぐはっ……!」
ルミナは着地したまま、拳を構えた姿勢を崩さない。修道服の裾が夜風にわずかに揺れ、三つ編みの緑髪が背中で揺れる。表情は依然として穏やかだったが、翡翠色の瞳だけが、霧の揺らぎを正確に追い続けていた。
「……あら?まだ動けますのね。結構な耐久力ですこと。」
殺人鬼は壁から体を引き剥がすようにして立ち上がり、大鎌形態へと宝具を戻した。紫色に輝く刃が、濃い霧の中で異様な光を放つ。
拳を構えたまま追撃の態勢に入るルミナ、双鎖鎌を構えた瞬間、殺人鬼が発動した『深霧』の効果が薄れ始めてる事に気付く。
{不味い!『深霧』の効果が薄れ始めて来やがった。これ以上、この場で続ければ宝具が壊されるのも時間の問題だ…。}
追撃を仕掛ける為にルミナがまた跳び出す
「風よ、真空なる刃となりて敵を斬り裂け!『真空刃』!!」
風の魔力を纏わせた大鎌を大きく横振りし、真空の刃を放つ、狙うのは追撃するルミナではなく、彼女の足元の石畳の道に攻撃をすると粉々に砕き、土煙を生み出してルミナの視界を遮らせる。
「っ!!」
殺人鬼は自ら『霧化体』を解いたのか、足音が遠ざかった行く音がルミナの耳に聴こえた。自分を殺す事を放棄した?いや違う、周りを良く見たら『深霧』が晴れていく。
「遠ざかる足音、逃げましたわね、アレックス!!」
霧が急速に薄れ始める中、ルミナの声が夜の路地に響いた。
すぐに、物陰から黒装束の男が現れる。ヴィクトリア家直属の執事にして工作員、アレックスだ。彼は無表情のまま、すでに周囲を警戒する姿勢で跪く。
「事態は分かっていますわね。逃げた殺人鬼を追い掛けなさい。恐らくですが、奴は隠れ先に向かう可能性がありますわ。」
「承知しました。お嬢様。」
アレックスは直ぐ様に滑走し。『深霧の殺人鬼』の跡を追跡する。
暗闇の貧民街の中、自分の役目を終えたルミナは頭に被ったヴェールを外し、青緑色の三つ編みを結んだ紐を解き、長髪が広げだす。
「__エレン。」
近くの建物の屋根から、ヴィクトリア家のメイドでもう1人の工作員であるエレンが瞬時に飛び降りて着地し、姿を現す。
「はい。」
「馬車の用意は?」
「既に近くに停車し、何時でも出発が可能です。」
ルミナは修道服を早脱ぎし、元の貴族令嬢としての深緑色のドレス姿へと戻した。
三つ編みを解いた翡翠色の長髪が、夜風にゆっくりと広がる。ティアラを指先で整え、扇子を手元に戻すと、修道女の面影は完全に消えていた。そこに立っていたのは、いつものヴィクトリア家令嬢――極悪令嬢そのものだった。
「……ふぅ。」
小さく息を吐き、周囲の霧がほぼ晴れきった路地を見渡す。壁に残った大鎌の斬撃跡、砕かれた石畳、そして地面に薄く残る紫色の魔力残滓。
「帰りますわよ、屋敷へ。」
後の方をアレックスに任せ、今日の役目を終えたルミナは、屋敷へと向かって去って行った。
*
その頃。
ルミナの命にて『深霧の殺人鬼』の追跡をしているアレックスは、足音を頼りに貧民街内を駆け走っていた。縦横無尽の細道を通り、路地を駆け抜ける。
足音を辿る。殺人鬼は『霧化体』を解いた直後、体力の消耗か、あるいは宝具の負荷に耐えきれず、完全に実体化したまま逃げている。それが幸いだった。霧の中では痕跡など残らないが、今は違う。石畳に残る湿った靴跡、壁に擦れた布の繊維、そして――微かに漂う紫色の魔力残滓。
アレックスはそれらを正確に拾いながら、速度を落とさなかった。
「……奥の方へ向かっている。っ!!」
左へ曲がった瞬間、2発の『真空刃』がアレックスに向かって放たれ、アレックスは腰に備えた短剣を素早く抜き。放たれた2発の『真空刃』を斬るも、殺人鬼が尾行に気付かれたか、アレックスは急ぎ正面の道に足を止め、周りを見渡し、足音と気配を消され、見失ってしまう。
「しまった…。」
アレックスは殺人鬼を見失った場所をどの辺りか確認しながら、周りを彷徨き歩く。
{……此処は、4番区。確か最初と2度目の殺人が起きたのはこの区域だったな、確か、1月程前にこの区域を管轄とする『区画領主』が赴任したな。}
両棟のある屋敷を見つけ、門前で足を止めたアレックスは貴族の家名が彫られた表札を目にし、屋敷の主が誰なのか把握する。
{ガードナー__中級貴族のデマオン・ガードナー…。殺人鬼との繋がりは確証していないが、念の為にお嬢様に報告しておこう。}
殺人鬼の尾行に失敗するも、見失った場所が区画領主が管轄する貧民街の4番区画だと言う手掛かりを入手したアレックスは、任務を終えてヴィクトリアの屋敷へと向かって撤収した。
*
ガードナー邸、執務室。
執務室にて愛用のワインを一飲みする男こそ中級貴族『ガードナー家』が当主、デマオン・ガードナーその人だった。
すると突然と扉が思いっ切り開く、現れたのは何とアレックスの尾行から逃れられた『深霧の殺人鬼』だった。男は布越しながら息を荒れさせ、デマオンの元へと向かう。
「ぜぇ…ぜぇ…。旦那、戻ったぜ。」
「お前か、収穫は得たか?」
殺人鬼は苦虫を噛み潰したような表情をしながらデマオンの執務机に近付き、元の状態となった宝具を机に打ち置く。
デマオン・ガードナーはワイングラスを置いたまま、机に打ち置かれた鎌をじっと見つめた。
刃には複数の亀裂が走り、柄の一部がわずかに歪んでいる。紫色の魔力が断続的に明滅し、明らかに負荷が限界に近い状態だった。
「……これは、どういうことだ。」
低い声。いつもの穏やかな口調が、完全に消えていた。
「……失敗した。獲物が修道女だったが、ただの修道女じゃなかった。一撃で刺し殺すどころか、逆に返り討ちにされて逃げた。これ以上続けてたら此奴は壊れて、俺もどうなっていたか。」
「お前と言う奴は…。何の為のこの『断罪なる処刑人達』を差し渡したと思ってる!!あの宝具は、大金貨何千枚以上の価値がある代物、お前が今まで稼いだ端金如きでは届かないんだぞ!!」
「だが事実だ!最初は単なる修道女だと思った。だが、俺の動きや反応に付いて行くほどの圧倒的な強さ、あれは、只者何かじゃねえ、そのせいで肋骨が2本も折られた。」
「くっ…。」
まさか殺人鬼が仕事に失敗しただけでなく、返り討ちにされ、しかも宝具すらも破損してしまうとは、デマオンの苛立ちは隠しきれず今にでも目前に立つ殺人鬼に怒りをぶつけようとするが、デマオンは落ち着きを取り戻してから席を立ち、窓の外の景色を見つめながら男に告げた。
「___部屋へ戻れ、処刑人達の修復が完了するまでは私が裏で仕入れた物を使え。」
「…了解した。」
そう言うと殺人鬼は執務室から静かに退出した。1人になったデマオンは身を震えながら、一体誰が殺人鬼の仕事の妨害をしたのか分からずにいたのだった。
*
夜のヴィクトリア邸
玄関前にて、ルミナの側近メイドであるアリッサ・レストはまだ帰って来ない主の事を心ばかりか心配していた。
「お嬢様、大丈夫でしょうか…。はっ!も、もしかして『深霧の殺人鬼』と遭遇してお嬢様はもう__」
アリッサが青ざめた顔で立ち尽くしているところへ、翡翠色の馬車が静かに滑り込んできた。車輪が石畳を軋ませる音が、夜の静寂を破る。
「お、お嬢様っ!!!」
アリッサが駆け寄るのとほぼ同時に、馬車の扉が内側から開いた。中から降りてきたのは、いつもの深緑色のドレスに身を包んだルミナだった。三つ編みはすでに解かれ、翡翠色の長髪が夜風に揺れている。ティアラも扇子も、きちんと手元に戻っていた。
「ただいま、アリッサ。」
「だ、大丈夫ですか!?傷は……!血は出ていませんか!? 殺人鬼と遭遇してしまったんじゃないかと、本当に心配で心配で……!」
「心配無用よ。私を誰だと思ってるのかしら?」
ルミナは淡々と答えると、馬車の陰から現れたエレンに軽く目配せした。
「それよりもアリッサ、今晩の食事の用意をなさい。」
「えっ、あ、あの、お嬢様…。」
突然としどろもどろになるアリッサ、何か様子が可笑しい事にルミナは気付く。
「…どうかしたのかしら?」
「その、実はつい先程、旦那様がご帰宅したまして。お嬢様が帰宅次第、至急、お部屋にと…。」
「……あら?」
娘より先に父親が帰宅した事に、少しだけ目を見開くルミナであった。
*
ヴィクトリア邸、主の執務室。
扉を開けると、室内にはすでに灯されたランプの明かりが揺れていた。机の向こうに座るのは、ヴィクトリア家当主――ルミナの実父、へクトール・ヴィクトリアだ。黒髪に白い筋が混じり始め、眼鏡の奥の瞳は冷静そのもの。娘が部屋に入ってきても、すぐに顔を上げることはなかった。
「……遅かったな、ルミナ。」
「そう言うお父様こそ、今日は珍しく早くお帰りになられましたわね。」
そう言いながらルミナは机の前に立つ。アリッサは扉の外で待機し、室内には父娘だけが残された。
ヴィクトールは書類を1枚めくり、静かに口を開いた。
「今日、私がセッティングした縁談をまた断ったそうだな。」
「__申し訳ありません、」
今回の縁談を勝手に断った事を、ルミナは静かに謝罪をする。とても令嬢らしい律儀な謝罪の仕方だ。
「…事の事情はアリッサから聞いている。教皇聖下からの依頼ならば、優先事項は此方に移す他は無い。」
ルミナの読み通り、流石の父も立場ながら、教皇聖下からの依頼を断る訳には行かないと分かったか、ルミナは小さく微笑んだ。
しかし。ヘクトールは続けて言った。
「___だが、相手も相手だ。ディーゼル家は我がヴィクトリアと同じく上級貴族で、やや口煩いで、ディーゼル家当主はお冠でな。」
「………。」
「…多少はアレだが、王城筆頭書記官としての権限を使わせて黙らせた後に、来週の日曜日に予定を変更させた。後は言わずとも分かっているな、ルミナ。」
ヘクトール曰く、今週までに、今回の『深霧の殺人鬼』による連続殺人事件を解決せよと言う事を意味する。
「……それはつまり、今週の土曜日までに終わらせろ、ということですね。」
「ああ。ディーゼル家の面子もある。教皇聖下の依頼を優先するのは分かるが、こちらの都合も無視はできん。」
ヘクトールは眼鏡を指で押し上げ、静かに娘を見た。
「ルミナ。お前が『極悪令嬢』として動くのは構わん。しかし、余り騎士団や教会に余計な波風を立てるな。全てを終わらせたら、静かに帰ってこい。」
「承知いたしましたわ、お父様。」
「……食事に行きなさい、私ももう少し仕事を片付けたら向かう。」
ルミナは深く一礼し、部屋を出た。扉の向こうで待っていたアリッサが、心配そうな顔を上げる。
「お、お嬢様……。」
「アリッサ、明日の予定をなのだけれど。」
「い、今からですか!?ち、因みにですが。どの様な予定で…。」
ニヤリと微笑みながら、ルミナは内容を答えた。
「『冒険者連盟』よ。」
冒険者連盟、その先で待ち受けるものとは一体何か、アリッサは分からずにいた最中。突然とルミナは階段近くに足を止める。
「居るのでしょう、アレックス。」
階段の端の柱の影から、殺人鬼の追跡を終えたアレックスが姿を現す。
「この様子だと、尾行を撒かれたみたいね。」
「申し訳ありません、攻撃魔法から避けた際に見失いました。ですが、別の収穫がありました。」
「__申しなさい。」
申す通りにアレックスは報告をした。
「はっ、殺人鬼の見失った場所が貧民街の4番区域、その付近にて中級貴族『ガードナー家』の屋敷を見つけました。」
「ガードナー…。」
「まだ殺人鬼との繋がりは確証しませんが…。」
殺人鬼の影に貴族の存在を知ったのか、広げた扇子で口元を隠してから、ルミナはクスリと微笑み、楽しみが増していた。
「どうやら楽しみが1つ、増えたみたいですわね。」
そう言うとルミナはアリッサと共に、夕食を食べに食堂へと向かったのだった。
*
翌日のルナジェント王国の都市部の賑わいは平日ながらも相も変わらずの最中、ヴィクトリア家の馬車はある場所へと向かっていた。
馬車内にて、ルミナの向かいに座るアリッサは一体何処へ向かうのかと聞き出す。
「お、お嬢様、朝食を食べたばかりでいきなりの外出、どうして冒険者連盟に向かわなければならないのですか?」
「まだ分からないのかしら?アリッサ。」
緑の扇子を広げ、口元を隠し微笑みながら、連盟に行く内容を告げた。
「彼処に殺人鬼の『手掛かり』があるのですからよ。」
「ギ、連盟にですか!?」
アリッサはまさか連盟に殺人鬼の手掛かりがある事に驚いた。
「ど、どうして、お嬢様は殺人鬼の手掛かりが連盟にあると思ったのですか!?」
「__そうですわね、その話は、連盟に入ってからに致しましょう。」
馬車が停車し、冒険者連盟。
扉の上の看板には『ルナジェント王国。中央街支部。』と記され、何人もの冒険者達が出入りしてる光景があった。
其処は数多くの冒険者達が所属すると言われている、ルミナは今日。『深霧の殺人鬼』の手掛かりを探る為に冒険者連盟の元に足を運んだのだ。
ルミナは扉を押して中に入った瞬間、酒と汗と鉄の匂いが混じった熱気が顔を打った。壁際には依頼掲示板が並び、テーブルでは傷だらけの冒険者達が大声で談笑している。受付カウンターの奥では、受付嬢が疲れた顔で書類を捌いていた。
ルミナは深緑色のドレスのまま、扇子を軽く開いて口元を隠した。アリッサが半歩後ろに従う。周囲の冒険者たちの視線が一斉に集まった。
「……おい、見ろよあれ。ヴィクトリアの……。」
「貴族潰しの極悪令嬢が何しに来たんだ?」
「関わりたくねぇな……。」
ざわめきが広がる中、ルミナは受付カウンターへ真っ直ぐ歩いた。受付嬢は顔を上げた瞬間、明らかに青ざめた。
「い、いらっしゃいませ……ヴィクトリア家の……ルミナお嬢様。本日はどのようなご用件で?」
「ギルドマスターは不在かしら?お聞きしたい事があって参りましたのだけれど。」
受付嬢の青ざめた顔に、周囲のざわめきがさらに大きくなった。
「ギ、ギルドマスターにですか……!?現在、マスターは奥の執務室におられますが……お嬢様のような上級貴族の方が直接……。」
「構いませんわ。通して頂戴。」
ルミナの声は穏やかだったが、翡翠色の瞳には拒絶を許さない冷たい光が宿っていた。受付嬢は一瞬だけ抵抗する素振りを見せたが、すぐに観念したように頷き、カウンターの奥へ消えた。
数分後。
「……通してくれ、とのことだ。」
低く渋い声と共に、奥の扉が開いた。現れたのは50代半ばの屈強な男。左目に眼帯を当て、右目は鋭く光っている。肩には古い傷跡が走り、冒険者らしい無骨な雰囲気を纏っていた。
「ご機嫌よう、バーロック・キュプロクス連盟長。」
バーロック・キュプロクス。
ルナジェント王国中央街もとい国内全支部の冒険者連盟を纏める総連盟長。彼の上半身には数多の敵から受けた傷があり。冒険者とての実力は王宮騎士団長であるクレアにも匹敵する。
人は彼を『剛破のバーロック』と呼ばれている。ルミナが幼い頃からの古い知人でもある。
「珍しいな、お嬢様自ら此処に足を運ぶとは、用件を言え。」
「教皇聖下からの直接の依頼ですわ。詳細は申し上げられませんが、例の『深霧の殺人鬼』の件でして。」
バーロックは静かに息を吐き、執務室へ手招きした。
「入れ。外で話すような内容じゃない。」
バーロックに案内され、2人は執務室に入り、執務室の扉が閉まる、バーロックはソファーに座り込むとルミナとアリッサに向かいのソファーに座る様に告げる
「掛けろ。」
「失礼致しますわ。」
「し、失礼します!」
ルミナとアリッサは礼儀正しく、向かいのソファーに座り込むとバーロックは早速、本題の件を聞き出す。
「『深霧の殺人鬼』の件だったな、何が聞きたい?」
「そうですわね、単刀直入に申しますわ、最近変わった事はありませんこと?例えば、先週か先月辺り、誰か冒険者の登録を抹消は致しませんでしたか?」
「__何が言いたいんだ?お嬢様。」
ルミナは言い方を訂正して、先程の質問を再びバーロックに問い出した。
「言い方が悪かったですわね、登録抹消、例えば水属性と風属性の適正持ちの『鎖鎌使い』辺りとか。」
「!」
「その表情からして、存じていますわね。」
「…少し待ってろ。」
バーロックはソファーから立ち上がり、自分の執務机の引き出しから1枚の羊皮紙を取り出し、ルミナに見せた。その紙は冒険者の登録表で『抹消』の赤印の判が押されていた。
登録表には自画像が描かれていた。
中肉中背の痩せ顔をした。灰色の長髪の男、ルミナとアリッサは察した。この元冒険者こそが『深霧の殺人鬼』の正体だと。
バーロックはこの登録表の元冒険者の事を話し始めた。
「名前はジャックス・ベイカー。25歳、冒険者階級は銀級1位。お嬢様の言う通りの鎖鎌使いで、水と風の2つの魔力適正を持つ『双重』だ。」
『双重』とは。
産まれながらに2つの魔力属性の適正を持つ、極めて稀な才能者のことを意味する。通常の者は1つの属性しか扱えないが、双重は2つの属性魔法を使用する事できる。
「抹消の理由は?」
バーロックは登録表を机に叩きつけ、低い声で続けた。
「味方殺しだ。」
「味方殺し!?」
アリッサは驚き叫ぶ、味方殺しとは、冒険者にとって絶対に行ってはならない禁忌の1つ。
「詳細を。」
「半年前の討伐依頼だ。中級迷宮『腐蝕の湿原』。パーティは5人。実力はジャックスを含めて全員銀級以上だった。帰って来たのはジャックス1人だけだった。」
バーロックの右目が細められる。
「他の4人は全員、背後から鎌で斬り刻まれてから、心臓を貫かれていた。ジャックスの言い分は『霧が濃くて同士討ちした』。だが、検察部の目は誤魔化せはしない、何せ傷口の角度も、刺した深さも、全て奴の鎌の斬り方と同じだと。結果、ジャックスの冒険者としての登録抹消と10年間の再登録停止処分なった。」
ルミナは扇子をゆっくり閉じた。
「登録抹消後の行方はどうなされたのですか?」
「行方不明扱いだ。ギルドは追跡したが、痕跡が消えた。貧民街に潜り込んだという噂はあったが…__」
バーロックは突然と黙り込むと、何かを思い出した。
「_そう言えば、何日か前にジャックスを見兼ねた奴がいたな、最初は単なる酔っ払いの妄言かと思ったが…。」
「その方を直ぐに呼び出す事は出来ることは?」
「ああ、ちょっと待ってろ。」
ジャックスを見兼ねた人物を呼ぼうと、バーロックは扉を開けると、何たる偶然か、彼は廊下を偶々歩いていた女性の事務員に声掛ける。
「おう、丁度良い所に、何日か前にジャックスを見兼ねたって奴を俺の所に呼び出してくれないか?重要案件何だ。」
「は、はいっ!畏まりました連盟長!」
事務員が慌てて廊下を走っていく音が消えた後、執務室には重い沈黙が落ちた。
バーロックは机に肘をついたまま、登録抹消された羊皮紙をじっと見つめていた。ルミナは扇子をゆっくり開閉しながら、その様子を静かに観察している。アリッサは緊張した面持ちで、2人の間を交互に見ていた。
やがて、扉がノックされた。
「……入れ。」
バーロックの低い声に応じて、扉が開く。入ってきたのは、30代半ばの男性冒険者だった。軽装の革鎧に身を包み、右腕に古い傷跡がある。銀級の証である銀の徽章を胸に付けていた。
「呼ばれました、連盟長。……って、極悪令嬢がいるのかよ。」
男はルミナを一瞥し、明らかに警戒した顔をした。
「用件だけ言え。俺は忙しい。」
「ジャックス・ベイカーを見た、と言ったのはお前だな?」
すると男の表情がわずかに強張る。
「……ああ。見たよ。1週間ほど前だ。」
「…続けなさい。」
「貧民街の4番区だ。夜の9時過ぎくらいだ。俺は貧民街の溝掃除の依頼の帰りで裏路地を通ってたんだが、横道にフードを深く被った男が歩いててな。顔は布で覆ってたが、歩き方と体格で分かった。遠目で見たから間違いねぇ、ありゃジャックスだ。」
男は言葉を継いだ。
「俺はジャックスがあの後、どう言う生活してんのか気になって跡を付けたんだ。そしたら、どっかのお貴族様ん所の屋敷の裏口に入ってたんだよ。」
男の言葉が執務室に落ちた瞬間、空気がわずかに張り詰めた。
バーロックは右目を細め、登録抹消された羊皮紙を指で叩いた。
「……4番区の貴族の屋敷、か。間違いねぇな?」
「ああ。裏口から入ってった。見張り役の門番は兎も角、迎えの使用人すらもいねぇ。まるで『自分の家に帰って来た』みたいな態度だったぜ。」
ルミナは扇子をゆっくり閉じた。翡翠色の瞳に、わずかな光が宿る。
「その御屋敷の表札は、確認なされましたか?」
男は肩をすくめた。
「暗くてよく見えなかった。ただ、中級貴族の家紋みたいなのが門に彫ってあった気がする。……確か、何かの鳥か何かだ。」
「鳥……。」
ルミナは小さく呟いた。アレックスが昨夜報告した『ガードナー家』の家紋は、確かに猛禽を模したものだった。
「十分ですわ。ご協力に感謝致します。」
男は警戒したままバーロックに一礼し、部屋を出て行った。扉が閉まった直後、バーロックが低い声で切り出した。
「先ずは結論から言おうかお嬢様、ジャックスが『深霧の殺人鬼』で間違い無いんだな。」
「ええ、登録抹消された鎌使い銀級冒険者は、貧民街に姿を消した。そして冒険者は殺人鬼と言う名の罪人に堕ちてしまった。」
鎌使いの元銀級冒険者、貧民街、ガードナー家、宝具を使用した連続殺人。そして殺人鬼の居場所。
ルミナは、頭の中のバラバラだったパズルのピースが1つに繋がっていく。
{これで全てが繋がりましたわ、後は、確証を真相に変えるだけ、フフッ、お楽しみの甘味がもう1品、増えましたわね。}
極悪令嬢らしい笑みを浮かばせるルミナ。
しかし、この時のルミナは気付かなかった。
その日の夜、『深霧の殺人鬼』は自身のポリシーを踏み外した行為をする事に。




