霧に潜みし連続殺人!極悪令嬢は鬼を祓う!{前編}
平和に満ちたルナジェント王国。
ここ最近、とある連続殺人事件が発生していた。
事件発生場所は北東の風浴街、数多くの娼婦や貧民達が住まいし低民区域内、殺された被害者の人数は4人目であった。死因は全員が刃物による『刺殺』。
犯人は不明、目撃者は疎か、凶器の正体、殺害の方法も未だに分からず、王宮騎士団や王都衛兵団、冒険者ギルドの連携調査でも犯人の行方は見つからずにいた。
唯一つだけ、分かった事があった。
4人の被害者が殺された日は全て。『深い霧』に満ち溢れていたのだと。
そして新聞記事では、その連続殺人鬼を『深霧の殺人鬼』と名付けられた。
数日後。
時刻は午前、その日の天気は晴れ。
貧民街の1番区にて、また新たな犠牲者が現れた。
「此方です!」
1人の衛兵に案内に連れられ、王宮騎士団団長であるクレア・フォンアルトが新たに亡くなった被害者の元へと臨場すると、クレアはしゃがんだまま、遺体の周囲を慎重に観察した。
「5人目か…。殺された身元はもう取れたのか?」
「あ、はい、殺害されたのはロザリア・テロス、26歳。この1番区の出身で風浴店『誘惑の猫』に勤める娼婦です。」
「__また娼婦か。」
遺体の首筋から胸元にかけて、鋭い刃物で何度も刺された痕跡がある。出血は少ない。即死に近い一撃が最初に入っているらしい。
「……傷の角度が一定だな。」
クレアが呟くと、隣に控えていた衛兵が慌ててメモを取る。
「はい。前回までの4名も同じでした。全て右利きの人物が、背後から接近し、心臓付近に一撃で、確実に仕留め入れている。……熟練した手つきです。」
「目撃者は?」
「この辺りは朝方まで霧が深く、視界がほとんどききませんでした。隣の建物の住人は『誰かが走っていく音がした』としか……。」
クレアは唇を噛んだ。
5人目。しかもまた娼婦。犯人は明らかに、この低民区域の弱い立場の女を狙っている。騎士団は連日巡回を強化しているが、深い霧が出る夜になると、途端に手が回らなくなる。
「……また霧か。」
彼女は立ち上がり、周囲を見渡した。すでに朝日が差し始め、昨夜の霧はほとんど消えている。だが、石畳の隙間にはまだ湿気が残っていた。
「報告書は至急まとめろ。上層部にも報告する。このまま放置をすれば、6人目が出る。」
*
当日、午後。
上級貴族ヴィクトリア家の翡翠色の馬車はとある場所に向かっていた。
その向かわれた目的地は、王都中央街にある聖堂教会本部、其処には100をも超える神父と修道女達が在籍し、主の為に信仰を勤めている。
聖堂教会。ルナジェント王国の宗教的中枢にして、王権すら容易に侵せない独立機関。白亜の大聖堂が王都の中心にそびえ、ステンドグラスから差し込む光が床を七色に染めていた。
馬車は教会前に一時停車させると、扉が開き中からヴィクトリア家が令嬢である、ルミナ・ヴィクトリアが静かに下車をし、単身、聖堂教会へと向かいながら、自身の右手に持つ手紙を目に通す。
手紙の内容はたった1行だけ。
『重要な話がある、内容は聖堂教会にて。』と。
そう、ルミナの目的は神に祈りに来たのでは無い、彼女の元に届いた手紙の主に会いに来たのだ。出迎えられた修道女に連れられ、ルミナは聖堂教会本部の中へと案内される。
通常、一般信徒の立ち入りは許されない区画へと連れられ。単身、ルミナは地下へと続く長い石階段を降り、松明の灯りだけが照らす回廊を抜けた先に、それはあった。
『懺悔室。』
通常の懺悔室とは似ても似つかない。鉄で補強された重厚な扉が2枚。内部は一般的な教会の懺悔室の3倍の広さがあった。窓はなく、蝋燭の炎だけが揺れている。
ルミナが鉄の扉を開けると、薄暗い室内の奥に一脚の椅子があった。そこに座る人物の輪郭が蝋燭の光に浮かび上がる。
教皇ビマルクス・チャリオット。
齢60を超えてもなお背筋の伸びた痩身の老僧。白い法衣に金の帯、胸元には巨大な聖印。深い皺に埋もれた灰色の瞳がルミナを捉えた。
枯れた声が石壁に反響する。
「……来たか、ルミナ・ヴィクトリア。」
「ご機嫌よう、ビマルクス教皇聖下、この様な暗闇に満ち溢れた所で私を呼び出すと言う事は、とても重大な案件、と言う事で宜しいですわね?」
指を組み、じっとルミナを見据える。
「そうだ。取り敢えず掛けなさい。これから話すことは、この国の根幹に関わる事だ。」
椅子の背に身を預け、組んだ指をほどく。蝋燭の炎が揺れ、教皇の顔に影を落とした。
「単刀直入に言おう。」
灰色の瞳が光を失ったように濁る。
「ここ2週間である連続殺人事件が勃発してる、犯人はお前も存じてる『深霧の殺人鬼』。奴の手によって5名の娼婦が殺された。全員が貧民街の住人、しかも北東区や東区と言った。低民区域内の出身者のみだ。」
指を1本立てる。
「共通点が3つ。1つ、全ての被害者の死因は刺殺、それも心の臓目掛けての一撃でだ。」
2本目の指を立てる。
「2つ、被害者の殺害の発生は霧の中で行われた事だ。」
「霧の中で__」
ルミナの目が僅かに細まった。扇子を持つ手が動かない。
そして3本目の指を立てる。声がさらに低くなった。
3つ。これが最も厄介だ。
身を乗り出す。蝋燭の炎が教皇の顔を照らし、深い皺の一本一本が影を刻んだ。
「被害者の全員の体内から、『魔力』が抜き取られている。」
沈黙が落ちた。石壁の冷たさが2人の間に満ちる。
「これは単なる連続殺人ではない。ルミナ・ヴィクトリア。これは——宝具を利用した、魔術犯罪だ。」
「宝具__」
蝋燭の炎が小さく揺れた。
ルミナは扇子をゆっくりと開き、口元を隠したまま教皇を見据えた。翡翠色の瞳に、感情の色はほとんど浮かんでいない。
「……魔力の抽出、ですか。」
「そうだ。遺体の内部から、生命力と共に魔力が強制的に引き抜かれている。傷口は単なる刺殺の痕に見えるが、実際には『吸魔』の痕跡が残っている。普通の刃物では不可能だ。」
教皇は指を組み直し、声を落とした。
「其処で私自ら、お前に依頼を申し受ける、依頼内容は『深霧の殺人鬼』の捕縛及び、殺人鬼が使用してる宝具の回収、最悪の場合は、破壊しても構わん。以上が私が告げた内容全てだ。受けてくれるな?極悪令嬢。」
ルミナは開いた翡翠色の扇子をゆっくりと閉じ、沈黙を破った。
「……承知いたしましたわ、教皇聖下。」
声に迷いの色は無かった。翡翠色の瞳は、揺れる蝋燭の炎を映したまま、静かに教皇を見つめたのだった。
*
教皇との用が済み、聖堂教会を後にしたルミナは近くに停車してるヴィクトリア家の馬車に戻ると、馬車の近くにルミナの側近メイドであるアリッサ・レストが、主であるルミナを出迎える。
「あ、お帰りなさいませお嬢様!教皇様とのお話し合いはどうでしたか?」
アリッサが馬車の横で深々と頭を下げる。翡翠色の馬車の扉を開けたまま、ルミナは静かに乗り込むと、窓枠に指を添えて外を一瞥した。
「……重大な依頼を受けたわ。」
「重大、ですか?」
「ええ。『深霧の殺人鬼』の件よ。」
「ええっ!!?今巷になってるあの連続殺人事件のですか!?」
アリッサの表情が一瞬で驚く。彼女も新聞でその名を知っていた。貧民街で娼婦ばかりを狙う連続殺人。霧の夜にのみ現れるという噂は、すでに王都中に広まっていた。
「……あの事件を、教皇様がお嬢様に?」
「そうよ。しかも、ただの殺人ではないらしいわ。」
ルミナは扇子を軽く開き、口元を隠したまま続ける。
「被害者全員から『魔力』が抜き取られている。宝具を使った魔術犯罪よ。教皇聖下は、犯人の捕縛と、使用されている宝具の回収――最悪の場合は破壊――を私に命じられたわ。」
アリッサが小さく息を呑む。
「宝、宝具……!そんな物が街中で使われているなんて……。」
「ええ。だから騎士団だけでは手が出せない。表向きは『連続殺人』として処理しつつ、裏で宝具を扱う者を処理する必要がある。……私の出番、というわけね。」
馬車が静かに発進する。石畳を軋ませる車輪の音だけが、しばらくの間、車内に響くと、ルミナはこの後の予定をアリッサに聞き出す。
「アリッサ、この後の予定は何だったかしら?」
「あ、はい、確か午後には旦那様がセッティングなされたディーゼル家第1令息であるトラビス・ディーゼル様との縁談の話が__」
「キャンセルよ。」
「よ、宜しいのですか?」
「教皇聖下からの依頼を受けた以上、流石のお父様も口を閉ざしたまま、何も言えないわ。」
ルミナは扇子を閉じたまま、窓の外を静かに見つめていた。午後の陽光が石畳を照らし、いつもと変わらない王都の日常が流れていく。だが、その日常の裏側で、すでに5人の命が奪われ、6人目を狙う影が霧の中に潜んでいる。
「アリッサ。」
「は、はい!」
「行き先変更よ、到着までに着替えの支度をなさい。」
「か、畏まりました!」
移動の最中、アリッサは急ぎ馬車内の四方の窓にカーテンを閉め、ルミナの着せ替えを始める。
頭のティアラと首飾りを外し、愛用の深緑色のドレスを脱ぎ下ろし、きつく結んだコルセットの紐を解かせてからコルセットを外す。
極悪令嬢ルミナ・ヴィクトリアは様々な容姿へと化ける事が出来る、目的地近くに馬車を停車すると同時に、ルミナの着替えが終え、アリッサは馬車の扉を開き、下車の用意をする。
「どうぞ、お嬢様。」
「__有難う、アリッサ。」
馬車から降りて来たのは修道女の姿へと化けたルミナだった。長い緑髪を三つ編みに結び、左手には分厚い聖書を脇に抱え持つ。
「此処から先は、聖堂教会のシスター・ルミナスとして、対応致しますわ。」
足を運んだ先は、聖堂教会管轄の孤児院が1つ『聖エルメス孤児院』。聖堂教会の東区画に佇む、石造りの古い建物だった。壁面の聖印は塗装が剥げ、庭の柵は錆びついている。予算が潤沢とは言い難い佇まいが、貧民街に近い立地を如実に物語っていた。
ルミナは孤児院の門前に足を止め、教皇から渡されたメモを目に通す。
{__リーネ・フォス。7日前に『深霧の殺人鬼』の手で殺害された3人目の被害者、その妹であるリィン・フォス、齢10。唯一の肉親である姉の死後に天涯孤独の身となり、5日前にこの聖エルメス孤児院に引き取られた。}
玄関の扉を叩く。しばらくして、重い木の扉がきしみながら開き。院長らしき50過ぎの小柄な女性が現れた。修道服のヴェールからはみ出た白髪交じりの髪を直し、来意を問う目を向ける。
「どちら様でしょうか。」
「突然のご訪問失礼致します。私、聖堂教会本部から参りました。シスター・ルミナスと申します。」
にこりと微笑む。あの高圧的なヴィクトリアの極悪令嬢の面影は欠片も無かった。柔らかく、人当たりの良い若い修道女の顔がそこにあった。
「此方の孤児院にて現在、貧民街における連続殺人事件の件で。此方の孤児院に被害者のご家族の方がいらっしゃると伺いまして。」
院長の表情が曇った。扉の枠を握る手が白くなる。
「……失礼ですが、どなたからお聞きに?」
「ビマルクス教皇聖下からです、聖下は此度の連続殺人の件で悔やまれまして。」
院長の表情が曇ったまま、扉の枠を握る手がさらに白くなった。
「……教皇聖下ご自身が、ですか。」
「ええ。聖下は、この連続殺人事件を『神の御心に背く行為』として深く憂えておられます。特に、残されたご家族への配慮を――と、私が直接仰せつかりました。」
ルミナは柔らかく微笑んだ。修道女としての所作は完璧だった。声のトーン、視線の置き方、聖書を抱える指の位置まで、一切の隙がない。
院長はしばらく迷うように唇を噛んだ後、小さく溜息をついて扉を開いた。
「……どうぞお入り下さい。ただ、リィンはまだ……心を閉ざしております。リーネの死からまだ5日しか経っておりませんので。」
「承知しております。無理強いは致しません。」
孤児院の内部は、外観以上に質素だった。
石造りの廊下は薄暗く、壁には古い聖画が掛かっているが、絵の具は剥げ落ちている。子供達の笑い声はほとんど聞こえず、代わりに床を擦る小さな足音と、遠くで聞こえる咳の音だけが響いていた。
院長に案内され、2階の奥まった小部屋の前で足を止める。
「こちらです。リィンは今、1人で居ります。」
扉をノックすると、中から小さな声がした。
「……誰?」
「院長です。教会から来た方が、お姉さんとお話をしたいそうよ。」
沈黙が落ちる。やがて、か細い声が返ってきた。
「……いいよ。」
扉が開く。
部屋は六畳ほど。窓から差し込む光が、簡素なベッドと小さな机を照らしていた。ベッドの端に、10歳ほどの少女が膝を抱えて座っている。髪は薄茶色で、目は赤く腫れていた。頰はこけ、唇の色は悪い。
リィン・フォス。
姉を殺されたばかりの少女は、ルミナの姿を見て、わずかに身を縮こまらせた。
「……修道女、さん?」
「ええ。シスター・ルミナスと申します。貴女に少しだけお話を伺いたくて参りました。」
ルミナはベッドの近くまで歩み寄り、静かに跪いた。少女と目線を合わせるためだ。聖書を傍らに置き、両手を膝の上で重ねる。
「無理に話さなくても構いません。ただ……貴女のお姉様のことで、何か気になることがあれば、教えていただけませんか。」
リィンは俯いたまま、指先でシーツを摘まんでいた。しばらくして、か細い声が漏れる。
「……お姉ちゃんは、私を置いて死んじゃった。お姉ちゃんが殺された日、私の誕生日だったの。」
「!」
院長はリィンの代わりに、静かに口を開いた。
「……リーネは、リィンの誕生日に必ず『特別なものを用意する』と約束していたそうです。今年は『熊のぬいぐるみ』を買って来ると、何度も言っていたとか。……その日の夕方まで、リーネは店の仕事を終えて、雑貨屋さんに寄り、ぬいぐるみを買ってから、リィンを迎えに来る予定でした。」
ルミナはリィンの小さな手を、そっと自分の掌で包んだ。修道女としての柔らかな仕草だったが、その指先には、微かに震えが宿っていた。
「……お誕生日に、お姉さんを失ったのですね。」
ルミナの声は、修道女として柔らかく、しかしどこか芯が通っていた。リィンは俯いたまま、しばらく何も言わなかった。ただ、シーツを摘まむ指先が白くなっていく。
やがて、か細い声が漏れた。
「……お姉ちゃん、最後に私に手紙をくれたの。『必ず帰って来るから、待ってて』って。……でも、帰ってこなかった。」
ルミナは静かに頷いた。
「その手紙は、まだお持ちですか?」
悲しむリィンが小さく頷き、枕の下から折りたたまれた一枚の紙を取り出した。インクは少し滲み、端が擦り切れている。ルミナは丁寧に受け取り、開いた。
『リィンへ。
今日は誕生日だね。仕事が終わったら、必ず熊のぬいぐるみを買って帰ってくる。待ってて。――リーネ』
短い文面を読んでルミナは思った。殺されたリーネはとても妹思いの娼婦だったと。
「……この手紙を書かれたのは、いつ頃でしょうか。」
「……殺される、その日の朝。お姉ちゃんが出かける前に、机に置いていったの。」
ルミナの翡翠色の瞳が、わずかに細められた。
「お姉さんが出かけられた時間は?」
「いつもと同じ。……夕方前。『今日は特別なものを買ってくるから、少し遅くなるかも』って。」
院長が補足するように口を開いた。
「リーネさんは、事故で亡くなったご両親に代わって、風浴店『誘惑の猫』に勤めておられました。普段は夜遅くに帰宅されますが、その日は『誕生日だから早く帰る』と同僚に話していたそうです。実際、店を出たのは午後8時頃。その後、雑貨屋に寄った形跡があり……ぬいぐるみは、リーネさんの遺体の近くで見つかっています。袋に入ったまま、血に染まっていました。」
手紙を丁寧に畳み、リィンに返すと、部屋の棚の上には、確かにそのぬいぐるみが置かれていた。恐らくあれが、亡くなったリーネがプレゼントとして買ったぬいぐるみだろう。
ルミナはぬいぐるみをそっと手に取った。
血はすでに拭き取られていたが、縫い目の一部が赤く変色している。安価な作りの熊だった。目はボタンで、片方が少し取れかかっている。
「……このぬいぐるみを、お姉様は最期まで抱えていたのですね。」
リィンは小さく頷いた。目元が再び赤く染まる。
「……お姉ちゃん、私のせいで死んじゃった。誕生日のプレゼントを買いに行って……。」
ルミナはぬいぐるみをリィンの膝の上に優しく戻し、静かに言った。
「いいえ、違いますわ。お姉さんを殺したのは、貴女ではありません。悪いのは、霧の中に潜む殺人鬼です。」
リィンは顔を上げた。初めて、ルミナの翡翠色の瞳と真っ向から視線が合う。
「なのでリィン、約束なさい、亡くなったお姉様の分まで強く生きるのです、お姉様もそう望んでいます。ですが、今だけは思う存分に泣きなさい。」
リィンの小さな肩が、小さく上下した。
初めて声を上げて泣いた。声を押し殺すこともせず、ただ膝に顔を埋めて、震えながら泣き続けた。
ルミナは何も言わなかった。
ただ、静かに少女の背中に手を置き、その震えが収まるまで待ち続けた。
暫くして、リィンは目を赤く腫れ、鼻の頭も赤くなりながら。泣き疲れ果てたか、眠りに落ちた。
孤児院での用を済ませ終えての別れ際、院の正門前にて、院長はルミナを見送る最中、自ら頭を下げて感謝のお礼を告げた。
「シスター・ルミナス。有難う御座います。」
「いいえ、私は1人の修道女として役目を果たしたに過ぎません。」
「それでもです、悲しみに満ち溢れたリィンを貴女の優しみで、少しでも救済があればの事、どうか教皇聖下にもお伝え下さい。」
「…優しみ、ですか。ええ、必ずやお伝え致します。__1つだけお教え願いませんでしょうか?リーネさんの亡くなった場所を教えてくれませんか?私、どうしても彼女の魂を安らかに眠らせたいのです。」
院長は少し躊躇った後、静かに口を開いた。
「……リーネさんが最後に姿を消したのは、風浴店『誘惑の猫』から雑貨屋へ向かう途中の、東側の路地です。通称『霧溜まり』と呼ばれている場所でして。あそこは周囲より一段低くなっていて、夜になると特に深い霧が溜まりやすい。……遺体は、その路地の行き止まり近くで発見されました。」
「詳細な位置を、教えていただけますか。」
院長は紙と鉛筆を取り出し、簡単な地図を描いた。 孤児院から東へ三本筋を渡り、古い水車小屋の跡を右に折れた先の行き止まり。そこに×印が付けられている。
「ここです。ですが夜は決して1人で近づかないでください。巡回の衛兵も、霧が濃い夜は近寄らないそうです。」
ルミナは地図を丁寧に受け取り、聖書の間に挟んだ。
「承知いたしました。ご協力、感謝いたします。」
修道女としての柔らかな微笑みを残し、ルミナは孤児院を後にした。門を出た瞬間、表情から温かみが消える。翡翠色の瞳が冷たく細められた。
「……アリッサ。」
物陰からすっと現れたアリッサが、深々と頭を下げる。
「はいっ。」
「此処から先は私1人で向かうから、貴女は先に馬車で屋敷に帰って頂戴。」
「し、しかしお嬢様!幾ら貧民街に向かわれるとは言え、流石にお一人での行動はお止めになった方が__」
「アリッサ。」
ルミナは威圧的な呼び掛けをすると、アリッサは条件反射で身を硬直させて返事を返す。
「は、はいっ!」
「私の言い方が足りなかったわね、此処から先は危険な目に遭うから、貴女は先に馬車で屋敷に帰って頂戴。」
「で、ですがお嬢様__」
「1人で良いわ、それに流石の殺人鬼も、神の使いである修道女を相手に仕掛けては来ないから、兎に角、貴女は先に帰りなさい、良いわね。」
そう言うとルミナはアリッサを置いて単身、貧民街の方へと向かったのだった。
*
修道女の姿のルミナは単身、貧民街の東区画へと足を踏み入れた。
石畳は欠け、壁面には煤と汚れがこびりついている。道行く人々の視線は低く、警戒と諦めが混じっていた。風浴店の灯りが点々と灯り始め、夜の気配が徐々に濃くなっていく。
院長が記した地図を頼りに、古い水車小屋の跡を右へ折れる。道は一段と狭くなり、周囲より明らかに低くなっている。通称『霧溜まり』。
すでに薄らと白い靄が立ち始め、足元の視界が霞み始めていた。
ルミナは立ち止まり、聖書を胸に抱えたまま周囲を観察した。
行き止まりの壁。左側には崩れかけた木造の物置。右側は高く積み上げられた廃材。地面には、複数の足跡が泥に残っている。その中に、血の染みが薄く広がっていた跡がある。すでに雨でほとんど流されているが、完全には消えていなかった。
「……ここで、リーネは殺されたのですね。」
小さく呟く。声に感情は乗せていない。だが、翡翠色の瞳は冷たく細められていた。
行き止まりの壁には幾つもの花束が置かれてあった。恐らく、リーネと親しい関係の娼婦の誰かか或いは友人の誰かが、殺された彼女の為に置いたのだろう。
「お話の通りに、本当に妹思いの方だったのですのね。」
此処に来るついでに、リーネとリィンが住んでいた自宅の近所に住んでいた住民の聞き込みによれば、リーネは娼婦になったとは言え、本当に妹思いの姉だったと。
霧溜まりの行き止まりで、ルミナは暫く動かなかった。
聖書を胸に抱えたまま、足元の血痕跡と、壁に供えられた花束を交互に見つめる。花はすでに萎れかけているが、比較的新しいものが混じっていた。昨夜か、一昨日辺りに誰かが供えられたものだろう。
「……妹思いの姉が、誕生日のぬいぐるみを抱えたまま殺された。」
小さく呟く声は、修道女のものではなく、極悪令嬢のそれだった。
彼女は跪き、血の染みが残る石畳に指先を這わせた。湿った土と古い血の匂い。そして――微かに、だが確かに、魔力の残滓が肌に触れる。
「……やはり、ただの刺殺ではない。」
指先に残った感覚を確かめるように、ルミナは目を細めた。吸魔の痕跡。傷口から生命力と魔力を同時に引き抜いた痕跡が、微弱ながらも残っている。普通の刃物では絶対に残らない感触だ。
「宝具……しかも、かなり質の悪いものね。」
立ち上がると、ルミナは聖書を胸に抱き抱えながら目を瞑り、自分が犯人の立場になって考察を始めた。
{先ずはどうやってリーネを殺害したか?壁の返り血の量からして、恐らくはこう言った系列でしょう}
ルミナは考察した犯人の殺害手順と、リーネの行動を頭の中で順序に浮かび描き出していく。
{手順は最初から、リーネが殺された日付は妹の誕生日、その日、リーネは仕事帰りに雑貨屋でぬいぐるみを買ってから、妹の待つ貧民街の自宅へと帰ろうとした矢先に、何処からか霧が現れ、視界が見えなくなる程にリーネは彷徨った矢先に『深霧の殺人鬼』と遭遇し、直ぐ様に逃げた。}
そもそもリィンと、殺されたリーネの姉妹は近所の住民の証言によれば、この区域に住んでいた。区域の道筋に慣れているリーネが普通に迷うのかと、ルミナは目を開き、空を見上げながら途端、思った。季節はまだ春の夕暮れを見てだ。
{そもそもですわ、こんな季節の天候の中に『霧』など起きる筈がありませんこと、だとしたら…。自然的な発生ではない。恐らくこの『霧』は__}
「『魔法』による、発生__」
リーネの殺人現場を後にしながら、ルミナは貧民街を1人で歩きながら、魔法の正体を頭の中で整理して探っていく。
{霧に関する魔法となれば『水属性魔法』の中で『4種類』。攻撃系が1つ、強化系が1つ、そして補助系が2つ。}
最初に攻撃系魔法。周囲に毒の霧を発生させ敵味方問わずに毒を負わせる『毒霧』。
次に強化系魔法。発動者の肉体を霧と一体化し、敵の物理攻撃を無効化させる事が出来る防御強化の『霧化体』。
最後に補助系魔法が2種類。
1つは癒しの水を霧化させ、味方全体の怪我を治療させる回復魔法の『回復霧』。
そしてもう1つは。空間全体に霧を発生させ、全体の視界を見えなくさせる事が出来る空間補助魔法の『深霧』。
以上が霧に関する水属性魔法が4種類。
{殺人鬼が今まで殺した5人の娼婦は全てが『刺殺』。聖下の話の元、体内に毒、回復魔法の痕跡は聞かされていないとなれば『毒霧』と『回復霧』は除外。殺人鬼が使用する魔法は恐らく『深霧』と『霧化体』の2つ。}
ルミナは貧民街の細い路地を歩きながら、頭の中で推理を続けていた。
{『深霧』と『霧化体』……。この2つの魔法を組み合わせれば、視界を奪い、物理攻撃を無効化しながら接近できる。背後から心臓を狙い、同時に宝具で魔力を抜き取る。――完璧な狩りの手順ね。}
夕暮れの陽が沈み始め、街の空気が湿り気を帯びてきた。まだ霧は出ていない。だが、この区域の窪地では、夜になれば自然と湿気が溜まる。そこに魔法で『深霧』を重ねれば、視界は完全に閉ざされる。
「……自然の霧を利用しつつ、魔法で増幅させている。」
小さく呟くと、ルミナは聖書を胸に抱き直した。修道女の姿のままではあるが、その目はすでに極悪令嬢のものだった。
「だとすれば、残りの問題は宝具の正体と、どう言う形での殺害したか、ですわね。」
ルミナは考える、恐らくリーネは妹のプレゼントを抱えながら、殺人鬼に追われ、あの行き止まりで逃げ場を失い、リーネは殺人鬼に宝具で殺されたと同時に壁に叩き付けられた。
{宝具の正体は恐らく刃物系、しかし剣や槍の場合では心の臓を狙う際に、成人女性の肋骨を貫かなければならないお力で__ん?}
その時、ルミナは突然と足を止める。
何時の間にか陽は沈み始める時間帯にてなっていた。貧民街の明るみは夜闇に染まり、ルミナの影を包み飲み込まれていく。
そして陽が完全に沈み、貧民街全体を急速に闇に沈んでいった。
石畳の湿り気が強くなり、空気が粘つくように重くなる。ルミナは聖書を胸に抱えたまま動かなかった。
「……霧?」
小さく呟いた声は、修道女のものではなかった。
路地の細道辺りから溢れ出てきたのか、足元から白い靄が立ち上り始める。最初は薄く、石畳の隙間から滲み出す程度。だが、数呼吸のうちに急速に濃くなり、視界を奪い始めた。自然の湿気を核に、人工的な『深霧』が重ねられている。
ルミナは目を細めて、溜息を吐いた。
{よもや、こうなる事になるとは思いも致しませんでしたわ、まさか6人目の被害者と言うのが、私自身とは。}
ルミナの斜め後ろの上の濃い霧の中から、両腕の形へとなり、両手の形が生成すると同時に握り持った大鎌だけを出現させると。後ろ姿のルミナを殺害しようと、一撃で大鎌を振り下ろされるのだった。




