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極悪令嬢ルミナ・ヴィクトリアは許さない。  作者: 二代目菊池寛


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3/12

着せられた冤罪!極悪令嬢は夜闇を舞う。{前編}

昼時のルナジェント王国、西にある高級住宅街のとある貴族の屋敷邸。


ボコッ!!


振り下ろされた一撃が男の頭に食らい、床に倒れそのまま死に絶える、頭から流れる多量の血液が溢れ、床に敷かれた高級絨毯が汚れていく。


「はあっ……はあっ……。」


死んだ男の向かいには1人の令嬢の影、女は自ら殺害した男を見下ろし、息を荒れさせながら言った。


「あ、貴方が、悪いのよ!私を捨てて、別の女と婚約した貴方が!!」


だが、殺害したのは良いがこれからどうする、もし誰かがこの部屋に来て自分が彼を殺害したと知れば、家名を汚すだけならまだしも、自分も只では済まない、最悪、投獄される。


「……そうだわ。」


女はニヤリと笑いながら閃いた。


「あの女が、殺した事にすれば、何とかなるわ…。」


別の人間に冤罪を仕向ける1人の令嬢、これが事件の始まりだった。



*



翌日。時刻は昼時。

ヴィクトリア邸1階の食堂にて、この屋敷の令嬢であるルミナ・ヴィクトリアは、昼食後の静かなるティータイムを過ごしていた。


「……。」


ルミナは音も経たずに静かにティーカップの紅茶を啜り飲む。この紅茶を淹れたのは彼女の左隣に立つ側近メイドのアリッサ・レスト。


「……茶葉を変えたわね?新しく仕入れたのかしら?」


一口飲んだだけで新しい茶葉だと気付いたのか、彼女は震えながら本日の紅茶を伝える。 


「ほ、本日の紅茶は、新たに商会から仕入れたイエローローズティーです、甘みを少し引き出そうとシナモンを少量だけ足しました。い、如何ですか?お味の方は?」


「………そうね。」


緊張と共にアリッサは唾を飲み込む。


「はっきり言って不味いわ。精々40点かしら?」


アリッサの顔が一瞬で蒼白になった。

「よ、40点……!?す、すみませんお嬢様!すぐに新しい茶葉を――」


「いいえ、慌てる必要はないわ。」


ルミナはカップを置き、静かに手を振った。


「茶葉自体は悪くは無い。ただ、シナモンの方が強すぎるの、甘みを引き出したいなら、もっと控えめにすべきよ。それと、お湯の温度が高すぎる。イエローローズは繊細な茶葉ですから。」


「は、はい……!」


「次は改善しなさいアリッサ。私は『極悪』でも、味覚までは極悪ではないのよ。」


そう言いながら、ルミナはカップを口に運んだ。


不味いと言いつつも、残りの紅茶を丁寧に飲み干す。アリッサはそれを見て、少しだけ肩の力を抜いた。


その時だった。


「し、失礼します!!」


突然と1人のメイドが慌てて食堂に駆け付ける、やって来たのは当屋敷に仕えるメイドのエリー・テレンズ。普段の真面目そうな雰囲気は感じせずに逆に焦っていた。


「この私の静寂なるティータイムを遮らすとは、遮らせる程の重要な用件なのですわよね?」


「ひっ!も、申し訳有りませんお嬢様!!ですが、突然の緊急の知らせでして。」


「___申しなさい。」


「……さ、先程、お、お嬢様の御友人であらされるクライン家令嬢、エリーゼ様が殺人の容疑で逮捕されました!!」


「ええっ!?」


アリッサは驚く。


「何ですって?」


エリーゼ・クライン。

ヴィクトリア邸の近所の屋敷に暮らしている下級貴族クライン家令嬢、お互いが立場違いとは言え、ルミナの幼馴染で理解ある良き友人の1人、元気で明るく誰でも友好な優しいそのエリーゼは先週、中級貴族の令息との婚約したばかりだったのだ。


「……エリーゼが?」


ルミナの声は、いつになく低かった。

紅茶のカップが、微かに傾く。カップの縁に当たった紅茶が、わずかに波打つ。それだけで、アリッサは主の機嫌が静かに、しかし確実に悪化したことを悟った。


「詳細を教えなさい。」


「は、はい……!エリーゼ様のご婚約相手であった中級貴族、ルーズベルト家の当主候補、チャールズ・ルーズベルト様が、昨昼、自室で撲殺されたそうです。現場にはエリーゼ様の持ち物と思しき血の付いたハンカチが残されていたとか……。王国騎士団が今朝、クライン家に踏み込んで、そのまま逮捕したと……。」


「黄色いハンカチ。」


「物的証拠としては、いささか出来すぎていますわね。」


「お、お嬢様……?」


「アリッサ。今日の午後の予定は?」


「は、はい。午後は確か、バートリー家にて各令嬢達との茶会の予定でしたが?」


ルミナは席から立ち上がり、扇子をアリッサに向けて命じた。


「午後の予定はキャンセル、直ぐに馬車の用意をなさい、エリーゼの面会に行くわよ。」


「お嬢様、は、はいっ!直ぐに準備致します!」



*



馬車は西の高級住宅街を抜け、王都中央部にある王国騎士団本部へと向かっていた。


車内でルミナは窓の外を見つめながら、扇子を静かに開閉していた。向かいに座るアリッサは、主の沈黙に耐えきれず、恐る恐る口を開く。


「お、お嬢様……エリーゼ様は、本当に無実なのでしょうか?」


「当然よ。」


即答だった。迷いも、疑念もなかった。


「エリーゼは、人を殺せるような器ではない。たとえ裏切られたとしても、泣いて訴えるのが精一杯。血の付いたハンカチを『証拠』として残すなど、彼女の性格からしてあり得ない。」


「では、誰かが……。」


「ええ。誰かが、彼女をはめている。」


ルミナの目が、わずかに細められる。


「しかも、かなり雑なやり方でね。黄色いハンカチ……エリーゼの愛用品は確かにあれだけど、彼女はあんなものを『殺人現場に残す』ほど馬鹿ではない。故意に目立つ証拠を置いた時点で、素人の仕業よ。」


馬車が騎士団本部の前に到着した。


門番が慌てて槍を構えるが、ルミナが扇子を軽く掲げただけで、顔が青ざめる。


「ヴィ、ヴィクトリア家の……!」


「エリーゼ・クラインの面会を申し込むわ。邪魔はさせないでちょうだい。」


「し、しかし現在、容疑者は取調中でして……。」


「取調中?」


ルミナが一歩前に出る。翡翠色の瞳が、門番を凍りつかせた。


「彼女は下級貴族の令嬢よ。しかも、まだ正式な起訴は疎か裁判もされていない。私という上級貴族が『友人として面会する』と言っているのに、門前払いをするつもりかしら?」


「い、いえ……!少々お待ちを!」


門番の1人が建物内に駆け込んだ。数分後、騎士団の制服を着た女性騎士が現れた。金髪をきっちりとまとめ、厳しい表情を浮かべている。


「……ルミナ。」


「ご機嫌よう、クレア。相も変わらずの疲れ気味な顔ね。」


クレア・フォンアルト。王国騎士団の若き女騎士隊長であり、ルミナの幼馴染の1人。そして、少し前に起きた『グレイモア邸事件』では『身代わり』をやらされた張本人でもある。


クレアは深いため息をつき、額を押さえながら言った。


「また勝手に動くつもり?今度こそ事前に連絡しろと言ったはずよ。」


「ええ、連絡したわ。たった今、ここでね。」


「……はぁ。」


クレアは諦めたように首を振った。


「門番から話は聞いているわ、入って。ただし私と一緒に。余計なことはしないでよね、貴女の悪い癖だから。」


「余計なことなどしませんわ。ただ、友人の無実を証明するだけですもの。」


取調室に通されたエリーゼ・クラインは、手足に軽い拘束を受け、椅子に座らされていた。明るい栗色の髪は乱れ、いつもの明るい笑顔は消え失せ、目には涙が残っていた。


ドアが開いた瞬間、彼女は顔を上げ、目を見開いた。


「ル、ルミナ……!?」


「ええ。来たわよ。」


ルミナは静かに椅子に腰を下ろし、扇子を閉じたままエリーゼを見つめる、エリーゼは今にでも泣き出しそうな表情をしながら、ルミナに跳びつき、ぎゅっと抱き締めると彼女さ泣き始める。


「うわあああん!ルミナ、ルミナぁ!!」


エリーゼは拘束されたままの体でルミナにすがりつき、声を上げて泣き出した。肩が小刻みに震え、ドレスの袖が涙で濡れていく。


ルミナは一瞬だけ目を細めた。それから、静かに片方の手を挙げ、エリーゼの背中を軽く撫でた。力は入れない。ただ、触れているという事実だけを伝えるように。


「……落ち着きなさい、エリーゼ。私はここにいるわ。」


声は何時ものように低い。だが、冷たくはなかった。エリーゼは暫く泣き続けた後、ようやく息を整え、顔を上げた。目は赤く腫れ、頰には涙の跡が残っている。


「私……私は、チャールズを殺していないの……!本当よ、ルミナ……!」


「知っていますわ。」


エリーゼの恋愛事情をルミナは何度も聞いてて知っている、普通の政略的な婚姻での関係ではなくお互いが惚れてのだ。毎回茶会で話し合う度に、甘々で可愛らしい表情をしながら、チャールズとのやり取りを話しまくったりする程だ。


「貴女が人を殺せる人間ではないことくらい、10年以上の付き合いで十分に分かっているわ。」


エリーゼの目から、また新しい涙がこぼれた。


「でも……現場には、私の黄色いハンカチが……血が付いて……。」


「それも知っている、確かそのハンカチは、チャールズの誕生日に貴女がプレゼントした代物よね?」


「ええ……彼が『黄色が好きだ』って言ったから。私が刺繍を入れて、名前も入れたの。『To Charles, from Elise』って……。」


ルミナは扇子を軽く指で叩きながら、静かに目を細めた。


「つまり、そのハンカチは『エリーゼの持ち物』であると同時に、『チャールズの手元にあったもの』でもある。現場に残されていたとしても、それは彼が持っていた可能性が高い。」


「で、でも……騎士団の方は、血が付いていたから私の犯行だって……。」


「クレア、ハンカチの血の付き方は?」


ルミナはクレアの方を見た。クレアは腕を組み、ため息混じりに答える。


「ハンカチ全体に血が染み込んでいるわけではない。片端に、掌で強く押さえたような濃い血の跡がある。まるで……誰かが傷口を押さえた後に、わざと落としたように見える、と現場検証の報告にはあったわ。」


「つまり、犯行後に『証拠』として置かれた可能性が高い。」


ルミナはゆっくりと立ち上がった。拘束されたエリーゼの肩に、軽く手を置く。


「エリーゼ。貴女は今日、1日中どこにいたの?」


「朝は自宅でお母様と一緒に朝食を……その後、お昼にチャールズに会う約束があったから、午後1時頃にルーズベルト邸へ。でも彼は『予定で少し遅れるので先に部屋で待ってて』って『手紙』で。」


「手紙?」


ルミナの声が、わずかに鋭くなった。

エリーゼは小さく頷き、掠れた声で答える。


「ええ……朝、使用人が届けてくれたの。署名も、何時もの字だったから……疑わなかったわ。」


「その手紙は、今どこにあるの?」


「……騎士団の方に、押収されたと思う。私も逮捕されたときに持っていたから。」


ルミナはクレアの方を見た。


「見せなさい。」


クレアは一瞬だけ渋い顔をしたが、すぐに隣の机から封筒を取り出し、ルミナの前に差し出した。封印は既に解かれ、中の便箋も開かれていた。


ルミナはそれを受け取ると、扇子で軽く押さえながら内容を読み上げる。


『エリーゼへ。

本日の約束だが、予定で少し遅れるかもしれない。先に私の部屋で待っていてくれ。

――チャールズ・ルーズベルト』


「………。」


文字は確かに、チャールズのものに似ている。だが――


「……ふうん。」


ルミナは便箋を指でなぞり、光にかざした。


「インクの滲み方が、少し不自然ね。それに、筆圧が一定しすぎている。」


クレアが目を細めた。


「……確かに。現場検証でも『本人の筆跡に酷似しているが、専門家による鑑定が必要』と報告されていたわ。」


「鑑定など待っている暇はないわ。」


ルミナは便箋をテーブルに置き、ゆっくりとエリーゼの目を見た。


「エリーゼ。貴女がルーズベルト邸に到着したのは、何時?」


「1時少し前……確か1時10分前くらいかな?私1人で屋敷に入って、そのままチャールズの部屋に入ったら、チャールズが血塗れで倒れてたの…。」


ルミナは気付く、エリーゼの両腕が震えていた。愛しの婚約者が目の前で殺されたからのだ。


「私、一体何が起きたのか分からず仕舞いでどうしたら良いのかと思ったら、弟のニコラス様が現れて、私が殺したと…。」


「ニコラス?」


「ニコラス・ルーズベルト、殺されたチャールズの弟でルーズベルト家の次男。今回の事件の第1発見者だ。彼が使用人を使って私達騎士団を呼び出し彼女を逮捕させたんだ。」


「そのニコラスは?」


それからエリーゼの面会後、ルミナはクレアと共に隣の取調室の扉前に立つと、扉越しから若い男の怒鳴り声が響き聴こえた。


扉の窓からこっそりと室内を覗き込むと、取調担当の騎士が貴族風の茶髪の青年を取り調べていた。恐らく彼がニコラスだろうとルミナは察する。


「私は本当にこの目で見たんだ!エリーゼ嬢が兄上を殺害したのは間違い無い!彼女は血だらけのハンカチを持って、茫然と立ち尽くしていたんだぞ!」


ルミナは扉の小窓から、室内を静かに覗き込んだ。


茶髪の青年――ニコラス・ルーズベルトは、椅子に浅く腰掛け、机を強く叩いていた。年齢は二十前半といったところ。顔立ちは整っているが、目が落ち着かない。額には薄い汗が浮かび、指先が微かに震えていた。

クレアが低く囁く。


「……彼が第一発見者よ。使用人を呼び、騎士団を呼んだのも彼。証言は『部屋に入るとエリーゼが血の付いたハンカチを握りしめていた』というもの。」


「ふうん」


ルミナは扇子を軽く開閉した。


「クレア。彼の証言に矛盾はないの?」


「……あるわ。現場検証では、ハンカチは床に落ちていたと記録されている。彼は『握りしめていた』と言っている。」


「チャールズはどうやって殺害されたの?」


「『撲殺』よ、彼の部屋の棚の上に置かれた置物で頭を殴って殺害されたそうよ。撲殺された痕跡は頭部に集中しているが、室内に激しい争った形跡はほとんど無い。家具の乱れも無いし。そもそもエリーゼほどの体格の女性が、あの体格の男性を一方的に撲殺できるとは、現場の騎士たちも首を傾げている。」


「他には?」


ルミナは扉の小窓から視線を外し、静かに扇子を閉じた。


「そうね、丁度こちらの方は取調の最中だし、今からルーズベルトの屋敷に行くわよ。」



*



ルーズベルト邸は、王都西側の高級住宅街の中でも特に立派な造りだった。白く塗られた外壁に、鉄の柵が二重に巡らされ、門には獅子を象った紋章が誇らしげに掲げられている。


馬車が門前に止まるや否や、門番が槍を構えて駆け寄ってきた。


「な、何者だ!この時間に――」


「ヴィクトリア家ですわ。」


ルミナが扇子を軽く掲げただけで、門番の顔が一気に青ざめた。


「ヴィ、ヴィクトリア家の……!し、しかし本日は事件の関係で、部外者の立ち入りは――」


「部外者?」


ルミナは馬車から優雅に降り立ち、翡翠色の瞳で門番を見据えた。


「友人の婚約者を殺されたとなれば、事情聴取の対象にもなり得る立場ですわ。それとも、お宅の使用人は上級貴族の来訪を門前払いするつもりかしら?」


「い、いえ……!少々お待ちを!」


門番が慌てて屋敷内へ駆け込む。しばらくして、緊張した顔の使用人が出てきて、ルミナとクレア、そしてアリッサを中庭へと通した。


中庭には、既に何人かの騎士団員が立ち、現場検証の続きを行っている様子だった。血痕の残る絨毯が、屋外に広げられて干されている。


クレアが低く呟く。


「……昨夜の通り雨で、屋外の痕跡はほとんど消えているわ。室内の検証が全てよ。」


「ええ。」


ルミナは扇子を開き、口元を隠しながら周囲を見回した。


「それにしても、随分と慌ただしい。第一発見者である弟君は、まだ騎士団本部にいるのでしょう?」


「ええ。証言の食い違いを再確認している最中よ。」


その時だった。

屋敷の玄関から、甲高い声が響いた。


「一体何事ですの!また騎士団が勝手に――」


出てきたのは、50代半ばの上品な貴婦人だった。黒の喪服をまとい、顔には薄いヴェールをかけている。目元は赤く腫れていたが、その瞳には明らかに警戒の色が浮かんでいた。


クレアが一歩前に出る。


「ルーズベルト家の奥方様。こちらはヴィクトリア家の令嬢、ルミナ・ヴィクトリアです。事件の関係者として、事情をお伺いしたく参りました。」


貴婦人――ルーズベルト家当主夫人、ベアトリス・ルーズベルトは、ルミナの名を聞いた瞬間、わずかに目を見開いた。


「ヴィクトリア家……。あの『極悪令嬢』の……。」


「ええ、その極悪令嬢ですわ。」


ルミナは扇子を閉じ、静かに会釈した。


「ご愁傷様です。查尔斯様の件、お悔やみ申し上げます。ただ、無実の友人が逮捕されている以上、看過するわけには参りませんので。」


ベアトリスはヴェールの下でルミナを睨み、唇を噛んだ。


「……良いでしょう、お入りなさい。ただし、余計なことはなさらないでくださいませ。」


屋敷内に通されると、空気が重く沈んでいた。使用人たちは全員、表情を消し、壁際に控えている。廊下の床には、まだ血痕を拭き取った跡が薄く残っていた。


チャールズの私室は、2階の奥にあった。

ドアを開けると、既に騎士団によって荷物のほとんどが押収された後で、殺風景な部屋が広がっていた。床の中央に、大きな血痕が円を描くように残っている。棚の上には、割れた置物の破片がいくつか散らばっていた。

ルミナは部屋に入るなり、何も触れずに周囲を観察し始めた。


「クレア。凶器は?」


「すでに押収済みよ。大理石の置物。重さは約4キロ。頭部を三回以上殴打した痕跡がある。」


「争った形跡は?」


「ほとんどない。家具の乱れも最小限。被害者は座った状態で後ろから殴られた可能性が高い、というのが現場検証の見解よ。」


ルミナはゆっくりと血痕の周囲を回りながら、床を見た。


「……血の飛び方が、不自然ね。」


「え?」


「もし後ろから不意打ちで殴ったなら、血は前方に飛び散るはず。だが、この血痕は円を描くように広がっている。まるで……二度殺されてるわ。」


クレアが眉を寄せた。


「……確かに、報告にも『血痕の広がり方が不自然』とあったわ。ただ、確定までは至っていない。」


ルミナは次に、窓の方へ歩いた。窓枠に軽く指を這わせ、塵を確認する。


「窓は内側から鍵がかかっていた?」


「ああ、彼が殺害された日、窓は閉まって鍵も閉めてたそうだ。」


閉めた窓、出入り出来る扉は1つを見て、ルミナは考える、チャールズを殺害した犯人は顔見知りの可能性が高い。犯人候補で婚約者のエリーゼは兎も角、別の誰かがチャールズを殺害してエリーゼに罪を着せた。


ルミナは窓を少しだけ開け、外を覗いた。2階だが、すぐ下には屋根付きのテラスがあり、そこからさらに庭へと降りられる構造になっていた。


「……このテラス、昨夜は使用されていたかしら。」


その時、廊下から足音が近づいてきた。


扉が開き、茶髪の青年が入ってくる。ニコラス・ルーズベルトだった。取調を終えて騎士団本部から戻って来たらしい。顔は青白く、目の下に隈ができている。


彼はルミナを見た瞬間、露骨に表情を歪めた。


「……何だ、貴女は。ヴィクトリア家の令嬢だと聞いたが、こんなところに何の用だ。」


「友人の無実を証明しに参りましたわ。」


ルミナは扇子を軽く開き、ニコラスを観察した。額の汗、落ち着かない目、微かに震える指先。そして――右手の甲に、薄い擦り傷があることに気づいた。


「ニコラス様。1つ伺っても宜しいかしら。」


「何だ。」


「殺されたチャールズ様には、エリーゼ以外に婚約者とかはおりませんでしたか?」


ニコラスの表情が、一瞬だけ固まった。


すぐに作り笑いを貼り直すが、目が泳いでいるのが分かった。


「……何を言っている。兄上に他の女などいない。エリーゼ嬢以外に婚約者がいた事実など、全くない。」


「そう。では、右手の甲の傷は?」


ルミナが扇子の先端で、ニコラスの右手を指し示した。

青年は反射的に手を隠そうとし、そのまま動きを止めた。薄い擦り傷は、爪で抉られたような線状のものだった。新しい。昨夜か、今朝方についたものだ。


「……朝、剣術の訓練の最中に、庭で転んだだけだ。」


「……そうですか、もう良いですわ、此処での用も済み終えたところですし。アリッサ、屋敷に帰りますわよ。」


まるで全てを察し理解したのか、ニコラスの様子を見て、わざと見逃したのかルミナはチャールズの部屋を出て行く。


「えっ?お、お嬢様!?」


「お、おいっ!ルミナ!?」


後からアリッサとクレアが、ルミナの後を追い掛ける。アリッサは廊下を歩きながら隣を歩くルミナに問い出す。


「お嬢様、どうして突然と帰られるのですか?」


「あれは建前ですわ、本当に屋敷に帰る積りは有りませんわよ。」


「えっ、じゃあ何方へ向かわれるのですか?」


ルミナはクスリと微笑みながら、アリッサに行き先を告げた。


「騎士団本部の遺体保管庫よ、其処に、真犯人の手掛かりがありますわよ。」


次なる行き先は騎士団本部内の遺体保管庫、果たして、其処にチャールズ殺害の証拠はあるのか?

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