その令嬢、極悪なり。
イーファス大陸中央地方に位置するルナジェント王国、都市部の経済力と財政力は近隣諸国の中でも上位に君臨し、王都の朝は早く、常に活気に満ちていた。
その王都の外れ、下級貴族たちが暮らす高級住宅街の一角に、緑の屋根をした古風な屋敷がある。周囲の屋敷と比べると規模は控えめだが、庭の手入れは行き届き、門には翡翠色の百合を象った紋章が静かに輝いていた。
ここが上級貴族・ヴィクトリア家の本邸である。
数多くの宰相や王城官僚を輩出してきた名家でありながら、彼らは代々この土地を離れようとしない。理由は単純で、先祖代々この地に根を張ってきたから――ただそれだけだった。
屋敷奥、2階の書斎にて。
夜の帳が下りた頃、1人の令嬢が机に置かれた今日の朝刊を目に通す。
エメラルド色の瞳に、夜闇のような緑の髪。19歳にしては落ち着いた佇まいだが、机の上の朝刊を広げて記事の内容を読み始める。
「……昨晩、グレイモア邸の地下にて行方不明になった聖堂教会管轄の孤児院の子供達を王国騎士団が見事に救出。連続誘拐犯でグレイモア家当主であるゴードン・グレイモアと以下雇われた傭兵達合計21名は逮捕。」
彼女、ヴィクトリア家令嬢であるルミナ・ヴィクトリアはクスリと微笑みながら、昨晩の自分の活躍をちゃんと記事に載っていない様に目に通していく。
「流石は王国騎士団、クレアには申し訳有りませんが、また何時もながらに私の身代わりとして利用させて貰いましたわ。」
「失礼致します、お嬢様、書斎に居られたのですね。」
書斎に1人のメイドが入って来た。アリッサ・レスト、15歳、ルミナに仕えるメイドで当屋敷の使用人の1人、どうやら彼女は主であるルミナを探していた様だ。
「ええ、朝の新聞を目に通してたところよ。」
振り向かずにルミナは新聞に目を通すと、アリッサはルミナのグレイモア邸での事件の真相を褒めまくる
「いや〜流石はルミナお嬢様です、表向きは騎士団がご活躍をしていますが、本当はお嬢様が自らがやったことなのに__」
「アリッサ。」
「は、はいっ!」
ルミナの威圧の籠もった呼び掛けで遮られ、アリッサは条件反射で身をビシッとしてから返事する。
「世間では私がどう言うお立場の人間なのか、貴女も存じてるでしょう?なら、私が何て呼ばれてるのか、嘘偽り無く正直に答えなさい。」
「………。」
沈黙と共に、固まった表情から真剣な表情へと変化するアリッサは正直にルミナの立場を告げる。
「ル、ルミナお嬢様は、極端我儘で他者を情けなく見下し罵倒戯言を言い放ち、貴族以外全ての人間全てを虫けら扱いすると言われ、世間ではお嬢様の事を『ヴィクトリア家の極悪令嬢』と呼び恐れられています。」
「宜しい。」
ルミナは新聞を静かに閉じ、ゆっくりと椅子の背もたれに体を預けた。
エメラルドグリーンの瞳が、窓の外の夜闇を一瞥する。月光が庭の翡翠色の百合紋章を淡く照らしていた。
「……極悪令嬢、ね。」
口の端に、嘲るような、あるいはどこか楽しげな笑みが浮かぶ。
「実に悪くない響きですわね。少なくとも、庶民が私に近づきすぎないための、都合の良い看板ですもの。」
アリッサはまだ少し強張ったまま、恭しく頭を下げた。
「は、はい……ですが、お嬢様。騎士団のクレア様からは、今朝方にすでに連絡が……。」
「既に知っていますわ。『また勝手に動くな』と、何時ものように怒っているのでしょう?」
ルミナは机の引き出しから、小さな封筒を取り出した。封印は既に解かれている。中には、丁寧だが明らかに苛立ちの滲む文字が並んでいた。
『ルミナ。今度こそ事前に連絡をしなさい。地下に子供達がいたのは事実だが、屋敷の半分を崩されては騎士団の体面が保たないわ。次からは必ず私を巻き込め。――クレア』
「ふふ……相変わらず堅物ですこと。」
封筒を軽く机に置き、ルミナは立ち上がった。窓辺に歩み寄り、夜風を浴びる。
「しかし、おかげで子供たちは全員無事に保護された。薬物の痕跡もきちんと証拠として残っている。私の役割は、それだけで十分ですわ。」
アリッサが恐る恐る口を開く。
「あの、お嬢様……本当に、それでよろしいのですか?表向きはいつも『極悪』と恐れられ、裏では誰も知らないまま……。」
ルミナは振り返らなかった。ただ、静かに答える。
「アリッサ、貴女が『極悪令嬢』と呼んだその私は、守るべき者を傷つけた者には相応の報いを与える。権力を笠に着て弱者を踏みにじる者は、その権力ごと叩き潰す。そして――ヴィクトリアの名を侮辱する者は、何者であろうとこの世から消す。」
静かな声だった。しかし、その一言一言に、昨夜の屋敷で響いたのと同じ、凍てつくような意志が宿っていた。
「世間が私をどう呼ぼうが構いません。むしろ、逆に都合が良い。近づいてくる馬鹿者は減るし、本気で私を潰そうとする輩は、必ず表に出て来ますこと。」
アリッサは息を呑んだ。主の背中が、月光の中でいつもより少し大きく見えた。
ルミナは窓から視線を外し、静かに振り返る。
「さて。明日は王都の南区に用事があるわ。例の孤児院の跡地を、少しばかり『視察』してくる予定よ。」
「は……はい。では、馬車の手配を致します!」
「いいえ。徒歩で十分。目立たない方がいい」
そう言いながら、ルミナは机の上の扇子を手に取った。昨夜と同じ、翡翠色の百合が描かれた扇。袖の内側では、黒い金属の籠手が微かに光を反射している。
「極悪令嬢が街を歩けば、庶民は道を空ける。騎士団は遠巻きに監視する。そして――本当に汚い手を使う者だけが、近づいてくる。」
薄く微笑んだ。
「都合が良いでしょう? アリッサ」
「……はい、お嬢様。」
メイドは深く頭を下げた。主の微笑みが、優しさなのか、それとも獲物を狙う獣のそれなのか、もはや彼女にも分からなかった。
ヴィクトリア家の本邸では、今日もまた、1人の『極悪令嬢』が、次の標的を静かに見据えていた。




