第4話 偽りの英雄をたたえる祝賀会
第4話 偽りの英雄をたたえる祝賀会
街道食堂の屋根から雨漏りが始まったのは、三日続いた雨の二日目だった。レオンが厨房で豆と鶏肉の煮込みを作っていると、天井から落ちた雫が小麦粉の袋へ入りそうになったため、慌てて木桶を置いた。窓際ではシルフィが洗った布巾を椅子の背へ干し、バルドは穴の開いた屋根を見上げながら冷めた麦茶を飲んでいた。
「屋根を直すなら、銀貨三十枚は必要だな」
「そんな金はない。桶を増やせばいい」
「食堂中が桶だらけになりますよ」
「転ばない客だけ入れればいいだろう」
バルドが真顔で答えたところへ、店の前で馬車が止まった。入ってきたのは青い外套をまとった若い男性で、胸元にはルミナス王家の紋章がある。彼は濡れた髪を布で拭き、煮込みの匂いを吸い込むと、空いている席へ座った。
「私は第一王女エレノア殿下の侍従、ルイスと申します。この店の料理人、レオン殿にお願いがあって参りました」
「料理を出してからでもいいですか。鍋が焦げますので」
「もちろんです。実は朝から何も食べておりません」
レオンは鶏肉の煮込みと焼きたての丸パンを出した。ルイスは最初こそ背筋を伸ばして食べていたが、二口目から匙を動かす速度が上がった。シルフィが隣の席から見つめていると、彼は最後のパンで器の汁まで拭った。
「王宮では、皿をパンで拭いてはいけないことになっています」
「ここは王宮ではない。残すなら、私が食べる」
「シルフィ、客の皿を狙うな」
食事を終えたルイスは、五日後に王宮で開かれる祝賀会について説明した。辺境の食文化を紹介するため、評判になっている料理人を招きたいという。レオンは依頼書を受け取ったが、主賓の名前を見たところで指を止めた。
「黄金の聖剣をたたえる祝賀会ですか」
「はい。絶望の回廊第三層を攻略した功績により、ジーク殿が救国の英雄に任命されます」
「彼らは第三層へ到達していません」
ルイスの表情が変わった。レオンは食堂を訪れた荷物持ちから、第一層の罠で負傷者を出し、第二層で撤退したと聞いている。ルイスは手帳を開き、一言ずつ書き留めた。
「その件は殿下へ報告します。それでも料理の依頼を受けていただけませんか」
「王都へ戻れば、面倒なことになりそうです」
「屋根の穴が増えるほうが面倒だぞ」
バルドは床へ落ちた雫を長靴で避けた。王宮が提示した報酬は銀貨五十枚で、屋根を修理しても新しい鍋を買える。レオンは湿り始めた小麦粉の袋を見てから、依頼書へ署名した。
「私も行く」
「給仕の仕事ができるのか」
「器なら百枚でも運べる」
「まず、この一枚を厨房まで運んでみろ」
レオンが空の木皿を渡すと、シルフィは片手に載せて歩きだした。途中で木桶につまずいたものの、皿だけは頭上へ掲げて守った。バルドは屋根より先に、床を直すべきかもしれないと呟いた。
五日後、レオンとシルフィは王宮の厨房に立っていた。レオンは白いシャツに濃茶色の前掛けを着け、シルフィは給仕用の黒い服と白いエプロンを身につけている。銀色の髪を結ぶ白いリボンが気に入らないらしく、シルフィは何度も後頭部へ手を伸ばしていた。
「きつい。角が出たら破れる」
「角を出すな。今日は人間として働く約束だ」
「誰かがお前を傷つけたら、その約束は終わりだ」
「料理人を傷つける者はいない。たぶん」
厨房には焼いた鹿肉、川魚の香草蒸し、茸のパイが並び、甘い菓子と香辛料の匂いが入り交じっていた。レオンは辺境風の鶏肉煮込みと、根菜を包んだ平焼きパンを用意した。派手な料理ではなかったが、味見をした宮廷料理長は無言でもう一切れ口へ入れた。
祝賀会が始まると、大広間は金色の燭台と白い花で飾られた。貴族たちは宝石のついた衣装をまとい、楽団の演奏を聞きながら果実酒を飲んでいる。正面の壇上には黄金の鎧を着たジークと、真珠色の聖女服をまとったマリアが並んでいた。
「ジーク・フォン・ゴールドは、絶望の回廊第三層を制圧した!」
ガイウス伯爵は赤い礼服の腹を張り、大広間へ響く声で告げた。さらにジークが魔王軍の幹部を一騎打ちで討ち取ったと発表する。会場から拍手が起こるなか、給仕をしていたシルフィは盆の上の杯を強く握った。
「嘘ばかりだ」
「今は仕事中だ。杯を割るな」
「あとで割る」
「あとでも駄目だ。弁償する金はない」
レオンが小声で注意していると、壇上を下りたジークがこちらへ歩いてきた。彼はレオンの前で立ち止まり、周囲の貴族へ聞こえるように笑った。マリアも薔薇の香油を漂わせながら、その隣へ並んだ。
「やはり戻ってきたか。俺たちの活躍を聞いて、追放を取り消してほしくなったのだろう」
「料理の依頼を受けただけだ」
「言い訳は見苦しいぞ。厨房で働けば、英雄のそばにいられると考えたのか」
「レオンは食堂で働いている。毎日、客が来る」
シルフィが口を挟むと、マリアは彼女の黒い給仕服を見て鼻で笑った。盆に載っていた平焼きパンを一つ取り、端を少しかじると皿へ戻す。レオンが作ったものだと知らず、田舎臭い味だと評した。
「使用人同士でかばい合っているのですね。レオン、招待客に近づいてはいけません。料理を運び終えたら厨房へ戻りなさい」
「俺はあなたの使用人ではない」
「以前は私の衣装を洗っていたでしょう」
「洗わなければ、一週間同じ服を着ていたからだ」
近くにいた貴族が笑いを漏らし、マリアの頬が赤くなった。そのとき、厨房へ続く扉のそばで大きな音がした。熱いスープの入った銀鍋を運んでいた若い給仕が、床へ落ちた葡萄を踏んで転んだのだ。
熱湯が給仕の左腕へかかり、白い袖が肌へ張りついた。少女は床へ座り込み、腕を押さえて息を詰めている。周囲の給仕たちは水を運ぼうとしたが、給仕長は聖女がいることを思い出し、マリアへ駆け寄った。
「聖女様、どうか治療をお願いいたします」
「今は祝賀会の最中です。軽傷の平民一人に、貴重な魔力は使えません」
「ですが、皮膚が焼けています」
「厨房へ運びなさい。軟膏でも塗れば治るでしょう」
マリアは給仕の腕を一度見ただけで、汚れを避けるように聖女服の裾を持ち上げた。ジークも、せっかくの式を騒がせるなと給仕長を叱った。少女の袖から湯気が上がり、煮込み料理の匂いに焦げた布の臭いが混じった。
「シルフィ、水と清潔な布を持ってきてくれ」
レオンは少女のそばへ膝をつき、張りついた袖を短剣で切った。シルフィが運んだ水で腕を冷やし、火傷へ右手を当てる。少女の傷を包んだ淡い光がレオンの腕へ流れ込み、赤くただれていた皮膚が少しずつ元へ戻った。
「もう大丈夫だ。今夜は腕を使わず、明日、医者にも診てもらえ」
「ありがとうございます。でも、あなたの腕が……」
給仕が指さした先で、レオンの右腕に同じ火傷が浮かんでいた。レオンは用意していた軟膏を自分へ塗り、白い布を巻いた。痛みに指が震えたが、給仕が立ち上がれるのを確かめてから息を吐いた。
その一部始終を、エレノア王女が大広間の上段から見ていた。濃紺のドレスをまとった王女は、手にしていた葡萄酒を卓上へ置き、レオンの腕と治った給仕の腕を交互に見る。これまでマリアが奇跡を起こしたあと、必ずレオンが体調を崩していたという記録を思い出した。
「ルイス、彼について調べなさい。過去七年間、黄金の聖剣が治療したすべての記録も集めてください」
「聖女マリアではなく、料理人のレオンをですか」
「両方です。奇跡を起こした者と、その代償を支払った者が、別人だった可能性があります」
エレノアは傷ついた給仕へ自分の侍女を付き添わせた。壇上では楽団が再び演奏を始め、ガイウスが何事もなかったように英雄の功績を語っている。その拍手のなかで、王女だけはレオンの腕に巻かれた白い布から目を離さなかった。




