第9話 返してください――お前たちが捨てた相手に
第9話 返してください――お前たちが捨てた相手に
王家の裁判が開かれた朝、街道食堂では焼きたてのパンの匂いが広がっていた。レオンは白いシャツの袖を肘までまくり、煮込んだ豆を木箱へ詰めている。裁判は長引くかもしれないため、バルドが昼食として用意したものだが、シルフィはすでにパンを一つ食べ終えていた。
「それは昼飯だ」
「毒が入っていないか確かめた」
「自分で焼いたパンだろう」
「だからこそ、責任を持って確認した」
シルフィは深緑色のワンピースに、銀色の髪を結ぶ青いリボンをつけていた。背中の傷は塞がっていたが、レオンは念のため包帯と軟膏を背負い袋へ入れた。バルドは二人を見送りながら、今夜は屋根の修理代で買った新しい鍋を使うから、遅れず戻れと念を押した。
王城の裁判所には、貴族、神殿関係者、冒険者組合の職員、絶望の回廊から生還した兵士たちが集まっていた。石造りの法廷には朝の冷たい空気が残り、長椅子に座った者たちは上着の襟を合わせている。壁際にはレオンの帳簿、魔導記録晶石、偽造された任務報告書が証拠品として並べられていた。
ジークは金糸の入った衣装ではなく、飾りのない灰色の服を着せられていた。腰に聖剣はなく、侯爵家の紋章も外されている。隣のマリアも真珠色の聖女服を失い、薄茶色のワンピースを着て、自分の指先を何度もこすっていた。
「立ちなさい。判決を言い渡します」
エレノアの声が法廷へ響いた。病床の国王に代わり、王女が裁判長を務めている。ジークは立ち上がったものの、レオンの姿を見つけると、すぐに顔をそらした。
「ジーク・フォン・ゴールド。虚偽の戦果報告、任務報酬の横領、部下の遺棄、王国に災害をもたらした罪により、爵位、領地、英雄称号を剥奪します」
「お待ちください! 俺は侯爵家の嫡男です!」
「ゴールド侯爵家は、あなたの廃嫡を決定しました」
「父上が、そんなことをするはずがない!」
「侯爵から提出された廃嫡届がこちらにあります」
エレノアが書類を示すと、ジークの口が動かなくなった。ゴールド侯爵家は息子を守るのではなく、家名を残すことを選んだ。彼が所有していた屋敷、馬、宝石、豪華な衣装はすべて売却され、見捨てられた兵士と遺族への補償補償に充てられることになった。
「なお、それでも賠償額には足りません。あなたには北部鉱山での強制労働を命じます。労働に対する報酬は、完済まで被害者へ支払われます」
「鉱山だと? 俺に石を掘れというのか!」
「あなたが置き去りにした兵士の中には、鉱山労働者の息子もいました。その仕事を身分の低い者にしかできないものと考えるなら、自分で確かめなさい」
衛兵がジークの肩を押し、席へ戻した。彼は石床へ靴を滑らせ、長椅子の端へぶつかった。以前ならレオンが椅子を引いていたことを思い出したのか、こちらを見たが、レオンは帳簿の表紙についた汚れを布で拭いていた。
次にマリアが立たされた。彼女はエレノアへ訴えるように両手を組み、首元にあるはずの聖印を探した。しかし、そこには細い鎖の跡しか残っていなかった。
「マリア・レイヴン。加護の等級を偽り、治療の功績を横取りし、身分を理由に患者を見捨てた責任により、聖女の称号を剥奪します。大神殿からも永久追放とします」
「私はだまされていたのです。ガイウス伯爵が勝手に鑑定書を書き換えました」
「あなたは自分の治療で患者の傷が消えていないことを知りながら、奇跡を起こしたと発表し続けました」
「それは、レオンがきちんと支えなかったからです!」
法廷にいた者たちがマリアへ視線を向けた。彼女は自分が何を言ったのか気づき、慌てて口を押さえた。エレノアは表情を変えず、判決書の続きを読み上げた。
「牢へは入れません。あなたには辺境の診療所で働いてもらいます。床掃除、包帯の洗濯、食事の介助を行い、身分や寄付金にかかわらず、すべての患者へ仕えなさい」
「私に汚れた包帯を洗えというのですか?」
「あなたが七年間、レオンへ押しつけてきた仕事です」
「そんなことは、使用人がすればよいでしょう!」
「その言葉こそ、あなたが診療所で学ばなければならない理由です」
マリアは長椅子へ座り込み、茶色いスカートを握った。薔薇の香油を使っていない髪には艶がなく、何度も結び直した跡が残っている。彼女の隣では、ガイウス伯爵が赤い顔でエレノアを睨んでいた。
ガイウスの罪状は、他の二人よりはるかに多かった。軍費の横領、神殿への贈賄、魔晶石の密売、竜族領への侵略、偽の戦果報告、兵士の遺棄、王国へ災害を招いた国家反逆罪。王都と三つの領地に隠していた金貨、宝石、屋敷、商会の権利は、すべて没収された。
「没収した財産は、竜族の集落再建と、被害を受けた兵士及び遺族への補償に充てます。ガイウス・グランベルには、終身刑を言い渡します」
「私の財産だ! 竜族へ渡すなど許さん!」
「その財産は、彼らから奪った魔晶石で築いたものでしょう」
「陛下に会わせろ! 王女ごときに、私を裁く権利はない!」
「国王陛下も、この判決へ署名なさっています」
ガイウスは衛兵に両腕を押さえられ、法廷から連れ出された。胸を飾っていた勲章はすべて外され、歩くたびに重い鎖が石床をこする。最後まで謝罪の言葉はなく、廊下からも自分の財産を返せという声が聞こえていた。
裁判が終わると、傍聴人たちは昼食のため法廷を出ていった。窓の外ではパンや温かいスープを売る屋台が並び、湯気と焼いた肉の匂いが風に乗ってくる。レオンは食堂から持ってきた豆とパンを取り出し、シルフィへ半分渡そうとした。
「待て、レオン!」
鉱山へ送られるジークが衛兵を振り切り、レオンの前へ駆けてきた。灰色の服の膝を石床につき、両手でレオンの上着をつかむ。かつて一度も頭を下げなかった男が、周囲の目も構わず顔を上げた。
「もう一度、俺に力を貸してくれ。お前を副団長にしてやる。報酬だって、今度はきちんと払う!」
「爵位もパーティーも失ったお前が、どうやって俺を副団長にするんだ」
「すぐに取り戻せる! 聖剣が光れば、皆も俺を英雄だと認める!」
「まだ、自分がしたことを分かっていないんだな」
マリアもレオンの前へ走り、ジークの隣へひざまずいた。彼女はレオンの火傷が残る右手を両手で包もうとしたが、シルフィが間へ入って遮った。マリアは仕方なく自分の胸元で手を組んだ。
「レオン、私の治癒力を返してください。私たちは七年間も一緒にいた仲間でしょう?」
「仲間?」
「そうです。少し行き違いはありましたが、私たちは多くの困難を乗り越えました。あなたも私たちを必要としていたはずです」
「俺が毒を引き受けて倒れた夜、お前たちは何をしていた?」
「昔のことは覚えていません」
「俺が三日眠れずに見張った吹雪の夜は?」
「荷物持ちの仕事でしょう」
マリアの目から涙がこぼれたが、彼女が口にするのは自分が失った聖女服、暖かい部屋、神殿で出された菓子のことばかりだった。レオンの傷については一度も尋ねず、診療所で汚れた仕事をしたくないと訴え続ける。ジークも鉱山で自分の手が傷つくことだけを心配していた。
「仲間なら、俺の名前を一度くらい呼んだはずだ」
「今、呼んでいるでしょう!」
「力が必要になった今だけだ。お前たちは、ずっと俺を『荷物持ち』としか呼ばなかった」
二人は言葉を失った。七年間の記憶を探しても、戦いのあとにレオンへ礼を言った場面も、同じ食卓へ招いた日も見つからなかった。あったのは、冷えた残り物を食べるレオンへ次の仕事を命じた場面ばかりだった。
「力は返さない。あれは最初から、俺のものだ」
「それでは、私たちはどうなるのですか!」
「自分の力で生きればいい。俺がそうしたように」
レオンは二人の手を静かに外した。衛兵がジークとマリアを立たせ、それぞれ別の出口へ連れていく。二人は最後まで力を返してくれと叫んだが、レオンは振り返らなかった。
「俺の人生も、もう二度とお前たちには使わない」
城を出ると、シルフィはレオンからパンを受け取り、真ん中から大きく割った。自分のほうが少し大きかったため、黙って端をちぎってレオンの分へ足す。二人は噴水の縁へ並んで座り、豆を挟んだパンを食べてから、夕飯の新しい鍋が待つ食堂へ帰った。




