第10話 英雄を辞めた男の、満席の食堂
第10話 英雄を辞めた男の、満席の食堂
古代魔獣ベヒモスが王都を襲ってから、一年が過ぎた。ルミナス王国では、十五歳になった子供たちを加護の等級で振り分ける制度が廃止され、C級でも希望する学校や職業を選べるようになった。王都の学校では、剣術と魔法だけでなく、料理、農業、裁縫、荷物管理なども正式な学問として教えられている。
「低い等級の者へ教育を施しても、国の役には立たない」
古い制度を支持する貴族は、エレノアへそう訴えた。女王代理となった彼女は濃紺の仕事着をまとい、朝食の黒パンをかじりながら山積みの書類へ署名していた。机の端では冷めた紅茶に膜が張っていたが、彼女は顔を上げて貴族を見た。
「C級と判定された者が、王都を救いました。それ以上の答えが必要ですか?」
反論できる者はいなかった。加護は人の使い道を決める札ではなく、その人が持つ性質の一つにすぎないと法律へ記された。複雑な加護を正しく調べるため、古い神託晶石も新しい鑑定器へ交換された。
竜族との和平条約も結ばれた。王国は奪った土地を返還し、ガイウスから没収した財産で焼かれた集落と畑を再建した。シルフィの父である竜王は人間を簡単には信用しなかったが、娘がレオンの隣でパンを三つ食べる姿を見て、ひとまず交渉の席へ着くことを決めた。
「娘は昔から食べ物に弱い」
「私は食べ物ではなく、レオンを信じたのです」
「最初に会った日、スープで短剣を下ろしただろう」
「レオン、それは言わなくてよい」
北部鉱山では、ジークが粗末な作業着を着て石を運んでいた。朝は自分で藁の寝床を整え、固い黒パンと塩味の薄い豆のスープを列に並んで受け取る。剣を握っていた手には豆ができたが、治療も食事も他人が用意して当然だと言えば、同じ労働者から自分でやれと返された。
ジークの働いた賃金は、絶望の回廊で負傷した兵士たちへ送られていた。以前のように誰かが疲労を引き受けてくれることはなく、一日の終わりには腕も腰も動かなくなる。それでも翌朝になれば鐘が鳴り、ジークは自分の毛布を畳んで作業場へ向かわなければならなかった。
辺境の診療所では、マリアが冷たい水で包帯を洗っていた。薄茶色のワンピースの袖をまくり、血と薬の匂いが染みついた布を一枚ずつ石鹸でこする。最初は手が荒れると訴えていたが、診療所の老医師から、患者はもっと痛い思いをしていると言われて口を閉じた。
「この人の痛みを消してください」
熱を出した少年の母親が頼むと、マリアはB級《小治癒》を使った。しかし、傷を少し塞ぐことはできても、患者の苦痛を肩代わりすることはできない。彼女は初めて、レオンが自分の奇跡のためにどれほどの痛みを引き受けていたのかを知った。
「今の私には、これしかできません。冷たい布を替えて、夜もそばにいます」
マリアは椅子へ座り、少年の額に置いた布を取り替えた。その行いを聖女の奇跡と呼ぶ者はいなかったが、母親は小さく頭を下げた。マリアは返事をせず、洗い終えた包帯を窓辺の竿へ干した。
ガイウスは王都地下の牢へ収監され、その名は王国軍の名誉記録から抹消された。ただし、彼が犯した罪まで消されたわけではない。竜族への侵略と軍費横領の記録は国立図書館へ保管され、同じ過ちを繰り返さないため、軍学校の生徒たちが学ぶことになった。
一方、レオンのもとには、王城から毎月のように使者が訪れていた。騎士団総司令官、宮廷魔導師、王国顧問、侯爵位まで提示されたが、レオンはすべて断った。断るたび、使者へ焼きたてのパンとスープを出したため、最近では交渉より昼食を楽しみに来る者までいた。
「レオン殿、せめて王都に屋敷を持たれてはいかがでしょう」
「屋敷をもらっても、掃除する部屋が増えるだけです」
「使用人を雇えばよいのです」
「自分の靴下くらい、自分で洗います」
「では、名誉騎士の称号だけでも」
「その称号で、玉葱が安く買えますか?」
使者が答えられずにいると、バルドが厨房から笑い声を上げた。彼は冬になると古傷が痛むようになり、食堂をレオンへ譲って店の隅で客と話す暮らしを選んだ。仕事を辞めたはずなのに、毎朝誰よりも早く起き、味見と称して焼きたての腸詰めを食べている。
食堂には、新しい看板が掲げられた。銀白色の竜が大鍋を抱えた絵の下に、《銀竜亭》という店名が書かれている。シルフィは竜の姿をもっと美しく描くべきだと訴えたが、鍋を抱えているところは気に入っていた。
昼になると、銀竜亭の六つのテーブルはすべて埋まった。王国兵、農民、冒険者、竜族の商人が同じ卓を囲み、豆と鶏肉の煮込みを食べている。壁際には子供用の椅子が増え、窓辺には客が持ってきた赤い花が、空になった牛乳瓶へ挿されていた。
「シルフィ、三番卓へ鶏肉の煮込みを二つだ」
「分かった。五番卓へ三つだな」
「一つも合っていない」
「三番と五番は、形が似ている」
「似ていない。今、五番卓は空いている」
シルフィは白いブラウスに青いエプロンをつけ、両手へ料理を載せて店内を歩いた。途中で注文を忘れ、客のパンを一つ食べそうになったが、レオンに見つかって籠へ戻した。常連客たちは誰も怒らず、追加のパンを注文して笑った。
「店主、このスープを食べると体が軽くなるのだが、どんな魔法を使っている?」
「よく煮込んでいるだけです」
「俺の腰痛にも効くか?」
「魔法より、重い荷物を持つときの姿勢を直してください」
レオンは茶色い前掛けを締め直し、大鍋を木杓子でかき混ぜた。《万象循環》の力は、料理を通して客の体を穏やかに整えている。ただし、誰かの能力を無理に高めることも、苦痛をすべて肩代わりすることもなかった。
加護の等級を尋ねる客もいなかった。料理を作れる者は厨房へ入り、力のある者は小麦粉の袋を運び、計算が得意な者は会計を手伝った。それぞれができる仕事を選び、できないことは別の誰かへ頼んだ。
夕方、最後の煮込みが売り切れると、レオンは店の扉へ《本日終了》の札を掛けた。厨房には洗い終えて伏せた皿が並び、鉄鍋の底にはシルフィがパンで拭うための汁が少しだけ残っている。裏庭では白い布巾と二人のシャツが夕風に揺れていた。
「レオン、今日はパンを何個売った?」
「百二十八個だ」
「私が食べた分は?」
「七個だ」
「それは売った数へ入っているのか?」
「入っていない。給料から引いておく」
シルフィは口を尖らせながら、店先の長椅子へ座った。レオンも隣へ腰を下ろし、湯気の立つ麦茶を二人分置いた。街道には夕食を求める旅人が現れ、閉店の札を見て明日は何時に開くのかと尋ねている。
「本当に、英雄にならなくてよかったのですか?」
シルフィは麦茶の器を両手で包み、レオンの肩へ頭をもたせた。彼女には竜族の故郷へ帰り、王女として暮らす道もあった。それでも銀竜亭へ戻り、毎朝パンを焼いてレオンと生きることを選んだ。
「腹を空かせた客を満足させるだけで、俺は十分忙しいよ」
「では、私は英雄の妻にならず、食堂の妻になる」
「まだ結婚の話はしていない」
「今、私がした」
レオンが麦茶をむせると、シルフィは声を上げて笑った。店内からは、片づけを手伝っているバルドと常連客の話し声が聞こえる。窓から漏れる明かりの下には、閉店したと知りながら明日の席を予約しようとする客が、すでに三人並んでいた。
かつて荷物持ちと呼ばれた青年は、もう他人に押しつけられた荷物を背負ってはいなかった。それでもレオンの両手は、鍋を持ち、傷を治し、隣にいるシルフィの手を握るために使われている。彼が自分で選んだ食堂には、今夜も温かい料理の匂いと、人々の笑い声が満ちていた。




