切羽詰まったお願い事
キッチンまで招き入れて席に座らせると、ログは三人分のお茶の準備を始め、その間にカルメがグラスの中へ魔法を使って氷を出現させた。
コールがどれだけの時間、家の前でカルメたちを待っていたのかは分からない。
だが、初夏の日中に真っ黒で分厚い真冬用のコートを身に着けて立っているのは、かなり辛かっただろう。
最近ではサニーの前など場面によってはコートを脱いでいて、暑さへの耐性が低くなっていたから余計に。
コールの目線が表面に水滴を滴らせるいかにも冷たそうなグラスへ釘付けになった。
「コール、飲んで大丈夫だよ。暑かったんでしょ。お代わりだってたくさんあるから気にしないでたくさん飲んで」
「そうだぞ、熱中症になったらどうするんだ。あれは命に関わるんだからな。早く飲め」
二人に促され、コールが慎重にお茶を飲む。
絶対に目元が見えないように、見られないように。
一気に飲み干したいだろうが、ゆっくりと時間をかけて飲んだ。
この調子では、コートも決して脱がないのだろう。
「コール、ほら」
カルメが即席で作って手渡したのは冷房の魔法陣が描かれた紙きれだ。
魔力を込めればしばらくの間は冷気を放ち続ける。
「魔力は自分で補充しろよ」
コールは紙きれを受け取ると『ありがとうございます』とお礼を書いてから受け取り、さっそく魔法陣を使用した。
ヒヤリと体温を静める冷風にコールの口元が少し嬉しそうに緩む。
「で、単刀直入に聞くが、頼みってなんだ? 私は他人の魔法は制御できない。そういう魔法陣も作れなくはないかもしれないが、かなり時間がかかるぞ。何せ知識が無いからな。良くて半年、長くて一年ってところだ」
常に作動し続け、他者の魔法を制御するというのは非常に困難なことだ。
コールの仮面という前例がある辺り、不可能ではないのだろうが、それにはより高度で専門的な知識とコールの魔法に対する深い理解が必要になる。
そのどちらも一朝一夜では身につかず、さらに細かい魔法陣まで書き込むとなるとどれだけの月日がかかるか分からない。
コールの仮面に残された魔法陣を分析し、彼の魔法を研究し、それから読みかけの書物をいくつも読み解く。
そうすれば、魔法へのセンスが異様に高いカルメなら作れるかもしれない。
そのくらいの話だった。
『凄いですね。僕もそれくらい、凄い人だったら良かった』
「たいしたことじゃない。褒めても何も出ないぞ。それより、願いは何だ? 私に叶えられることか?」
『はい。僕をアリアーデまで連れて行ってください』
「アリアーデまで? どういうことだ?」
コールは元々、今住んでいる村の出身ではない。
アリアーデのその先、ずっと離れた場所にあるイルトーソ。
そこがコールの故郷であり、幼少期、彼が過ごした場所だった。
『イルトーソには僕の仮面を作ってくれた人がいます。その人はケイトさんの友達で、まだ工房で働いている人です。ケイトさんに手紙を書いてもらって、連絡も取れました。だから、僕はそこへ行ってもう一度仮面を作ってもらうんです』
「なるほどな。でも、アリアーデからイルトーソまではどうやって移動するんだ? 川さえ繋がっているなら送って行けるだろうけど」
あいにくカルメは付近の地理に明るくない。
これまでの野性味ある旅の経験上、思いつく手段も徒歩か船、あるいは行商人の馬車に乗せてもらうかのいずれかだ。
カルメの言葉にコールは首を横に振る。
『川は繋がっていませんし、イルトーソまでは遠いので仮に繋がっていても頼むつもりはありませんでした。イルトーソまでは汽車で行く予定です』
「汽車? 汽車って、あの汽車だよな。実在するのか?」
カルメは趣味でたくさんの本を読む。
そのため、汽車の知識自体はあったが実物を見たことは無く、物語の世界にしか存在しない乗り物だと思っていた。
「カルメさんは意図的にド田舎にしか滞在していませんでしたからね、知らないかもしれませんが都会には汽車があるんですよ。俺も乗ったことがあります」
「ログも!? 凄い!」
「今度一緒に乗りますか」
「うん!!」
瞳をキラキラと輝かせてコクコクと頷くカルメが可愛い。
ログはポフンと彼女の頭を撫でた。
仲睦まじく楽しげな二人を見ていると、コールはついサニーを思い出してしまう。
大切な人と一緒にいられるのが羨ましくて、少し寂しくなって、コールは視線を落とした。
どんよりとしたオーラを背負うコールにログが視線を向ける。
「ねえ、コール。コールがイルトーソまで汽車で向かうって話は分かったんだけれどさ、それってサニーは知ってるの?」
痛いところを突かれたのだろう。
コールは露骨に動揺すると体を跳ね上げ、太ももをテーブルの裏にぶつけた。
『サニーは関係ない』
迷ったペンが冷たい言葉を書く。
文字の上にログがそっと指差した。
「本当に、そう思うの?」
ゆっくり、心に問いかけるように言葉を出す。
コールは首を横に振った。
『関わらせちゃ駄目なんだ』
「そっか。なら、代わりにコールの魔法を知ることはできないかな?」
『僕の魔法?』
コールが意外そうな様子で首を傾げる。
その隣でログの意図に気が付いたカルメがハッとした表情になった。
「そうか! コールの魔法が何か分らなきゃ、万が一があった時にどうしようもなくなっちゃうもんな!」
『万が一? 何のことですか?』
コールはまだピンときていないようだ。
質問を重ねるコールに、カルメに代わってログが補足説明をした。
「俺もうろ覚えだけどさ、確かコール、自分で自分の魔法は危険だって言ってたよね。魔法を使う条件は言葉でさ。そしたら、とっさに声を出してしまうこともあるんじゃない? コールは最近まで普通に話をしていたんだから。もしも怖い魔法が声を出すだけで使えるなら、旅先のうっかりでコールは大きな事故を起こしてしまうかもしれない。その対策って何か考えた?」
問われて初めて、コールは大切な人以外のその他大勢にも危険が及ぶ可能性に気が付いた。
コールは驚きで顔を上げかけて、それから慌てて下を向きフードを引っ張る。
『考えてなかった。自分の魔法、危険だって分かってたはずなのに。僕は馬鹿だ』
情けないと自虐して、随分と委縮した様子で文字を書く。
コールはズンズンと落ち込んで行った。
「それだけ追い詰められてるってことだろ。それにごめん、コール。コールは隠しているみたいだけどさ、少し顔が見えた。クマも濃くて目も虚ろで、ハッキリ言って正常ではないよ。そんな状態のコールを一人で送り出すのは、俺は怖いな」
『アリアーデまで連れて行ってもらえないの?』
「そんなこと言ってないよ。コールは友達だし、協力したいと思ってる。ただ、今のコールには付添人が必要だと思う」
付添人と言う言葉にドギッと胸が鳴る。
今、一番聞きたくない人物の名を聞かせられるようで、コールは静かに怯えた。
だが、コールが耳を塞ぐ前にログが口を開く。
そうして出た人物の名前は思いもよらないものだった。
「俺とカルメさんがついていくよ。それが多分、一番安全だから」
『ログと、カルメさんが?』
酷く拍子抜けしたような、ホッとした気持ちで問いかける。
字には心が表れるようで、インクの乗りも非常に軽かった。
ログの隣でカルメが納得したように頷く。
「まあ、ログの言う通り私たちがついて行くのが妥当だろうな。本来ならサニーもいた方が良いんだろうけど、おい、そんなに怯えるな。コールの事情があるのは私たちだって察してるんだ。だから、サニーは連れてこないって言ってるだろ」
ビクッと跳ねて、椅子から転げ落ちそうになるコールの腕をカルメが掴んで落ち着かせる。
そのまま圧をかけると、コールは目を見られぬように身を引きながらもコクコクと頷いた。
コールが落ち着いたのを見てカルメは満足そうに彼から手を放し、自分の席に座り直す。
「実際、どこまで力になれるかは分からない。でも、コールの魔法次第では私がお前を抑えてやれるかもしれないし、ログはコールと仲良しだから気持ちを落ち着かせてやれると思う。一人で行くより随分マシだろ。あてがあっても無くても、旅って怖いもんな」
自然と組まれた腕が少々偉そうだ。
カルメの態度は横柄だったがコールの心に寄り添うような思いやりも感じられて、彼はコクリと頷いた。
『本当は、すごく不安だったんです。でも、僕の問題だから僕が何とかしなきゃって。一人で解決しなきゃ、サニーの隣に立つ資格はないって思ったんです』
「別にいいだろ、最終的に何とかなればいいんだから。大体、アリアーデに行くのだって人を頼らなきゃいけないんだ。多少なりともコミュニケーションをとって、色々手伝って、気遣って、行商人についていく。それが普通だ。でも、今のお前じゃそういうのができないから行商人じゃなくて私の所に来たんだろ。今更なこと言うなよ」
淡々と出すカルメの言葉は確かに正論なのかもしれないが、弱った人間には少々厳しい。
ズンと落ち込むコールの肩をログがポンと叩いた。
「カルメさんは一人で何でもできちゃう人だけど、でも、それを強さとは捉えない人なんだ。困った時に誰かに助けてって言える人が本当に強い人で、凄い人なんだって。だからコール、強くなったんじゃない? 今はもう一人じゃなくて、自分の意地よりサニーとの未来を考えて行動できてるんだから。ね、カルメさん」
カルメに目配せをすると彼女は気恥ずかしそうに目を逸らした。
「ま、まあ、そうなんじゃないか。一人より二人の方がいいし。意地なんて張っても仕方ないし。でも、言っとくけどログもだからな! 私だって迷惑かけたけど、ログだって一人で無茶するんだから。むしろコールを見習えよ」
思わぬ飛び火にログが目を丸くする。
だが、あっさり「はい、カルメさん」と笑うとカルメは胡散臭そうにログを見返した。
「絶対分かってない」
「分かってますって」
「分かってる人は無茶して風邪をひかないし、ストレスを溜めて私を襲わないんだ」
「わ! カルメさん、まだ根に持ってたんですか!? やめてくださいよ、その話は!」
ログが慌てているのがおかしくて、カルメがクスクスと笑う。
先程までに比べれば随分と場も和んで、コールはつい「ふふっ」と楽しそうな笑い声を溢した。
だが、コールは少し遅れて自分が声を発してしまったことに気が付くと急いで口を塞いだ。
カルメが訝しげな表情で、ログが驚いたような表情でコールを見る。
バキリと凍った空気がコールのトラウマを刺激した。
コールは片手で口を押さえたまま震える手で『ごめんなさい』と文字を書くと二人に差し出した。
カルメは緊張を解かず、静かに辺りを見回す。
しかし、自分にも、あるいはログやコールにも目立った変化は起こっていない。
室内の物が壊れているということも、窓の外にある木々が枯れているということもなさそうだ。
カルメはひとまず安心すると、フーッと息を吐き出した。
「大丈夫だ。でも、魔法はどうなったんだ? 何も起こってないみたいだが」
『魔法は使えてないです。僕の願いとは関係ない、ただの声だっただから』
「願いか。なあ、コール、私たちはお前の敵じゃない。お前は自分のことを化け物だと思っているかもしれないが、それはある意味、私だって同じだ。魔法の力が大きいせいで村中から迫害を受けたこともある。拒絶される苦しさを知ってる私や、それを受け入れたログがお前を否定することはあり得ないんだ。だから、ちゃんと教えてくれ。何かあってもコールと周りを守れるように」
カルメの声は真剣で真直ぐだ。
自分が過去に辛い思いをしていて、誰よりも臆病で攻撃的だったからこそコールに正しく同情してやれる。
元々、コールだって二人に協力を仰ぐ以上、魔法の話はしなければならないと思っていた。
少し怖いが、コールだって二人のことは友達だと思っていて多少なりとも信頼がある。
それに、サニーへ話すほどの恐怖じゃない。
だから、コールは魔法の内容を紙面に書きだし始めた。
しかし、唐突に鳴ったドンドンドンという大きなノック音が彼のペン先に水を差す。
「おい、ここはキッチンだぞ。それなのにこんなデカイ音が響いてくるなんて、いったいどこの馬鹿が玄関を叩いてるんだ」
不機嫌な様子でカルメが席を立つ。
次いでコールが立ち上がりかけたが、ログがそれを制した。
「大丈夫だよ、コール。こんな状況でカルメさんは他人を招き入れない。追い返すつもりだと思うよ」
『でも、それは申し訳ないから僕が出直すよ』
「そんなことをする必要はないよ。俺もカルメさんも優先順位くらいつけられるからさ。だから、ほら、座って。ここで待っていよう」
ログに再度促され、コールが申し訳なさそうに椅子に座る。
しかし、五分、十分と経ってもカルメは戻ってこない。
おまけに何か言い争うような声まで聞こえて、不信に思ったログが席を立った。
「ごめん、コール。何か嫌な予感がするからさ、俺、ちょっと様子を見てくるよ」
怯えるコールを安心させるように微笑んで、ログが玄関の方へ繋がるドアを開ける。
すると、視界にはカルメと取っ組み合うサニーの姿が飛び込んできた。




