最悪な魔法
「うわっ! サニー! 何でここに!」
「良い所に来た、ログ! コイツを押し返すの手伝ってくれ。何でか今日は帰らねーんだよ」
カルメが大声でログを呼ぶ。
自身の怪力でサニーを傷つけぬように。
慎重になるカルメは全力で暴れるサニーを制しきることができず、彼女を羽交い絞めにしたまま困っていた。
ログと協力すれば何とかなるだろうか。
そう思って少し安心した矢先、サニーの視界にチラッと黒い布の塊が入り込む。
愛しい人がよく着ている見慣れたコート。
サニーは一瞬でキッチンにコールがいることに気が付いてしまった。
「コールさん!」
単純な脱出ではなくコールの元へ向かうよう目的を切り替えたサニーは、本人も気が付かぬうちに力を込める場所を変える。
自然とカルメの抑えるべき場所もずれて、サニーを制しきれなくなる。
慌てて対応した時には既に遅く、カルメはサニーを取り逃してしまった。
自由になったサニーの向かう場所は一つだ。
スルリとログを避けて、コールの元へたどり着く。
彼の前で跪き、ギュッと両手を握った。
「コールさん、ねえ、コールさん! 無事だったのね! よかった! 私、コールさんに何かあったらって。ねえ、どうしたの? 一週間も、どうして嘘をついてまで私を避けたの? 何かあったの?」
コールと一切連絡の取れない一週間、サニーは恐怖にさいなまれていた。
ケイトの態度や目から得られる情報からも重大な「何か」があったことは明白で、それなのに何も教えてもらえない、触れさせてもらえない。
コールが消えてしまうような気さえして、不安で、不安で仕方がなかった。
今日、カルメ宅を訪れたのだって彼女に協力を仰ぎ、コール宅に侵入させてもらうためだ。
そのために自分の貯金から少なくない金額を下ろしており、必要ならば土下座でも何でもしようと思っていた。
だが、コールへの想いから感覚が研ぎ澄まされているサニーは目の力も強まっており、カルメの瞳から隠し事の匂いを嗅ぎ取る。
サニーの直感が、今日は引き下がるべきでないと強く主張した。
そのため、サニーは粘りに粘って家の中に留まり続けていたのだ。
結果、彼女は望み通りコールに会えたわけだがいかんせんタイミングが悪い。
サニーの喜びはコールにとっての絶望で、そうだというのに彼女はそのことについて何一つ気が付いていない。
何故なら今のサニーは自分の感情ばかりが先行していて、まともにコールを見ることができていないからだ。
サニーはいつもの調子で彼に近寄って、目深にかぶられたコートの中身を覗こうとした。
当然、コールは気が動転する。
拒絶するようにサニーの手を振りほどいて、彼女から逃げようと体を後ろへ傾ける。
「キャッ!」
お互いにバランスを失い、サニーは床に尻もちをついてコールは椅子から転がり落ちた。
大きく体勢を崩すコールとテーブルがぶつかって、机上から一枚のメモが舞い落ちる。
書きかけのそれはふらふらと揺れてサニーの手元に潜り込んだ。
「いたた……ちょっと、コールさん。何もそんなに逃げなくても。あら? これは?」
手の中でクシャリと音を鳴らす紙きれ。
文字は明らかにコールのものであり、サニーは興味を引かれた。
彼の魔法の核心が書かれたそれに目を通そうとする。
サニーとコールの距離は少し離れていて、彼が今すぐにメモをひったくることはできそうにない。
だから、コールは酷く焦った。
「駄目! サニー! 見るな!!」
どうしても知られたくない。
その思いが強すぎるが故に、コールは重大な過ちを犯す。
サニーには絶対にしたくなかったことをした。
彼女がメモの内容を読む前に魔法が効力を発揮する。
言葉と共に発された魔力がサニーの中に入り込んで彼女を征服する。
コールの願い通りサニーの瞳はトロンと生気を失って、それから虚ろに閉じられた。
ただ目をつむるだけでは飽き足らず、けしてメモを見ることの無いようにメモを粉々に引き裂いて床へ捨てる。
それから、サニーは自身の手のひらを使ってグリグリと紙片を詰り、メモを破壊し続けた。
その姿は狂気的で、まさしく異常だ。
精度の低い機械人形のような姿に加え、赤くなったサニーの手のひらが更にコールの心を蝕む。
「やめて! サニー! ねえ、やめて! お願いだから、もう……」
コールの瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちる。
嗚咽をもらして願う。
コールの望みはサニーが魔法をかけられる前の状態に戻ることだ。
だが、その言葉さえも魔法として誤った方向に行使されて、今度の彼女はピタリと動きを止めた。
ほんの少しも体を傾けず、呼吸を繰り返すだけの生きた彫刻になった。
美しくも残酷なサニーの姿に耐えられず、コールは顔を覆って泣きじゃくる。
「ごめんなさい、サニー。ごめんなさい」
耳の聞こえぬ彼女へ懺悔を捧げた。
願いの乗らぬ言葉はただの発声として落ちていく。
コールは何もできないまま、犯した罪の重さと己への恐怖に震えていた。
「なるほどな、これがコールの魔法か」
一部始終を見ていたカルメが二人の元へやってくる。
カルメが近づいても、コールはパニックになったまま謝罪を続けている。
時折、「化け物」や「いなくなるべき」という強い言葉も聞こえたが、コールには魔法がかからない辺り自分自身には使うことができない魔法なのだと察することができた。
「コール、大丈夫、大丈夫だから。息を吸ったら大きく吐いて。大丈夫、平気だから。それを何回も繰り返して、そう、その調子だよ」
ログがコールの背に手を重ね、彼にゆっくりとした呼吸を促す。
穏やかに時間を使って、まずは彼の正気を取り戻すよう努めた。
「カルメさん」
コールはログに付き添われたまま溶けるように座り込んで、ボーッとカルメを見上げる。
すっかり外れたフードからコールの端正な顔立ちが露わになった。
本来精悍な顔つきは酷いショックのせいで年よりも五つは幼くなり、満月のような黄金の瞳はぼやけている。
目の焦点も合わぬままに、視界に入った人物の名を呼んだ。
よりどころを探す彼の声は、いつか聞いたキリの声にも似ていた。
「コール、ちゃんと聞こえてるな。お前、こういう時の対処法は、魔法の解除の仕方は分かるか?」
コールは力なく首を横に振った。
「前に使ったのはもう十年以上前で、あの時は勝手に魔法がとれてた。だから、方法が分かりません。僕はサニーを壊した。取り返しのつかないことをした」
「大丈夫だ、取り返しはつく。サニーは壊れてなんかいない。ちゃんと戻せるよ」
カルメの言葉にコールの心が少し戻ってくる。
コールの目の焦点がようやく合った。
「どうやってですか?」
「簡単だ。アイツの体内外に纏わりついてる魔力を消してやりゃいい。それだけでサニーは元通りになるよ」
「でも、僕は魔力の消し方を知りません」
「大丈夫だ。ただ一言、命令してやりゃいい。魔力に消えろってな」
「魔力に?」
意思の無い魔力に命令がきくものか、コールは甚だ疑問だったが今はカルメを信じるしかない。
コールはサニーを見つめた。
二つ目の命令の前に目を閉じさせていたから、今のサニーは安らかに眠っているように見える。
ふと、自宅で居眠りをしていたサニーを思い出した。
『机で寝てるサニーにいたずらしようとして、それなのに反対にからかわれちゃって。恥ずかしかったけど、楽しかったな』
懐かしい思い出に涙が零れそうになる。
『目が覚めたサニーは、きっともう僕に笑いかけてくれない』
かつて自分を化け物と呼び、恐れ、迫害した人々が架空のサニーと重なる。
ズキズキと胸が痛んで、吐き気さえした。
今すぐにでもサニーを戻さないとならないのに、せっかくカルメに教えてもらって方法も分かったのに、コールは魔法を解除するのが苦しくて堪らなかった。
コールは静かに立ち上がり、サニーの方へと向かう。
そして、彼女の目の前で膝をつくと、ギュッと柔らかな体を抱き締めた。
体温は確かに人間で、甘くてすっきりとしたサニーの匂いがコールに微笑みかける。
コールは一つ、深い呼吸をした。
「魔力、消えろ」
泣きそうな声で喉の奥から言葉を捻り出す。
コールの魔法は一定の知力がある生命体を物理的に可能な範囲で自由に操るというものだ。
これに対し、魔力とは空中に漂う力の塊であり、ほとんどの人間が体内で作り出すことのできるエネルギーだ。
無生物であり、形すら存在しない魔力にコールの魔法は力を発揮できない。
だが、カルメがコールに意味のない言葉を吐かせ、使えないはずの魔法を発動させようとしたのかと言えば、それも異なる。
彼女が行ったのはイメージの手助けだ。
自身で発生させた魔力というものは、自分の体の一部にあたる。
それを操るには、形を明確に思い描き、手足のように操作することが必要になる。
しかし、コールのように魔力への感覚的な理解が進んでおらず、魔法を暴走させるような人間にそういった操作は難しい。
そのため、カルメはコールの経験によって培われた「仮面なしの状態で言葉にしたことは大体が実現できる」という感覚を利用して、魔力を操作させた。
結果は成功だ。
魔力はサニーの体からシュルシュルと抜け出ると空気中で散った。
外から体を縛っていた魔力もゆるりとほどけて弾け、消える。
同時に体の緊張も解け、サニーはガクンと前のめりに倒れ込んだ。
「サニー!」
床にぶつかって怪我をせぬよう、コールがサニーの体を抱き締めるようにして支える。
「コールさん?」
体に遅れて意識も自由を取り戻す。
サニーは舌ったらずにコールを呼ぶと、寝起きのようなトロンとした瞳で彼を見つめた。
コールは慌てて自身の目を隠す。
けして瞳を覗かれぬように。
自分を軽蔑し、睨む冷たい目を見てしまわぬように。
だが、サニーはフードの中にしまい込まれたコールの瞳を惜しんだ。
「コールさん、どうして隠しちゃうの? この世のどんな光よりも美しい黄金の瞳、私、大好きなのに。それに、どうして私はコールさんの腕の中に?」
段々と目が覚める。
自身の置かれた状況を、何も理解できぬままに確認し始める。
コールに抱きしめられていることを知ってしまえば、サニーはドンドンとテンションを上げていき、すぐにいつもの調子になった。
「コールさん、コールさん、コールさん!! コールさんが私をムギュッて! 放さないぞってするみたいにムギュギュって!! どうしたんですか、コールさん! 雄っぱいの圧が! 雄っぱいの圧が堪らない!! 幸せな圧死をしそうです! それに良い匂いもする! コールさんのコートさんによって熟成された素晴らしいスメルが! こんな特等席でコールさんの雄っぱいにほっぺをスリスリ、ギチギチしながら汗と洗剤と香水の入り混じる香りを堪能してもいいんですか、コールさん!!!!」
コールに抱かれていたいから、サニーは決して彼から抜け出して床の上を転げまわるなどという愚かな真似はしない。
だが、興奮が強すぎて体を正常にとどめておくというのも難しいらしく、サニーは顔面を激しく揺らしてコールの胸にモチモチモチッ! と頬ずりした。
両腕はシッカリとコールを抱き締めて、まるで全身が蛇にでもなったかのようにギチリと彼を拘束する。
サニーの体温と照れによって暑くなったコールが首筋に汗を流す。
すると、それを見たサニーは声にならない叫びをあげて、丸い牙の目立つ口でカプリとコールの鎖骨した辺りを甘噛みした。
「こーふはん、こーふはん、こーふはん!!(コールさん、コールさん、コールさん!)」
モチャモチャと彼を味わったまま名を呼ぶから言葉は不明瞭だが、コールは確かに自分が愛しいものとして認識されていることを知る。
普段のコールならば、サニーの激しい暴走を許さない。
ましてや、今いる場所は他人の家のキッチンだ。
二人を見ていられなくなったカルメとログがキッチンから逃げ出したので人目はないが、だからと言って非常識を許すほどコールの倫理観は壊れていない。
思った通りに抵抗できるか否かはさておいて、サニーに対して「駄目」とか「やめて」という言葉を使い、彼女を抑制しようとすることだろう。
だというのに、今のコールはサニーを抱き締める力を強くするばかりで何も言わない。
一つは、もう一度サニーに魔法をかけてしまうかもしれないのが嫌だから。
もう一つの理由は、どうしても彼女を手放したくなかったからだ。
彼の脳内は今、絶望と希望に挟み込まれてグチャグチャだ。
起こってしまった最悪に対するショックと、妙に呑気で変わらずコールのことを愛しているサニーへの期待が同居している。
心がサニーに対して「もしかしたら」と甘い夢を見る一方で、脳がやめておけと警告を出す。
相反する二つの感情の中、僅差で勝ったのは希望だった。
一つ決心をすると、コールは目元に溢れた絶望の証をまばたきによって頬へ落した。




