少しだけ特別にした記念日
じわじわとした熱気が迫り始める初夏。
段々と過ごしにくい季節が迫ってくるわけだが、カルメもログも悪い気はしていない。
森を埋め尽くしていた星花が退き、様々な花草が地面を鮮やかに彩るからだ。
ひんやりとした早朝やじわりと肌をむしばむ汗がカルメとログの出会いを思い出させる。
そろそろ、カルメとログが出会って一年が経とうとしていた。
カルメは意外とイベントごとが好きでロマンチックであるし、ログもそんな彼女がはしゃいでいるところを見るのが好きだ。
カルメを喜ばせたくて、ログは彼女に少しだけ特別なデートを提案していた。
それが、二人が出会った場所へ遊びに出掛けることだった。
「ログ、登れそうか?」
大木の太い枝にちょこんと座って、上からログの様子を確認する。
ログは太い木の幹に捕まって、一生懸命に木登りをしている最中だった。
「この木は座るのには頑丈で良いが、代わりに登りにくいんだ。無茶はするなよ。抱えてここまで連れてってやるからさ」
「遠慮します。俺だって小さい頃は木登りしてましたし、余裕です」
カルメに任せればログは身体魔法をかけた彼女にお姫様抱っこをされ、枝の上までぴょんと跳躍されてしまう。
軽やかに動くカルメはカッコいいだろうが、自分が情けない姿をさらすのはごめんだ。
ログは切羽詰まった荒い息を吐きながら、意地を張って首を横に張った。
強がるログをカルメは呆れた表情で眺める。
「人には得手不得手があるんだから、このくらい頼ればいいのに。ログは頑固だ」
「そうですよ。頑固で意地っ張りですが、でも、諦めの悪い性格ですから、ほら! カルメさんの横にたどり着きました」
激しく上下する肩に赤く染まる頬、ぜぇぜぇと苦しそうな呼吸音はログの激しい体力の消耗を示す。
しかし、それでもカルメの横にやってきて座り込むと彼女へ弾ける笑顔を見せた。
達成感に満ちた表情は爽やかで、カルメには可愛らしく映る。
額やシャツに浮く汗も何故か清らかに見えて、カルメは水も滴るいい男という言葉を思い出した。
「ログは水が似合うな。本当に」
何度も浮かべている感想に既視感を覚え、一人で納得してうんうんと頷く。
「水ですか? 何のことかは分かりませんが、まあ、俺には水が必要ですね」
腑に落ちない表情でゴソゴソとランチボックスを漁る。
それから水筒を取り出すと中身を勢いよく飲んだ。
ゴクゴクという音に合わせ、喉ぼとけが大きく上下に動く。
男性特有の部位にカルメはポーッと見蕩れた。
『なんだろう。ログの首って、なんかイイな』
スッキリと細い喉に明確なでっぱりがついていて、それが滑らかに動くとつい見入ってしまう。
カルメが熱心にログの喉辺りを見つめていると、彼が不思議そうな表情で彼女の顔を覗き込む。
「どうしました? カルメさん。俺の顔に何かついていますか?」
問いかけられ、ハッとしたカルメがブンブンと首を横に振る。
「顔というか、喉というか、まあ、その、何でもない! ただ、その、ログってやっぱりカッコいい部位が多いんだなって。ログのカクカクしてる部分、好きだ」
「カクカクしてる? まあ、男ですから骨ばってる部分は多いかもしれませんね。手だってカルメさんより大きくてゴツゴツしてますし。まあ、俺は丸っこいカルメさんの方が好きですけれどね。柔らかくてもちもちで、小さくて可愛いです」
カルメの右手を取り、その手のひらを優しくなぞる。
ログの白く美しい指がカルメの手の形を確かめて動く。
それはくすぐるようで、揉み込むようで、カルメは大好きなログの手が自分の手に悪戯をしているのが恥ずかしくて堪らなくなり、大慌てで右手を引っ込めた。
「モチモチは誉め言葉じゃないって言っただろ! もう、触るの禁止だ! ログのスケベ!」
真っ赤になったカルメがキッとログを睨む。
しかし、ログはどこ吹く風で柔らかく微笑んだ。
「カルメさん、スケベは言いすぎですよ。ちょっと揶揄っただけじゃないですか。スケベって言うのは、こういうことでしょう」
ログの青い瞳が水面のように揺れ、嗜虐的に細められる。
悪戯っぽい笑みに嫌な予感がする。
しかし、逃げようとした時には既に遅くカルメは左腕をグイっと引っ張られて、ログの胸の中に押し込まれる形となった。
木の幹を背もたれにしているログは枝の上でも安定して座ることができており、比較的自由に動くことができる。
動揺しているカルメの手を取り、カプリと噛んでそのまま少し吸った。
カルメはログの胸の中に閉じ込められているせいで、自分の姿を一切確認できない。
そのため、ログがわざと音を立てると羞恥を掻き立てられ、ビクリと体を震わせた。
「ログ!」
キッと可愛らしい涙目で、睨むために顔を上げる。
その瞬間を狙っていたログは、素早くカルメの唇を奪うと抵抗される前に舌を突っ込んだ。
カルメの体をギュッと抱きしめてから少し力を緩め優しく触れて宥める、柔い口内への侵入許可を一方的に得た。
動揺して動かない柔い舌を弄び、チュッと吸うことでようやく逃げるようになったそれで遊ぶ。
スカートの中に手を忍ばせると、カルメが咎めるように「んっ!」と威嚇した声を上げた。
だが、それでも叩き落されない手に了承の意を見たログはそのままドロリと甘えてカルメを蝕んだ。
随分と長く時間が経って、カルメの体温が茹だるほどに上がる。
カルメが弱った手のひらでペチペチとログの肩や胸を叩くと、彼は彼女からゆったりと離れた。
ようやく解放されたカルメがグッタリとログにもたれかかる。
「ログ、しぬ。ころされる」
腑抜けた吐息と共に震える声で溢す。
潤んで歪む瞳にはログへの甘えと羞恥がシッカリとうつりこんでいて、一年前と変わらない自分に弱すぎるカルメに愛しさを感じた。
「死なないですよ。ちゃんと加減してますから。でも、カルメさんはいつまでも変わらないですね。いつまでも俺のワンパターンなちょっかいに動揺して、真っ赤になって、すぐ怒るくせに甘えん坊で、今もペタリと俺に引っ付いている。もっと、もっとって際限がなくて、かわいくて。まだ、意地悪されたいんでしょう?」
ニコニコと穏やかな笑みを浮かべるログだが、満足そうな表情の裏では酷く腹を空かせているのだろう。
細まった瞳の奥はギラリと欲で歪んで、口元ではお腹が空いたとでも言いたげに舌が這いずり回る。
被食者であるカルメは心臓を跳ね上げ、捕食者の腕の中で身を守るようにキュッと体を縮めた。
「も、もういらない! 駄目だ! これ以上意地悪されたら脱水症状になっちゃうし、そうじゃなくても体から力が抜けて木から落ちる。本当に死んじゃうんだからな!」
カルメは必死に抵抗するが、それでも真っ赤な耳は美味しそうで堪らない。
ログは物欲しそうに耳たぶに触れた。
「別に、今の頑丈になったカルメさんなら大丈夫だと思いますけど」
「わっ! コラ! 触るな! ダメだってば。今日は本当に何か恥ずかしくて、休憩が必要なんだ!」
「休憩ですか」
「そうだ! ログに、その、お茶を飲ませてもらって、それで、ご飯を食べさせてもらって、それと、その、いっぱい頑張りましたねって背中と頭を撫でてもらって、そして、えと、その」
恥ずかしいのか、その先を話せずにモゴモゴと口籠る。
ギュウッとログのシャツを両手で握り締め、チラチラとログの口元を見る。
何を望んでいるのか、おおよその予想を立てることはできたがログはあえてカルメを無視した。
「ログ、なあ、ログ!」
ペチペチとログの肩を叩き、察してくれと強請るがログは応えてくれない。
優しく笑って、「なんですか?」と首を傾げるばかりだ。
観念したカルメは俯いて、震える唇をこじ開けた。
「久しぶりに優しいちゅーをしてほしい。意地悪しないやつ。くっつけるだけのやつ」
言葉を出しきると、頑張りすぎたカルメの顔からプシューと蒸気が抜ける。
可愛らしいお願いが少し意外で、ログは一瞬目を丸くした後にクスクスと笑った。
「そういえば、もうあのキスはあまりしていませんでしたね」
「私が強請っても、すぐにログが意地悪したからな」
カルメがムスッと不服そうな声を出す。
プクッと膨れる頬をログが愛おしそうにつついた。
「だって、カルメさんがすぐに『意地悪してくれないの?』って目でおねだりするから。それに、美味しいものは味見じゃ止められないのが人の性だと思いますよ」
「出会った頃のログは、もっと理性が機能してた」
「あの頃の俺の方が好きですか?」
「いや、どっちも好き。しいて言うなら我慢しないログの方が好き」
「じゃあ、いいじゃないですか」
「でも、今日だけは昔の思い出に浸らせてくれる甘々で優しいログが好きだ」
ムギュッと抱き着き、グリグリと頭をログの胸に押し付けて甘える。
幼い子どものような、あるいは猫のような仕草が可愛くて、ログは少々絆された。
仕方がないなと頭を撫でれば、カルメは嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
「なあ、ログ」
「なんですか? カルメさん」
「私さ、当時は最低なやつだったから、ログの悲鳴が聞こえてムカついたんだ。のんびりとしたお昼を邪魔されたって。間が悪かったら見捨ててすらいたかもしれない。でも、それでも、助けてよかった」
カルメとログが出会ったきっかけは、彼が大木付近でクマの魔獣に襲われたことだった。
当時は酷い人嫌いだったカルメが職務上の義務感のみで不機嫌にログを助け、その後は知り合いの医者に投げるようにして引き渡すことで瀕死だった彼の命を繋いだ。
「俺もカルメさんに助けられて良かったです。それに、どんなに周りに止められてもカルメさんにお礼をしに行って良かったです。じゃなきゃ俺は、いまだに自分の居場所を求めてさまよってましたからね」
はにかむログだが、聞き捨てならない言葉がある。
「え? ログ、私の所に行くの止められてたのか?」
出会いのきっかけはクマの魔獣だが、恋のきっかけはカルメへ礼を言いに来たログが彼女の瞳に惚れてしまったことだった。
しかし、恋の機会が村民たちによって奪われてしまっていたかもしれないとは。
少し意外だ。
目を丸くするカルメにログが苦笑いを浮かべた。
「カルメさん、忘れたんですか? カルメさんは当時ものすごく人が嫌いで、近づくものを全て排除していたんですよ。凶暴だから近づくな、せっかく拾った命を捨てるつもりかって色んな人に脅されました」
だが、だからこそ当時のログはカルメに惹かれた。
彼はなかなかに好奇心旺盛な性格をしていて、その身一つで世界を旅しようと考えていたくらいだったので、優しいものよりは刺激的な存在を求めていたのだ。
実際、彼を追い払うために眼前へナイフまで突きつけたカルメとしてはぐうの音も出ない。
呆れ顔のログからバツが悪そうに視線を逸らした。
「だって、ログのことも怖かったから。だいたい、ログは変だ。ナイフを突きつけてくるような相手、普通はどんなに好きになっても受け入れられないぞ。一瞬で恋が冷める」
「そりゃあ、俺はおそらく普通じゃないですからね。それに色んな意味で特別なカルメさんの横に立つ男なんですから、特殊なぐらいがちょうどいいんです」
ログは自信たっぷりに言い切ると、それからカルメへ柔らかな笑顔を向けた。
何故だろう。
一年前と変わらぬ彼の姿に涙が零れそうになる。
『悲しくも無いのに、こんなの変だ。きっと感傷的になってるんだろうな』
ログと二人で大木に座り、ぼんやり景色を眺めていると様々な出来事を思い出す。
心も記憶の影響を受けて過度に柔らかくなったり、あるいは小さく縮こまったりしていた。
カルメの感覚は一時的にログと付き合ったばかりの頃に近い状態となっている。
まだ、不安定だったあの頃に。
『思えば色んなことがあって、私もログも村も、全部大きく変わった。それなのにまだ一年しかたっていないのか』
たった一年、されど一年。
この間にカルメを取り巻く環境は百八十度変化した。
誰にも愛されることが無いと確信していたのに、棘だらけだった自分を愛してくれて、愛を返せる存在ができた。
結婚も所帯を持った。
友達だって増えて村に居場所ができて、祭りやイベントごとにも参加をした。
一年前に比べるべくもなく、カルメは幸せになった。
言葉では表しきれないほど優しくて温かな感覚をログと共有したい。
ふと、カルメはそんなことを思った。
だから、そっとログの手を自分の小さな手のひらで包み込む。
「ログ、私すごく幸せだ。ログと出会ってからそうなった。だから、ありがとうログ。私と出会ってくれて、会う前から執着してくれて」
「こちらこそ、カルメさん」
ログは穏やかに微笑むと、それからカルメをふんわり抱き締め、昔みたいにゆっくりと愛情を注ぎ始める。
ただリラックスできるように髪を撫で、普通にお茶を飲ませてやる。
昔話をしながら昼食をとって、眠くなるカルメの体をただ包み込み、癒した。
『穏やかなこの感じ、確かに懐かしい。だけど物足りないな。脂っこいものになれると薄味の物が微妙に感じるというか、カロリーが少なすぎるというか。でもまあ、食べたりない分は夜に貰うからいいか』
紳士的な振る舞いにカルメは大満足だが、ログとしてはやはり何かが足りない。
もう少しカルメを構いたい。
だが、カルメの想いを尊重してログは久しぶりに我慢をし、襲いたくなる欲求を制御していた。
彼の腕の中で安眠するカルメは、帰宅後、昼の反動で制御の効かなくなった彼に溺愛されることをまだ知らない。




