2.夜会
――とは思っていても、父は強引なので夜会は行われるし、母の計らいでブレーズ伯爵令嬢と伯爵夫人は招待されるのです。
伯爵も是非、と招待状をシャルロット先生に手渡した際に念を押しました。けれどシャルロット先生に「夫は研究者なので、都合がつかないかもしれません」とのお返事をいただいてしまいましたわ。
父にその旨を報告したらば「そうかそうか伯爵は来れないか」と、ものすごく上機嫌だったことは決して忘れません。初恋の人の夫と親しくしたくない、という思いが溢れ返っておりましたわ。
どうかその溢れ返る思いのままに、父が粗相しませんように。祈ったとしても、願いは叶わないのでしょう。
父が夜会の主催者としての挨拶を終え、音楽に合わせてのダンスは兄とその婚約者が披露します。兄は結婚式を早めることをロランス侯爵からもぎ取ることが成功したので、その挨拶を兼ねてのことでした。
兄が十二歳、オリアーヌお義姉様が八歳の頃に交わされた婚約が、ようやく結婚へと進んでいるのです。それはもう盛大な拍手と祝福の声を浴び、オリアーヌお義姉様が幸せそうに兄と見詰め合っておられましたわ。
御父上のロランス侯爵が涙を流しながら見守っていたことも、わたくしは見てしまったのですけれども。
それから夜会は自由な時間となりました。
ダンスをする方もいらっしゃれば、いい機会だからと交友を深めている方、婚約者探しをしていらっしゃる方だっております。中には商談は勿論、自慢のし合いだってございます。
そんな中、わたくしは幾人かに誘われたダンスを経て、父と母の元に戻って参りました。「婚約者になってくれそうな方はいたかしら」と母には問われましたが、父が承知しないだろう方ばかりでしたので当分は無理ですわ。
「ソランジュちゃんはいいからね。結婚なんてまだ早いんだから」
「お言葉ですが、お父様。わたくしと同年代のご令嬢で、わたくしが知り得る限りで婚約者がいらっしゃらないのはほんの一握りですわ。その中で高位貴族はわたくしだけです」
「え……かのご令嬢も婚約者はいるのかな?」
「そこまでは知り得ませんっ」
「まあまあお二人とも。ほら、あちらを。ブレーズ伯爵夫人と、そのお嬢様ですわよ」
母が首を傾けて示す先には、確かにシャルロット先生とブレーズ伯爵令嬢がいらっしゃいました。やや緊張している様子なのは、やはり父とのことがあるからでしょうか。
それならば、都合がつかないのは家族全員だと仰ってくださったらよかったのに。
それでもこの夜会に出席されたのは、わたくしが直接招待状をお渡ししたからに違いないですわ。シャルロット先生ならばお断りできないと思いましたもの。
シャルロット先生は伯爵令嬢を連れて父の前まで現れました。ちらりと見上げた父の表情は険しくされていて、きっと激しい感動を表に出さないようにそうなっているに違いません。
「本日はいらしてくださって感謝いたしますわ。わたくしの父のマティアス・ラインバウト公爵と、母のグレースです。お父様、お母様。こちら、アベリア学園淑女科のお作法の先生のシャルロット・ブレーズ伯爵夫人と、そのお嬢様のリュシエンヌ嬢ですわ」
「……久しいね、ブレーズ伯爵夫人。いや、シャルロット先生とお呼びした方がいいのかな? 娘が大変世話になっている」
「お久しぶりでございます、ラインバウト公爵。本日はお招きいただき感謝いたします。こちら、わたくしの娘のリュシエンヌでございます。挨拶をさせても?」
「あ、ああ……構わないよ」
わたくしが双方を紹介すると、早速父がシャルロット先生と会話を始めました。けれどそれもあっさりと躱され、シャルロット先生は距離を的確に取ろうとなさっています。
さすがはお作法の先生ですわ。過去に親しくしていたとしても、今はラインバウト公爵とブレーズ伯爵夫人というお立場があるんですもの。父にはどうかシャルロット先生を見習って欲しいですわ。
すると、シャルロット先生にしっかりと頷かれたリュシエンヌ様が、父にカーテシーを披露されました。シャルロット先生仕込みなのでしょう、美しいカーテシーでしたわ。
「先日は大変失礼いたしました。エリック・ブレーズ伯爵が娘、リュシエンヌ・ブレーズと申します。あの……お怪我は本当になかったでしょうか?」
なんてだらしないお顔ですこと。もちろん、父のお顔です。
心配そうに向けてくるリュシエンヌ様のお顔に、デレデレと締まりのないお顔をなさる我が父。わたくしは盛大に溜息を尽きたい気持ちですわ。そりゃあリュシエンヌ様は可愛らしいお方ですから、気持ちはわからないでもありませんが。
「心配いらないよ。なにかあればクレール先生に診て貰うと、あの時も言っただろう? だが、その気持ちが嬉しい。君はいい医師になるのだろうね」
「め、滅相もございません! まだまだ未熟で、卵にもなっていないのです。ですが……公爵様にそう仰っていただけたので、これからも挫けず頑張ろうと思います」
駄目ですわ。リュシエンヌ様の笑顔が眩しすぎて、父の目がやられておりますわ。わたくしもリュシエンヌ様がこんな純粋な方だとは思ってはおらず、父と同じように目を瞑りたいですわ。
わたくしがなんとか目を瞑らずにいると、リュシエンヌ様の視線がわたくしの方へとチラチラします。
この場を終了させたいのだろうかと思い父と母を確認するけれど、わたくしが結論を出す前にリュシエンヌ様がわたくしに声をかけました。
「あの、ソランジュ様! わ、私、その……っ」
「どうかなさいましたか、リュシエンヌ様」
わたくしを前にしてリュシエンヌ様がもじもじとなさる。
先ほどまでは我が父とはっきりと言葉を交わし、笑顔まで見せていらっしゃったのに。その笑顔で、我が父もわたくしも目を瞑りたくなるような光を覚えましたのに。
「リュリュ、たくさん練習したでしょう? 大丈夫ですよ」
「はい、お母様……あの、ソランジュ様。本日はこうしてお会いできて、大変嬉しく思います。その、ええと……ソランジュ様と、私が、お、お、おおおおおともだちに、なれたらと……申し訳ありません、出過ぎた真似をいたしましたっ!」
父よ、娘の両肩を強く握るのをやめてくださいませんか。
「え、なに? なに、ソランジュちゃん。リュシエンヌ嬢は、なに? ソランジュちゃんのなに??」
「まあマティアス様ったら。ちゃんと言葉にしなければ、ソランジュとて理解できませんわよ?」
いいえ、なんとなくですが理解できましたわ。父の仰りたいことではなく、リュシエンヌ様の仰りたいことが、ですけれども。
わたくし、学園で【白百合姫】と呼ばれているらしいのです。高嶺の花だと仰る方もたくさんいらっしゃるようなのです。そんなだから、わたくしはてっきり殿方ばかりがそう仰ってるのだと思っておりましたの。
ですが、どうやら認識を間違っていたようですわね。
わたくしを前にしてリュシエンヌ様がとっても緊張なさっているからか、代わりにシャルロット先生がしっかりと説明してくださる。
「娘は医術を学ぶために、淑女科ではなく一般教養科で学んでおります。学園を卒業してからは医術院に入り、徹底的に医術を学ぶことになるでしょう。そうなると、他家のご令嬢方との交友関係が阻まれるのです。私もそうでしたので、娘の気持ちはよくわかります」
「お母様、ここからは私から話をさせて」
「……ええ、あなたならそう言うと思っておりました」
シャルロット先生は一歩後ろへと下がると、リュシエンヌ様が一歩前へと出ました。今度はちゃんと、背筋をピンと伸ばして。
「ソランジュ様のことは、学園に入学してから私の憧れの存在になりました。いつも凛としていて、身分に関係なく皆様と親しくも叱責もされていて、とてもまっすぐで綺麗な方。私もそんな風になりたいと、家では母に作法を徹底的に叩き込んで貰いました。ですから、今夜はまたとない機会だと思ったのです。夜会に招待していただいたから、今この場があるのです」
駄目ですわ。リュシエンヌ様の笑顔が眩しすぎて、わたくしの目がやられておりますわ。思わずぎゅっと目を瞑ってしまって、シャルロット先生に減点を言い渡されそうですわ。
それでもリュシエンヌ様は、わたくしに言葉を続けます。
「公爵家令嬢、ソランジュ・ラインバウト様。どうか私、リュシエンヌ・ブレーズと仲良くしてください。学園ですれ違ったときに、少し言葉を交わすだけでも構いません」
このようにまっすぐに思いを告げられるなんて、わたくしは経験がございませんわ。だから、耐性がないのです。このような熱い思いを告げられたら、頷くより他はできませんわ。
「わ……わかりました。仲良くいたしましょう。少し言葉を交わすだけとは言わず、都合がつけば昼食もご一緒しましょうね」
「はい! ありがとうございます!」
本当に眩しい笑顔ですこと。
これまで特に交流がありませんでしたが、父がきっかけではなくて、それよりもずっと前にお友達になっていたらよかったですわ。そうしたら、このとてつもなく厄介な父のその厄介さを、周囲に知られないように奮闘することにならなくてもよかったのに。
「……ねえ、今のなに? どうしてソランジュちゃんとリュシエンヌ嬢が仲良しこよしになったの? いやそれは別にいいんだけど、どうして私はシャルロット先生やリュシエンヌ嬢ともっとお話ししたいのにできないの? それはつまりソランジュちゃんのせいじゃないの?」
わたくしの両肩をにぎにぎと、ものすごく丁度いい力加減で揉まないでくださいませんか。
確かに本日のお飾りは少し重いものですけれど、まだわたくしは若いのでこの程度で肩は凝りませんわ。
「公爵様、私のことはどうか、ブレーズ伯爵夫人とお呼びくださいませ」
ほら、そんなことをしているのでシャルロット先生が尤もなことをぴしゃりと仰るのです。あくまで過去のことは過去のこととし、今現在の立ち位置をきちんとなさるシャルロット先生はとても素敵ですわ。
それに対して我が父は、しゅんとしょげてまるで子犬のよう。
……いいえ、決して小さくはないので大型犬に違いありませんね。
「失礼した……ブレーズ伯爵夫人」
ほらほらそのようにしょげたら、公爵位の威厳がまったくなくってよ!
そんな父に一瞬だけ愛想笑いを浮かべたシャルロット先生は、すぐに母の方に向き直りましたわ。
「ラインバウト公爵夫人、大変失礼いたしました。ですが、我が娘がお嬢様と仲良くしていただくことができ、大変光栄でございます。子供たちは子供たちのこととして、どうぞご容赦くださいませ」
「構いませんよ、ブレーズ伯爵夫人。わたくしも子供たちが仲良くなるのは大変嬉しく思います。それに……夫が先ほどから何度も失礼をいたしております。謝罪をするのはこちらの方ですわ」
「お、おいグレース!」
「マティアス様、お黙りになって?」
「……はい」
流石はお母様ですわ。普段はおっとりとなさっていますが、こういう時はしっかりと公爵夫人をなさるのです。妻として夫の一歩後ろではなく、その隣に立つのです。
これがわたくしの理想の夫婦像ですわ。
ようやく父が両肩から手を放してくださったので、わたくしはそろりとリュシエンヌ様のそばに寄りました。彼女はおそらくなにも知らないのでしょう。我が父や母、シャルロット先生のやりとりを不思議そうに見ていましたから。
「このことは、できればシャルロット先生に直接、二人きりの時にお訊ねした方が賢明ですわ」
「はぁ……ソランジュ様が仰るなら、そういたします」
「ところでリュシエンヌ様は、婚約者はいらっしゃるの?」
きっと、リュシエンヌ様の中では疑問符がいっぱいですわ。だから話題を変えようと思ったのです。
するとリュシエンヌ様はかすかに頬を染め、俯いてしまいました。この反応は――いらっしゃいますわね、婚約されている方が。
「わ、私には本当にもったいないくらいの方で、父と同じく研究者で、とてもお優しく私を大切にしてくださっております」
まあ、なんてお可愛らしいこと。
けれど、これは父が聞いたら憤怒ですわ。婚約者の有無を気にしていた父が、暴走しなければいいのですが。
どうやって父の耳にその件を入れないでいられるでしょう。考えこんでいると、一通りのご挨拶が終わったらしい兄がこちらへ向かってきました。いつもならばゆったりと余裕を持たせる歩みは、心なしか速いような気がいたします。
オリアーヌお義姉様はご家族と談笑なさっておいでなので、オリアーヌお義姉様になにかあったわけではないのでしょうが……
「失礼。マティアス・ラインバウト公爵が嫡男、ディオンです。ソランジュ、こちらのご令嬢はもしや……ブレーズ伯爵家の?」
「ええ、そうですわ。リュシエンヌ・ブレーズ様です。つい先ほど、わたくしとお友達になりましてよ」
「お初にお目にかかります、公子。ブレーズ伯爵家のリュシエンヌと申します」
「ああ、いいよ楽にして。……君だったのか、イフィジェニー大公家のサシャ殿の婚約者というのは」
ちょっとお待ちになって、お兄様。今のは本当ですの……?!
イフィジェニー大公家と言えば、国王陛下の叔父君をご当主としたお家柄。サシャ様と言えばオリアーヌお義姉様と同い年の、御次男様。
そんな方とリュシエンヌ様が婚約されているなんて、わたくしは知りませんでしたわよ。
「あ、あの! まだ正式ではなくって、婚約の約束の段階で……サシャ様のお兄様の婚約が整ってからでいいと、サシャ様が仰っていて、私ものんびりとしておりますし……その……他言はどうか、ご容赦くださいませ」
深く頭を下げるリュシエンヌ様のお姿を見たのでしょう。リュシエンヌ様に強火な気持ちをお持ちになってしまった残念な父が、母の制止を振り切ってこちらへ向かってきます。
父はわたくしと兄の父であって、リュシエンヌ様の父ではないのですが? どうしてそのようにお怒りになっているのです?
「なにをしているんだい? リュシエンヌ嬢、我が息子と娘がなにかしたかな?」
「マティアス様、おやめになって」
「グレースは黙っていなさい。二人とも、よそ様のお嬢さんを責めたてたなんてことはしていないだろうね?」
兄が呆れたように溜息を吐きました。それはそうでしょう。父は事実を確認するより前に、我が子たちが悪いのだろうと半分以上は決めつけていらっしゃるのですから。
とはいえ、それが法務大臣のすることですか、とは言葉にはできませんでしたけれど。
だって悲しいじゃありませんか。愛しい我が子よりも、父は自身の初恋の人の娘を取ったのですから。
……父がそんな方だったなんて、思いたくありませんでした。
わたくしと兄が黙ったままでいると、シャルロット先生がわたくしたちの前に出てくださいました。そうして父をキッと睨み付けて、こう仰るのです。
「公爵様、娘の未来に投資していただけるというお話、大変光栄ですわ。ですがわたくしだけでは判断つかぬ故、夫のブレーズ伯爵と相談させてくださいませ。それはさておき……娘は医師を目指す身、その能力をどうして公子様やご令嬢が阻むと? 娘はご令嬢と親しくしておりますもの、感謝を述べただけですわ。ねえリュシエンヌ、そうでしょう?」
「は、はい、その通りでございます。この度は本当にありがとうございます! わたくし、これからも精進して立派な医師になってみせますわ」
「娘への投資の話はまた今度、ゆっくりとさせてくださいませ。それよりも今宵の素晴らしい夜会を、娘ともども楽しみたく存じます」
きっちり、カーテシーを見事に披露されたシャルロット先生とリュシエンヌ様に、わたくしは尊敬の意を抱きました。
いつの間にか注目されていたのかしら。……このように騒いでいたのですもの、注目くらいされますわね。
夜会に出席なさっている方々も、シャルロット先生のこの場の捌き方とリュシエンヌ様との見事なカーテシーに、拍手をされていますわ。
ですからきっと、先ほどの父の姿など皆様の記憶にはうっすらとしか残らないでしょう。そうであって欲しいと願っております。シャルロット先生も、そう願っての行動だったのでしょうから。
こうしてこの日の夜会は、お二人のカーテシーが素晴らしかったという話で持ち切りなり、つつがなく終了いたしました。
続く。
最終話は明日の同じ時間に。




