1.初恋の人
皆様ごきげんよう。わたくしはラインバウト公爵家のソランジュと申します。
現在は王立アベリア学園に在籍する三年生ですわ。学園では【白百合姫】と密かに呼ばれております。大変光栄なことと存じます。
つまるところ、高嶺の花扱いをされているのですわ。婚約者もいません。父がわたくしを溺愛しているせいなのです。六歳年上の兄の婚約はさっさと整えたというのに、わたくしの婚約の話になると断固拒否の姿勢をとっているからです。
本当に、困ったお父様ですわ。
その父の話をいたしましょう。
わたくしの父は、国王陛下からの信頼も厚い法務大臣を務めております。他家との交友関係も良好で、わたくしは父の悪い噂を聞いたことはありません。
――娘の私に気遣って、周囲が口を閉ざしているだけなのかもしれませんが。
それでもほんの少しでもよくない声を聞くことだってあるでしょうが、幸いにしてわたくしの耳まで届いておりません。わたくしに接触してくる学園の方々も、悪意などが見当たらないので幸せな日々を過ごせておりますわ。
――少し、話がそれましたわね。
とにかく、わたくしの父は貴族としてきちんとなさっている方なのです。悪いことに手を染めることもなく、陛下のため、この国のためにと身を粉にして働いております。
そして家族の前ではとても愛妻家で、親馬鹿子煩悩娘大好き人間です。
平気でデレデレとした表情をなさるので、母はいつもあらあらと困ったように嬉しそうに相手をしております。わたくしと兄も呆れつつもきちんと応えるので、もしかしたらわたくしや兄も父のことが大好きなのかもしれませんわ。
調子に乗られると大変なので、父には絶対に言ってあげませんけれども。
そんな父が、ある日突然こんなことを言い出したのです。
わたくしがたまたま学園の寮から戻ってきていた日のことでした。夕食後、人払いをして家族だけの団欒の席での出来事です。
「ブレーズ伯爵のご令嬢と会えないかなあ?」
衝撃的でしたわ。
愛妻家で親馬鹿子煩悩の父が、まさか家族に令嬢との逢引きをしたいと仰るなんて。
わたくしと兄は、それはもう怒りました。なにを考えてるのです、お立場をお考え下さい、その令嬢とはどういう御関係なのですか。
わたくしたちが詰め寄ると何故か父は困惑なさるので、そのことにこちらも困惑です。まさかわたくしたちの言葉の意味が分からないのでしょうか、と。
ここで母に助けを求めました。さぞかし母は怒ってらっしゃるでしょう。おっとりした母であっても、父の言葉となさろうとしている行動に怒りを覚えないわけがありません。
しかし。
「そうですわね、夜会でも開いてみましょうか?」
母は何故か、父の味方だったのです。
これにはわたくしも兄も、呆気にとられました。
「ところでマティアス様、ブレーズ伯爵令嬢とはどちらで?」
「ああ、医術院だよ。クレール先生に代理で書類を届けてね、その帰りに出会い頭でぶつかってしまって」
「まあ、運命的ですわね」
「ソランジュちゃんと同い年ということは知っていたけれど、大きくなったなあ」
「まあ、マティアス様ったら。ブレーズ伯爵令嬢とは、これまで一度もお会いしたことがありませんでしたのに」
わたくしと兄を置いて、何故か父と母は和やかに話をなさいます。
わたくしも兄も、もしかして見当違いな怒りを父にぶつけていたのでしょうか。それならそうと、ちゃんと説明が欲しいですわ。
「父上、母上、ご説明を」
「……説明とはなんだい、ディオン。詳しい説明も聞かず、一方的に私を責めたてたのはお前とソランジュちゃんじゃないか。ソランジュちゃんはいいよ、ブレーズ伯爵令嬢に夜会の招待状を渡して必ず出席して貰うよう頑張って貰うから。でもお前はね……」
「申し訳ありませんでした。ロランス侯爵に、オリアーヌとの結婚式をいい加減早めるように進言いたします」
「え、ホント? オリアーヌ嬢が嫁いできてくれたらお前に爵位を譲って、私とグレースが領地に戻って隠居していいって話、進めちゃうよ?」
「それでお許しただけるならば」
どうやら兄が腹を決めたようですが、父のことだからなにかあればこの話をすると決めていたことでしょう。こういうところは流石はお父様ですわ。
オリアーヌお義姉様の御父上も、我が父と同じく親馬鹿子煩悩娘大好き人間です。それ故に娘が嫁ぐ時期をじりじりと延ばしていたのですが、今回ばかりは仕方ありませんわ。兄もロランス侯爵の娘への思いを慮っていたのですが、相手が悪すぎます。
「それでお父様、わたくしがブレーズ伯爵令嬢を夜会にお誘いするのは承知しましたが、そもそものお話を聞きとうございますわ」
改めてわたくしの方からも問うと、父はピリッとした空気をまとわせました。愛妻家の子煩悩の穏やかな父の姿ではなく、まるで公爵として法務大臣として振舞っている時のような。
わたくしはぞくりとして、少し父を恐ろしく思いました。
もしかすると、ブレーズ伯爵家とは遺恨があるのでは? 父も母も和やかに会話をしていたけれど、本当のところは別にあるのでは?
――そう思っていた時期も、わたくしにはありました。
「ブレーズ伯爵家の伯爵夫人はね、お父様の初恋の人なんだよ」
「学生時代は才媛といわれるほど賢い方で、ブルネットの髪もサラサラでとてもお綺麗な方だったのよ」
え??
「伯爵夫人が、お父様の……」
「初恋の、人……」
上手く飲み込めないのは兄も同じのようで、口に出しても理解が遠い。兄妹揃って間抜けな顔で首を傾げるしかありません。
迫力のある雰囲気を引っ込めた父は、薄っすらと頬を染めていましたけれど。どうしてそのような表情をするのか、やっぱりわたくしには理解ができませんでしたけれど。
「当時私は二十歳でね、父の……お前たちのおじい様の手伝いをしていた時期だった。その頃はよく研究棟に足を運んでいてね、公爵家にとって有益な研究をしている人物がいないか探っていたんだ」
今でこそ父は法務大臣を務めておりますが、ラインバウト公爵家としては未来ある優秀な研究者を支援するために研究費を工面する、所謂パトロンをしております。今も数名の研究者を支援しており、よりよい暮らしのために頑張っていただいておりますわ。
「ある日の研究棟からの帰りに、今日のように出会い頭にご令嬢とぶつかってしまってね。それが、のちのブレーズ伯爵夫人だったんだ」
「ですから運命的だと、先ほど話したのですよ」
「そうだね、同じ出会い方をしてしまった。……彼女とは何度か研究棟で顔を合わせるうちに仲良くなってね、私は彼女に恋をしてしまったんだ」
まるで大切な思い出のように……いいえ、父にとっては大切な思い出なのでしょう、話を進めてくださいますが、わたくしの胸中は複雑です。
母はどうしてそのような話を許容して、微笑んでいらっしゃるのでしょう。愛する夫の昔の恋のお話なんて、普通ならば聞きたくはないと思うし、娘のわたくしが聞くのもつらい。きっと、兄も同じ気持ちだと思います。
「両家の家長に願い出る前に彼女に直接想いを告げたかった私は、できれば婚約したいと、結婚したいと彼女に申し出た。すると彼女は……すきなひとがいると……わたしを……ふっ……ふって……ぐれーす、わたしいま、ないてないよね?」
「大丈夫ですわ、マティアス様。少々情けないお顔ですけれど、涙は流れておりません」
まるで真新しい傷のようにお話しなさる父に、わたくしは言いようのない悲しさを覚えました。円満家庭だとばかり思っていたので、父に今でも忘れられぬ方がいらっしゃることが悲しかったのです。
わたくしが顔を歪ませてしまったのでしょう、きっと同じ思いをしている兄がそっとわたくしの肩を抱いてくださいました。それだけでわたくし一人でこの問題を抱えているわけではないと、心強く感じました。さすがはわたくしのお兄様です。
「それで、伯爵夫人は父上を振って、想い人のブレーズ伯爵に嫁いだ、と?」
「そこなんだけどね、彼女は結局想い人と結婚しなかったんだ。できなかった、と言った方がいいのかな。政略結婚だったからね、彼女とブレーズ伯爵とは」
それならば、と安易にわたくしは思うのです。伯爵家が相手ならば、公爵家の父を愛しておらずとも愛されて結婚した方がよろしかったのでは、と。
どうにもできない政略結婚だったのならば、父ならばどうにでもしてあげたでしょうに。
「それから私はね、みっともなくも自棄を起こして遊び歩いていたんだ。それを助け支えてくれたのが、医術院のクレール先生とおじい様さ。私にグレースを紹介してくれてね、私が自棄を起こしていた理由を聞いてもグレースは受け止めてくれて……私の女神になった」
「まあ、女神だなんて。わたくしはただ、マティアス様のすべてを知って受け止めたかっただけですわ。マティアス様はわたくしの憧れの方でしたもの」
あ、意外と大丈夫でした。ちゃんと円満家庭でしたわ、我が家は。父の過去を知った上で、母は父のそれすらも受け入れて結婚したみたいです。
けれども、これはどうなのでしょう。愛妻家として子煩悩として、それはそれとして、としてもよろしいのでしょうか。
「まあそんなわけでね、彼女の娘とばったりと同じ出会い方をしてしまって、もう少しゆっくりと彼女の話をできたらなぁって思って」
「却下ですね」
「ディオン……駄目かい?」
「駄目ですね。そんなにお話ししたければ、令嬢の方ではなく直接伯爵夫人とお話しされては如何です」
「ロロットと直接話すなどできるわけないじゃないか。振られて以来一度も会ったことも話したこともないのに、どのツラさげて会えるというんだ?!」
「お父様、わたくしたちだけしかいないとはいえ、ブレーズ伯爵夫人を愛称で呼ぶなどなりません!」
「いいじゃないか、私たちだけしかいないんだから」
「よくありません!」
わたくしは公爵家の令嬢として、礼節をきちんと重んじるようにしています。昨今の令嬢たちは爵位に関係なく軽い対応をしがちな傾向にありますが、貴族ならば品位を落とすような行いをするべきではございません。昨年から作法の臨時講師として淑女科にいらしたシャルロット先生からも、わたくしは満点の評価をいただいておりますわ。
あら、そういえばシャルロット先生の家名は……
「ロロットは、シャルロットという名の愛称……シャルロット先生の家名は、ブレーズ……わたくし、ブレーズ伯爵令嬢とは特に親しくありませんが、伯爵夫人の授業を受けておりますわ……」
歓喜の表情を見せる父と、それを見て嬉しそうになさる母。兄は現実逃避でもしていらっしゃるのでしょうか、ご自分のシャツの裾をだらしなくも引っ張り出して掴んだり伸ばしたりを繰り返しておいでです。
わたくしは叫びたくなりました。却下ですわ、と。
続く。
全3話です。
続きは明日の同じ時間に。




