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透ける約束は片結び  作者: 檻 依舞 (おりーぶ)
【第三章】多方向からの片結び

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<第四十三足>契約更新…?

「……あ?」


オープンキャンパスから数日後。


俺はスポーツ用品店で仕事をこなしつつ、勉強にも取り組んでいた。


そんなある日、マンションのポストを確認すると、一通の封筒が目に入った。


「……もうそんな時期か」


中に入っていたのは、賃貸契約の更新に関するお知らせだった。


契約を更新するか、それとも引っ越すか。


選択肢は二つしかないはずなのに、俺はどちらを選ぶべきか決められずにいた。


「……どうすっかなぁ」


今の部屋に住み始めてから、そこそこ時間が経っていたらしい。


更新するなら、更新料を払う必要がある。


引っ越すなら、次の部屋を探さなければならない。


どちらにせよ、面倒だ。


「……この部屋、悪くなかったんだけどな……」


別に、今の部屋に不満はない。


男の一人暮らしには十分な広さだし、立地も悪くない。


家賃もちょうどいいし、買い物にも困らない。


わざわざ引っ越す理由なんて、どこにもなかった。


「……このまま一人で住むか……?」


ふと、脳裏に一人の少女が浮かんだ。


小柄で、猫のように気まぐれで、呑気で抜けている。


何を考えているのか分からないくせに、表情を見れば大抵のことが分かる少女。


如月夢玖。


「…………なんでこんな時に……」


俺は契約更新のお知らせをテーブルに置き、携帯を手に取った。


そして、ある人物の名前を探す。


「……希望さん」


送信先は、生野希望。


高校時代からの先輩で、今も何かと世話になっている人物だ。


『希望さん、今暇すか?』


数秒後、既読がついた。


『暇だけど、どうしたの?』


『聞きたいことあるんすけど……』


『進展でもしたか?』


『してねぇっすよ』


『へぇ……? もしかして、LINEでは言いにくい話?』


何度かやり取りを重ねるうちに、希望さんは察したらしい。


『……話が早くて助かります』


『今、舞姫が実家に泊まってて俺一人なんだわ。飯でも行くべ』


『はい』


俺とは正反対の容姿を持つ希望さんだが、これでも俺より一つ年上の先輩だ。


俺は出かける準備を整え、部屋を後にした。


****


「それで……話って何?」


俺たちがよく利用する居酒屋。


希望さんは枝豆とポテトサラダ、もつ煮込みをテーブルに並べ、コーラを飲みながら尋ねてきた。


「そんな可愛い顔して聞かれても困りますよ」


「俺、可愛い? ありがとう」


「……あんたねぇ」


女の子みたいに色白で、中性的な顔立ち。


黙っていれば美青年なのに、口を開けばこれだ。


百九十五センチの男と、小柄な美青年が二人で居酒屋に座っている。


第三者から見たら、俺にそういう趣味があると思われているかもしれない。


……失礼な話だ。


俺はカシスオレンジを片手に、焼き鳥や唐揚げ、焼きおにぎり、だし巻き玉子を頬張りながら口を開いた。


「実は、賃貸契約のお知らせが来て……引っ越すか、契約を更新するかで悩んでるんです」


「それ……俺に相談する内容なの? お前が決めればよくね? でも、確かに引っ越してから結構経つよな」


……しまった。


話の切り出し方を間違えた。


これじゃあ、ただの引っ越し相談だ。


本当に聞きたいことは、別にある。


「いや……あの……希望さんって、舞姫さんと同棲してるじゃないっすか?」


「お、おう……?」


希望さんの表情が、わずかに変わった。


「ま、まさか……お前……」


「き、如月と同棲したいなんて、言わねぇべ?」


「っ……」


……この人、察しが早すぎる。


普段から人の表情や雰囲気をよく見ているせいなのか、こういう時の勘が妙に鋭い。


「えっ……マジ?」


「…………」


「付き合って……ないよね?」


「はい……まだ告白すらしてねぇです」


希望さんは、痛いところばかり突いてくる。


頬杖をつき、呆れたように俺を見つめた。


****


「……つまり、同棲がどんな感じなのか知りたいってこと?」


「はい」


ようやく、本題にたどり着いた。


希望さんは小さく息を吐く。


「そっか……。俺たちは廉命の恋を応援してるけど、俺たちが思ってる以上だったとはね……」


「…………」


「如月、幸せ者だろうな……ふふっ」


「……何がっすか」


「いや、別に?」


絶対に面白がっている。


俺は聞かなかったことにした。


ふと、オープンキャンパスの帰りに立ち寄ったファミレスでの出来事を思い出す。


『好きな人を想う時間は、何よりの幸せじゃないですか〜♡』


仁愛が、唐辛子を大量に振りかけた辛味チキンを食べながら、そんなことを言っていた。


あの時、俺は思った。


彼女が想いを寄せる福吉さんは、幸せ者だと。


……まあ、本人がどう思っているかは知らねぇけど。


「そうだな……同棲って、一緒に飯を食って、くだらない話で笑って、同じ家で眠る。そういう生活のことだよ」


希望さんは、いつもの軽い調子を少しだけ抑えて話し始めた。


「同棲って聞くと、好きな人と二十四時間ずっと一緒にいられる、みたいなイメージがあるかもしれないけど……実際は違うよ」


「…………」


「生活習慣の違い、食べ物の好み、家事の分担、生活費の負担。どれだけ仲がよくても、一緒に暮らせば今まで知らなかった一面が見えてくる」


「…………」


「一人なら自分の都合で決められることも、二人なら相談が必要になる。俺も舞姫も、一人になりたい時はあるし、体調が悪くて余裕がない時だってある。そういう時に、どう接するかも大事なんだよ」


「……面倒っすね」


確かに、希望さんの言うとおりだ。


そばにいるだけなら気づかないことも、一緒に暮らせば見えてくる。


だとしたら、如月の意外な一面も見えてくるのだろうか。


……いや、今はそこを考えるところじゃねぇ。


「確かに……同棲は楽しいことばかりじゃないよ」


希望さんは、まっすぐ俺を見て答えた。


「でもね……それでも舞姫と一緒にいたいし、一緒に暮らしてることを後悔したことはないよ」


「…………」


希望さんは、少しだけ表情を和らげた。


「一緒にご飯を食べたり、帰ってきた時に顔を見たり。二人で笑い合う時間が、意外と嬉しいんだよね」


「……希望さん」


「同棲って、好きな人を自分のそばに置いておくためのものじゃないし、いくら好きだからって、自分の思いどおりにしていいわけでもないからね」


「はい……」


「……それにさぁ……」


希望さんはコーラを一口飲み、再び俺に視線を向けた。


「お前は、こんなにもガタイも顔もよくてモテまくってるのに、恋愛だけ赤点なんだよ」


「……は?」


あまりの言われように、目が点になった。


「付き合いたいって思うところまでは分かるよ。でもさ……」


希望さんは、呆れたように肩をすくめる。


「普通、好きな子ができた途端に、将来まで一人で完成させようとしないんだよ」


「…………すみません」


「いいか? 恋愛で大事なのは、焦らないこと」


「焦ること……」


「うん。もちろん、好きになる速さも、相手との距離の縮め方も人それぞれだよ。まして、如月は恋愛に慣れてないだろ?」


「……そうっすね」


「だから、焦らず時間をかけて、如月との関係を深めていくんだよ。お前が一緒にいたいと思うのと同じように、如月がどうしたいと思ってるのかも、ちゃんと考えてさ」


希望さんはコーラを飲み干した。


「賃貸契約のお知らせを見て、同棲の相談をされるとは思わなかったわ……」


「しかも、本人の気持ちはまだ確認してないし……」


「…………」


希望さんの言葉が、グサッと胸に刺さる。


「……重すぎるんだよ、お前は」


「……すいません」


希望さんは呆れ、俺は絶望した。


まるで、飼い主に怒られた子犬のように、しょんぼりとうなだれる。


****


「同棲する時はね、二人でたくさん話し合ったよ」


希望さんは、改めて口を開いた。


「俺が舞姫と一緒にいたいかどうかだけじゃなくて、舞姫も同じ気持ちなのか。生活費はどうするのか。家事はどう分担するのか。そういうことを一つずつ決めていったんだ」


「…………」


「それに、何かあった時にちゃんと話し合えるか。嘘をつかずに向き合えるか。そういうことも大切だからね」


希望さんは指を三本立て、俺に目を向けた。


「……好きな人を想う気持ちは分かるよ。お金も時間も大事だけど、何より二人の気持ちが大事なんだ」


「……うっす」


「って感じかな。部屋については、ゆっくり考えなよ」


「……はい」


ようやく、相談が終わった。


……いや、相談というより、説教を受けただけの気もする。


「俺、ジンジャーエールおかわりしよ。あと鮭茶漬け。廉命は追加でなんか頼む?」


「俺は……もつ鍋、チーズ麻婆豆腐、焼き鳥盛り合わせ、牛肉ユッケと……」


「…………」


希望さんは、俺の注文を聞いてしばらく黙った。


「……如月、お前の毎月の食費に驚くだろうな……」


「……は?」


「いや、なんでもない」


……何なんだよ、マジで。



「…………如月、お前の毎月の食費に驚くだろうな……」


「……は?」


「いや、なんでもない」


希望さんは呆れたようにため息をつき、ジンジャーエールを飲んだ。


……何なんだよ、マジで。


結局、その後も希望さんに散々からかわれながら、俺たちは居酒屋を後にした。


帰宅してから、テーブルの上に置きっぱなしだった契約更新のお知らせを手に取る。


更新するか、引っ越すか。


答えは、まだ出ていない。


「…………」


ふと、夢玖の顔が浮かんだ。


一緒に暮らしたら、どんな毎日になるんだろう。


朝起きて、顔を合わせて。

一緒に飯を食って、くだらない話をして。

そんな何でもない日々を、当たり前のように過ごして。


……悪くねぇな。


「…………いや、だから気が早ぇんだよ」


誰に言い訳するでもなく、俺は一人で呟いた。


まだ告白すらしていない。


夢玖が俺をどう思っているのかだって、分からない。


それなのに、勝手に未来を想像している。


……我ながら、どうかしてる。


俺は契約更新のお知らせをテーブルに戻し、スマートフォンを手に取った。


画面に表示された名前は、如月夢玖。


『今日、何してた?』


送信してから、ふと思う。


同棲だとか、将来だとか。


今は、そんな先のことを考えるよりも。


まずは、こいつのことをもっと知りたい。


何が好きで、何をしたくて、どんな未来を望んでいるのか。


俺の知らない夢玖を、少しずつ知っていきたい。


『今日はな、舞姫ちゃんと電話しとったで〜! 廉命くんは?』


すぐに返ってきた返信を見て、自然と口元が緩む。


『……別に。いつもどおり』


『そっかぁ! また今度、お話ししよな!』


「…………ああ」


小さく呟いて、スマートフォンを置いた。


契約更新の答えは、もう少し先でいい。


焦るな、と希望さんにも言われたばかりだ。


……分かってる。


分かってるけど。


「……好きなんだよなぁ」


誰もいない部屋に、ぽつりと声が落ちた。


まだ何も始まっていない。


それでも、いつか。


この部屋で、隣にいるのが夢玖だったら。


そんな未来を、少しだけ夢見てしまった。

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