<第四十足>まだ恋とは呼べなくて
「よっ」
「うわぁ……ほんまにお迎え来たんや」
「俺は嘘つく趣味ねぇからな。……早く乗れ」
オープンキャンパス当日の朝。
俺は煌星家へ迎えに来ていた。
ドタドタと、玄関の向こうから足音が響く。
猫か?
一瞬そう思ったが、すぐに玄関のドアが開いた。
「廉命さん、相変わらず早ない……?」
「うるせぇ。女は男より準備に時間が掛かる生き物なんだよ。お前は色気ねぇから、時間掛からねぇはずだけど……?」
「廉命さん……通常運転やな……」
如月さんは呆れたように俺を見た。
朝から二人きりになれる。
そう思うと、正直、嬉しい。
なのに、口を開けば出てくるのは悪態ばかりだ。
「別に、いつも通りだろ。待ち合わせがあるんだから行くぞ」
「ふふっ。愛姉、院長、行ってきまーす!」
玄関から愛さんと院長が出てきた。
「おう。しっかり色々見てきなさい。日出君……娘を頼んだぞ」
「はい……」
院長に真剣な目で見つめられ、俺も思わず背筋を伸ばす。
─娘、ね。
いや、別に変な意味じゃねぇだろ。
「廉命君。夢玖ちゃんに変なことしたら……分かるわね?」
「愛さん?」
「分かるわね?」
「うっす」
愛さんから圧が掛かる。
本当にこの人は、俺に何か恨みでもあるのだろうか。
目つきなんて、まるで獲物を前にして威嚇するキツネだ。
「……愛姉、目がキツネ〜」
「あら。魔除けよ。義妹を守る魔除け」
─魔除けというより、完全に威嚇だろ。
「そういえば、夜海ちゃんたちと待ち合わせするんでしょう? 夢玖ちゃん、ICカードは持ってる? TAPカードかクリッパーカードなら貸すわよ?」
「なければ、私のはやかけんを貸すぞ?」
「おおきに。でも私、イコカあるねん。ほな、行ってきます!」
「……あんたたち、この子に過保護すぎません?」
「知らないの?ロサンゼルスやサンフランシスコで使う交通系ICカードよ」
─ICカードの話になった。
そういえば、如月さんは大阪の人間だ。
東日本でいうSuicaとは、呼び方が違うらしい。
いや、ICOCAもSuicaも、使える地域はそれぞれ広いんだけどな。
─てか、はやかけんって何だ?
愛さんに関しては、何を言っているのかさっぱり分からねぇ。
俺たちは、ひとまず車で郡山駅へ向かった。
****
「よし。駐車場オッケー……如月さん、行くぞ」
「郡山駅前って、モータープール充実してるんやな」
「……モータープール?」
郡山駅に着き、車をコインパーキングに停める。
オープンキャンパスが始まってもいないのに、如月さんはさっそく意味の分からない言葉を口にした。
モータープール。
初めて聞いた言葉だ。
「あ、関西では車停めるとこ、モータープールっていうねん」
「……あっそ。お前はもう少し東日本のことを学んだ方がいいぞ」
「嘘やろ……」
いや、知らなかったのは俺の方なんだが。
そんなことを知る由もない如月さんは、納得のいかない顔で首を傾げている。
しかし、彼女が当たり前だと思っていた関西の文化に、俺たちがこれほど振り回されることになるとは、このときはまだ知る由もなかった。
「ええと……確かゾッテリア前で集合だよな。エスカレーターに乗って行くぞ」
「うん……」
在来線の乗り場へ向かうため、俺たちはエスカレーターに乗ることにした。
近くのゾッテリアで、夜海たちと待ち合わせをしているのだ。
─が。
「なんで右側に立つんだよ!」
「関西では当たり前やねんっ!」
「事あるごとに関西人面すんなっ!」
「生粋の関西人やねん!」
エスカレーターの立ち位置ひとつで、ここまで揉めるとは思わなかった。
「二人とも……朝からラブラブだね」
「早く早くー!福島行きの電車、来ちゃうよー!」
「「あ……」」
エスカレーターを上りきったところで、夜海と仁愛が待ち構えていた。
─最悪だ。
見られてしまった。
「へぇ……!関西って、こんなに文化も違うんだね……!」
「感心すんなっ!」
「ええと……アクドナルドのこと、アックとかアクドって呼ぶの?」
「せやねん、せやねん!色んな呼び方あるなぁ」
「話を逸らすな!ほら、行くぞっ!」
夜海も仁愛も、関西の文化に興味津々だ。
俺が間に入らなければ、いつまで経っても駅の改札にたどり着けなかっただろう。
─彼女達、本当にオープンキャンパスに行く気あるのか?
****
「へぇ……! あ、夜海ちゃん見て! 電車のドアにボタン付いとる!」
「開閉ボタンね。東北の電車では普通なんだよ」
「へぇ……。なんでなん?東北の人って、せっかちなん?」
初めて見る東北の電車に、如月さんは興味津々だった。
目をキラキラさせながら、ドアのボタンを眺めている。
─その目で、こっちを見ていただきたいものだ。
「ううん。車内の冷暖房を逃がさないためとか、虫や外気が入ってくるのを防ぐためみたい」
「へぇ……東北、すごい」
「大阪の電車はどんな感じなの?」
「せやなぁ……まず、大阪メトロに地下鉄、JR、阪神電鉄とかが充実してるんよ。万博のときは、特にえらい人多かったで……」
「さすが……」
如月さんの話に、夜海が感心したように頷く。
そのとき、車内アナウンスが響いた。
『まもなく、福島行きの列車が入ります。危ないですから、黄色い線の前にお立ちになるのはおやめください』
「あ、福島行きの電車来たよ!みんな、乗るよ!」
「はーい!」
****
「すぅ……」
「寝ちゃった……」
電車に乗って数分。
如月さんは、早くも夢の中だった。
「どんだけ寝たいんだよ……」
「……あ、夢玖ちゃんの頭が廉命さんの肩に……♡」
「…………っ」
気づけば、如月さんの頭が俺の肩に寄り掛かっていた。
向かい合わせの席で、俺たちは四人並んで座っている。
──いや、なんで俺なんだよ。
起こすべきか。
いや、でも。
─。
「おぉー!スクショ、スクショ!」
「撮るなっ!」
ニヤニヤしながらスマホを構える夜海を、俺は慌てて制止した。
「いいなぁ……仁愛も福吉さんと……♡」
「妄想するなっ!」
──なんなんだ、こいつらは。
人の気も知らねぇで。
いや、別に。
如月さんが寄り掛かってきたからって、何か特別な意味があるわけじゃない。
ただ、寝ているだけだ。
分かってる。
分かってるけど。
なんだろうな、この時間は。
妙に落ち着かないくせに、嫌じゃない。
むしろ─。
「次は……金谷川〜、金谷川〜」
車内アナウンスが流れた。
「夢玖ちゃん、次で降りるよ!」
「ん〜……」
「こら寝坊助、次で降りるぞ」
「ん〜……おんぶ……」
「……は?」
今、なんつった?
如月さんは目を閉じたまま、俺の服をつまんでいる。
次で金谷川駅に着く。
降りなきゃならない。
なのに、こいつはまったく起きる気配がない。
それどころか、おんぶをせがんできやがった。
──なんで俺が。
「廉命さん、頑張って♡」
「うるせぇ!」
仁愛の声を背中に受けながら、俺は如月さんの肩を揺すった。
「起きろ、如月さん。着いたら置いてくぞ」
「……んぅ」
「置いてくっつってんだろ」
「……れんや、さん……」
─。
─その呼び方は、反則だろ。
****
「おぉー!福島大学、着いた〜!」
ようやく、福島大学に到着した。
ここまでの道のりで、俺の心臓と脳がどれだけ忙しかったことか。
─当の本人には、絶対に分からないだろう。
俺たちは校門をくぐり、二手に分かれた。
「じゃあ、人間発達心理学科はこっちだから……終わったら、ここに集合ね〜」
「おっけ。ほら、行くぞ、如月さん」
「また後でね〜!」
「うん、またな!」
学科ごとに、向かう場所が違う。
仁愛と夜海は人間発達心理学科へ。
俺と如月さんは、スポーツ科学科の体験授業へ向かった。
オープンキャンパスが終わったら、再びこの門の前に集合する。
そう約束して、俺たちはそれぞれの目的地へ歩き出した。
****
「へぇ……!スポーツ科学科って、色んな理論の科目もあるんやね……!」
「すげぇ……。思ってた以上に細けぇな」
学科の説明を聞いたあと、体験授業へと移る。
周囲には、他校から来た生徒たちも大勢いた。
「でしょ?でも、実技と一緒に学ぶから、だんだん分かってくるんだよねぇ」
「てか、君、めっちゃガタイいいじゃん!身長何センチ?」
突然、大学の在校生らしき男が俺に話しかけてきた。
「……百九十五センチっすけど」
「めっちゃデカいじゃん!高校どこなの?」
「え……いや、俺、高校生じゃなくて……二十歳のフリーターで……」
「マジ?え、じゃあ、この子はどこ高?」
「んにゃ……?」
男の視線が、隣にいた如月さんへと移る。
─なんだ?
胸の奥が、ざわついた。
「君はどこ高なの?てか、オッドアイって珍しいね!」
「聖陵情報です……。目は生まれつきで……」
「その話し方……さては関西人でしょ?」
「はいっ! 生粋の大阪生まれ、大阪育ちです!」
如月さんは、いつも通りの調子で答えている。
何もおかしなことはない。
相手はただ、世間話をしているだけだ。
─なのに。
「マジで?関西弁、なんか話してみてよ!」
「ええと……」
如月さんは少し考え込むと、照れくさそうに口を開いた。
「べ、別にぎょうさんたこ焼き好きやないねん!でも……一緒にお好み焼き食べてもかまへんで……?」
「うぉぉ!美少女の関西弁、ご馳走様です!」
「君めっちゃ可愛いねっ!身長いくつ?」
「百四十三センチです……。これでも高三やねん!」
「ちっちゃ……!はぁっ、癒やされる〜!」
「如月さんって言うんだ……。彼氏、いるの?」
─は?
思わず、男の顔を見た。
彼氏?
今、こいつ─何を聞いた?
如月さんは、きょとんとした顔で男を見上げている。
──おい。
なんで、そんなことを聞く必要がある。
そいつが誰と付き合っていようが、こいつには関係ねぇだろ。
──いや。
俺にも、関係ねぇ。
関係ねぇはずなのに。
胸の奥が、さっきよりもずっと騒がしい。
初めて覚える、心のざわつきだった。
……To be continued




