<第三十七足>夏の始まり
「よし!夏休みのオープンキャンパスの計画を立てるよー!」
体調が回復し、少しずついつもの学校生活に戻ってきたある日。
私たちは休み時間に、夏休みに参加するオープンキャンパスの計画を立てていた。
「ここは仁愛が四人分まとめて応募して……最寄り駅は金谷川駅なんだよね」
「えっ、福島駅やないん?」
「ううん。金谷川駅から徒歩十分だよ」
「電車で行くんやな……」
仁愛が、オープンキャンパスの資料を私の机に広げた。
最寄り駅は、金谷川駅。
そこから徒歩十分。
大阪にいた頃は、地下鉄の駅から目的地まで五分もかからないことが多かった。
だから、徒歩十分という距離が、少し遠く感じられた。
「うん! 夢玖ちゃん、東北の電車に乗るのは初めてだっけ?」
「せやで。東北の電車、初めてやねん」
「それなら、郡山駅に朝八時半集合にして、みんなで向かおうか」
「仁愛ちゃん、詳しいん?」
「うん! 毎日、福島市から通ってるからねぇ」
仁愛が案内してくれるらしい。
大阪から福島に来て、数か月。
本当に、いろいろなことがあった。
十八歳になり、期末テストも商業の検定も乗り越えた。
アルバイトにも、少しずつ慣れてきた。
まだまだ分からないことも多いけれど、以前よりも、この場所での暮らしに馴染めている気がする。
「勉強も大事だけど、成績を落とさないようにしないとね。でも……せっかくの夏休みなんだし、また三人で遊ぼうよ!」
仁愛が、にこっと笑った。
「……うんっ!」
私は、嬉しくなって頷いた。
勉強も、友達とのお出かけも。
今までの私には、当たり前ではなかったこと。
今年の夏は、どんな思い出ができるんやろう。
そんなことを考えながら、私は広げられた資料を覗き込んだ。
そして、私の新しい夏が始まろうとしていた。
****
「ええと……皆さんに連絡があります。明後日から夏休みに入ります」
帰りのホームルーム。
愛姉は黒板の前に立ち、夏休みの過ごし方について説明していた。
「大学や看護系への進学を考えている人は、夏休み中に課外授業が行われます。部活動も、やりすぎないように。それから、昼夜逆転した生活にならないよう、規則正しい生活を心がけてくださいね」
「はーい」
クラスメイトたちの返事を聞いて、愛姉は小さく頷いた。
「それから、皆さんにもう一つお知らせがあります」
愛姉は手元の資料を確認してから、改めて教室を見渡した。
「九月中旬に、修学旅行を実施することになりました。行き先は、学年会議で話し合った結果、北海道に決まりました」
「ええっ、北海道!?」
「おおー! ジンギスカン!」
「蟹ーっ!」
教室が一気に賑やかになった。
「はいはい、静かに!」
愛姉が手を叩く。
「本当は関西方面も候補に挙がっていたのだけれど、二年生と行き先が重ならないように、北海道に決まりました」
そうだったんや──。
確か、修学旅行って、高校二年生の秋頃に行くものやと思っていた。
けれど、あとから聞いた話では、私たちの修学旅行は、本来なら去年の秋に実施される予定だったらしい。
ところが、台風の影響で延期になり、今年の九月中旬に行われることになったのだという。
「それから、二学期には文化祭も体育祭もあります」
「おおー!」
「楽しみ!」
クラスメイトたちが、再び盛り上がる。
しかし、愛姉は少しだけ表情を引き締めた。
「ただし、皆さんは三年生です。進学を目指している人も、就職活動をしている人も、それぞれ自分の進路と向き合わなければなりません。学校行事を楽しむことは大切ですが、受験生・就職活動中の生徒であるという自覚も忘れないでくださいね」
「はーい!」
賑やかな返事が教室に響く。
修学旅行に、文化祭に、体育祭。
高校生活最後の一年には、まだまだたくさんの行事が待っている。
勉強だけではない。
友達と過ごす時間も、学校で作る思い出も、きっと今しか味わえないものだ。
今までとは違う夏が、始まろうとしていた。
****
「それでは……これより、家族会議を始める」
「……えっ?」
帰宅すると、義父が待ち構えていた。
実は、その日の昼頃。
煌星家のグループLINEに、こんなメッセージが届いていた。
『突然だが、今夜、家族会議をする』
家族会議。
一体、何の話やろう。
そう思いはしたものの、私はあまり深く考えていなかった。
けれど、いざ食卓を囲んでみると、義父も愛姉も、いつになく真剣な表情をしていた。
「舞姫は来年の冬に看護師国家試験を控えているから、今は勉強中だな。そして、夢玖も大学進学を考えている……そうだな?」
義父が、私たち二人に視線を向けた。
「うん。私、絶対に看護師になるから」
舞姫姉が力強く頷いた。
その表情には、迷いがなかった。
舞姫姉は、看護師になるという目標に向かって、日々勉強を続けている。
そして、私も。
「うん……。でも、まだ進学先が決まったわけやないねん。夏休みにオープンキャンパスへ行くことだけは決まってて……」
大学に進学したいという気持ちはある。
でも、どこで何を学びたいのか。
その答えは、まだ見つかっていなかった。
「……そうか」
義父は静かに頷いた。
「それで……今日は何のための家族会議なん?」
私が尋ねると、愛姉が少し困ったように笑った。
「今年は、煌星家に受験生が二人いるでしょう?」
「……うん」
「去年までは、私か舞姫のどちらか一人が受験生だったから、本人に無理をさせないようにって話していたの。でも、今年は二人いるから……家族として、どう支えていくのがいいのか、話し合っておきたいのよ」
愛姉は、舞姫姉と私を交互に見た。
「二人とも、それぞれ頑張っているのは分かっているわ。でも、頑張りすぎて体調を崩したら意味がないでしょう?」
「愛……」
舞姫姉が、少し気まずそうに視線を逸らした。
思い当たることがあるんやろうか。
「そうだな」
義父も頷いた。
「二人とも、今の成績を維持できれば、合格の可能性は十分にあるだろう。ただ、成績を維持することが一番難しいとも思っている」
義父は、ゆっくりと言葉を続けた。
「だからこそ、支える側として、できることがあれば教えてほしい。勉強に集中できる環境を整えることでも、家事を分担することでも構わない。遠慮せずに言ってくれ」
その言葉に、私は小さく頷いた。
勉強を頑張るのは、自分自身。
でも、全部を一人で抱え込む必要はない。
そんなふうに思えることが、少しだけ嬉しかった。
こうして、家族会議は終わった。
けれど、変化は煌星家の中だけにとどまらなかった。
****
「えぇ……皆さんにお知らせがあります」
そして、夏休み前最後のアルバイト。
開店前のミーティングで、店長が切り出した。
「……お知らせ?」
「如月さんと廉命が受験生になる。つまり、二人のシフトを考慮して、何人か新しくパートを採用することになった!」
「……えっ?」
思わず、私は目を丸くした。
私と廉命さんが受験生になることを考えて、店長が人員を増やしてくれるらしい。
「だから、二人は心配しなくて大丈夫。店のことはいいから、自分の進路に集中してくれ」
「…………」
店長は、私たちを安心させるように笑った。
「ってことで……話は終わり!今日も一日よろしくお願いします!」
「「よろしくお願いします!」」
みんなの声が重なった。
アルバイト先でも、少しずつ変化が起きていた。
「……新しい夏、始まるんやな」
開店前で、まだ客のいない売り場。
私は、ぽつりと呟いた。
「あぁ。福島での初めての夏だ。無理せず……楽しくな」
希望さんが、横から口を挟んだ。
「……暑」
隣では、廉命さんがシャツの裾で顔を拭いていた。
その拍子に、鍛え上げられた腹筋があらわになる。
「こら廉命!腹出さない!女性客が見たら鼻血出して倒れちゃうから!」
店長が、すかさず注意した。
「如月ちゃん……今年の福島は暑いぞ。このチビみたいに倒れんなよ」
「いやいや……加堂さんも毎日休憩中にアイス食べてたじゃん。しかもチョコのやつ……」
希望さんが、すかさず反論する。
「あぁ? 別腹だろうが!」
加堂さんが、ふんと鼻を鳴らした。
「……数学と物理、生物、日本史、地理、現代文なら僕に任せてください」
今度は、雷磨さんが口を開いた。
「雷磨さん。明日の夜、ゲームで超難関クエストやりましょうね? 大会、まだでしょ?」
廉命さんが尋ねると、雷磨さんは眼鏡を押し上げた。
「えぇ。大会までに経験値を稼いで、レベルを上げて、武器のメンテナンスもしないと……。あのクエストなら、装備の属性も変更する必要がありますね」
どうやら、二人の話題は勉強からゲームに移ったらしい。
「雷磨さん……大会って……?」
私が尋ねると、希望さんが教えてくれた。
「雷磨さん、こう見えて超優秀なゲーマーでもあって……稼いでるんだよ」
「稼いで……あははっ」
思わず、笑い声が漏れた。
勉強もできて、ゲームでも稼いでいるなんて。
雷磨さんって、本当にすごい人なんやなぁ。
開店前の店内に、みんなの笑い声が響く。
その光景を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなった。
ここに来てから、たくさんの人と出会った。
心配してくれる人がいて、笑い合える人がいて。
自分の未来を考えることも、少しずつできるようになった。
「……ふふっ」
私は、もう一度、小さく笑った。
「………新しい夏、始まるで……」
……To be continued




