<第三十六足>再び咲く日
私が生徒指導室で過去を打ち明けた翌日。
噂は、校内に広まっていた。
「ねぇ、松寺さんって……あの、夜の仕事してたらしいよ?」
「えっ、あの美人が?」
廊下のあちこちから、ひそひそと声が聞こえる。
私は机に突っ伏していた。
誰も助けてくれない。
誰にも、本当の気持ちを話せない。
せっかく愛先生に打ち明けたのに。
結局、私はまた一人なのだろうか。
そんな思いが、胸の中をぐるぐると巡っていた。
放課後、私は職員会議室へ呼ばれた。
そこには、校長と教頭が険しい表情で待っていた。
「松寺仁愛さん。この件は重大です。学校として、退学も視野に入れざるを得ません」
教頭の言葉には、冷たさがにじんでいた。
「退学……ですか?」
声が震えた。
校長が、愛先生へと視線を向けた。
「担任である煌星先生は、どうお考えですか?」
愛先生は、まっすぐに校長を見つめた。
「Principal, this is unacceptable. Her past is not a crime, and it does not define her worth as a student. You cannot punish her for circumstances beyond her control.」
その声は、鋭く、力強かった。
「校長先生、これは容認できません。彼女の過去は犯罪ではありません。彼女の価値を決めるものでもありません。自分ではどうしようもない状況で、彼女は苦しんできたんです」
愛先生は、さらに続けた。
「She deserves support, not punishment. And I will make sure she is protected while under our care.」
「彼女は罰せられるべきではなく、支援されるべきです。学校にいる間、彼女が安心して過ごせるよう、私が責任を持って対応します」
会議室が静まり返った。
校長は、しばらく考え込んだあと、ゆっくりとうなずいた。
「……分かりました。煌星先生の意見を尊重します。退学処分にはしません」
私は、思わず顔を上げた。
愛先生が、こちらを見つめていた。
「仁愛ちゃん。あなたは一人じゃないわ」
その手が、私の肩にそっと置かれる。
「私が、あなたを守るためにできることをする。だから、一人で抱え込まないで」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
その後も、一部の生徒から噂を囁かれることはあった。
けれど、愛先生は各クラスで指導を行い、学校としても対応を進めてくれた。
「This kind of rumor is unacceptable. Treat your classmates with respect!」
「このような噂話は許されません。クラスメイトを尊重しなさい!」
愛先生の言葉は、教室に響き渡った。
すぐにすべてが解決したわけではない。
それでも、噂は少しずつ沈静化していった。
私は、ようやく少しだけ安心できた。
この人なら、頼ってもいいのかもしれない。
そう思えるようになった。
****
そして、私は一人の転校生と出会った。
「如月夢玖……いいます。大阪出身……よろしゅう」
初めて会ったとき、夢玖ちゃんは少し不思議な雰囲気を持った女の子だった。
大阪弁で話す、小柄な女の子。
飾らない笑顔が、印象に残った。
やがて、同じクラスの影食夜海ちゃんとも仲良くなった。
三人で話すようになるまで、時間はかからなかった。
境遇が似ていたからなのか。
それとも、ただ一緒にいて居心地がよかったからなのか。
理由は分からない。
でも、気がつけば、私は二人と過ごす時間を楽しみにしていた。
「夢玖ちゃん、今日はバイトあるの?」
「せやで。バイト先の人が迎えに来るねん。子供やないのに、わざわざ仕事抜け出してお迎え来てもらうんは申し訳ないなぁ……」
「まあ……遠いしね。あ、今度遊びに行こうね!」
「うん!三人で遊ぶん、楽しみにしてるで!」
夢玖ちゃんは、嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、私まで嬉しくなった。
そして、ある日。
私は、思いがけない人物と再会することになる。
「お迎えかぁ……どんな人?」
「うーん……煙草吸ってて、銀髪の人やで!」
「へぇ……想像つくなぁ……」
そのとき、校門の向こうから男性が歩いてきた。
「ふぅ……お、如月。来たか。よし、行くぞ」
「……はいな!」
その姿を見た瞬間、私は息を呑んだ。
「(あ、あの人……もしかして……)」
「福吉さん……?」
思わず、心の中で名前を呼んだ。
何年ぶりだろう。
風俗へ移った頃から、連絡が途絶えていた。
もう二度と会うことはないと思っていた。
それなのに。
銀髪も、煙草も、あの落ち着いた雰囲気も。
遠くから見ても、間違えるはずがなかった。
五年ぶりの再会だった。
以前よりも大人びていて、どこか近寄りがたい雰囲気が増していた。
「福吉さん……」
「……ん?」
彼がこちらを見た。
けれど、私はすぐに目を逸らしてしまった。
あの頃の自分を、彼は知らない。
「藤」と呼ばれていた少女が、目の前にいることも。
私が、どんな人生を歩んできたのかも。
「あ、福吉さん!仁愛ちゃん、夜海ちゃん、また明日なっ!」
「友達か……如月、良かったな」
福吉さんは、夢玖ちゃんにそう声をかけた。
その声を聞くだけで、胸がいっぱいになった。
「(もしかしたら……夢玖ちゃんが、また福吉さんと私を繋げてくれたのかな)」
夢玖ちゃんは、まるで猫みたいな女の子だ。
自由気ままで、気がつけば人と人との間に入り込んで、距離を縮めてしまう。
そんな夢玖ちゃんが、私と福吉さんを再び繋いでくれた。
そう思うと、不思議な気持ちになった。
─再会できて、嬉しい。
その気持ちだけは、嘘ではなかった。
歳が十歳以上離れている。
昔のように話せるかどうかも分からない。
それでも、もう一度、あの人と向き合えたら。
胸の奥にしまい込んでいた藤の花が、ゆっくりと開き始めるような気がした。
決して簡単にはほどけない、恋の予感。
それは、私自身の姿にも似ていた。
****
「Smoking is prohibited on or near the school grounds!」
「如月……この方は?」
「……私の担任で、義姉の……愛先生です」
「……あの。校舎の敷地内で喫煙するのは禁止です」
「愛ちゃん……ごめん」
どうやら昨日、福吉さんは学校の敷地内で煙草を吸っていて、愛先生に怒られたらしい。
─何をしているんだろう、あの人は。
思わず、笑いそうになった。
****
翌日。
私は登校しながら、小さく息を吸った。
福吉さんは、私が「藤」だったことを知らない。
それでも、五年ぶりに再会しただけで、心臓が痛いほど跳ねていた。
「(福吉さん……)」
「(五年ぶりに、名前を呼んでほしいなんて……思ってもなかった)」
「おはよう。仁愛ちゃん、どないしてん?自分、めっちゃ顔赤いで?」
夢玖ちゃんが、無邪気に顔を覗き込んできた。
「えっ……そう?」
「おはよう、仁愛ちゃん。もしかして……恋?」
隣で、夜海ちゃんがくすりと笑った。
「ち、違うもんっ!」
慌てて否定する。
でも、二人は楽しそうに私を見ていた。
「でも、嬉しそうだったよ。仁愛ちゃん」
「…………」
私は、視線を落とした。
「(……うん)」
「(嬉しかったよ。ほんとに……)」
胸の奥で、藤の花びらがそっと揺れた。
もう一度、あの人と話せる日が来るのだろうか。
今度こそ、「藤」ではなく、松寺仁愛として。
─それは、まだ分からない。
けれど。
私は、ほんの少しだけ未来を楽しみにしていた。
――To be continued.




