<第三十二話>心配してんだよ
「……で。どうすんだ、これ」
病院の待合室。
俺は、隣でぐったりしている如月さんを見下ろした。
診察と必要な検査を受けた如月さんは、医師から休養を指示された。
「こんなになるまで頑張るなんて……」
思わず、そんな言葉が漏れる。
高熱の原因については、経過を見ながら対応することになったらしい。帰宅後も十分な休養と水分補給が必要だと説明を受けている。
問題は、こいつをどこへ連れて帰るかだった。
舞姫さんは看護実習の最終日。
愛さんは学校の会議から抜けられない。
院長は手術中。
家族の誰かが迎えに来られるまで待つことも考えたが、如月さんの体調を考えれば、いつになるか分からない迎えを待ち続けるのもよくない。
俺は店長に連絡を入れ、事情を説明した。
『廉命の家が近いなら、一時的にそこで休ませてやれ。もちろん、本人が嫌がらなければな。家族にも連絡を入れておけ。何かあったら、すぐ医療機関に相談しろよ』
「……分かりました」
電話を切る。
俺は如月さんの顔を覗き込んだ。
「おい、如月さん」
「……んにゃ?」
弱々しい返事が返ってくる。
「これから俺んちで休め。愛さんが迎えに来られるまで、ここにいていいから」
「廉命さんのおうち?」
「そうだ」
「……お邪魔してええの?」
「お前、今の状況分かってんのか?」
「んー……お熱がある?」
「分かってんなら、余計な心配すんな」
「でも、廉命さんのおうち……」
夢玖はぼんやりとした顔で、何かを考えている。
そして。
「たこ焼き器、あります?」
「…………は?」
思わず聞き返した。
「たこ焼き器!」
「お前……高熱で頭沸いたか?」
「だって、大阪の人のおうちには、たこ焼き器があるって……」
「俺は大阪出身じゃねぇよ!」
「……そっかぁ」
しゅん、とする如月さん。
いや、なんでだよ。
なんで俺がこいつを元気づける側なのに、たこ焼き器の有無で落ち込ませてんだ。
「……治ったら、考えてやる」
「ほんま?」
「治ったらな!」
如月さんは、ほんの少しだけ笑った。
ったく。
その笑顔を見て安心してる自分が、どうしようもなく腹立たしい。
***
病院内の売店で必要なものを買い、俺の住むマンションへ帰宅した。
「……ここが、廉命さんのおうち?」
「ああ」
「……へぇ」
玄関を開けた瞬間、如月さんは部屋の中を眺めた。
俺の部屋には、特別なものなんてない。
必要最低限の家具に、ソファとテーブル。それからキッチン。
それだけだ。
「……なんもねぇだろ」
「ううん!」
夢玖は首を振った。
「広いなぁって!」
「普通だろ」
「うちが今まで住んどったところより、ずっと綺麗やし広いで!」
その言葉に、少しだけ胸が詰まった。
こいつは、何気ないことで喜ぶ。
温かい飯。
柔らかい布団。
自分のために用意された居場所。
そんなものを、当たり前だと思っていない。
「……ほら、靴脱げ。上がるぞ」
「お邪魔しまーす……」
如月さんは靴を脱ごうとした。
が。
ふらっ。
「おい!」
とっさに腕を掴む。
夢玖の身体が、俺の胸元に倒れ込んできた。
「……っ!」
近い。
いや、近すぎる。
普段は小柄なこいつを見下ろしていることが多い。
それなのに今は、俺の服の裾を掴み、頼りなさそうに立っている。
「……ごめんなぁ、廉命さん」
「謝んな。立てるか?」
「んー……ちょっと、ふわふわする」
「ふわふわじゃねぇ。熱があるんだろうが」
俺は夢玖を支え、無理をさせないようにソファまで連れていった。
座らせてから、体温計と飲み物を手の届くところに用意する。
「ここで待ってろ。勝手に動くなよ」
「はーい」
返事だけはいい。
――信用ならねぇ。
俺がキッチンに向かい、振り返ると。
夢玖はソファの上で、クッションを抱きしめていた。
しかも。
「……んにゃぁ」
猫みたいに頬をすり寄せている。
「…………」
何してんだ、こいつ。
「おい」
「ん?」
「それ、俺のクッション」
「ふかふかやぁ……」
「聞け」
「廉命さんの匂いする」
「――っ!」
手に持っていたコップを落としかけた。
「お、お前な……!」
「……?」
如月さんは不思議そうに首を傾げる。
「なんで赤くなっとるん?」
「赤くなってねぇ!」
「お熱?」
「俺は平熱だ!」
「そっかぁ……」
納得したらしい。
頼むから、これ以上余計なことを言わないでくれ。
俺の心臓がもたねぇ。
***
「……はい、水」
「ありがとぉ」
夢玖は両手でコップを受け取り、少しずつ水分を取った。
その後、医師の指示に従って薬を飲み、ソファに横になる。
俺は近くに飲み物を置き、体調の変化がないか注意しながら様子を見守ることにした。
「……廉命さん」
「なんだ」
「お腹すいた」
「……食欲あんのか」
「ちょっとだけ」
「無理して食うなよ。食えそうなら、消化のいいもん用意する」
「……お粥?雑炊……?」
「ああ」
「たこさんウインにゃあ……」
「タコは入れねぇよ!」
「……そっかぁ」
如月さんは少し残念そうに目を伏せた。
―なんでだ。
なんで病人のくせに、食事のリクエストがいちいち独特なんだ。
「廉命さん、料理出来るんやな……」
「出来るわ。少なくとも、お前よりは出来る」
「えぇ……。なら、今度何かお礼に作らせてや」
「……お前はまず、自分の体調を心配しろ」
俺はキッチンに立ち、消化のよい食事を用意することにした。
食べられそうな分だけ食べさせて、あとは休ませる。
そう決めていたのに。
「……廉命さん」
「今度はなんだ」
「うち、ここにおってもええの?」
手が止まった。
振り返ると、如月さんはクッションを抱いたまま、こちらを見ていた。
「……愛さんが迎えに来られるまでだ。今は身体を休めることだけ考えろ」
「……うん」
「それに、具合悪いときくらい、人に頼れ」
夢玖は、少し考えるように黙った。
「……うち、人に看病してもらうん、あんまり慣れてへんねん」
その声は、いつもより小さかった。
俺は何も言えなかった。
如月さんが今までどんな生活をしてきたのか。
どんな思いをして、大阪からここまで歩いてきたのか。
俺は、全部を知っているわけじゃない。
だけど。
「……これから慣れろ」
「……え?」
「お前の周りには、心配する奴がいるんだよ」
俺は、なるべくいつもどおりの口調で言った。
「だから、たまには頼れ。全部ひとりでやろうとすんな」
如月さんは、じっと俺を見つめた。
それから。
「……廉命さんも?」
「……は?」
「うちのこと、心配してくれとるん?」
―やめろ。
その目で見るな。
そんなふうに真っ直ぐ聞かれたら、どう答えりゃいいんだ。
「……当たり前だろ」
「……そっかぁ」
夢玖は、ふにゃりと笑った。
「ありがとなぁ、廉命さん」
――――。
俺はキッチンに向き直った。
耳が熱い。
絶対に、今の顔は見られたくない。
「……ったく」
小さく呟く。
「心配させんじゃねぇよ」
***
「ほら、お粥出来たぞ」
近くのテーブルにトレーを置く。
用意したのは、鶏ガラのだしと生姜を使った卵粥。
食べられる分だけでいい。
無理をさせないように、少しずつ食べさせる。
「……うち、猫舌やねん」
「知ってる。だから……」
俺はスプーンで一口分をすくい、ふうふうと息を吹きかけた。
「ほら。これなら食えるだろ」
「えっ」
「何だよ。口開けろよ」
「……あー」
如月さんが口を開ける。
俺は慎重に、冷ました卵粥を食べさせた。
「……おいしい!」
夢玖は、ぱっと顔を明るくした。
その表情を見て、俺も少しだけ安心する。
「そりゃよかった」
「廉命さん、料理上手やなぁ」
「……普通だろ」
「ううん。おいしいで!」
「…………」
やめろ。
そんな真っ直ぐ褒めるな。
どう反応すりゃいいのか分かんねぇだろうが。
「……ほら、もう一口」
「はーい」
その後も、夢玖は食べられる分だけ卵粥を口にした。
食べ終わると、満足そうに息をつく。
「ごちそうさま。ありがとなぁ」
「おう。食えたならよかった」
「……次は、たこ焼き……」
「病み上がりに何食う気だ!!」
「んにゃぁ……」
ったく。
本当に、調子が狂う。
***
食事を済ませた如月さんは、再びソファに横になった。
薬を飲み、水分も取った。
それでも、熱はすぐには下がらない。
俺は医師からの指示を確認しながら、如月さんの様子を見守っていた。
「……廉命さん」
「なんだ」
「……眠れへん」
「熱でしんどいのか?」
「……ちょっとだけ、心細い」
思わず、如月さんを見た。
こいつが、そんなことを言うなんて。
いつもなら、どんなことにも興味津々で、知らないことがあれば目を輝かせる。
分からないことがあれば、誰かに聞く。
だけど今は、いつもの元気がない。
「……そばにおってくれる?」
「…………」
断れるわけがなかった。
「……ああ」
俺はソファの近くに椅子を持ってきて座った。
「寝るまでいる」
「ほんま?」
「二度も言わせんな」
如月さんは安心したように目を閉じた。
――と思ったら。
「廉命さん」
「……今度はなんだ」
「手、つないでもええ?」
「――――っ!」
椅子から転げ落ちそうになった。
「お、お前……!」
「……あかん?」
如月さんが、少し不安そうにこちらを見る。
違う。
そうじゃねぇ。
断りたいわけじゃない。
むしろ、断れるわけがない。
ただ、こいつは。
自分が何を言っているのか、分かっているのだろうか。
「……熱で心細いんだろ」
「……うん」
「……なら、仕方ねぇだろ」
俺は、そっと手を差し出した。
如月さんの小さな手が、俺の手に重なる。
小さい。
そして、熱い。
―待て。
なんで俺が緊張してんだ。
こいつは今、熱があって心細いだけだ。
そうだ。
俺は看病しているだけ。
それなのに。
「……ありがとぉ」
如月さんは、安心したように微笑み、ゆっくりと目を閉じた。
数分もしないうちに、寝息が聞こえ始める。
「…………」
俺は、動けなくなった。
手を離すべきか。
いや、起こしたらかわいそうだ。
でも、このままじゃ何もできない。
―いや、何を考えてんだ、俺は。
ただの看病だ。
ただ、体調の悪いこいつが安心して眠れるようにしているだけ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「……そうだろ」
自分に言い聞かせる。
けれど。
夢玖の寝顔を見た瞬間、そんな言い訳は全部吹き飛んだ。
「……好きだな、俺」
声に出してから、慌てて口を押さえた。
もちろん、夢玖は起きない。
「……最悪だ」
好きな女が自分の家で眠っている。
しかも、手まで握られている。
これで平静を保てというほうが無理だ。
―俺、重症だろ。
俺は深く息を吐き、夢玖の手を握り返すこともなく、ただそばにいた。
今は、こいつが安心して休めることが一番大事だ。
そう。
今は、それでいい。
「……ゆっくり寝ろ、夢玖」
俺は、眠っている夢玖に向かって小さく呟いた。
「起きたら、またうるせぇくらい喋れよ」
返事はない。
けれど、夢玖の表情は、少しだけ穏やかになった気がした。
……To be continued
第三十二話を読んで頂き、ありがとうございます。
廉命が流れで看病することになるも、夢玖にひたすら振り回される一方で…
それではまた。




