<第三十一足>もう少し頼れ
「熱っ……こりゃ酷い熱だな……」
私が倒れて数分。
意識は、ほとんどなかった。
身体を支える腕。
額に当たる手。
誰かがそばにいることだけは、ぼんやりと感じていた。
「……店長に報告して……」
遠くから、廉命さんの声が聞こえる。
でも、誰かに身体を持ち上げられている感覚がした。
「……ったく。心配させんじゃねぇよ」
あまりにも身体が熱くて、意識が朦朧としていた。
もう、自分ではどうすることもできなかった。
****
「……ん……」
「如月さん!聞こえるか?」
目を開けると、バックヤードのマットに寝かされていた。
店長が、心配そうに顔を覗き込んでいる。
「……店長……?」
「よかった、意識が戻って……」
店長は、ほっと息を吐いた。
傍らには廉命さんと福吉さんもいる。
「……うち、どうしたん……?」
「どうしたもこうしたもねぇよ。お前、店で倒れたんだぞ」
廉命さんの声は、いつもより低かった。
「……え?」
「体温、三十九度六分だ」
「……さんじゅう、きゅう……?」
数字を繰り返す。
三十九度六分。
それがどれほど危険なのか、私にはよく分からなかった。
「如月さん。意識がはっきりしないほどの高熱なんだ。すぐに病院で診てもらおう」
店長が真剣な顔で言った。
「……でも、うち……」
「でも、じゃないよ」
廉命さんが、すぐに口を挟んだ。
「今は自分の心配だけしてろ」
「…………」
自分の心配。
そんなことを言われたのは、初めてだった。
私はいつも、迷惑をかけないようにしなければと思っていた。
誰かの手を煩わせないように。
自分のことは、自分で何とかしなければ。
でも、今は。
みんなが私のことを心配してくれている。
それなのに、申し訳なさが先に込み上げてしまった。
「……ごめんなさい……」
「……謝るな」
廉命さんが、眉を寄せた。
「今は、ちゃんと休め」
****
「……しかし、困ったな」
店長が腕を組む。
「愛ちゃんは、職員会議が長引いているって雷磨が言ってたぞ」
「じゃあ……舞姫さんは?」
「舞姫ちゃんも、国試前最後の看護実習でそれどころじゃねぇらしい」
今の私に寄り添える人が、すぐには見つからなかった。
さらに、義父も大事な手術を控えていて、すぐには動けないらしい。
「まじか……でも、俺たちが店を抜けるのはまずい……」
福吉さんも頭を抱えている。
私のせいだ。
他の業務もあるのに、私のせいで仕事を増やしてしまっている。
そう考えると、胸が苦しくなった。
そのとき。
「うお……如月、どうしたんだよ?」
休憩から戻ってきた希望さんが、私の姿を見て目を見開いた。
「希望さん……それが、如月さん、酷ぇ熱で倒れたんです」
「嘘だろ……?熱は?意識はあるのか?」
「三十九度六分っす」
「……そんなに?」
希望さんが、心配そうにこちらを見た。
「……最近ずっと勉強していたからな…愛さんから聞いたぞ。期末テスト優秀だったらしいじゃん」
「はい。バイトの休憩中も……」
「そうか……」
希望さんは、少しだけ表情を曇らせた。
「頑張っていたのは知っているけど……今は、身体を優先しないと」
「…………」
私は、何も言えなかった。
頑張ることは、悪いことじゃない。
勉強をするのも、仕事をするのも、好きだった。
でも。
自分の身体が、こんなふうになるまで頑張る必要があったのだろうか。
そんなことを、初めて考えた。
「……よし」
店長が顔を上げた。
「廉命。如月さんをお願いね。院長や愛ちゃんには、俺から連絡しておく」
「……俺でいいんすか?」
「今はそれどころじゃない。二人とも早退して、病院に行ってくれ」
「……分かりました」
廉命さんは、すぐに頷いた。
「ガキ二人が抜けても店は潰れねぇ。ここは俺たち大人に任せて、行け」
福吉さんが、ひらひらと手を振る。
「……あざっす」
こうして、私は廉命さんに付き添われ、病院へ向かうことになった。
****
店の外に出ると、七月の熱気が肌にまとわりついた。
「……暑い……」
思わず呟く。
「当たり前だろ。夏なんだから」
「……そうやけど……」
いつもなら、こんな会話にも笑って返せたはずだった。
けれど、今は身体が重くて、頭もぼんやりしている。
廉命さんは私の様子を見て、少しだけ眉を寄せた。
「……歩けるか?」
「……うん。たぶん……」
「たぶんじゃねぇよ」
そう言いながら、廉命さんは私の身体を支えた。
「無理すんな。病院まで、ちゃんとついていくから」
「……でも、廉命さんも、お仕事……」
「もう早退した」
「……うちのせいで……」
「違ぇよ」
即座に返された。
私は、思わず顔を上げた。
廉命さんは、いつものように少し不機嫌そうな顔をしていた。
でも、その手は私がふらつかないよう、しっかりと支えてくれている。
「お前が倒れたんだ。仕事より、そっちが先だろ」
「…………」
「それに、俺が勝手に付き添うって決めたんだ。お前が気にすることじゃねぇ」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
──どうして。
どうして、そんなふうに言ってくれるのだろう。
「……おおきに」
小さな声で礼を言う。
廉命さんは、少しだけ目を逸らした。
「……いいから、黙って休んでろ」
「……んにゃ」
私は、素直に頷いた。
****
病院に到着すると、すぐに診察を受けることになった。
高熱があり、一時は意識もはっきりしなかったことを、廉命さんが医療スタッフに伝えてくれた。
私は診察を受け、必要な検査をしてもらうことになった。
その間も、廉命さんは待合スペースで待っていてくれた。
──申し訳ないな。
そう思う一方で、少しだけ安心していた。
今、ここに一人じゃない。
それだけで、心細さが和らいだ。
やがて診察が終わり、医師から説明を受ける。
原因はまだ断定できないものの、まずは身体を休めることが大切だと言われた。
高熱が続いたり、意識がおかしくなったりした場合は、すぐに医療機関へ相談するようにとも伝えられた。
私は、ゆっくり頷いた。
****
病院を出る頃には、少しだけ頭がはっきりしていた。
「……廉命さん」
「……何だよ」
「今日は、ほんまにありがとう」
「……別に」
「でも……お仕事、早退させてもうたし……」
「……お前な」
廉命さんが、ため息をついた。
「まだそんなこと言ってんのか」
「……だって……」
「いいか」
廉命さんは、私の顔を見た。
「お前が頑張るのは勝手だ。勉強だって、仕事だって、好きなだけやればいい」
「…………」
「でも、自分の身体まで無視すんな」
その言葉に、私は目を伏せた。
「……お前が倒れたら、心配する奴がいるんだよ」
「……え?」
「……俺だって、心配する」
最後の言葉は、少しだけ小さかった。
私は、思わず廉命さんを見上げた。
廉命さんは、気まずそうに顔を逸らしている。
「……だから、もう少し周りを頼れ」
「…………」
「お前が一人で何でもやる必要なんかねぇだろ」
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
私は、誰かに頼ることが苦手だった。
迷惑をかけてはいけない。
自分で何とかしなければいけない。
ずっと、そう思っていたから。
でも。
廉命さんは、私が頼ることを迷惑だとは言わなかった。
むしろ、頼ってほしいと言ってくれた。
「……うん」
私は、小さく頷いた。
「……これからは、ちゃんと休む」
「……本当だろうな」
「ほんまやってぇ……」
「……なら、いい」
廉命さんが、ほんの少しだけ表情を緩めた。
その顔を見て、私は思った。
──頑張ることと、無理をすることは、違う。
そして。
誰かに頼ることは、悪いことじゃない。
まだ、全部を理解できたわけではない。
でも、少しずつ覚えていけばいい。
そう思いながら、私は廉命さんの隣を歩いた。
……To be continued
第31話を読んで頂き、ありがとうございます。
今回は期末テストで燃え尽きた夢玖が、高熱を出してしまい…夢玖は休養へ向かう…
それではまた。




