<第三十足>頑張りの代償
夏休みにオープンキャンパスへ行くことが確定した。
しかし、期末テストと検定に追われ──気づけば七月の中旬。
つまり、夏休みが始まる十日前になっていた。
「夢玖ちゃん……本当によく頑張ったわねぇ……ふふっ」
「んにゃー……愛姉、苦し……っ!」
全ての科目が返却され、点数を見てみる。
普通科目は、平均九十点。
保健体育と家庭科は八十点台。
そして商業科目も──九十点台。
「うわぁ……!夢玖ちゃん、本当に頑張ったねぇ!」
「本当に本当に……!あぁ、甘やかしてあげたい!」
「む、……!二人まで……!」
夜海も仁愛も便乗し、こちらに抱きついてくる。
苦しいものの、暖かい。
というか──。
「暑いっ!」
暑い。
正確には暑苦しい。
福島に来て初めての夏だからなのか、余計に暑く感じる。
「あはは……夢玖ちゃん、バイトの休憩中でも勉強してたって廉命君から聞いたよー?」
「うん。廉命さんや雷磨さんからも勉強教わってん」
「雷磨さんって……愛ちゃんと高校の同級生なんでしょ?」
それに、私はずっと勉強していた。
廉命さんや雷磨さんにも勉強を教えてもらっていた。
「えぇ。高校時代は学年……いえ、全国一位を競い合ってたのよ。でも勝てなくて……私は生徒会長、雷磨さんは副会長を務めてたわ」
「さすが愛ちゃん……」
「あなた達も成績がいいんだから。でも、油断は禁物よ」
「うっ……ごもっとも……」
それに、夜海も仁愛も期末テストの成績がかなり良かったらしい。
「しかも……検定も乗り越えたんでしょう?夢玖ちゃん、あなたかなり疲れてるんじゃないの?」
「いや……私、元気やで?」
「じゃあ……最近、帰宅したら玄関で猫みたいに丸まって寝てるのは、なんでかしら?」
「っ!」
確かに、愛姉の言う通りだった。
期末テストのほかに、商業科目の検定もあった。
かなり疲れているのではないかと心配される。
体はだるくないし、頭も痛いわけではない。
「猫……?」
「えぇ。それは、飼い主の帰りを玄関で待とうとしたら、そのまま丸まって寝てしまったように……」
「それ……毎日なの?」
「えぇ。先月の後半から毎日ね……」
そう。
自分では気づいていないものの、最近の私は帰宅すると玄関で丸くなって寝ているらしい。
しかも、愛姉曰く毎日らしい。
それでも私は、自分が疲れているという自覚がなかった。
****
「ねぇ、簿記の結果、もう貼り出されてるって!」
昼休み。
変わらず教室でお弁当を食べていると、クラスの女子が騒ぎ出した。
「あっ!すっかり忘れてた……!」
仁愛も思い出して、頭を抱える。
「私は予想してたけど……。お弁当食べたら、みんなで見に行こうよ」
夜海は予測していたそうで、仁愛とは正反対の対応だった。
「途中まで覚えとったけど……テストに追われて、それどころやなかったなぁ……あはは」
「どうしよう……検定落ちてたら、学級委員として恥ずかしいよぉ……」
仁愛はさらに弱音を吐く。
いや、待て──。
彼女が学級委員?
「仁愛ちゃん……学級委員やったの?」
「そうなのぉ……言い忘れてたね……」
「そうなんや……でも仁愛ちゃん、しっかりしとるし、明るいし、みんなを引っ張ってくれるもんな!」
「夢玖ちゃん……!」
仁愛の表情が、ぱあっと明るくなる。
整った顔立ちがさらに輝き、むしろ眩しい。
「目が……眩しい……!」
「あはは……安心したらお腹空いちゃった。今日はガパオライスなんだよねぇ……」
仁愛の顔立ちは、本当に整っている。
雪のようにきめ細かく白い肌。
長いまつ毛と、空色の大きな瞳。
艶やかな黒髪。
けれど、好物は激辛料理。
「卵だけ辛くないんだ……」
「仁愛ちゃん……これ、何入れたん?」
「ナンプラーでしょ?塩コショウ、仁愛醤油……!」
「うんうん……」
「あと、激辛デスソースにキャロライナ・リーパー、七味に唐辛子……♡」
香辛料を聞くだけで、目が痛くなる。
「……もう驚かへん」
「赤を通り越して黒いもん……慣れちゃったね」
「ふふっ♡まだまだ刺激が足りないや♡」
「……普段は学級委員を務める、スタイル抜群で天真爛漫な超絶美少女なのに……」
そう。
松寺仁愛が学級委員を務めているのは、今日初めて知った。
でも、次第に分かったことがある。
「「刺激好きの超辛党なドM……」」
「むー!まだまだ辛くないもん♡」
「味覚……大丈夫なん、本当に」
仁愛は不満そうに頬を膨らませた。
その様子がおかしくて、私たちは笑った。
──楽しい。
学校に来ることが、こんなに楽しいなんて。
友達とお弁当を食べて、くだらない話をして、笑い合う。
そんな毎日が、今の私にはとても大切だった。
だからこそ。
この時間を、もっと楽しみたいと思った。
****
その日の夕方。
私はスポーツ用品店でアルバイトをしていた。
「いらっしゃいませ!」
いつものように、お客様を迎える。
店内は夏休み前ということもあり、運動靴を探す学生や、部活動用のシューズを買いに来た親子連れで賑わっていた。
「こちらの靴でしたら、足の幅にも余裕があると思います。よかったら、試し履きしてみてください」
お客様に靴を差し出す。
「ありがとう。じゃあ、履いてみようかな」
「はいっ!」
靴を履いてもらい、サイズや履き心地を確認する。
足が痛くないか。
かかとが浮いていないか。
歩いたときに違和感がないか。
足の幅や甲はきつくないか。
希望さんから教わったことを思い出しながら、一つずつ確かめていく。
「お客様、いかがでしょうか?」
「おお!こりゃ足の幅も丁度いいし、沢山歩いても疲れない…」
お客様が納得して靴を選んでくれると、嬉しくなった。
「ありがとう。これにするよ」
「ありがとうございます!」
笑顔でお見送りする。
──よし。
次のお客様にも、ちゃんと対応しよう。
そう思って、立ち上がった瞬間だった。
「……あれ?」
視界が、ふっと揺れた。
一瞬、足元が遠くなったような感覚。
私は慌てて、近くの棚に手をついた。
「……如月さん?」
少し離れたところから、廉命さんの声がした。
「……んにゃ?」
振り向く。
「お前、今……」
廉命さんが、こちらへ歩いてくる。
「……何でもないで。ちょっと、立ちくらみしただけやから」
そう答えた。
本当に、それだけだと思った。
けれど。
「……顔、赤くねぇか?」
「え?」
「こっち向け」
廉命さんが、私の顔をじっと見る。
そして、私の顎を掴む。
「……熱でもあんのか?」
「いや、元気やで?」
「お前の元気は信用ならねぇんだよ」
「ひどない?」
いつもなら、ここで言い返せたはずだった。
けれど、その声が思ったよりも小さくなった。
体が、妙に重い。
頭の奥がぼんやりする。
それでも、仕事はまだ残っている。
「……大丈夫。うち、まだ働けるから」
そう言って、もう一度棚に手を伸ばそうとした。
その前に。
「もういい」
廉命さんが、私の手を止めた。
「……え?」
「仕事は俺が代わる。お前は座ってろ」
「でも……」
「でもじゃねぇ」
いつもより、ずっと低い声だった。
「……顔色もおかしい。さっきから、まともに立ててねぇだろ」
「……そんなこと……」
言い返そうとした。
でも、言葉が続かなかった。
廉命さんの顔が、いつもより少し遠くに見える。
「……如月さん?」
その声を聞いた瞬間。
体の力が、すっと抜けた。
「……あれ……?」
膝が、思うように動かない。
倒れそうになった私の腕を、廉命さんが慌てて支えた。
「おいっ!如月さん!」
「……れん、や……さん……?」
「喋んな。ちょっと待ってろ!」
廉命さんの声が、遠くから聞こえる。
「盾澤店長…!如月さんが…」
インカムで誰かを呼ぶ声。
慌ただしく動く足音。
心配そうに覗き込む顔。
それなのに、私はうまく反応できなかった。
──なんでやろ。
さっきまで、普通に働いていたのに。
「……夢玖、聞こえるか?」
廉命さんが、私の顔を覗き込む。
私は、なんとか頷いた。
「……うん……」
「……よし。無理すんな。店長呼んだからな」
──店長。
そういえば、今日はまだ休憩を取っていなかった。
でも、もう少し頑張れば。
そんなことを考えた瞬間、廉命さんの声が聞こえた。
「……ったく。頑張るのはいいけど、自分の体まで無視すんな」
怒っているような声だった。
けれど、その手は、私が倒れないようにしっかりと支えてくれていた。
「……ごめん、なさい……」
「……謝んな。今は休め」
その言葉を最後に、私は目を閉じた。
****
「……三十九度六分っ!」
体温計の表示を見た盾澤店長が、思わず声を上げた。
「如月さん…これは駄目だよ……!」
「……さんじゅう、きゅう……?」
ぼんやりとした頭で、数字を繰り返す。
そんなに熱があるなんて、思ってもいなかった。
「……でも、うち……」
「でも、じゃない!」
店長が、珍しく厳しい声を出した。
「今日はもう仕事は終わり。帰って休むこと!」
「……はい……」
廉命さんが、呆れたように息を吐く。
「……自分で元気だって言ってたくせに」
「……ほんまに、元気やと思っとってん……」
そう答えると、廉命さんは何も言わなかった。
ただ、困ったように眉を寄せていた。
私は、みんなに心配を掛けてしまった。
それが、申し訳なかった。
けれど。
──どうして、こんなに熱が出てしまったのだろう。
期末テストも、検定も、頑張った。
バイトも、いつも通りにしていたつもりだった。
家に帰ったら、愛姉のご飯を食べて。
お風呂に入って。
寝る。
それだけの毎日だった。
なのに。
「……如月さん」
廉命さんが、静かに声を掛けた。
「……ちゃんと休め。勉強も仕事も、逃げねぇから」
「…………」
「今は、自分の体を優先しろ」
その言葉に、私は小さく頷いた。
──そっか。
休んでも、いいんだ。
明日のことを、今すぐ考えなくてもいい。
頑張れない日があっても、いいのかもしれない。
「……うん」
私は、ゆっくりと目を閉じた。
初めての福島の夏は、思っていたよりもずっと暑かった。
そして私は、自分が思っている以上に、疲れていたのかもしれない。
──頑張ることと、無理をすることは、同じじゃない。
そのことを、私はまだ知らなかった。
……To be continued
第30話を読んで頂き、ありがとうございます。
期末テスト、検定を乗り越えた夢玖が頑張り過ぎて高熱に…!
夢玖にはゆっくり休んでもらいたいところだけど…!
それではまた。




